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ベルクソン 反時代的哲学

藤田尚志

 ベルクソンについてはあまりにしばしば非合理主義ということが言われてきた。「硬直した理性がしなやかな理性以上のものであることを望む」この度し難い偏見を脇目に、ペギーはすでにこう断じていた。「そうではなく、最も緻密で最も厳しいのが、しなやかな方法であり、しなやかな論理、しなやかな道徳であることは明らかである」 。ここから次のような問いが生じてくる。ベルクソンにとってこの種の新たな論理の探究が重要であったのだとすれば、なぜ彼はそれをはっきりと定式化せず、明確に規定しなかったのか?それが可能でなかったのだとすれば、それはいかなる理由によるのか?
 ベルクソンは、大胆な小説家ですらも、日常生活の論理の「根本的な不条理性」を「明示する」ことはできず、ただその「驚くべき非論理的な本性」を「推し量らせる」ことしかできない、と述べていた 。この意味で、メジャーな概念は明示しようとし、マイナーな論理は示唆しようとするものである。ささやかではあるが、厳密なマイナーな論理というものが存在する。この点をさらに詳らかにせねばならないとすれば、そのために、言語、とりわけ隠喩(メタファー)・イメージ・形象の問題に、つまりはベルクソンの「文体(エクリチュール)」という決定的な問題に取り組まねばならないことは今や明らかである。
(「序論より」)

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めんどうな自由、お仕着せの幸福――サンスティーン先生、熟議のお時間です! 5月 14日, 2019 めんどうな自由、お仕着せの幸福

めんどうな自由、お仕着せの幸福
第4回:80年代パターナリズム論の光と影のなかで《瀬戸山晃一さんとの対話》

那須耕介さんがナッジやリバタリアン・パターナイズムをめぐって語り合う対話連載、今回は京都府立医科大学の瀬戸山晃一さんがご登場です。「三つ子の魂百まで」といいますが、「高校生の悩み、研究者まで」なのでしょうか。瀬戸山さんがじっくりと向きあってきた問いをお話しいただきました。【編集部】

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連載・読み物 5月 13日, 2019 管啓次郎

コヨーテ歩き撮り#81

春のイスタンブル。肌寒い小雨の中、丘を登りつめるころには青空に変わり、そこにアヤソフィア(ハギア・ソフィア)が聳えたっていました。輝く建築。東方正教会、カトリック、モスク、そして世俗化。この場所を流れていった千数百年が、たちどころに甦ってくる思いです。

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ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた ー人生の欠片、音と食のレシピー 4月 19日, 2019 仲野麻紀

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈9皿め〉

リハーサルの後、あるいは演奏の後はみな腹ペコだ。
途中バナナやもろこし、炒ったり茹でたりしたピーナッツを食べるが、演奏をするそばで女性たちが作っているごはんの香りが気になる。休憩時に彼女たちのそばに寄り、何を調理しているのか鍋の中を覗く。

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めんどうな自由、お仕着せの幸福――サンスティーン先生、熟議のお時間です! 4月 16日, 2019 めんどうな自由、お仕着せの幸福

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第3回:ぼくらは100点満点を目指さなくてもいい?《若松良樹さんとの対話》

那須耕介さんがナッジやリバタリアン・パターナイズムをめぐって語り合う対話連載、今回は学習院大学の若松良樹さんのご登場です。じつは学生時代からお付き合いのある同窓のお二人。あいまいなところへ、繊細に近づこうと、久々に差し向かいでお話しいただきました。【編集部】

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