『ベルクソン 反時代的哲学』24

About the Author: 藤田尚志

ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。
Published On: 2016/1/6By

第3章 ベルクソンの手III:(有機的生気論『創造的進化』第三章の読解)

§73. いかなる生気論か? ベルクソンにおける手の範例性

『創造的進化』とそのメジャーな概念であるエラン・ヴィタルを駆動するマイナーな論理を探究する私たちにとって、「技術 technique」「テクノロジー technologie」と「目的論téléologie」の本質的連関を理解することが鍵であるように思われた。そこで第一章では、まずベルクソン的な目的論の根本特徴を捉えようとし、それを生気論との分離不可能性に見出した。そして次に、第二章では、その目的論=生気論を、技術の問いとの関連において見たのであった。本章では、この両者を結合させるのが『創造的進化』第三章の目的であるという観点で読み解いていく。

まずもって言っておかねばならないのは、ベルクソンが生気論者であるかどうかを知ることが重要なのではないということである。仮に生気論が、生命現象の物理化学的現象への還元不可能性を強調しつつ、生命現象の背後に、物質を、有機組織化され生きた物質とする「生命の根源的な力」のような実在を前面に押し出す理論として定義されうるとすれば、そしてベルクソンにとって「生命」が「何よりもなまの物質に働きかける傾向」(97/577)であり、「エラン・ヴィタル」が「生命が己のうちに持つ――諸傾向の不安定な均衡による――爆発的な力」(98/577)であることを考慮に入れるとすれば、ベルクソン哲学にある種の生気論が見られることは疑う余地がない。重要なのは、したがって、ベルクソンが生気論者なのだとして、どのようなタイプの生気論に属するのかを知ることである。この問題に取り組むために、つまりは、『創造的進化』における生命と物質、精神と身体、有機的なものと無機的なものの関係を考えるために、私たちは、ベルクソンが用いる「器官=機関」(organe)という語に注目することにしたい。様々な意味を結合させつつ、ギリシア語ὄργανονで「(作るための)仕事道具・機関」を意味していたこの語は、少なくともフランス語において、人工の機械(装置・機構・部品)と有機的肉体(器官)、個人の身体と社会体(国家・企業の機関・機構)、発声器官と声の響きを――或る個人の物理的な肉声であれ、或る人民の精神的な声であれ――、交錯させている。例えば、フランス語で「或る歌手や演説家のorgane bien timbré」と言えば、「響きのよい声」という意味であり、「或る政党のorgane」と言えば「機関紙」のことであり、「裁判官は法のorganeである」と言えば「代弁者(スポークスマン)の声」のこと、といった具合である。後に詳しく見ることになるが、ベルクソン最後の大著『道徳と宗教の二源泉』は、「われわれの身体諸器官が自然の手になる道具と言えるとすれば、われわれの手になる道具は、当然人工の身体器官だということになる。職人の使う道具は、彼の腕の引き続きだと言えよう。してみれば、人類の道具制作は、自分の身体の延長である」(DS IV, 330)という、『創造的進化』においてすでに確認される技術哲学的観点をさらに発展させ、キリスト教神秘家たちをはじめとする偉大な道徳家たちを、「見事なまでに強靭な鋼で出来た、ある途方もない努力のために構築された機械」、神秘家たちの魂を「驚嘆すべき道具」(instrument merveilleux)と捉える(DS, III, 245/1171-1172)。人間をexistence(実存)ではなく、いわばécho-sistence(響存)と捉える『二源泉』の眼差しの萌芽は、すでにこの『創造的進化』の器官=機関学のうちに現れている。

 かくして、『創造的進化』において生命論が不可避的に認識論を呼び求めるように、ベルクソンの特異な生気論において、organeは固有の道具・機関・声の響きを蔵している。より一般的に言えば、「器官=機関」(organe)、「有機体」(organisme)、「組織体」(organisation)、また「オルガン」(orgue)や中世の多声楽曲である「オルガヌム」(organum)、さらにはオーガズム(orgasme)ないし法悦の秘儀(orgiasme)――シェリングは『諸世界時代』(Die Weltalter)において「諸力のオーガズム」(Orgasmus der Kräfte)について語っていたし、ドゥルーズは、有機的表象が法悦的・秘儀的状態へと向かって飽和し逸脱していくプロセスを「オルジック」(orgique)と名付けてもいた――といった一連の語が織りなす、広大でありながら根茎のように複雑に絡み合った諸概念の布置とその意味論的体系全体を、〈org〉という、語ですらない、哲学素で代表させることにすれば、〈org〉は生気論の伝統的な問題構成において決定的な役割を果たしている。はっきりさせておこう。〈org〉の問題系を紋切型のorganicisme(有機体論・社会有機体説・器質病説)に落とし込んで切り捨て、単純に〈非有機的なもの〉〈機械的なもの〉を称揚して何かを言ったような気になるのはいささか素朴にすぎる見方である。そうではなくむしろ〈org〉のうちに、直接性の核心そのものに持ち込まれたある種の媒介性・仲介性・解釈性によって特徴づけられる何かを見て取らねばならず、生/死、身体/機械、有機/無機といった諸価値の伝統的な配分様態を顛倒するよう、幾人かの生気論者をそそのかしさえする何かを見て取らねばならないのだ。
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つづきは、単行本『ベルクソン 反時代的哲学』でごらんください。

 
立ち止まっている人にだけ見える景色がある。概念とイメージの緊張関係を精緻に読み解き、ベルクソンを反時代的哲学として読み返す。
 
藤田尚志 著 『ベルクソン 反時代的哲学』

A5判・624頁・6,600円(税込み) 2022年6月刊行
ISBN:978-4-326-10300-3→[書誌情報]
 
【内容紹介】概念の解像度を上げるだけが哲学の仕事ではない。ベルクソンは、イメージとの往還と緊張関係を強調してやまない。本書は、最新の研究成果を踏まえつつ、『時間と自由』や『物質と記憶』など主要著作の鍵概念である「持続」や「純粋記憶」を深く理解するには、「リズム」や「場所」のイメージの精確な読解が欠かせないと説く。勁草書房編集部ウェブサイトでの連載時より大幅改稿。
〈たちよみ〉はこちらから「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉
 

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【目次】
序 論 言葉の暴力
 §1 功利性と効力
 §2 生命(vie)・生き長らえ(survie)・超-生(sur-vie)
 §3 哲学と科学、良識(ボン・サンス)と常識(サンス・コモン)
 §4 メジャーな概念とマイナーな論理
 §5 言葉のふるう暴力
 §6 言語にふるわれる暴力
 §7 「見かけに騙されないようにしよう」──言語のアナモルフォーズ
 §8 言語の速度学──遅れとしての隠喩
 §9 否定的転義学
 §10 螺旋としてのベルクソン哲学
 §11 言語の手前、言語の彼方
 §12 transports amoureux、あるいはピルエットとしての直観
 §13 マイナーな論理は何をなしうるか(本書の構成)
 
第Ⅰ部 測りえぬものを測る──『意識に直接与えられたものについての試論』における持続のリズム計測(rythmesure)
 §14 計測から遠く離れて(第Ⅰ部の構成)

第1章 計測のリズムを刻む──『試論』第一章の読解
 §15 「心理的諸状態」の類型論(『試論』第一章の構造)
 §16 呼びかけⅠ──リズムと共感(美的感情の分析1)
 §17 催眠的リズム(美的感情の分析2)
 §18 強度と深度(美的感情の分析3)
 §19 ベルクソンの手Ⅰ──「例えば、拳を徐々に強く握りしめてみてほしい」
 §20 中間状態の分析における「注意attention」と「緊張tension」
 §21 自由の始まりとしての感覚
 §22 「音楽の表現力、というよりむしろその暗示力」
 §23 多様性と有機組織化のあいだにある強度
 
第2章 リズム数論(arythmologie)──『試論』第二章の読解
 §24 数の問い──カント、フッサール、ベルクソン
 §25 場所学Ⅰ──コンパス化された存在(拡がりと空間)
 §26 メロディーからリズムへ
 §27 数(arithmos)とリズム(rhuthmos)──アリストテレスとベルクソン
 §28 リズム計測Ⅰ──構造的リズム
 §29 内在的感性論のほうへ
 
第3章 自由の度合い──『試論』第三章の読解
 §30 決定論批判
 §31 自由はいかにそのリズムを刻むのか(ベルクソンとハイデガー)
 §32 催眠、自我の測深
 §33 記憶の問題系へ
 §34 数に関する思考の未来
 
第Ⅱ部 場所なきものに場所を与える──『物質と記憶』における記憶の場所学(khorologie)
 §35 存在論的、憑在論的(第Ⅱ部の構成)
 §36 ベルクソンとカント──超図式機能のほうへ
 §37 ベルクソンによるコペルニクス的転回──場所論としてのイマージュ論
 
第1章 『アリストテレスの場所論』に場所を与える
 §38 場所と空間──ライプニッツの位置
 §39 『アリストテレスの場所論』から『物質と記憶』へ
 
第2章 知覚の位置──『物質と記憶』第一章・第四章の読解
 §40 ファイネスタイの論理としての現象学
 §41 ベルクソンの手Ⅱ──『物質と記憶』第一章における幻影肢
 §42 二つの身体の理論──距離の現象学
 §43 実在的(リアル)なもののしるし(サイン)、あるいは『知覚の現象学』における幻影肢
 §44 situsの論理──記念碑的なもの(le monumental)から記憶を絶したもの(l’immémorial)へ(『物質と記憶』第四章)
 §45 リズム計測Ⅱ──差動的リズムとしての持続のリズム
 
第3章 唯心論(スピリチュアリスム)と心霊論(スピリティスム)──ベルクソン哲学における催眠・テレパシー・心霊研究
 §46 亡霊を尊重すること、あるいは経験の転回点
 §47 催眠とベルクソンの記憶理論
 §48 テレパシーと共感(シンパシー)──ベルクソンの知覚理論
 §49 収束する(converger)──「歴史家と予審判事の間」にある心霊研究の方法論
 §50 転換させる(convertir)──「おそらくは〈彼岸〉であるような〈外部〉」へ
 
第4章 記憶の場所──『物質と記憶』第二章・第三章の読解
 §51 Spacing Imagination
 §52 運動図式──ベルクソンとサルトル(『物質と記憶』第二章)
 §53 図式機能の問い──カント、ハイデガー、ドゥルーズ
 §54 崇高と走馬灯──構想-暴力と純粋記憶の無為の暴力
 §55 場所学Ⅱ──locusの論理(『物質と記憶』第三章)
 §56 呼びかけⅡ──無為・待機・憑在論的
 §57 もう一つの「生の注意」としての膨張
 §58 もう一つの「スペクトル分析」のほうへ
 
第Ⅲ部 方向づけえぬものを方向づける──『創造的進化』における生の弾み(エラン・ヴィタル)の諸方向=器官学(organologie)
 §59 目的論と生気論、危険な関係?(第Ⅲ部の構成)
 
第1章 ベルクソンと目的論の問題──『創造的進化』第一章の読解
 §60 目的論の亡霊
 §61 場所学Ⅲ──傾向としての存在、意味=方向としての実存
 §62 リズム計測Ⅲ──「持続のリズム」から「生命の衝迫」へ
 §63 ベルクソン的目的論の四つの根本特徴
 §64 急進的な目的論への「否」──創造的目的論
 §65 内的合目的性への「否」──ベルクソンとカントの目的論
 §66 伝統的な生気論への「否」──(非)有機的生気論へ
 §67 二つの生気論──超越論的生気論と内在的生気論(ベルナールとベルクソン)
 §68 来たるべき承認のための闘争──哲学と科学
 
第2章 「生物の丹精=産業(industrie)」について、あるいはベルクソン的器官学──『創造的進化』第二章の読解
 §69 『創造的進化』の撒種──受容の(複数の)歴史
 §70 ベルクソンの生気論は(非)有機的である
 §71 ベルクソンの生気論は非個体的である
 §72 ベルクソンの(非)有機的生気論は一つの器官学である
 §73 ミダス王の手──延長の法則
 §74 知性と産業
 §75 人間の努力、人間という努力──生命の道具主義(ベルクソンとスティグレール)
 §76 「可塑的な溝」──知性と物質性
 §77 来たるべき生気論
 
第3章 ベルクソンの手Ⅲ:(非)有機的生気論──『創造的進化』第三章の読解
 §78 いかなる生気論か? ベルクソンにおける手の範例性
 §79 人間の手──人間性と動物性、自然的なものと人工的なもの
 §80 哲学者の手① 鉄のやすり屑を貫く手
 §81 哲学者の手② 抹消線を引く手
 §82 呼びかけⅢ──神の手(無限に有限な努力)
 §83 (非)有機的生気論の歴史に向けて
 
第Ⅳ部 呼びかけえぬものに呼びかける──『道徳と宗教の二源泉』における響存(écho-sistence)
 §84 テクストの聴診(方法論的考察)──功利性と効力、生命の二つの運動
 §85 行動の論理の探究としての『二源泉』
 §86 『二源泉』に固有のアポリア
 §87 声・火・道・息のイメージ──動的行動の論理を露わにするもの
 
第1章 声の射程──呼びかけと人格性
 §88 呼びかけⅣ──動的行動における人格性の孕む逆説の諸相
 §89 静的行動における人格性
 §90 生命の移調
 
第2章 火の領分──情動と共同体
 §91 二つの根本気分──ベルクソンとハイデガー
 §92 人類の彼方へ向かう人類愛
 §93 人格性・表象・伝播との関係における情動
 §94 熱狂とは何か──ベルクソンとカント
 §95 場所学Ⅳ──灰の共同体
 
第3章 道の途中──二重狂乱と政治
 §96 『二源泉』における「道」のイメージ
 §97 情動の政治学
 §98 〈道〉の哲学小史──デカルト、スピノザ、ベルクソン
 §99 デカルトの道、ベルクソンの道
 §100 交会法と神秘家の旅
 §101 疎通の論理と拡張された道
 §102 リズム計測Ⅳ──計り知れなさには計り知れなさを
 §103 「二重狂乱」と前進
 §104 計算しえぬものを計算する
 
第4章 ベルクソンの身体概念──フランス唯心論のもう一つの歴史に向けて
 §105 「結びの考察」の意味=方向(sens)
 §106 「二つの身体」論・再論──固有身体(corps propre)の所有・固有性(propriété)の問題
 §107 視覚に対する触覚優位の顚倒──知覚と直観の問題
 §108 ベルクソンの手Ⅳ──身体という拡張、技術(テクネー)という補綴(プロテーズ)
 §109 もう一つのフランス・スピリチュアリスムのほうへ
 
結 論 明日の前に
 §110 辺獄(リンボ)のベルクソン
 §111 反時代的哲学とは何か
 §112 スピリチュアリスムは新たな生を開始する
 
あとがき
文献表
事項索引
人名索引
 
全連載はこちら》》》ベルクソン 反時代的哲学

 

About the Author: 藤田尚志

ふじた・ひさし  九州産業大学准教授。1973年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。リール第三大学博士課程修了。Ph.D. 専門はフランス近現代思想。共著に、久米博・中田光雄・安孫子信編『ベルクソン読本』(法政大学出版会)、金森修編『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、西山雄二編『人文学と制度』(未來社)、共訳に、ゴーシェ『民主主義と宗教』(トランスビュー)など。
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