自分が所属する組織の不正を知ってしまったとき、わたしたちはどういう行動をとろうとするでしょうか。もし「内部告発」するとしたら、どこに? どのように? そしてジレンマを抱えた告発者にジャーナリストはどう対峙し、何を考えるべきでしょうか?[編集部]
1:: 思考実験
行きつけのバーで、新聞記者の名刺をもつ女性と知り合い、雑談を交わすようになって3か月になる。わたしは食品メーカーの中間管理職。お互い仕事の中身は違うけれど、愚痴を言い合ううちにすっかり意気投合した。いまどきの政治家や経済界を罵る彼女の毒舌ぶりは痛快で、言葉の端々に滲み出る正義感に勇気づけられた。男社会を生き抜いてきた女同士という連帯感もあった。だからわたしは「例の件」を彼女に託してみようと思ったのだった。
「例の件」というのは、わが社のブランドで売られている「牛肉コロッケ」に豚肉などが混ぜられている不正のことだ。要するに、わが社の役員が下請け工場に不正を強要しているのである。経緯はつまびらかにできないが、偶然に偶然が重なって、わたしの手元に内部資料が転がり込んできた。
たかがコロッケと言うなかれ。すでに豚アレルギーの人には健康被害が出ているかもしれない。宗教上の理由で豚を避けている人もいる。食品偽装はお客様への背信であり、明らかな違法行為。立派な犯罪だ。
わが社にも組織内の不正を通報する窓口はある。だが、よその会社では内部告発をした人が解雇されたというニュースを何かで読んだことがある。勤務先を疑いたくないが、通報内容が担当役員に筒抜けにならないという保障はない。監督官庁に通報することも考えたが、匿名で郵便物を送るよりも、やはり面識ある新聞記者に手渡すほうが確実だ。そう考えたわたしは、彼女を喫茶店に呼び出し、すべてを話した。
わたしが手渡した封筒の書類をざっと見たあと、彼女は小声でささやいた。「こういうの内部告発っていうんだよ。あなた本気なの」
「わたしから、というのはどうか内密に」
「それは任せて。こういう場合、報道機関は情報源を絶対に明かさないから。でも、記事が出たらあなたの会社では『チクったのは誰だ』って犯人探しが始まるだろうね」
彼女の言葉に胸が締め付けられた。わたしが情報提供したということが社内でバレる可能性はある。それは避けたい。でも、犯罪の証拠を手にしたのに、見て見ぬ振りをするなんて……。
「あまり大きな記事にしないでほしいんだけど」
「それは無理」と彼女は断言した。「独自」「スクープ」などと銘打たれているニュースは派手に扱われるし、よその報道機関はきっと後追いする。社長は記者会見で追及され、株価は下がるだろう、というのが彼女の見立てだった。
彼女は封筒を鞄に押し込むと、テーブルの伝票をつまんで「これは経費で落とします」と言う。何だか突き放されたような気になった。もはや彼女の表情は、気の置けない飲み友達ではなく、特ダネを追いかける記者そのものだ。無性に心細くなってきた。
今なら彼女の腕を掴み、封筒を取り返して内部告発を止めることはできる。
[A]内部告発する
すべて彼女に託そう。違法行為を知っているのに黙っているというのは恥ずべき行為だ。もしもメディアに情報提供したことが発覚したとしても、隠蔽したと非難されるよりもましだ。
[B]内部告発しない
まだ書かないよう懇願しよう。いきなり内部告発するのは混乱を招くだけ。優先すべきは消費者保護と再発防止策の検討。そんな段階を踏まずして、自分の正義感で突っ走るのは間違っている。
2:: 異論対論
[内部告発する立場] 内部告発者には身元がバレないかという心配が付きまとう。バレたら批判も浴びるだろう。そうだとしても、不正を黙認することは人の道に反する。組織の言いなりになって、ただ給料をもらうためだけに働くなんて奴隷の人生ではないか。
[内部告発しない立場] よい組織人として取り組むべきことは、まずは組織内で最大限の行動をすること。上司に相談しよう。だめなら内部通報窓口を利用しよう。ジャーナリズムを頼るのは「万策尽きた」ときの最後の手段。安易な内部告発は必要以上の打撃を組織にもたらすだけで、良い結果を生まない。
[内部告発する立場からの反論] 被害者は放置され、加害者は野放し。そんなことが許されてはいけない。内部告発の目的は、誰かを罰することではなく、大げさに言えば公益を守ることであり、社会正義の実現だ。組織で働く一人ひとりは弱くて、声を挙げるのはハードルが高い。そういうときにジャーナリズムは頼りになる。
[内部告発しない立場からの反論] マスメディアは信用できるのだろうか。ニュース報道をすべて否定するつもりはない。公共的な使命も果たしている。でも、彼らのほとんどは営利企業。彼らが内部告発のようなスクープを欲しがる理由の何割かは、自社の利益のため。通報先をマスメディアではなく、監督官庁にするのが無難ではないか。
[内部告発する立場からの再反論] 消費者被害が出ている可能性がある。役所を頼るよりも、ニュース速報で注意喚起してもらうのが現実的だ。組織内部の犯罪を知ることは、不運な事故に遭ったようなもの。内部告発することも、しないことも、わたしにとっては悲劇。どうせなら、消費者を優先する方向で決断を下すべきだろう。
[内部告発しない立場からの再反論] 被害が出ていることが心配なら、社内の通報窓口に駆け込み、現場の工場に乗り込んで不正を止めさせるべきだ。組織人として誠実な行動をせず、匿名を条件にしてマスメディアに報道させるのは、消費者優先のふりをして、自分が傷つかないようにしているだけだ。それを欺瞞といわず何という。
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