ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 07〉報道の定義、説明してくれませんか?

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2016/8/30By

 

【単行本のご案内~本連載が単行本になりました~】

 
取材先でセクハラに遭ったら?
被害者が匿名報道を望んだら?
取材で“ギャラ”を求められたら?
被災地に記者が殺到してきたら?
原発事故で記者は逃げていい?
 etc.
 
現場経験も豊富な著者が20のケースを取り上げ、報道倫理を実例にもとづいて具体的に考える、新しいケースブック! 避難訓練していなければ緊急時に避難できない。思考訓練していなければ、一瞬の判断を求められる取材現場で向きあうジレンマで思考停止してしまう。連載未収録のケースも追加し、2018年8月末刊行。
 
〈たちよみ〉はこちらから「ねらいと使い方」「目次」「CASE:001」「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉

【ネット書店で見る】

 
 

畑仲哲雄 著 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』
A5判並製・256頁 本体価格2300円(税込2484円)
ISBN:978-4-326-60307-7 →[書誌情報]
【内容紹介】 ニュース報道やメディアに対する批判や不満は高まる一方。だが、議論の交通整理は十分ではない。「同僚が取材先でセクハラ被害に遭ったら」「被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか」「被害者が匿名報道を望むとき」「取材謝礼を要求されたら」など、現実の取材現場で関係者を悩ませた難問を具体的なケースに沿って丁寧に検討する。

* * *

 
当たり前になってしまったことを、「定義」として改まって問われたら? 反射的によどみなく答えるのは、かなり高いハードルです。報道の定義だけでなく、定義を問う主体との関係からその先へと、さらに考えなければいけないことがたくさんありそうです。[編集部]
 
 
 報道をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

「わが党のスタッフも、参加させていただきます」
 当選したばかりの知事が、記者会見で切り出した。物腰は柔らかく笑みは絶やさない。だが、その言葉には有無を言わせない強引さがあった。
 会見場のドアの向こうには、知事が党首を務める地域政党「改新会」の映像取材スタッフが待機しているという。知事が選挙運動時に掲げていた公約のなかに「すべての県民に記者会見をオープンにします」という一言が、たしかにはいっていた。
 知事は広報の職員に「さ、入ってもらって」と指示し、「改新会」の腕章をつけた取材班がドアを開けて入ってきた。
「なんだ、なんだ」「おい、待てよ」記者クラブがどよめく。
 改新会のスタッフは黙々と三脚とデジタルカメラをセットしはじめた。
「あの、待ってください、知事」思わず抗議の声を上げた。わたしには、記者クラブの幹事を務めている責任がある。「まだクラブの総意がまとまってませんし、今日はこれまで通りのルールでお願いします。党のスタッフはどうかお引き取りを」
「いいえ、選挙公約ですから」知事は首をかしげる。「会見を開放するのは県民との約束。みんな望んでいます。取材社がひとつ増えてもかまわないでしょ」次回からフリーランスや県民も参加させるという。
「いい加減にしろ」「こっちはジャーナリズムで、そっちはプロパガンダ」「報道のイロハを勉強してこい」怒号が飛んだ。
「改新会のホームページも報道ですよ」負けじと知事も声を張り上げた。「ありのままの事実を不特定多数の人に伝える。それを報道というのです」
 一瞬、虚を突かれたが、次の瞬間、怒りがこみ上げた。なに言ってるんだ。われわれ記者を牽制するのが狙いだろう。すくなくとも、記者会見が改新会の宣伝に利用されてはいけない。
「じゃあ、県民にわかるよう教えてください」知事が言った。「報道の定義ってなに?」
 改新会のカメラ係がさっと手を挙げた。「公共的な事柄を偏りなく広く伝える営みですね。政党でも、NPOでも、市民でも、だれでも報道できます。妨害すれば『言論の自由』の否定になります」そう言うと、スタッフはカメラを記者たちに向けて撮影し始めた。
「はい。では次」知事が指さしたのは、「イロハを勉強してこい」と叫んだ記者だった。その記者は顔を伏せ押し黙った。その後も知事は記者を次々と指さし、改新会のカメラがそれを捉えた。みな動揺し、答えられなかった。
「知事、これはもはや会見じゃない。いったん中止しましょう」そう言ったわたしに、知事が詰め寄ってきた。
「じゃ、最後にあなた。県民を代表してお尋ねします。報道の定義を、県民に説明してくださいな」
 改新会のカメラのレンズに、わたしの顔が歪んで映る。汗が一筋、額を流れ落ちた。

    [A]「一本取られました。これを機会に、会見のあり方を一緒に考えていきましょう」と答えよう。悔しいけど、今回は勉強不足だ。正直いえば、知事や党スタッフの言い分が間違っているとは思えない。これも時代の趨勢。こういう改革派の政治家によってメディアも鍛えられる。真摯に対話して県民にとって最善の策を探ろう。
    [B]言葉の定義がそんなに大切なのか。これまで「報道」を担ってきたのは既存の新聞・雑誌とニュース番組だ。歴史的な事実を無視して、会見を引っかき回した知事の振る舞いこそ報道に値する。劇場型の政治家に利用されちゃいけない。「読者に代わってお尋ねします。会見を混乱させた理由はなに?」と尋ねて抗おう。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[対話する立場] 報道の定義はなにか。テストでいえば“引っかけ問題”だが、みごとに答えられなかった。その事実は重い。わたしたち記者クラブの記者を「マスゴミ」と呼ぶ人もいる。医者や弁護士、学者からも勉強不足を指摘される。劇場型の政治家かもしれないが、筋は通っている。ならば、こういう知事と対話しながら、メディア側もみずからを高めていこう。
 
[抗う立場] 報道の定義は奇襲攻撃の材料にすぎない。劇場型の政治家の常套手段に惑わされるな。「新聞・ラジオ・テレビなどで広く一般に知らせること」と書く辞書もあるが、言葉遊びはまっぴらだ。基本に立ち返れ。目の前で起こったことを粛々と報道しろ。県民や市民記者には記者会見に参加する権利があるが、政党メディアは党の宣伝をするのが狙いのはず。論外だ。
 
[対話する立場からの反論] 報道の定義は言葉遊びではない。たしかに報道はだれがやってもいい。県民が望むのなら、市民団体であろうと、宗教団体であろうと、政党メディアであろうと。記者会見への参加も原則自由であるべきだ。知事には、民主的な手続きで選挙されたという正統性がある。公約を破っているならまだしも、守ろうとしているのだし、評価されて良いと思う。
 
[抗う立場からの反論] はじめに事実ありき。「報道」は、新聞社やテレビ局が試行錯誤しながら長い年月をかけて営んできた事実を説明する言葉。知事には選挙で選ばれた自負があると思うが、県民の支配者ではない。行政を舵取りする任期制の公僕が、報道記者に圧力をかけ、暴君のように振る舞いはじめている。危険な兆候だ。県民のために厳しく監視しよう。
 
[対話する立場からの再反論] 権力監視はわたしたちの重要な使命だ。だが「報道」の定義すら言えない記者にその任務が務まるだろうか。新聞の歴史を振り返れば、政党系の新聞が乱立していた時代があった。いまもヨーロッパでは政党系新聞が多くある。報道とはなにか――この根源的な「問い」に立ち返ることで、記者クラブ問題解決の糸口もみえてくるのではないか。
 
[抗う立場からの再反論] 記者は学者じゃない。公的な権力が適切に使われているかどうかを市民に報告する専門職。地域政党とはいえ、知事の影響力は大きい。そんな人に、わたしたちの仕事に口出しさせるのは危険。会見や記者クラブのあり方は、読者・視聴者とともに改善していくべき。記者が権力者の顔色をうかがい、忖度するようになったら、いつか来た道に逆戻りだ。
 
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はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
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