あとがきたちよみ
『法の基本的諸観念』

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2026/2/10

 
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ウェズレイ・ニューカム・ホーフェルド 著
森村 進 訳
『法の基本的諸観念』

「ホーフェルド法律関係論の現在」(吉良貴之)(pdfファイルへのリンク)〉
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ホーフェルド法律関係論の現在
 
吉良貴之(愛知大学准教授)
 
 本書『法の基本的諸観念』は、公刊直後から現在に至るまで、法学のみならず多くの分野の研究者たちにインスピレーションを与え続けている。数字でそれを示すならば、やや古い調査だが、Shapiro & Pearse (2012) が「歴史上最も引用された法学論文ランキング」を作っており、そこでホーフェルドの論文(第一部)は第五〇位に位置している(トップはロナルド・コース「社会的費用の問題」であり、法哲学分野ではH・L・A・ハート「実証主義と法・道徳分離論」が第二三位に入っているのが目を引く)。他にSinger (1982) は、網羅的でないと断りながら関連文献として七〇本をあげている。それを見ると、ホーフェルドが没してすぐの一九二〇年代に相当数の文献がある。その後しばらくは少ないが、おそらくハートの影響(『ベンサム論集』第Ⅶ章「法的権利」、初出一九七三年)によって増えている時期もある。
 そのように多少の波はあっても、本書は現在に至るまで数多くの参照がなされているのは事実であり、古典としての地位は揺るぎないものとなっている。本解説ではできるだけ最近の文献を参照し、本書が現代の議論でどのように使われているかを見ることにする。本書の細かい議論から一般的な含意を引き出すのは容易でないため、「ホーフェルドで何ができるか(Schlag 2015)」を示すことで魅力が伝わりやすくなると考えるからである。法哲学での権利論はもちろんのこと、政治哲学分野における発展、そして現代の大規模言語モデルでの機械学習への応用まで、ホーフェルドの影響は驚くほどに広がっている。
 ホーフェルドの元の論文はYale Law Journal 掲載時のものがウェブ上で読める。また、この翻訳の底本とされたクック(Walter Cook)編のほか、いくつかの法学重要論文アンソロジーに収録されている。ただいずれも文章の異同があり、また残念なことに読みにくい体裁の部分がかなりある。しかし最近、ホーフェルド生誕百周年を記念し、ホーフェルドの原文へのコメンタリーと最先端の研究者による論文集を合わせたものが出版された(Balganesh, Sichelman & Smith 2022)。この編著はありがたいことに、多くの有益な注釈と校閲により、いくつかの異同について重要な比較材料を与えてくれた。私はそれを他に入手できた複数の版と照らし合わせ、クック編に修正が必要と思われる箇所は訳者の森村氏に伝え、訳文に反映された。それによって本書の本文は、従来読まれてきたどの版よりも信頼できる(少なくとも理解可能な)文章になったと思われる(なお、脚注は本文の理解に必ずしも寄与しない煩瑣なものがきわめて多いため、本書でも取捨選択されている)。
 
ホーフェルド像とリアリズム
 ホーフェルドはどういった人物だったのか。ロスコウ・パウンドとカール・ルウェリンという二人の重要人物を通してアメリカン・リーガル・リアリズム前後のアメリカ法学を描いたHull (1997, chap. 2) によれば、ホーフェルドはドイツかぶれの学究肌であり、法学教育の「科学的」刷新に並々ならぬ情熱をもっていた。その主張には法学教育からの法実務家の追放(!)といった過激なものも含まれており、また自身が無能とみなした相手へのあからさまに冷淡な態度もあって、同僚や学生との衝突が絶えなかった。かつてその進歩主義的・プラグマティスト的な志を共有し、イェール大学への就職に向けて推薦したパウンドも、やがて手を焼くようになったようだ。
 一方、後のアメリカン・リーガル・リアリズムの代表的な論者となるルウェリンは、ホーフェルドが行った厳格な分析の背後にある――つまり権利義務の相関といった「法律関係」だけでない――現実の人間関係への眼差しを見て取った。しかし法的論理の自律性を論じ、論理分析によって法的問題の真の解決ができるかのようにいうホーフェルドの議論は、法的論理そのものの存立を疑うリアリズムのルール懐疑主義とは相容れない。ホーフェルドとリアリズムの関係をどう見るべきか。
 ホーフェルドは後のリアリズムの先駆者だという位置づけも有力である。しかし本書の訳者解説や近年の議論(Frydrych 2018)が示す通り、否定的な見方に分がありそうだ。実のところそうしたリアリスト的読解は、ホーフェルドによる権利概念の還元主義的理解(「権利の束(bundle of rights)」)、法形式主義批判、司法過程への着目といったことに政治的な意味を読み込もうとする傾向の産物だろう。ホーフェルドのイデオロギー中立的な形式的な図式からリアリズム的な法の見方を導き出すには、テキスト上の根拠が十分でない。無理な読み方をすると、かえってリアリズムのほうを一面的なものにもしかねない。しかし、ホーフェルドの特異な性格や情熱、人間関係を踏まえるならば、ここにはもう少しニュアンスがあるかもしれない。Schelag (2022) が露悪的なまでに描くホーフェルド像は、移籍後の大学の給与にこだわったり、クックとの打算的な友情を維持したり、Hull (1997) が描く融通の効かない学究的人物よりもはるかに俗物的である――こうしたゴシップにむやみな意味を読み込むべきでないのもまた当然のことであるが。
 なおクックは、前述の通り編集方針に疑義がつけられてはいるものの、ホーフェルドの没後、その思想を広めるのに大きな役割を果たした。そのホーフェルド追悼論文(Cook 1919)は、ホーフェルドが部分的に取り組んだままになった、具体的な法分野への応用に取り組んでいる。そこではコモンローとエクイティの関係は補完ではなく排除であるとして、エクイティの義務がコモンローの特権を無効にするといった抵触法的な議論が行われており、ホーフェルドの議論の応用可能性をいち早く示すものとなっている。
 
初期の反応
 ホーフェルド図式の八つの基本的諸観念は、発表直後、すぐにさまざまな反応を引き起こした。ホーフェルドは「定義は危険である」という古代ローマ以来の法律家の習性を受け継いだのか、それぞれの用語に明確な定義を与えてはいない。ホーフェルドは実際の分析のなかで裁判官による誤用を逐一指摘し、それによって諸観念の意味を浮かび上がらせる手法をとっているが、はたしてそれはうまくいっているのか。
 Husik (1924) は初期の典型的な否定的反応を示している。それによれば、「権能」「免除」「特権(自由)」といった観念は本当に独立のものなのか、他の観念(権利と義務)によって説明できるのであれば無駄ではないか、といった批判がなされる。一階の行為に関わる観念(権利、義務、無権利、特権(自由))と法律関係の変更に関わる二階の観念(権能、責任、無権能、免除)という分類で、二階の観念は一階の観念に還元できるのではないかといったことは現在でも議論されている。この疑問自体は、〈基本的諸観念が八つもあるのは多すぎる〉というもっともな反応ではある。その点でのHusik (1924) の反応はやや素朴だが、ホーフェルドのように観念を分けることで法的問題が解決できるのか、という別の批判は重要かもしれない。
 ホーフェルドが分析する、Quinn v. Leathem 事件(一九〇一年)でのリンドレイ卿の「自由」という言葉の「権利」への移り変わりの是非が、ホーフェルド自身がいうように「究極的には正義と政策の事柄である」とすると、その分析自体の実践的意味は疑わしくなりかねない。ホーフェルドの用語法では不当なすり替えかもしれないが、リンドレイ卿はもともと同じ意味で使っていたのだ、とすればすれ違いが起こってしまう。ここでのホーフェルドの試みは好意的に見れば「最善の説明」に向けた概念工学であって相応の規範的含意もあるだろうが、限定的に見れば判例分析のための有用なツールにすぎないかもしれない。
(以下、本文つづく。注番号と傍点は割愛しました)
 
 
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