2週間前に出たばかりの最新の「忘れられる権利」最高裁決定の評釈が登場![編集部]
忘れられる権利(前編)
連載第27回で2016年10月13日にその当時の情報に基づく「忘れられる権利」についての解説を行った。ところが、いわゆる「忘れられる権利」として論じられてきた事例について、2017年1月31日に最高裁が決定を下し、どのような場合に削除を求められるかを判示した。要するに、連載第27回の内容は、わずか4か月あまりで、完全に「アウト・オブ・デート」なものになってしまったのである。
そこで、「忘れられる権利」についての最新情報を本連載の読者の皆様にお伝えようと考え、勁草書房編集部の担当者と、その方法につきご相談させていただいた。ここで、連載第27回の内容はそのまま残し、本決定のみを新たに評釈するという方法もあり得た。しかし、本決定の内容、例えば「明らか」要件がどこから来たのか等を考察するうえでは、連載第27回ですでに述べたことも含め、より包括的な議論をする必要があるのではないかと考えるようになった。そこで今回より前編・後編の2回に分けて、できるだけ包括的に「忘れられる権利」をどう考えていくべきか、再検討したい。もっとも、本決定後わずか2週間余りの現段階で言えることは限られている。その意味ではあくまでも試論的なものに留まることはご理解いただきたい。
1.はじめに
最近のインターネット上のプライバシー侵害の問題に関連して極めて重要な問題といえるのが、「忘れられる権利」であり、最も重要な問題と言っても過言ではないだろう。
「忘れられる権利」の定義については諸説あるが、例えば、「特にインターネット上の情報の拡散防止の観点から個人が自己に関する情報の削除を求める権利」といった定義が提唱されている(注1)。日本の裁判実務上、主に前科・逮捕歴のような自己の犯罪に関する情報が掲載されたサイトや掲示板等が検索エンジンの検索結果として表示される場合、本人が、検索エンジンに対し検索結果を削除するよう請求することができるかという文脈でこのの問題が議論されることが多い(注2)。
最決平成29年1月31日判例集未登載は、検索エンジン上で表示される約5年前の児童買春に関する逮捕歴に関するURLについて、「忘れられる権利」という表現を用いずに、プライバシーを根拠とした削除の可否を検討し、比較衡量の基準を立ててこれを適用し、削除を否定している。原々審であるさいたま地決平成27年12月22日判時2282号78頁が「忘れられる権利」を肯定していたことから、最高裁は「忘れられる権利」を否定したのではないかなどとインターネットやマスコミで大きな話題を呼んだ。
「忘れられる権利」を考えるうえで重要なのは、この問題を論じる者の「総合力」が問われるということである。例えば、民事人格権法の枠組みだけで考えるのではなく、憲法上の「表現の自由」と「プライバシー」の相剋をも踏まえて論じなければならない。しかも、プライバシーの中でも前科・逮捕歴等の問題は特殊性がある。そして、求められているのはオフラインのプライバシー侵害において典型的な「事前差止め」(人格権に基づく妨害予防請求)ではなく「削除」(主に人格権に基づく妨害排除請求(注3))である。さらに、削除が求められているのは、もともとのプライバシー情報を掲載するサイトの記事ではなく、検索エンジンが表示するURL等である。
すると、民事人格権法、憲法、逮捕歴・前科等に関するプライバシー、削除請求、リンク等のプライバシー法に関するすべての重要問題を網羅的に理解しなければこの問題を適切に論じることは不可能といえるだろう。
その意味で、この問題を適切に議論することは極めて困難であるものの、以下、試論として私見を表明したい。まず、「忘れられる権利」がどのようなものとして主張され、それが通常のプライバシーに基づく削除請求とどう異なるかを説明し(2)、その後検討の前提となる犯罪歴・前科とプライバシーに関する裁判所の立場を要約し(3)、プライバシー侵害に基づく差止および削除請求権についての裁判所の立場を要約し(4)、最高裁以前の裁判例の動きを要約し(5)、最高裁決定を概観し(6)、最高裁の立場に対する試論的評釈を行いたい(7)。なお、著者が特に民事的な問題を取り扱っている実務家であることに鑑み、本稿では上記のうち特に憲法の問題は深入りできないことを謝罪したい。
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