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ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』

ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』第10回

4月 28日, 2016 松尾剛行

 

4.判例・調査官解説の読み方

松尾

:私の『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』は、基本的には裁判例を中心に描写をしているのですが、先生の『憲法の地図』は、裁判例ではなく、まさに「判例」というにふさわしい民集・刑集に登載された最高裁判決によって憲法の姿を描き出されましたよね。

大島

:やはり、裁判例は安定性が低いといいますか、下級審でいくつか面白い判断がされていても、それだけでは最高裁がなんというかわからないという感覚をもっています。最高裁判決、特に判例といえるような、事例判断に止まらない先例的意義をもったものを中心にすることで、読者に対して、正しい大枠、「地図」を理解してもらうのがよいと考えました。むしろ先生はどうして裁判例中心なのですか?

松尾

:「判例」がないからです(笑)。多分インターネット上の名誉毀損で「判例」と呼べるのは4、5本くらいですので、これを解説するだけだと単行本にはならないのです(笑)。

大島

:たしかに私のような「法分野全体の概観」ではなく、先生の場合には「ワンテーマ」を深く堀下げるというスタイルですからね。

松尾

:また、「裁判例ってそんなに安定していないものなのか」については、私なりに考えがあります。たしかに、「変な判決」というのはあるにはあるのですが(注13)、総じて下級審裁判例の水準は高いと思います。そこで、下級審裁判例を多く収集・分類し、各類型・各論点における「下級審裁判例の大勢は何か」を明らかにすることに学術的意義があると思います。

大島

:実際には下級審裁判例も「安定性」はあることが多いと思いますが、率直にいうと最高裁判例は制度的に覆しにくいけども、下級審裁判例は「覆し得るもの」と考えておきたいという気持ちが強いですね。覆しにくい判例を「点」として、それらを結んでミニマムの「地図」を描いておいたほうが日本における議論の自由度が高くなるであろうという発想です。松尾先生は、裁判例の統計分析的なこともされたとか?

松尾

:いわゆる実証研究のような手法には立ち入っておりませんが、本当にインターネット上の名誉毀損の損害賠償が高額化しているのか、経時的に裁判例の命じた損害賠償の額を調べることで批判的に検討する(『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』293頁参照)等、大量の裁判例を分析してそこから大局感を探るという手法の研究をしています。

大島

:判決を1000本読まれただけありますね。

松尾

:先生は、『憲法の地図』を書かれるにあたって、調査官解説をベースに整理されたということですね。調査官制度には批判もありますが(注14)、アメリカ連邦最高裁等と比べると比較的短期間に判事の顔ぶれが変わっていく日本の最高裁判所において、法的安定性というか、安定的な判断を出し続けることに貢献してきたという面はあると思います。

大島

:この間お亡くなりになられたアメリカ連邦最高裁のスカーリア判事は、30年以上最高裁判事をしていましたからね。おおむね判事が10年以下で変わり、数年で変わることも少なくない日本の最高裁の憲法に関する見解を知る上では、調査官解説が最高のツールだと思います。もちろん調査官解説は先例に縛られて硬直的であるし、判決そのものではない、という部分は認識しておく必要はあると思いますが。

松尾

:アメリカと日本の最高裁には制度的な違いもありますよね?

大島

:そうですね。アメリカでは、9人の最高裁判事に超エリートのロークラークが各々ついていて、まるで連邦最高裁の中に9つの法律事務所があり、各法律事務所が法的見解を出す、というようなイメージだといわれますね。それゆえにアメリカの判例分析では各裁判官の属人的な特性も考慮に入れる必要性が強いといえます。これに対して、日本の場合は人ごとではなく事件ごとに最高裁調査官がつき、担当調査官が最高裁判事に対して報告書を提出し、判断資料を提供することになっています。最高裁調査官室は民事、行政、刑事調査官室に分かれ、各調査官室には上席調査官が1名、そして全体を統括する首席調査官がいます。憲法事件の場合には、担当調査官が起案した報告書を上席調査官がチェックし、それをさらに首席調査官がチェックする体制になっているようで、きわめて官僚的な体制になっていると評されますね。それゆえに憲法の判例分析にあたっては、調査官解説が重要な位置を占めるわけです。

松尾

:大島先生は調査官解説を読み込まれる中で民事・行政調査官室と刑事調査官室の見解の「ずれ」と、それが統合される過程を発見されたとか?

大島

:この点は、似たようなことをすでに言っている人もいるのですが(注15)、香城敏麿判事が刑事調査官室において、表現の自由の判断において、いわゆる合理性の基準相当の猿払基準といわれる緩やかな合憲性判断基準を定着させ、刑事判決では表現の自由の制約が比較的容易に認められてきました。しかし、民事・行政調査官室では枠付けられた利益衡量論により国家権力の行使について少し厳しく合憲性を判断しようとする見解が有力です。裁判官は大きく刑事系裁判官と民事(行政)系裁判官に分かれるといわれますが、こうした人的な見解の対抗があるようです。

松尾

:ちょっと待ってください。一般に刑事的制裁は国家権力中の国家権力の行使であって重大な結果をもたらすので、民事・行政裁判と比較してその公権力の行使をより慎重に統制する必要があるのではないでしょうか。このように考えた場合、大島先生が今説明された民事・行政調査官室と刑事調査官室の見解のずれというのは、これとは正反対の考えを示しているように思えるのですが。

大島

:まさにおっしゃるとおりで、不思議な状況が長く続きました。ところが、堀越事件(注16)は、刑事事件ではあるものの、民事・行政系裁判官の代表選手である千葉勝美判事の主導により、民事・行政系裁判官の見解に沿った判断を行うことに成功したことから、今後は表現の自由については、刑事事件でも枠付けられた利益衡量論に基づき判断されていく可能性があります。

松尾

:これは、いわば刑事調査官室に対する民事・行政調査官室の「勝利」なのですかね(笑)?

大島

:(笑)。堀越事件は明示的には猿払事件を判例変更していませんので、今後は刑事調査官室の逆襲があるかもしれません。私は最高裁調査官室にいたこともありませんので詳細はよくわからないのですが、外部の立場から調査官解説をみていくと、なんとなくそういうことがあるのかな、と思ったという次第です。そういった人的・制度的な分析も必要なのではないかということです。そうした刑事系裁判官と民事・行政系裁判官の間の争いをなくするために、「憲法調査官」制度の創設を唱えている人もいて、そういうのも良い手ではないかと思っています。

松尾

:そうすると、「判例」といわれるような判断にも変動がありうるということですが、自分に不利な判例や調査官解説がある場合、そういう当事者や代理人はどうやってそれを乗り越えて行くということになるでしょうか。

大島

:一般論としては、判例の射程外であるという議論が1つありますね。判例は別に私の事案についてまではいっていないという話を、判例の事案と自分の事案の相違点を強調することで説得的に主張していけば、自分に有利な判断をしてもらえる可能性があります。「判例の区別」と呼ばれる手法ですね。

松尾

:こちらは実務家好みのやり方ですね。でも、自分の事案そのものズバリの判例があったらどうしましょう。

大島

:判例変更を目指して説得的議論を展開していくしかないでしょうね。判例ないしは調査官解説の内在的ロジックを明らかにし、そのロジックが間違っていることを説得的に主張していくということでしょうか。実際にその判例法理が不当で不合理な結論を招いているということを淡々と説明することも有効かもしれません。

松尾

:この場合、学者が総じて当該判例に反対しているというように、学者の意見を使って議論をサポートするのがよいのでしょうか。それとも、下級審裁判例が実質的に判例変更をするような判断を示しているというように、裁判官の意見を使って議論をサポートするのがよいのでしょうか。

大島

:自分の議論をサポートできるものが多くあれば多くあるほどよいということなのでしょうが、調査官室は詳細に学者の文献を検討していることが多いもののそこまで学者の意見を重視していないのではないかという感覚はありますね。「裁判官は、裁判官の書いたもの(書籍、論文等)しか読まない」というのは、よくこの業界ではいわれるところです。

松尾

:学者の提唱する二重の基準論や三段階審査とは離れて独自に判例法理ないしは調査官室見解を発展させているので、学者が自己の提唱する見解に立脚して判例を批判しても裁判官の心に響きづらいということでしょうか。

大島

:そうですね。憲法21条の領域でいえば、判例は通常の表現の自由について枠付けられた利益衡量論を発展させ、「枠付け」の方法として柔軟にアメリカ法起源の違憲審査基準論や二重の基準論を取り込んできました。近年ではドイツ由来の三段階審査論が学説でかなり有力になってきますが、同じように柔軟な枠付けられた利益衡論に吸収されてしまう可能性もあります。正しく判例法理や調査官室見解を理解し、その理解を前提にして学説のいう違憲審査基準論や三段階審査論との適切な対話を図っていくことがこれからの法曹には求められるのではないでしょうか。

松尾

:大島先生は多くの公法訴訟を担当されているとお聞きしております。『憲法の地図』執筆過程で得た調査官室の見解に関する豊富な知見を活かして、ぜひ、最高裁判事の心を動かし、記念碑的な大判決を獲得してください!

大島

:それは何年後になるかわかりませんが(笑)、頑張ります!

松尾

:本日は、お忙しいところ、いろいろとご教示いただきありがとうございました。

大島

:こちらこそ、ありがとうございました。


 
(注1)例外的に行政訴訟の形を取る場合もありますが、この場合の特殊性については、『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』207頁以下を参照してください。
(注2)我妻栄・良永和隆著、遠藤浩補訂『民法』(勁草書房、第9版、2013年)
(注3)各年度の最高裁判所判例解説民事編及び刑事編
(注4)芦部信喜著、高橋和之補訂『憲法』(岩波書店、第6版、2015年)
(注5)いわゆる枠付けられた利益衡量論において、明白かつ現在の危険の原則や必要最小限度性の原則を考慮したよど号ハイジャック記事抹消事件(最判昭和58年6月22日民集第37巻5号793頁)や明白かつ現在の危険の原則に示唆を受けた泉佐野市民会館事件(最判平成7年3月7日民集49巻3号687頁)等参照
(注6)「前条第一項の行為(筆者注:名誉毀損罪の構成要件二該当する行為)が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」
(注7)(ア)名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係り、(イ)その目的が専ら公益を図ることにあり、(ウ)摘示した事実が真実である場合に民事上も刑事上も免責されるとの法理。
(注8)(ア)名誉毀損行為が公共の利害に関する事実に係り、(イ)その目的が専ら公益を図ることにあれば、(ウ)摘示した事実が真実でなくとも、真実と信じるについて相当の理由がある場合には民事上も刑事上も免責されるとの法理。
(注9)他人の社会的評価を低下させる意見・論評が、(ア)公共の利害に関する事実にかかり、(イ)その目的が専ら公益を図るもので、(ウ)その前提としている事実が重要な部分において真実であることの証明があるか、または、真実と信ずるについて相当の理由がある場合に、(エ)人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱したものでなければ、民事上の責任を免れるとの法理(刑事上は、意見・論評であって事実を摘示するものでなければそもそも名誉毀損罪にならない)。
(注10)最判平成14年1月29日最高裁判所民事判例集56巻1号185頁。
(注11)最判平成23年4月28日民集65巻3号1499頁。
(注12)宍戸常寿「デジタル時代の事件報道に関する法的問題」東京大学法科大学院ローレビュー6号(2011年)212~213頁。
(注13)ただし、ここでいう「変」な判決というのは、一般常識の観点ではなく、法律学の観点から「変」な判決かを判断している。そこで、たとえば、判例・通説が確立しているところで、あえて判例に異を唱えるという趣旨ではなく、単純に判例を知らないためにそれと異なる判断をしてしまった事案のようなものを指している。一般人の観点から当該判決が「非常識」かどうかという観点での判断ではない。
(注14)たとえば、福田博『オーラルヒストリー「一票の格差」違憲判断の真意』(ミネルヴァ書房、初版、2016年)参照。
(注15)大久保史郎「『調査官解説』論——憲法」市川正人ほか編著『日本の最高裁判所』(日本評論社、初版、2015年)262~263頁。
(注16)最判平成24年12月7日刑集66巻11号1337頁。

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時に激しく対立する「名誉毀損」と「表現の自由」。どこまでがセーフでどこからがアウトなのか、2008年以降の膨大な裁判例を収集・分類・分析したうえで、実務での判断基準、メディア媒体毎の特徴、法律上の要件、紛争類型毎の相違等を、想定事例に落とし込んで、わかりやすく解説する。
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松尾剛行

About The Author

まつお・たかゆき 弁護士(第一東京弁護士会、60期)、ニューヨーク州弁護士、情報セキュリティスペシャリスト。平成18年、東京大学法学部卒業。平成19年、司法研修所修了、桃尾・松尾・難波法律事務所入所(今に至る)。平成25年、ハーバードロースクール卒業(LL.M.)。主な著書に、『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』(平成28年)、『金融機関における個人情報保護の実務』(共編著)(平成28年)、『クラウド情報管理の法律実務』(平成28年)、企業情報管理実務研究会編『Q&A企業の情報管理の実務』(共著)(平成20年)ほか。