めいのレッスン 連載・読み物

めいのレッスン ~なくなった駅、焼野原のごはん

7月 08日, 2016 小沼純一

 
 
 
気にしなくたっていいの、昔からよくとまってたんだから。
 
――いやあ、そんなに止まってなんていないよ。電車が遅れて学校に遅延届なんてだしたことなかったし、ストライキのときは休んだしさ。都心を走ってたメトロが、在来線にやたら乗り入れてからでしょ、こんなに止まったり遅れたりするようになったのは。
 
あんたよりずっと前のこと言ってるのよ。まだ駅がひとつだったころ、いや、いまのところよりもっと商店街に寄っていたころ。あんた、前の駅、知ってたっけ?
 
――それって……おぼえてない、から、むしろまだ汽車もはしってたころ……
 
生家に行こうとサイェとメトロに乗ったはいいが、めざす駅のいくつか前で乗り換えるとき、足どめをくらった。人は多くなかったけれど、ホームでしばらくぼんやりしなくてはならなかった。あらあらどうしたの、水ようかんがあったまっちゃったじゃない、と母が言う。と、サイェがすこしだけしゅんとした様子でメトロの遅延を謝ると、いきなり母の時間が何十年もさかのぼったのだった。そうよ、しょっちゅうとまってたんだから。
 
学校の行き帰りで止まると、近くに住んでた友だちと、ほら、あんた名前は知ってるでしょ、しづこさん、線路を歩く。歩きにくいんだ、黒くて曲がったまくら木にぴょんととんでくんだけどまわりのやたら石がごつごつしてるし。はじめはちょっとはしゃいでるんだけどだんだん口数も少なくなってきて、やんなっちゃうなあ、って。川のとこなんかやだったなあ。大丈夫なんだけど、やっぱり、渡るのはね。あんたなんか絶対むり。

 
そう言って、笑う。

 
はじめはね、ずっと勝ってる、そう言ってたわけ。能天気に、そのまんま信じてた。よろこんでた。近くに飛行場があったでしょ。特攻隊の人たちは白いマフラーなんかしてて、女学生はかっこいい、とか言ってたのよ。どうなるかなんてわかってなかった。その人のうちのこともね。そういうのから、だんだんと雲ゆきがあやしくなってくるの。空気でわかった。勉強そっちのけでいろいろやらされるしね。ほら、あんた持ってきたDVDがあったじゃない、『笑の大学』、三谷さんの。笑っちゃいけない、不謹慎。こっちは箸がころんでもおかしいころなんだけど、ちょっと気をつけなくちゃならなくなった。友だちとはいつもと変わらないし、おじいちゃんはあんな人だったから、いつもからから笑ってたけど、ところによっては堅苦しかったんだ。

 
――学校で空襲警報がなったことはないの?
戦時中のことは前にも何度か聞いていた。でも、ふと、気になったので尋ねてみる。

 
学校で、って記憶はないのよ。都心から離れてたからかしら。でも、通学中には何度かあった。乗ってるときに。警戒警報ね。そんなときは近くの駅に止まって、乗ってる人たちは降ろされてね、そばの防空壕にはいって、しばらくそのままじっとしてる。解除になるとさっきの汽車に乗るの。
B29が一機、ぶうんと飛んでいったのがみえたり。偵察してたのよね。音でわかるの。どのあたりかって。絶対音感のある人が飛行機の種類がわたるようにと訓練を受けたり、っていうじゃない? そのころはもちろん知る由もなかったけど。

 
――このうちに、地下室、あったんでしょ?
サイェにはなしをしたのはいつだったか忘れてしまった。おぼえていたんだな。

 
そうよ、庭の、あっちのはしに防空壕を作って、そこまでおじいちゃん、あ、わたしのおとうさん、サイェにとってはひいおじいちゃん、ひとりで掘ったの。たいへんなはたらきだったよ。

 
はじめから地下室は、あったの?

 
あのころはね、わたしも子どもだったからよく知らないんだけど、地下室がないとうちを建てる許可がおりなかったらしいの。そう聞いたことがあって。

 
学校の最寄り駅、いまはもうなくなっちゃった。東京大空襲のときに焼けて、そのまま。あんたたちの言い方だと、ないことになっちゃった。うちからは何駅かあったから、あのときもちゃんと帰ってこれたけど、おばちゃん――サイェ、おばちゃんってわたしのおねえさん――はね、下町に勤労動員で行ってて、その日は帰って来なかった。夜が明けておじいちゃんが自転車で迎えに行ったら、途中で会ったのよ。いざ都心への太い道は一本だったから行き違わずにすんで。帰ってきたら顔がすすで真っ黒。亡くなった人たちもずいぶんみたようよ、言わなかったけどね。

 
大空襲の翌日だったかな、学校から何人かで、焼け野原に行ってみた。ただ、黒かった。大きなおかまにごはんが炊けていたの。お米がなかったころでしょ、なのに、それだけ真っ白でね。まわりに人はいないし。友だちもみんな、あら、という顔で見てたけど、何も言わなかった。

 
なんだかんだ言ってもね、親はありがたい、っていまおもうのよね。のほほんとしてても、なんでもやってくれてたんだから。

 
サイェはいつものようにほとんど表情を変えない。一呼吸おいてから、とても小さく、誰ともなく、にゃ、と言って、水ようかんを一さじすくった。

 
挿絵用8
 
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[執筆者]小沼純一、谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html
小沼純一

About The Author

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。