めいのレッスン ~船がみえる、かな

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
Published On: 2016/8/12By

 
 

おばあちゃん、神戸から上海に行ったの?
サイェと紗枝は神戸に短い旅行をしてきた。めいはそのとき、こどものころの母のはなしを聞いたのだろう。紗枝も、わたしのいないときに母から聞いていなければ、詳しいことは知らないはずだ。めいがわざわざ尋ねるのも、はなしを濁したからにちがいない。そもそも母にしてからが、子どものころのことで鮮明に記憶しているわけでもなかったし。
 
行くときは「たいようまる」、帰ってきたときは「たつたまる」。どっちもいまはきっと海の底なんだろうけどね。
小学生だったのによくおぼえている、とおもった。自分がそんなころ乗ったものの名などひとつもおぼえてなどいない。こちらも何度か聞いたので、船の名は記憶していた。サイェに伝えながら、まさかあろうとはおもわずネットで検索をかけてみたら、あったのだ。それもwikipediaに。
どの程度正しくどの程度間違っているのか知る由もない。いや、正しい正しくないより、母の、叔母の、祖父母の乗った船が急に現実感をもった、とでもいったらいいか。
サイェも一緒にパソコンの画面を見ていたのだが、〝おじさん〟がなにか、特に何かを言うわけでもないながら、興奮しているのを感じていたか、どうか。サイェも、しかし、白黒の解像度のよくない船の写真をみて、〝大洋丸〟であり〝龍田丸〟として「見える」ことに、何か感じているのは確かだった。
〝大洋丸〟はドイツからイギリスに、そして日本にわたったもので、いま横浜にある氷川丸よりも大きかったらしい。でも1942年5月にこの船が、また〝龍田丸〟は1943年2月に潜水艦に沈められてしまったという。
母の言ったとおり、船はどちらも海の底だ。たぶん当時のニュースで聞いているわけではないだろうし、ニュースそのものがながされてさえいないかもしれない。
 
上海には、祖父の転勤で行ったのだという。両親と娘二人の四人で。住んでいた小田原から神戸まで汽車で行き、一晩泊まった。南京虫にくわれてね。立派な旅館だったのに、港町だから。そう何度か聞いた。
サイェは、紗枝のしごとにくっついて行っただけだし、夜は紗枝の学生時代の友だち母娘と食事をしたくらいだったから、神戸に行ったとはいえ、ほとんど街を見ていなかった。港は、と尋ねても、ん~、とはっきりしなかった。戦前と21世紀の神戸とそもそも比較できるのかどうか。わたし自身行ったことがないのだし。
 
船ではね、食事のたびに大きな食堂に行くの。ナイフとフォークで洋食を食べるの。おじいちゃん、うまかったのよね、扱うのが。フォークの裏にごはんをのせるのが正式だと信じられてたの、そのころはね。
大勢人が乗ってたし、子どもは子どもはどうしで遊んだけど、ちょっと違うの。ちょっと〝上〟だなって感じてた、子どもながらに。
陸地が近づいてくると、海の色がだんだん変わってくる。あかく濁ってくる。揚子江の泥がまじってくるんだと言われたけど、ほんとにそうだったかしら。
 
ねこあし1上海にいたときに戦争だというニュースがあった。そんなとき、こりゃあたいへんだと行動するのがおじいちゃんだったね。おばあちゃんはいたかったの。丈夫じゃなかったし、むこうにいたら、アマはいたし、楽だったから、帰りたくないって。でもおじいちゃんは断じて帰ると言ってね。そのままいたらどうなってたか。犬もおとなりにあずけて。
サイェとあまりちがわない年ごろだったんじゃないかしら。
 
むこうには1年いたかいないか。小さかったし、あまりおぼえてない。おばちゃんだったらもっとはっきりおぼえてたんだろうけど。
 
 
帰りは横浜まで来た。むこうでつかっていた家具なんか持ってきたでしょ、応接間にある猫足のテーブルや、二階の飾棚なんかね、おじいちゃんはおなかこわして、赤痢かもしれないって入院させられちゃって、そんなことぜんぜんできなかったしやったことなかったおばあちゃんが、みんな、やった。こどもふたりつれて、よく、とおもうけど、それってそのときおもっていたのかいまふりかえっておもうのか、わからない、わからないね。
 
ねこあし2母から聞いたのを紗枝が、わたしが、サイェに話す。母もきれぎれに孫に話しているかもしれない。それぞれちょっとずつずれながらひとりの聞き手のなかにたまっていきまじりあう。サイェもまた誰かに話すこともあるのだろうか。そのはなしのなかで母は、叔母は、祖父母は何度も神戸から船に乗り、あかくなった水をみて、横浜に帰ってくる、若いままに。

 
 
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[執筆者]小沼純一、谷川俊太郎、堀江敏幸、古川日出男、明川哲也、柴田元幸、山崎佳代子、林巧、文月悠光、関口涼子、旦敬介、エイミー・ベンダー、J-P.トゥーサンほか全31名
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b92615.html

About the Author: 小沼純一

こぬま・じゅんいち。 音楽・文芸批評家。早稲田大学文学学術院教授。おもな著書に『オーケストラ再入門』『映画に耳を』『武満徹 音・ことば・イメージ』『ミニマル・ミュージック その展開と思考』『発端は、中森明菜――ひとつを選びつづける生き方』など。『ユリイカ』臨時増刊「エリック・サティの世界」では責任監修を務めている。2010年にスタートした音楽番組『スコラ 坂本龍一音楽の学校』(NHK Eテレ)にゲスト講師として出演中。
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