憲法学の散歩道
第49回 『かのやうに』
森鷗外の小説『かのやうに』の主人公、五條秀麿は、東京帝国大学文科大学を卒業後、ただちに洋行し、3年後に帰国した。子爵家の跡取りである彼は、国史を畢生の事業と心得ているが、まだそれに手を付けずにいる。 歴史にとりかかるには、歴史と神話の境界を明確にする必要がある。ただ彼の置かれた状況から、それが容易ではないことが、彼には分かる。……
森鷗外の小説『かのやうに』の主人公、五條秀麿は、東京帝国大学文科大学を卒業後、ただちに洋行し、3年後に帰国した。子爵家の跡取りである彼は、国史を畢生の事業と心得ているが、まだそれに手を付けずにいる。 歴史にとりかかるには、歴史と神話の境界を明確にする必要がある。ただ彼の置かれた状況から、それが容易ではないことが、彼には分かる。……
ハンス・ケルゼンが中心となって形成された純粋法学は、根本規範を頂点とする法秩序として国家を把握する。国家と法秩序とは同一であり、法秩序と別個に国家が存在するとの観念は、擬人化にもとづくフィクションである。国家の機関として行動する諸個人の行為の効果を国家に帰責するための手掛かりとなる規範の体系としてのみ、国家は存在する。……
エトムント・フッサールは現象学の祖である。彼は判断停止(epoché)による現象学的還元という手段を用いて意識の構造を分析した。 人の意識には志向性(Intentionalität)がある。庭の梅の木を見る、ショスタコヴィチの交響曲第5番を聴く、軽やかなピノ・ノワールを味わう、フッサールはフライブルク大学の教授だったと考える。対象を見たり、感じたり、考えたりする。そのとき人は意識している。 意識の内容は「梅の木」、「第5番」、「ピノ・ノワール」「フッサール」であり、そうした意味(Sinn)を持つ。人は意味を通じて対象を意識する。フッサールは、意識の内容をノエマ(noema)と呼んだ(複数形はnoemata)。人はノエマを通じて対象を意識する。……