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ベルクソン 反時代的哲学

藤田尚志

 ベルクソンについてはあまりにしばしば非合理主義ということが言われてきた。「硬直した理性がしなやかな理性以上のものであることを望む」この度し難い偏見を脇目に、ペギーはすでにこう断じていた。「そうではなく、最も緻密で最も厳しいのが、しなやかな方法であり、しなやかな論理、しなやかな道徳であることは明らかである」 。ここから次のような問いが生じてくる。ベルクソンにとってこの種の新たな論理の探究が重要であったのだとすれば、なぜ彼はそれをはっきりと定式化せず、明確に規定しなかったのか?それが可能でなかったのだとすれば、それはいかなる理由によるのか?
 ベルクソンは、大胆な小説家ですらも、日常生活の論理の「根本的な不条理性」を「明示する」ことはできず、ただその「驚くべき非論理的な本性」を「推し量らせる」ことしかできない、と述べていた 。この意味で、メジャーな概念は明示しようとし、マイナーな論理は示唆しようとするものである。ささやかではあるが、厳密なマイナーな論理というものが存在する。この点をさらに詳らかにせねばならないとすれば、そのために、言語、とりわけ隠喩(メタファー)・イメージ・形象の問題に、つまりはベルクソンの「文体(エクリチュール)」という決定的な問題に取り組まねばならないことは今や明らかである。
(「序論より」)

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「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡 4月 01日, 2020 「名もなき家事」の、その先へ

「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡
vol.11 SA概念で何が見えるか(後編)――“ゆるされざる”「信頼」の対象と“正しい”思案のしかたをめぐって/平山亮

「名もなきケア責任」をめぐる平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載。ケア関係をめぐる〈信頼〉をどうとらえるか。SAの担い手はどのように拡げられるのか。そして、社会はケア関係をどのように支えるべきなのか。前回に続き今回も平山さんから山根さんへの応答です。[編集部]

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憲法学の散歩道 3月 31日, 2020 長谷部恭男

憲法学の散歩道
第5回 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え

 2019年11月に刊行された『憲法判例百選〔第7版〕』は、宗教上の教義に関する紛争が問題とされた二つの事件を収録している。184事件と185事件である。
 184事件でとり上げられた最高裁判決(最判昭和56・4・7民集35巻3号443頁)は、具体的権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとる訴訟であっても、その訴訟を解決するために、宗教上の教義に関する判断をすることが必要不可欠である場合には、その訴訟は法令の適用による終局的な解決が不可能であり、したがって、裁判所法3条にいう法律上の争訟にあたらないとする。つまり、訴えは却下される。……

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