めいのレッスン ~冷蔵庫のなかで(1)

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
Published On: 2016/7/15By

 
 
遠方の友というわけではない、
メトロに乗れば30分もかからないところにいる友だちが、わざわざ封筒を送ってきた。
何かの案内かとおもって開いてみると、一筆箋が添えられて、プリントされた写真が3枚。
仰々しいことだとおもったが、どうもわざとのようである。
少し前からぬかみそをつけている。
いろいろな野菜を試している。
たのしい。
それだけだ。
写真はぬか床に手をいれているもの、手についたぬかときゅうり、かぶ、にんじん。
ディジタルで撮影してはいるようだが、一枚ずつプリントしているところが凝っている。

 
電話をかけて、味の感想を尋ねる。
まだ始めたばかりだからとの前置きはあったが、
楽しんでいるし、店で売っているのとは違う、
きゅうりならきゅうり、かぶならかぶをいくつか漬けて、
何日後、何日後、とすこし時間差をもうけてわかってくることもあるんだ、と。
十年ぶりなんだよね、
母がやめちゃってから。

 
写真を見たときからもぞもぞと動いているものがあったのだったけれども、
電話を終えると、やはり頼んでみよう、やってみよう、という気になっていた。
毎日のように来ているめいのサイェも、ぬか漬けを娘に教えた紗枝も好物だから、うちでやってもいいかもしれない。

 
母がぬか床をやめてしまったのはいつのことだったか。
やはり10年、いや、もっと経っているか。
たまにぬか漬けがほしいと言ったときには、デパートで、高いなとおもいながら、買っていくのが、いつしか、習慣になっていた。
食べられるのは数日。すぐなくなってしまう。
友が教えてくれたのは、通信販売の「ぬか床キット」。
すぐネットで検索をかけ、註文する。
と、数日後には届いた。

 
プラスティックの四角い容器に、厳重にビニール・パックされたぬか床を、押しだしてゆく。
水分がないので、はしのほうからすこしずつすこしずつ。
湿り気があまりない。つながってはいるが、ぽろぽろしているようでもある。
初回はまず容器にいれて、かきまぜるだけ。
あとは野菜をいれる。
手元にはきゅうりしかなかったので、それを。
母は何かというと、ぬか床のにおいが手につくのをいやがったものだが、それほどでもない。新しいせいだろうか。
何回も漬けると水がでてくから、水をとって、かわりに塩や唐辛子を加える、と説明書にある。こうしたものまで付属品としてついている。至れり尽くせり。

 
何年か前、先祖代々受け継がれているぬか床が中心におかれた不思議な小説を読んだことがあった。ぬか床を生きものとしてとらえているところが、新しいようで、また、あるあたたかさを感じていた。でも、手元にあるのはそんなおもむきがあるぬか床ではない。新しいのだ。しかも、白と透明のあいだくらいの色があるともないとも、といったタッパーのような容器だ。昔日の、焦げ茶色に、黒いしたたりがついたような常滑焼の壼とは大違い。このぬか床はとてもじゃないけど、うめいたりなんてありえない。ヘンな言い方だが、およそ散文的だし。とはいえ、だ、メリットは、壼とは違って、冷蔵庫にはいること。外にでているとキッチンの片隅を間借りしているお客さんのように、料理のときなど、遠慮しながら動く。そして、早く漬かりすぎるのも、一人暮らしには困りものだったりし。

 
きゅうりからかぶ、なす、キャベツ、にんじんとひととおり漬けてみる。
野菜が大きすぎて半分に切らなくてはならなかったり、皮が厚くて予想より漬かりがずっと浅かったり、ぬかのなかに細かいものが散らばってしまったり、と、試行錯誤する。冷蔵庫から外にだして、ということも試してみた。冷たいところと違って、息をしているかんじで、一晩でいれものがぱんぱんになってしまうため、あわてて冷蔵庫に戻したりもし。

 

小沼さん連載写真22

 
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[執筆者]小沼純一、谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
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