掲載をお許しくださったジャン・ボベロ先生、訳文掲載にご尽力くださった伊達聖伸先生、増田一夫先生、ミカエル・フェリエ先生、赤羽悠さん、西村晶絵さんにお礼申し上げます。[編集部]
ジャン・ボベロ/伊達聖伸訳
続発するテロに対峙するフランスのライシテの現状と課題
2015年1月7日~9日の「シャルリ・エブド」襲撃事件、警官殺害事件、ユダヤ系食料品店襲撃事件。そして同年11月13日の大規模なパリ襲撃事件。2016年7月14日にはニースでトラックが暴走して多くの死傷者を出し、7月26日にはルーアン近郊の教会で老神父が殺害された。このようなテロの続発を背景として、現在のフランスではしばしばライシテの原則の強化が叫ばれている。
しかし、現在のライシテをめぐる過熱した議論の背景には歴史の層がある。冷静な議論のための土俵を構築するには、比較的長い時間の流れのなかに現在の状況を位置づけることが必要である――ジャン・ボベロはこのように主張する。ここに訳出したのは、2016年10月25日(火)に上智大学、27日(木)に中央大学で行なわれた彼の講演原稿である(講演会当日も日本語訳を配布したが、その後本人が若干の修正を加えたのを受けて翻訳に再度手を入れ、また編集部からの要望に応じていくつかの訳注を付した)。
以下、議論の大筋をあらかじめ提示しておこう。論述の中心軸をあえて一言でまとめるなら、それは「ライシテの右傾化」ということになるだろう。ボベロによれば、そもそものライシテは、もはや宗教に依拠することのない国家が、宗教の自由と平等を保障することを意味していた。ところが、1989年を大きな転機として、ライシテはナショナル・アイデンティティの方向に傾斜していく。その結果、とりわけマイノリティ宗教であるイスラームの自由と平等が、ライシテの名において脅かされるという逆説的な事態に立ち至っている。
1905年の政教分離法は、カトリックと共和派の「2つのフランスの争い」が最高潮に達した時期に制定されたが、その争いに終止符を打つだけの内実と射程を備えていた。政教分離法は当時の「右」からは、カトリック的なフランスのアイデンティティを損ねるものだと批判されていた。その代表格であるシャルル・モーラスは、フランスが「ユダヤ人」「プロテスタント」「フリーメーソン」「外国人」に脅かされていると主張していた。ボベロの見るところでは、このような「他者」を「敵」に仕立てあげる力学が現在ではムスリムに向けられている。一方、政教分離法制定当時、共和国はカトリックに脅かされていると主張し、「左」の立場からカトリックの信教の自由を制限すべきだと唱えたのがエミール・コンブである。ボベロの見立てでは、このように宗教を「管理」しようとする論理が現在ではイスラームに向けられている。
実際に採択された政教分離法は、コンブの論理と手を切り、カトリックに自由を認めるものだったが、一般のフランス人のなかでは、同法は往々にして事態を鎮静化させた法律というよりも、闘争の法律として記憶されている。他方、モーラス流のアイデンティティとしてのカトリシズムは、浮き沈みをしながら20世紀の歴史をくぐり抜け、今また新たな状況のなかで回帰しつつあるとボベロは見ているようである。
現代の右派において興味深いのは、「フランスはキリスト教の伝統に連なる」というアイデンティティのカトリシズムの系譜と、「フランスは自由・平等・博愛そしてライシテの国である」という共和国防衛の系譜がともに流れ込んでいることである。本来異なるはずのモーラス的な系譜とコンブ的な系譜が合流している。その結果、カトリック的なフランスの源流であるクローヴィスの洗礼と、反教権主義的なフランスの起源に位置づけられてきたガリアの英雄ヴェルサンジェトリクスが、ともに「私たちフランス」の過去として参照されるようになっている。しかし、右派も一枚岩ではなく、たとえばアラン・ジュペはサルコジ流のライシテにニュアンスをつける位置にいる。
一方、左派も2つのライシテ概念に引き裂かれている。ヴァルス首相が唱えるライシテは好戦的で厳格なもので、多様性の尊重に開かれたライシテ観は後景化している。そのようなヴァルスは、1905年法の立役者であったアリスティッド・ブリアンよりも、革命の純粋性を求めるロベスピエールに近いとボベロは指摘する。それに対し、ライシテ監視機構は1905年法の精神に立脚しており、首相直属の機関でありながら、首相とはニュアンスの異なるライシテのあり方を提示している。ボベロ自身も、1905年法の精神に立ち返って多様性の尊重と和平の実現を目指すライシテを志向していることが読み取れるだろう。
右派のように、フランスのルーツを参照するやり方は、新旧のフランス人のあいだに分断をもたらすおそれがある。一方、左派は左派でも、ヴァルスのようなやり方で過激主義と戦おうとすると、かえって過激主義を強化しかねない。ボベロ自身は、ライシテの基本法である1905年法に立ち返り、アリスティッド・ブリアン流の和解の精神を現代に活かそうとする考えの持ち主であることが読み取れるだろう。
はじめに
現在のフランスは歴史的に困難な時代を迎えている。何が起きているかの説明を試みなければならない。一貫して脚光を浴びているのは「イスラーム」だ。それはしばしば実体的なもの見なされ、フランス社会の残りの部分と交流がないものと思われている。ライシテを「防衛すること」が喫緊の課題になっているが、ライシテそのものが問われることはほとんどない。私はそれを歴史社会学の観点から問い直したい。ある社会事象は、他の同時代的な社会事象と相互関係を結ぶ共時態としてある。これはデュルケム以来の社会学の古典的な公準である。しかし、ある社会事象は、近くあるいは遠くの過去と相互関係を結ぶ通時態としてもある。そこで以下では、これまでになされてきた分析とは異なる話題を提供したい。状況に流される「現在主義」(フランソワ・アルトーグ)に陥らず、ライシテをめぐる現在のフランスの議論には歴史の層があると主張したい。私のおもな仮説は、続発するテロが重要な変化を構成している今こそ、「長期持続」が現在の議論を解明するということである。
ただし、私のアプローチはアナール学派のそれとはやや趣を異にする。フランスで長く有力な地位にあるこの学派は、「長期持続」の重要性を主張し、構造的なものを特権化してきた。出来事だけに焦点を当てる歴史を斥ける姿勢には私も同意する。しかし私は、今日の何人かの歴史家たちと同じように、出来事にはそれ特有のやり方で構造変化をもたらすものもあると考える。この観点から見れば、短期の変化も長期的に重要な結果をもたらしうる(たとえばライシテについては、教会と国家の分離を定めた法律が制定された1905年がそれに相当する)。他方、過去の出来事との関係は、科学的な解釈を生業とはしない社会的表象や集合的記憶の媒介によって構築される。さまざまな社会事象が取り結ぶ関係は際限がないので、研究者にとっての腕の見せ所は、しかるべき出来事を特権化して分析の図式を提案する点にかかっている。フランスのライシテに関して私が試みるのはこのことである。映画で言うフラッシュ・バックを、何度かお目にかけることになるだろう。
ジャン・ボベロ Jean Baubérot
パリ高等研究院名誉教授。専門は、ライシテ、国家と宗教の関係、良心の自由、宗教的多様性、プロテスタンティズムの歴史と社会学など。日本語で読める書籍に『フランスにおける脱宗教性(ライシテ)の歴史』(三浦信孝・伊達聖伸訳)、『世界のなかのライシテ』(私市正年・中村遥訳)(共に白水社)がある。また、2008年に来日した際のシンポジウムの記録『世俗化とライシテ』が全文ダウンロードできる。http://utcp.c.u-tokyo.ac.jp/publications/2009/04/secularizations_and_laicites_u/
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近代は宗教衰退の時代ではなく、世俗国家による宗教再編の時代である。本書が試みる「世俗の宗教学」は、19世紀の世俗的道徳と科学的宗教学の成立を再構成し、宗教概念の歴史的変遷を辿り、宗教に還元されない宗教性の行方を追う。フランスでも高く評価されたライシテの系譜学的人類学!
書誌情報 → http://www.keisoshobo.co.jp/book/b75896.html