あとがきたちよみ
『美的経験と個性――ジョン・デューイと教育・デモクラシー・芸術をめぐる思想』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2026/2/5

 
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西本健吾 著
『美的経験と個性 ジョン・デューイと教育・デモクラシー・芸術をめぐる思想』

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はしがき
 
 教育とデモクラシー。教育と芸術。そして芸術とデモクラシー。これらは相互にかかわり合う領域として論じられてきた。たとえばデモクラシーの実現のための教育やデモクラティックな教育の構想といった議論、芸術が教育におよぼす影響・役割や教育の技芸(アート)をめぐる議論、デモクラシーの社会における芸術の意義と役割や芸術制作とその公表のデモクラティックなあり方をめぐる議論など。本書もまた、それらの議論に連なるものとなっている。
 本書はジョン・デューイ(John Dewey, 1859─1952)という、一九世期末から二〇世紀中葉にかけての時代を生きたアメリカのプラグマティズムの哲学者の思想を検討する。特に、彼の思想における教育・デモクラシー・芸術の連関を焦点とする。ただし、デューイの思想における三者の連関構造を描写することだけが目的ではない。むしろ本書はこの三者の連関のあり方に疑義を呈していく。詳細は序章での議論にゆずるが、簡潔に言えば──奇妙な言い方になってしまうが──教育・デモクラシー・芸術の三者があまりにも調和的に、そして密接に連動してしまうことを、疑問視することになる。そして本書は、デューイの「個性」についての思想を教育・デモクラシー・芸術の三者の調和的連動に挟み込まれる「異物」として取り出し、教育・デモクラシー・芸術の調和的連動に完全に包括されることのない、そこから溢れ出るようなダイナミズムを伴った「経験」のあり方を見ていく。特に、美的経験のあらわれとしての個性に注目する。
 なお、「個性」という言葉は一見するとそれ自体に価値があるもののように思われるかもしれないが、決して手放しで礼賛できる概念ではない。
 通説として、個性や個人といった概念は近代以降に発明されたとされる。そこには伝統的な共同体からの脱却、自らの人生を選択できる自由、他とは異なる唯一性といった意味合いが込められている。しかし個性それ自体が価値あるものとして実体化され、個性的であることを駆り立てることは、諸個人への抑圧と不安をもたらすことにもなるだろう。つまり個性的であらねばならないという規範は、自らの価値を示さねばならないという命令として働きかねない。このような個性観の背景にあるのは、おそらく、個性とはどこかに探しもとめることができ、所有可能なものであるという想定ではないだろうか。さらに言えば、そもそも、個性的に生きなければならないという仕方で個性がなんらかの規範となってしまえば、その規範に沿って生きる生き方はもはや「個性的」ではないだろう。そこには個性をめぐるアポリアがある。
 したがって、個性を言祝ぐことにはリスクがある。かつてそれはひとつの「幻想」であるとさえ論じられた[佐藤 1995b]。発見可能で所有可能ななにかとしての個性がどこかに存在するのだ、という想定が幻想であるということに本書は同意する。しかしそれでもなお、本書は個性に教育的・政治的・芸術的なポテンシャルを見いだすことを試み、デューイ思想の難点に応答する視座としていく。なお、先に述べておけば、本書では個性とは周囲の環境との相互作用から「結果」として立ち現れるものであるということを論じることになる。つまり、個性とは目標として設定されるものでも、あらかじめ個人に備わったものでもないということである。そして、結果としての個性に、政治的抵抗の可能性を読み込んでいく。このような視点は、現在において個性を語るためのありうるひとつの切り口となるのではないだろうか。
 ここで、デューイについても簡単に紹介しておきたい(詳しい生涯の活動についてはDykhuizen[1973 =1977]や上野[2022]を参照)。
 デューイはウィリアム・ジェイムズ、チャールズ・サンダース・パースらと並んで、古典プラグマティズムの哲学者のひとりとして知られている。プラグマティズムに込められた意味合いは当然それぞれの論者によって異なるため単一の定義を示すことは困難だが、いわゆる真理や価値とはなにかを定めようとするものであるというよりも、その探究のための「フォーマット」を問うた哲学潮流であり[伊藤 2016: 11]、デューイはなかでも社会実践の場へとその哲学を開いたと理解されることが多い。
 デューイは一八五九年の一〇月二〇日にアメリカのバーモント州バーリントンで生まれ、バーモント大学に進学した。卒業後に教師をつとめた後、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で博士号を取得した。この時期、彼は進化論、心理学、そしてドイツ観念論などの影響を受けながら思想を形成した。そして一八九四年にシカゴ大学の哲学科主任教授に就任してからは、教育学部の設立とそこでの教員養成のために、附属小学校を創設した。一九〇二年には「実験学校」とその名前を変更するこの学校は「デューイ・スクール」とも呼ばれ、教育学の領域ではよく知られた存在である。その特徴はコミュニティと子どもの生活の強調にある。シカゴ実験学校での実践を踏まえて、デューイは『学校と社会(The School and Society)』(一八九九年)や『子どもとカリキュラム(The Child and the Curriculum)』(一九〇二年)といった教育についてのまとまった著作を発表している。また、シカゴ大学時代にデューイは、ジェーン・アダムズのソーシャル・セツルメント運動にもかかわった。
 一九〇五年にコロンビア大学に移ってからは、人類学などの影響も受けながら、彼の哲学的な思索を深め、自然主義哲学を構想していく。また、一九一五年に娘のエヴェリン・デューイ(Evelyn Dewey, 1889─1965)との共著で当時のさまざまな進歩主義教育の実践を論じた『明日の学校(Schools of Tomorrow)』を出版し、さらに翌年には『民主主義と教育(Democracy and Education)』(一九一六年)を世に出すなど教育に関する著作も発表している。さらに、コロンビア大学時代には、デューイに社会問題への関心を促したとされる妻アリス・チップマン(Alice Chipman, 1858─1927)とともに女性参政権獲得のための活動にも従事したり、人種差別撤廃をもとめる運動にも参加している。なお、一九一九年から二一年にかけては、日本と中国に滞在しており、一九一九年二月から三月にかけて東京帝国大学で行われた講演は『哲学の改造(Reconstruction of Philosophy)』という題で一九二〇年に出版されている。
 一九三〇年にコロンビア大学を退任し名誉教授となったデューイだが、変わらず精力的な活動を展開した。それらは世界恐慌や第二次世界大戦への応答、芸術(教育)への接近、トロツキー裁判の正当性を調査する調査委員の委員長を引き受けるなど多岐におよぶ。またこの時期には宗教論についての著作も発表している。そして彼は晩年まで執筆を続けた。
 教育哲学者として知られるデューイだが、このように粗く彼の生涯を眺めるだけでも、その思索と活動の対象の多彩さがわかる。彼は約九〇年の生涯を通じて、全集にして三七冊におよぶ著作や論考を発表した。本書はあくまでも彼の教育・デモクラシー・芸術の思想、特に一九二〇年代から三〇年代の思想を中心に検討していく。それは、社会・経済・政治が大きく揺れ動いた時期でもあり、彼が政治や社会についての思想を深めていく時期でもあり、なおかつ芸術についての著作『経験としての芸術(Art as Experience)』(一九三四年)が出版された時期でもある。
 本書が、これまでに膨大に積み重ねられてきたデューイ研究や教育学研究にたいして、どれほどの貢献をなしうるのかはわからない。しかしそれでもこの先にデューイを読み継いでいく際のいくばくかの手がかりとなるように論じたいと思う。
(傍点は割愛しました)
 
 
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