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キム・E・ニールセン 著
後藤吉彦 監訳/兼子歩・坂下史子・土屋和代 訳
『障害のアメリカ史 再解釈のアメリカ史・4』
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序章
一九九六年、歴史学で博士号の学位を受けとるために[学位授与式会場の]舞台を横切ったとき、私は障害史研究者になるつもりはなかった。数々の魅惑的な物語と精力的な分析という、満足できる知的鋭敏さを有する歴史学は大好きだ。ただ当時、尋ねられれば、また正直に言えば、私は障害のテーマを「軟弱」すぎて――同情と共感がすべてで――あまりにもつまらなくて、本当の「硬派」な歴史の物語とはかけ離れ過ぎていると考えていた。何と間違っていたことか!
障害は私たち自身、そしてアメリカの過去に関するさまざまな難問を考察するよう促してくれるのだと、私は学んだ。どの人びと、どの身体が、公共生活や積極的な社会参加に適していて、ふさわしいと考えられてきたのだろうか? 障害のある人びとはどのように自身の人生やコミュニティを構築し、合衆国を形づくってきたのだろうか? 障害はいかに法律や政策、経済、演劇、国民のアイデンティティ、日常生活に影響してきたのだろうか? これらの問いに対する答えは、国民たる私たちについて非常に多くのことを明らかにするのだ。
『障害のアメリカ史』は、障害のある人びとの経験をアメリカの物語の中心に据える。いろいろな意味で、これは馴染みのある語りである。しかし他方で、アメリカ史の抜本的な再配置でもある。したがって、本書はよく知られている話(奴隷制や移民など)に新たな光を当てる一方、新しい話(一九世紀後半の移民排斥論(ネイティヴィズム)と口話主義(オーラリズム)の関係など)も述べていく。本書はまた、単数形の障害(ディスアビリティ)の経験などなかったことも明らかにする。障害のある人びと(ピープル・ウィズ・ディスアビリティーズ)は社会的汚名を共有し、ときには共通の経験や共通の目標で団結したが、かれらの人生や関心は、人種、階級、セクシュアリティ、ジェンダー、年齢、イデオロギー、宗教、そして障害の種類――身体的、知的、感覚的および/または精神的なもの――によって、広範に変化してきたのである。
障害のある人びとの歴史を語る一方で、『障害のアメリカ史』は、障害という概念の歴史も叙述するつもりである。そこにはふたつの非常に異なる課題がある。アメリカ史上、障害は大衆文化(たとえば見世物小屋(フリークショー)〔珍奇さや禍々しさを呼び物に動物や人間、奇怪な芸を集めた見せ物興行〕など)や言葉(「それはとてもつまらない(レーム)〔lame は歩行困難を意味する差別的表現〕」、「何てバカ(リタード)なんだ〔retard は知的発達の遅れた人という意味の蔑称〕」、「特殊(スペシャル)」など)といった多様な場で、象徴的かつ比喩的に用いられてきた。「障害」が「欠陥」や「依存」と同義にみなされると、自立や自律性というアメリカの理想とは際立った対照をなす。したがって障害は、権力やイデオロギーをめぐる種々の競争において、効果的な武器としての機能を果たしてきたのである。たとえば、黒人や移民、ゲイとレズビアン、貧しい人びと、そして女性は、完全な市民参加のできない欠陥市民として、さまざまな時代に明確に定義されてきた。
アメリカ史の物語は往々にして、独立、厳格な個人主義、自主性、そして勤勉と決断力を通じて、ボロ着から金持ちに出世するたたき上げ(セルフメイド)の男たち(そしてときには女たちも)の物語として綴られる。ちょうど入植者たちが大英帝国からの独立を求め、それを獲得したように、個々の市民も、成功する力強い自己を創り上げるためには自立を求め、それを手に入れなければならない。この理想化された意識によって私たちは、自分でできると言い張って、我々はホレイショ・アルジャー〔一九世紀の大衆小説家。『ボロ着のディック』(一八六七年)に代表される「ボロ着から金持ちへ」の成功物語をテーマとした多数の作品で有名〕の国民だ、シュッシュッポッポ(「できると思う、できると思う」)と音を立てながら丘の上の町に向かう永遠の機関車なのだ、と考えるのである。そしてもちろん、アメリカの民主主義は、国民は健常者であるという前提の上に成り立っている。投票し、経済的に貢献し、政府に物申すのは、国民の義務であり特権である。国民として、良き市民として、私たちは「自身の二本の脚で立ち」、「自分の意見を言う」(いずれも健常者中心主義的(エイブリスト)な言い回しである、そんなものがあるとすればだが)ことになっている。こうした見解の国民の物語においては、自立は良いことで、依存は悪いことである。依存が意味するのは、不平等や弱さや他者への依存なのである。
障害が依存と同一視されると、障害は烙印を押される。障害のある市民は劣等市民のレッテルを貼られるのだ。障害が依存として理解されると、障害は自立と自律性というアメリカの理想とは正反対の位置に置かれるのである。
しかし現実には、真の民主主義においてそうであるように、私たちはみな、他者に依存している。納税者として、公教育の受け手として、親の子どもとして、公道や交通機関の利用者として、公的資金による医療研究の恩恵を受けた者として、人生のさまざまな段階で賃金労働に参加しない者として、など、私たち全員が他者へのケアに寄与し、また他者によるケアから恩恵を受けているのだ。私たちは互いに依存する人びとである。歴史学者リンダ・カーバーが、個人主義というアメリカ的理想のジェンダー化された性質を批判するなかで書いたように、「孤高の個人という神話は、言葉のあやであり、修辞的技巧である。実際には誰ひとりとしてたたき上げ(セルフメイド)ではないし、本当に独りである者もほとんどいない」のだ。依存は悪いことではない――実のところ、それは人間の経験とアメリカ的経験の中核を成している。依存はコミュニティと民主主義を形づくるものなのである。
分析ツールとして障害[という概念]を用いることは、私たちの国民の物語において重要である。強さと弱さ、アメリカ的理想の矛盾に関する考察が押し進められるのだから。研究者は人種や階級やジェンダーに注目しながら、民主主義の歴史的拡張を検討してきた。障害についても同じことをするときが来たのである。さらに、アメリカ史をより豊かに理解するには、私たちが障害を用いて民主的なコミュニティの自律性をもっと良く理解することが求められる。
障害は他の誰かの物語ではない。それは私たちの物語であり、私たちの愛する誰かの物語であり、私たちが何者なのか、あるいは何者になりうるのかについての物語であり、そして疑いようもなく私たちの国家の物語である。障害は要するに、その複雑さのすべてにおいて、アメリカの物語なのである。アメリカ史の物語は、特定の国民の身体――個人と総体双方の国民の身体――を国家にとって最善のものと定義し、それを勝ち取るために争い、祭り上げようとする数多くの努力のひとつなのだ。
しかしながら……障害とは何だろうか? 障害者とは誰なのか? 反対に、障害者ではないというのはどういう意味なのだろうか? 一九六四年、合衆国連邦最高裁判所が肥満を定義するのに苦労したとき、ポター・ステュワート判事はイライラして両手を上げ、「見ればわかる」と書いた。障害についても同じことをするのは魅惑的なほど簡単である。私たちは概して、障害とは明確に定義されたカテゴリーで、不変で具体的なものだと思い込んでいる。しかし精査すると、障害とは往々にして捉えどころがなく、変化するものだということが明らかになる。障害のある人びとに歴史があるだけではなく、障害の定義にも歴史があるのだ。
障害を定義するもっとも有力な方法では、障害は「治療法」を見つけるために「手当てされ」なければならない、明白な「原因」を伴う健康上の「問題」とみなされる。この枠組みは、障害を身体に基づく欠陥に起因するものと考え、障害者をそうした診断上の欠陥だけで(そして一般に障害者ではないと考えられている人びとを、こうした欠陥がないことで)定義しがちである。それは障害が歴史とは無関係である――つまりずっと同じで普遍の定義を有する――と、間違って仮定するのだ。このような狭い考えは、障害のある非常に多くの人びとの広く多様で豊かな人生を消し去ってしまう。かれらにとって、障害はおそらく重要だが、人種、セクシュアリティ、ジェンダー、階級、政治信条、運動神経、お気に入りの趣味、キャンキャン吠える犬が好きかどうか、などによっても自らを定義するし、人生が形づくられている。障害には重病や病気が含まれうるが、含まれないこともしばしばあるし、障害者ではない人びとも病気になりうる。病気はときとして障害の原因となる(が、ならないこともある)し、その場合には病気は治るが障害は残る。病気と重病と障害は同義ではないのだ。
障害を定義するのは難しい――それが私の議論の一部である。その定義は理論的には身体を根拠にしてきたが、障害をめぐる身体の分類は、ジェンダーや人種、セクシュアリティ、教育、工業化または標準化の度合い、補装具ないしはプライバシーを手に入れる権利、そして階級といった諸要因で形づくられてきた。年齢や医療、また人生の予測できない変化、あるいは単に日々の状況で、ひとは「障害のある人びと」という範疇に出入りする可能性がある。事故や病気で一時的に障害者にならないとも限らない。障害は、他者によって容易に「見抜かれる」(車椅子の存在あるいは発話障害の音で示される)こともあれば、もっと見分けにくい(精神的な障害または神経系の障害など)こともある。
障害は文脈で決まる可能性があり、その意味は時代とともに変わってきた。あまりにも単純な一例だが、ある仲間の歴史学者と私は一度、[フランス語圏であるカナダの]モントリオールの学会で楽しい数日を過ごした。周りは私の身体を障害がないものと理解した。友人の白杖によって他の人びとは、彼女は目が見えず障害者なのだとわかった。ウェイターやタクシー運転手はしょっちゅう、主導権を握るよう私を見た。しかし、かれらが動揺したことには、私はフランス語を話さないのだ。幸運にも私の同僚はフランス語が流暢である。そうした文脈においては、私の語学力の欠陥は彼女の目が見えないことよりもはるかに障害であり、はるかに無力だった。身体的健全性とまったく同様に、障害とは単なる身体の分類だけではなく、むしろ変化する社会的諸要因によって形成される社会的分類でもあるのだ。
このことは、私たちがみなで手を取り合い、私たちには全員何かしらの障害があると陽気に主張するべきだと言っているのではない。それでは障害が身体的な不快感や困難をもたらしうるものだという、生きた現実を無視してしまう。また、障害者と定義されることが権力やリソースへのアクセスを限定的ないし困難にしてきたことや、権力の序列がさまざまな障害の定義に寄与しているという歴史的現実をも無視するものだ。たとえば、一九世紀の医療専門家は、月経と生殖が女性の(少なくとも中流階級と上流階級の白人女性の)身体をあまりにも害するという理由で、彼女たちを高等教育や雇用から排除することは彼女たちのためにも社会の大義のためにも必須だと論じた。また二〇世紀前半には、もし公共交通機関が利用しづらく、雇用主が片脚だけの男性を雇うのを拒否した場合、排他的な思考やリソース――片脚であるという状態ではなく――が隔離や失業を生み出した。これらは実際に起きたことである。
実際に起きたことには貧困も含まれる。障害のある人びとは不均衡なほどに貧困状態で暮らしており、高等教育を受ける比率も低い。本書の内容を研究することのもっとも困難な面のひとつは、貧困についての歴史文献を読むことだった。障害のある人びとが著しく貧困状態で暮らすことは不可避だと、貧困を扱う多くの歴史学者が単純に思い込んでいる。しかし、アメリカにおける貧困の女性化および人種化は、中立的な帰結でもやむを得ない帰結でもない。同様に、ウィスコンシン州よりもミシシッピ州の貧困率が高いのは、中立的でもやむを得ないことでもないのだ。これらは、特定の歴史や法の執行、工業化と開発政策、教育アクセスの歴史、税の仕組み、イデオロギーなど、特定の社会構造の帰結なのである。障害のある人びとが過度に高い貧困率とともに暮らしてきており、今も暮らし続けているのは、かれらの社会的進歩を阻むような特定の社会構造やイデオロギーや実践が理由であることを、本書は明らかにするだろう。
障害のある人びとを軽視したり限定したりする種々のイデオロギーや実践は、健常者中心主義的(エイブリスト)態度に起因している。健常者中心主義的(エイブリスト)態度とは、障害のある人びとへの恐怖、嫌悪、あるいは差別ないし偏見を反映したものである。それは明白な障害のある誰かを雇用することを拒否するような露骨なものかもしれないし、コンサートに参加している全員が二時間立ったままでいられると思い込むような微妙なものかもしれない。レイシズムやセクシズムや同性愛嫌悪(ホモフォビア)のように、障害者差別は個人に向けられ、社会構造に組み込まれる。それは意図的かつ偶然に、そして無意識のうちに実践される。たとえば、障害のある人びとが完全に不在または悲劇的で嘆かわしい人物としてのみ描かれるとき、健常者中心主義的(エイブリスト)イデオロギーは私たちのメディアを形成している。それら[のイデオロギー]は、美しさやセクシーさに関する私たちの主要な基準や、踊るとはどういう意味かという定義や、健康対策のなかに浸透するのだ。それらはリーダーシップや成功に対する私たちの期待も形づくっている。
人間の個人差は計り知れない。私たちは程度の差はあれ、見たり聞いたりし、手足の長さも強さも人それぞれで、知力は情報を種々に処理し、異なる方法や速度を用いて意思疎通をおこない、多様な手段であちこちに移動し、眼の色も同じではない。私たちのなかには子どもをうまくなだめられる者もいれば、霊的洞察力のある者もいるし、驚異的な技能で他者の感情を理解する者もいる。どの身体的・精神的多様性が重要ではないと考えられるのか、どれが魅力的なのか、どれが汚名を着せられるのかは、時代とともに変わる――そしてそれが、障害の歴史なのである。
本書には、私が予想していた以上に思いのほかひどく悲しかった箇所もあった。第三章で詳述されるフランスの奴隷船「ル・ロドゥール号」の物語は、私がきわめて心をかき乱され、今もそう感じ続けている――そして読者もそうであってほしい――心象を喚起した。なぜならそれは人間の物語で、そのように読まれるべきなのだから。この物語の別の箇所は楽しく、滑稽で、行動するきっかけとなり、元気になるような感じがした。読者もさまざまな感情の幅を経験し、私たちの多くがよく知っているアメリカのありふれた物語の新たな見方に、等しく刺激を受けたり感動したりしてもらえればと願っている。それこそが障害の歴史である。
本書の概要
発展し続ける障害史研究や、障害者を対象とした伝記や回想録の人気の高まりにもかかわらず、誰ひとりとして、障害のある人びとの人生を通じて語られる広範囲のアメリカ通史の物語を世に送り出そうとはしてこなかった。『障害のアメリカ史』は、包括的な物語ではないものの、この空白を埋めようとするものである。障害の物語を語っていると自覚していた人もしていなかった人も含め、こうした他の人びとによる研究やアクティヴィズムや物語の記述がなければ、本書は完成できなかっただろう。
他の研究者たちがジェンダーや階級、セクシュアリティ、人種を分析ツールとして用いることでアメリカの物語を語り直してきたのとまったく同様に、私の目的は、障害を用いて私たちのアメリカ史のより良い理解を手助けすることである。こうした他の分析と並行して、歴史的考察や歴史理解の手段として障害を考えることにどのような意味があるのか、その一例を提供できればと願っている。そして、いかに障害が人種、ジェンダー、階級、セクシュアリティと絡み合っているかという一例も示したいと考えている。概念としての障害は、こうした他の社会的区分の定義を説明し正当化するために歴史上の多くの時代で用いられてきたことから、障害を分析ツールとして用いることは、歴史学者やその他の研究者が同時かつ複数の分析を試みることができるひとつの手段なのだ。
切望される研究をさらに活性化することも私の目的である。さまざまな点で、『障害のアメリカ史』は歴史的な答えよりも問いを多く提示している。研究者がこれまで考え始めることすらしてこなかったような問いや主題や洞察が明らかに存在するのだ。たとえば、歴史学者のマーゴット・カナデイは、二〇〇九年の著書『異性愛国家――二〇世紀アメリカにおけるセクシュアリティと市民権』(The Straight State: Sexuality and Citizenship in Twentieth-Century America)で、現代の官僚的アメリカ国家発展の主要な手段は性的規範の監視統制を通じたものだったと論じた。同様に、本書で語られるアメリカ史の物語が示唆するのは(私は歴史学者が以下の点をさらに研究してくれることを期待しているのだが)、現代の官僚国家発展のもうひとつの手段は、障害の定義とその定義の遂行によるものだったという点である。私の研究はまた、アメリカの資本主義と工業化が文字通りにも概念上でも障害の創出に寄与したことを示してもいる。なされるべき重要な研究はまだ残っている。
『障害のアメリカ史』は、ヨーロッパ人による征服と植民地化よりも前から始まる。第一章は、北米先住民のきわめて多様な文化のなかで、障害について知られていることを考察する。第二章と第三章は、新しい国家を形成し定義する際の障害の役割や、新たに到着した障害をもつヨーロッパ人とアフリカ人の暮らし、ヨーロッパ人による征服と疫病が先住民コミュニティにもたらした帰結を分析する。第四章と第五章は、修辞的・法的・社会的区分としての障害の固定化を探究する。この新しい国家が民主主義の実験をおこないつつ、良き市民と悪しき市民を定義し区分しようとしていたとき、政治思想家は「白痴(イディオッツ)」や「狂人(ルナティックス)」、女性、奴隷にされた人びとを、完全な市民権に値する人びとと対比した。南北戦争や加速する都市化と工業化という現実は、革新主義時代の始まりとともに、障害のある人びとのために拡充された制度的空間を創り出した。こうした制度は破壊的でもあり、力を与えるものでもあった。
第六章は二〇世紀転換期アメリカのさまざまな矛盾を分析する。この時代に障害者は、優生学や口話主義(オーラリスト)運動、移民制限、国家による強制不妊手術法、医療化の進展、さらには参政権運動の修辞のなかでも、市民として望ましくないと強調された。しかし同時に、障害のある人びとは、たとえばヴォードヴィル〔歌や踊り、手品、喜劇の寸劇などを織り交ぜた大衆演芸〕や見世物小屋(フリークショー)を抵抗とコミュニティ形成の場として利用し、反撃したのだ。第七章は、障害のある人びとがいかに二〇世紀半ばを通じてしだいに組織化していき、法案を作成し可決したり、教育と職業の機会を広げたり、障害者差別を不正な差別と定義したり、障害のある人びとの美しさと品位を認めたりしたかを提示する。
第八章は一九六八年から現在までの時代、つまり障害のある人びととその理解者・支援者(アライ)たちのあいだの重要なアクティヴィズムや自己定義を含む期間を分析する。この過程において障害の文化は深化し、主流となることもあった。女性たちが性の身体的差異に基づいた序列を批判したのとまったく同様に、障害のある人びとも障害という身体的差異に基づく序列を批判した。新しい世代は教育とアクセスを権利として受け入れ、若者たちは障害をもつアメリカ人であることの意味について、根本的に異なる期待を抱いて成長したのである。
『障害のアメリカ史』は、障害のある人びとの人生を通じて古い物語を再考することで、それを新しい観点から語っている。このようにして明らかにされるアメリカ史の語りによって、私たちは個人やコミュニティや国家として、互いへの義務や私たちが掲げる国家の理想、理想的なアメリカ市民を定義する多様な方法について、もう一度熟考することを迫られるのである。
言葉についての手短な言葉
「かたわ(クリプル)」、「白痴(イディオット)」、「ばか(リタード)」、「狂人(ルナティック)」、「精神薄弱(フィーブル・マインデッド)」、「奇人(フリーク)」、「変人(クレイジー)」、「障害(ハンディキャップ)」、「足が不自由(レーム)」、「特殊(スペシャル)」、「のろま(スロー)」、「異能(ディファレントリー・エイブルド)」……障害についての考えが時代とともに変わるにつれ、障害のある人びとに言及するための用語は徐々に変わってきた。事実、変化する言葉は歴史的変化を反映する。今では悪趣味だったり問題があったり、見下すように優しかったり、あるいは露骨に侮蔑的と考えられるような言葉を、隣人や家族だけではなく権威のある人物も日常的に使っていたし、いまだに日常的に使っている場合もある。『障害のアメリカ史』はこれらの言葉を使用するが、それは読者に衝撃を与えるためではなく、アメリカ史と歴史の変化をより良く理解するためである。
著者として、私は使用する言葉に注意を払っている。言葉は重要である。たとえば、誰かを「車椅子に縛られている」とか「車椅子に閉じ込められている」と述べるのは、「車椅子利用者」とか「車椅子に乗っている人」と述べるのとは大きく異なる。この差異化は政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)ではない。それは本質的に異なった理解の思想枠組みであり知的枠組みなのだ。フェミニスト運動やレズビアン・ゲイ・クィア・トランスジェンダー運動、黒人解放運動にとってまさにそうであったように、現代の障害者権利運動は、言葉を再定義し取り戻すことが自主性の中核であると理解してきたのである。
皮肉っぽく興味深いやり方で、言葉の不在もまた本書を形づくっている。私はアメリカ史の物語を語りながら、障害が私たち国民の歴史とその研究に浸透していること――私たちは往々にしてそれに気づかないか、価値を認め損ねてきたのだが――を論じるつもりだ。「障害(disability)」や「身体障害(handicap)」は、本の索引にもデータベースのキーワードにも現れないこともある。私のような歴史学者は、キーワード検索の際に特定の障害を表す(「狂人(lunatick〔lunatic の古い綴り。今は使われていない〕)」や「盲目(blind)」などの)歴史的に特定の用語を使ったり、病気や社会福祉、アクティヴィズム、放浪、健康に関する議論の行間を読んだりと、独創的にならなければならなかったのだ。
個人的なメモ
私は一〇年以上前にヘレン・ケラーのある政治的演説に出会い、たまたま障害の歴史に手探りで入り込んだ。女性史と政治史の訓練を受け、女性の関与を妨げる公共の世界でいかに彼女たちが自らの市民としての正当性を示してきたのかについて関心を持っていた私は、ケラーの政治人生と、それが私たちの歴史記録から全面的に抹消されていることに魅了された。私は彼女についてほとんど何も知らなかったし、以前は障害にも関心がなく、障害のある近親者もおらず、[自分を]障害のない人間と考えていた。しかし、その瞬間から、私は障害史と障害学という学問に没頭した。その後は、言ってみれば、ご存じの通りである。
優れた歴史分析というものは、それ自体が評価に値する。精力的な訓練、頑固さ、実践、いくらかの能力が合わさって、私を優れた歴史学者にしている。しかし事態はもっと複雑である。私は女性で、白人で、博士号を取得し、男性の配偶者がおり、まだ高齢とは見られず、アメリカ在住で、ネイティヴの英語話者である。自身を障害のない人間とも考え、そのように見られる者として、私は特権を体現している。私にとって、優れた障害史研究をおこなうには精力的な歴史分析が必要だが、私自身の特権を認め、それと格闘することも必要になる。この道程で私は何度か間違いを犯してきたし、多くのことを学んでもきた。
しかしながら、もちろん、正直に言えば、ビーコン社と仕事をし、本書の企画書を準備した際には、心のなかで私は何でも知っていると思っていた。
その後、言うまでもなく、人生には予期せぬことが起こったのだ。
『障害のアメリカ史』の契約書に署名した一、二週間後、そして私がこの分野に入って一〇年以上が経過した後、当時一六歳だった私の娘が突然重病になった。その結果、彼女は障害のある若い女性となったのである。
私が歴史学者、フェミニスト研究者、障害学者であるため、この出来事は容易にも困難にもなる。私の娘は、車椅子利用者になりたくない、[他の人たちと]違わないでいたいという願望と、障害のある人びとが規範的な人間として充実した生活を送るという彼女自身の経験とを、どうやって折り合いをつけるかで苦労している。私もそうだ。私や障害学分野の他の人びとは、障害を医療の問題と定義するような枠組みを批判してきたが、初期の診断不足(ならびにそれに関する医師の意見の相違)によって、私は自分が障害という医療規範のその部分にどれほど感情的に依存しているかという事実と否応なく格闘することになった。障害は悲劇だという親戚や友人のありふれた反応は役に立たなかった。人びとは私の家族の経験(私はただの母親にすぎない)について「勇気と感動(インスピレーション)」という言葉を使ったが、これこそ私がヘレン・ケラーとアニー・サリヴァン・メーシーについて、使わないように奮闘してきた言葉に他ならなかった。私は今、障害がいかに家族全員に大きく影響するかを経験している。そして私は、予想外に大多数の赤の他人が、「あなたみたいなかわいい女の子が、車椅子で何をしているの?」と尋ねても妥当だと感じていることを学んだ。
この経験は、『障害のアメリカ史』に明白なかたち、また漠然としたかたちで影響した。もっとも直接的には、執筆の過程が遅れ、長引いてしまった。知的かつ精神的には、本書に深みが加わり、より良いものになった。もっとも大きいと期待しているのは、私の立てる種々の問いが、意義深く、しかし微妙に変わったことである。
本書は私が執筆を始めたものとは異なる本である。なぜなら私は数年前に存在したのとは別人であり、異なる家庭に暮らしているのだから。
私の娘を[車椅子から]転げ落ちてひっくり返るまで笑わせることは、まったくもって本当に楽しい。彼女は体幹筋肉が弱すぎるため、爆笑すると転倒するのである。まず私の夫ネイサンがそれをやった。下の娘が教会のクリスマスの演目でマリアになる準備をした際、夫は彼女が[男児であるイエス・キリストを見る]決定的な場面で「おやまあ、女の子だ!」と叫ぶよう説得を試みた。障害者になりたての娘の方は、大笑いしすぎて台所の床に転倒し、起き上がれなくなった。その日は薬のせいで背中と腕が腫れていて、圧痛があった。床から彼女を起こすとさらに痛みが生じ、それでどういうわけかあまりにも手元がおぼつかなくなって、私たちはますます大笑いした。彼女を床から持ち上げながら、私は多くのことを学んだ。
素晴らしくて、愉快で、ややこしくて、イライラするような障害という逆説は、私は数年前に存在したのと同一の人物でもあり、数年前に存在した同じ家庭に暮らしている、ということなのだ。
(注番号と傍点は割愛しました)




