ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 09〉小切手ジャーナリズムとニュースの値段

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2016/11/22By

 
「お金」と「ジャーナリズム」の関係は、どの場面についてどういう立場から考えるかで、見立てが大きく変わりそうです。お金を介在させられるのか、させていいのか。重要だけれど語られにくい問題を、まずは「有料記者会見」の事例から掘り下げます。[編集部]
 
 
 記者ゆえのジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。
 

1:: 思考実験

 保険金殺人の疑いがかかっている夫婦が、報道陣の取材に応じる条件を提示してきたのは、先週のことだった。
 おそらくアドバイスした人物がいる。報道被害問題に熱心な活動家が支援にはいったか。あるいは、事件ゴロのようなやつらが介入してきたか。
 いずれにしても、その夫婦が、現場で配った紙きれの冒頭には、以下の言葉が綴られていた。

自宅の前にはいつも報道関係者がうろついています。無遠慮にカメラやマイクが向けられ迷惑をしています。報道関係者から“監視”される暮らしが始まってから、わたしたち夫婦は仕事ができずに経済的な損失を被り、体調も崩れて肉体的な被害も受けています。そうした被害は、わたしたちだけでなく、ご近所の方々にも及んでいるでしょう。わたしたちは平穏に生活する権利を著しく侵害されています。

 くやしいが正当な抗議だ。無視はできない。
 現場の記者たちに悪気などない。むしろ正義感に満ちている。報道にたずさわる者は、新聞・雑誌・放送などメディアの別なく、みな国民の知る権利に応える代理人。記者の耳と目は、読者の耳と目。優秀な記者ほど対象に肉薄して真実をすくい上げようとする。国民の「知りたい」という欲望に答えるためだ。
 今回は、たまたま狭い地域を多くの取材者が取材し続けていたため、現場に迷惑がかかってしまった。それは良くないことだし、反省すべきだ。
 でも、だからといって、「疑惑夫婦」の側が、メディアから料金を徴収して、高級ホテルで記者会見を開くなんて。どうも釈然としない。

わたしどもは取材申し込みのメールや電話を、頻繁かつ執拗に受けています。むろん、それに応える義務などありません。しかし、市民として平穏な暮らしを取り戻すため、わたしたちがホテルの一室を借り、記者会見を開くことにしました。

 A4の紙の末尾には、「記者会見の参加費は1社10万円。映像や音声を記録し、放送で使用する場合は、別途料金が発生します」と記されていた。場所は東京の一等地にあるホテルのVIPルーム。映画スターの婚約会見じゃあるまいし、いったい何様のつもりだ。
 わたしは、その紙切れを手にして戻ってきた若手記者に言った。
「で、他社(ヨソ)はどうなんだ」
「各局総出に決まってるじゃないですか。なんたって『疑惑夫婦のナニサマ会見』ですからね」
 このところ業界ズレしてきた部下の口ぶりが、昔のじぶんに重なった。体張って番組を背負っている自信の現れなのだろう。
 ジャーナリズムを手放すつもりはないが、数字が気にならないといえば嘘になる。わたしは東京キー局の報道番組を仕切るチーフプロデューサーとして決断しなければならない。

    [A]お金を払って取材するなんてまともじゃない。こういうのにうかうかと乗っちゃだめだ。映像として記録しておく価値はゼロではない。だが会見の主導権を全面的に相手に預け、要求されるまま金を払うことで、われわれは大切な何かを失う。
     
    [B]取材には金がかかるものだし、なにも今回が初めてじゃない。それに、どんな愚かしい記者会見だとしても、きちんと記録を残し、後世に伝えるのもメディアの使命。この仕事は頭でっかちではつとまらない。好奇心を失ったらおしまいだ。

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[有料会見を拒む立場] 夫婦はじぶんたちの商品価値に気づき、高く売ろうとしている。メディア側も夫婦の会見で稼ぎたいという思惑がある。金に目がくらんだ者たちの共犯関係だ。ニュースは本来パブリックなもの。金を払って得た情報を報道するようになれば、取材者たちの感覚も麻痺していき、ジャーナリズムの精神は市場の論理に蝕まれていくだろう。
 

[有料会見に参加する立場] 格好つけるな。民放は広告主に支えられる商業メディアだ。五輪やW杯の放送権料をめぐって、各国の放送局は何十、何百、何千億円という金を支払っている。IOCやFIFAに追従するくせに、報道被害を訴える民間人にビタ一文払わないのはご都合主義もいいところ。夫婦の言い分も、それが有料会見であることも、すべて報道すべきだ。
 ↓ ↓ ↓
つづきは、単行本『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』でごらんください。

 
取材先でセクハラに遭ったら?
被害者が匿名報道を望んだら?
取材で“ギャラ”を求められたら?
被災地に記者が殺到してきたら?
原発事故で記者は逃げていい?
 etc.
 
正解はひとつではない。でも、今、どうする?
現場経験も豊富な著者が20のケースを取り上げ、報道倫理を実例にもとづいて具体的に考える、新しいケースブック! 避難訓練していなければ緊急時に避難できない。思考訓練していなければ、一瞬の判断を求められる取材現場で向きあうジレンマで思考停止してしまう。連載未収録のケースも追加し、2018年8月末刊行。
 
〈たちよみ〉はこちらから「ねらいと使い方」「目次」「CASE:001」「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉


【ネット書店で見る】

 
 

畑仲哲雄 著 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』
A5判並製・256頁 本体価格2300円(税込2484円)
ISBN:978-4-326-60307-7 →[書誌情報]
【内容紹介】 ニュース報道やメディアに対する批判や不満は高まる一方。だが、議論の交通整理は十分ではない。「同僚が取材先でセクハラ被害に遭ったら」「被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか」「被害者が匿名報道を望むとき」「取材謝礼を要求されたら」など、現実の取材現場で関係者を悩ませた難問を具体的なケースに沿って丁寧に検討する。
 
【ページ見本】 クリックすると拡大します。

【本書のトリセツ】
ステップ1、実際の事例をもとにした[思考実験]を読んで「自分ならどう?」と問いかける。
ステップ2、次のページを開いて[異論対論]で論点ごとに考える。対立する意見も深めてみると……?
ステップ3、事実は小説より奇なり。[実際の事例と考察]で過去の事例を振り返りつつ、支えとなる理論を探そう。
 
【目次】
ねらいと使い方 ジャーナリズム倫理を絶えず問いなおす
第1章 人命と報道
 CASE:001 最高の写真か、最低の撮影者か
 CASE:002 人質解放のために警察に協力すべきか
 CASE:003 原発事故が起きたら記者を退避させるべきか
 CASE:004 家族が戦場ジャーナリストになると言い出したら
第2章 報道による被害
 CASE:005 被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか
 CASE:006 被害者が匿名報道を望むとき
 CASE:007 加害者家族を「世間」から守れるか
 CASE:008 企業倒産をどのタイミングで書く
第3章 取材相手との約束
 CASE:009 オフレコ取材で重大な事実が発覚したら
 CASE:010 記事の事前チェックを求められたら
 CASE:011 記者会見が有料化されたら
 CASE:012 取材謝礼を要求されたら
第4章 ルールブックの限界と課題
 CASE:013 ジャーナリストに社会運動ができるか
 CASE:014 NPOに紙面作りを任せてもいいか
 CASE:015 ネットの記事を削除してほしいと言われたら
 CASE:016 正社員の記者やディレクターに表現の自由はあるか
第5章 取材者の立場と属性
 CASE:017 同僚記者が取材先でセクハラ被害に遭ったら
 CASE:018 犯人が正当な主張を繰り広げたら
 CASE:019 宗主国の記者は植民地で取材できるか
 CASE:020 AIの指示に従って取材する是非
あとがき ジャーナリストの理想へ向けて
 
■思考の道具箱■
傍観報道/番犬ジャーナリズム/共通善/危険地取材/臨時災害放送局/CPJ/自己責任/メディアスクラム/合理的な愚か者/サツ回り/犯罪被害者支援/熟議/被疑者と容疑者/世間/特ダネ/倒産法/コンプライアンス/知る権利/取材源の秘匿/2種類の記者クラブ/地位付与の機能/ゲラ/報道の定義とは?/小切手ジャーナリズム/記者会見/「ギャラ」/キャンペーン報道/アドボカシー/黄金律/NPO(非営利組織)/地域紙と地方紙/アクセス権と自己情報コントロール権/良心条項/記者座談会/ゲリラとテロリズム/ポストコロニアリズム/倫理規定/ロボット倫理/発生もの
 
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はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
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