ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 26〉内部告発者の悲劇とジャーナリストの称賛

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2025/7/8By

 

『増補改訂版 ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』、2026年1月17日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
※本書の「たちよみ」公開が書誌情報ページにあります。ぜひご覧ください。⇒<https://www.keisoshobo.co.jp/book/b10154377.html>

 
自分が所属する組織の不正を知ってしまったとき、わたしたちはどういう行動をとろうとするでしょうか。もし「内部告発」するとしたら、どこに? どのように? そしてジレンマを抱えた告発者にジャーナリストはどう対峙し、何を考えるべきでしょうか?[編集部]
 
 

1:: 思考実験

 行きつけのバーで、新聞記者の名刺をもつ女性と知り合い、雑談を交わすようになって3か月になる。わたしは食品メーカーの中間管理職。お互い仕事の中身は違うけれど、愚痴を言い合ううちにすっかり意気投合した。いまどきの政治家や経済界を罵る彼女の毒舌ぶりは痛快で、言葉の端々に滲み出る正義感に勇気づけられた。男社会を生き抜いてきた女同士という連帯感もあった。だからわたしは「例の件」を彼女に託してみようと思ったのだった。
 
 「例の件」というのは、わが社のブランドで売られている「牛肉コロッケ」に豚肉などが混ぜられている不正のことだ。要するに、わが社の役員が下請け工場に不正を強要しているのである。経緯はつまびらかにできないが、偶然に偶然が重なって、わたしの手元に内部資料が転がり込んできた。
 
 たかがコロッケと言うなかれ。すでに豚アレルギーの人には健康被害が出ているかもしれない。宗教上の理由で豚を避けている人もいる。食品偽装はお客様への背信であり、明らかな違法行為。立派な犯罪だ。
 
 わが社にも組織内の不正を通報する窓口はある。だが、よその会社では内部告発をした人が解雇されたというニュースを何かで読んだことがある。勤務先を疑いたくないが、通報内容が担当役員に筒抜けにならないという保障はない。監督官庁に通報することも考えたが、匿名で郵便物を送るよりも、やはり面識ある新聞記者に手渡すほうが確実だ。そう考えたわたしは、彼女を喫茶店に呼び出し、すべてを話した。
 
 わたしが手渡した封筒の書類をざっと見たあと、彼女は小声でささやいた。「こういうの内部告発っていうんだよ。あなた本気なの」
 
「わたしから、というのはどうか内密に」
「それは任せて。こういう場合、報道機関は情報源を絶対に明かさないから。でも、記事が出たらあなたの会社では『チクったのは誰だ』って犯人探しが始まるだろうね」
 
 彼女の言葉に胸が締め付けられた。わたしが情報提供したということが社内でバレる可能性はある。それは避けたい。でも、犯罪の証拠を手にしたのに、見て見ぬ振りをするなんて……。
 
「あまり大きな記事にしないでほしいんだけど」
「それは無理」と彼女は断言した。「独自」「スクープ」などと銘打たれているニュースは派手に扱われるし、よその報道機関はきっと後追いする。社長は記者会見で追及され、株価は下がるだろう、というのが彼女の見立てだった。
 

 彼女は封筒を鞄に押し込むと、テーブルの伝票をつまんで「これは経費で落とします」と言う。何だか突き放されたような気になった。もはや彼女の表情は、気の置けない飲み友達ではなく、特ダネを追いかける記者そのものだ。無性に心細くなってきた。
 ↓ ↓ ↓
 
つづきは、単行本『増補改訂版 ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』でごらんください。

 
報道倫理のグレーゾーンへようこそ。ジャーナリズム現場で直面する20の難問を巡る思考実験に、さらなる理論的考察を加え増補改訂!
 
2026年1月17日発売
畑仲哲雄 著『増補改訂版 ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』

A5判並製・256頁 本体価格2500円(税込2750円)
ISBN:978-4-326-60387-9 →[書誌情報]

【内容紹介】 フェイクやヘイトが跋扈する今、メディア不信を放置していいのか? 緊急時に避難するには訓練が必要なように、思考も訓練しなければならない。これまでにジャーナリストが直面したジレンマを徹底考察。旧版の事例を一部差し替え、理論解説を追加し、実名報道、取材謝礼、内部告発、オフレコ取材、性暴力報道などを倫理的に問い直す。

【目次】
はじめに――報道現場のグレーゾーンへようこそ
 
第1 章 人命と報道
CASE:01 最高の写真か、最低の撮影者か
CASE:02 人質解放のために報道腕章を警察に貸すべきか
CASE:03 原発事故が起きたら記者たちを退避させるべきか
CASE:04 家族が戦場ジャーナリストになると言い出したら
〈その先へ〉 物語の第二幕
 
第2 章 被害と危害
CASE:05 被災地に殺到する取材陣を追い返すか
CASE:06 遺族から実名を出さないでと懇願されたら
CASE:07 加害者家族を世間からどう守るか
CASE:08 企業倒産をどのタイミングで書くか
〈その先へ〉 不幸を減らす第三の選択肢はあるか
 
第3 章 約束と義務
CASE:09 オフレコ取材で重大な事実が発覚したら
CASE:10 記事の事前チェックを求められたら
CASE:11 取材謝礼を要求されたら
CASE:12 ジャーナリストに社会運動ができるか
〈その先へ〉 義務をはたす第三の選択肢はあるか
 
第4 章 原則と例外
CASE:13 「選挙ヘイト」とどう向き合うか
CASE:14  組織ジャーナリストに「自由」はあるか
CASE:15 事実の検証か、違法な取材か
CASE:16 その両論併記は大丈夫か
〈その先へ〉 専門職への長い道のり
 
第5 章 立場と属性
CASE:17 その性犯罪は、いつ暴くべきか
CASE:18 内部告発者の悲劇とジャーナリストの称賛
CASE:19 宗主国の記者は植民地で取材できるか
CASE:20 犯人が正当な主張を繰り広げたら
〈その先へ〉 善いジャーナリズムへの理論と思想
 
あとがき――ジャーナリズムはだれのものか
索引
 
■思考の道具箱■
傍観報道・特ダネ /メディアスクラム・合理的な愚か者 /犯罪被害者支援・サツ回り・発生もの /黄金律 /被疑者と容疑者・世間 /知る権利・取材源の秘匿 /ゲラ /小切手ジャーナリズム /地域紙 /倫理規程・良心条項 /DEI /コンプライアンス・マスコミ倫理 /ポストコロニアリズム
 

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Go to Top