《ジェンダー対話シリーズ》第1回 隠岐さや香×重田園江: 性 ―規範と欲望のアクチュアリティ(前篇)

「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というスタンスで、いろいろな方にご登場いただきます。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信を持って語ることができる場が必要です。そうした場所のひとつとなり、みなさまが身近な人たちと何気なく話すきっかけになることを願いつつ。
Published On: 2017/4/14By

 
 
重田園江 隠岐さんは自己紹介をなさって、私は自己紹介というのは何もつくってきていないんですけれども、明治大学の重田です。
 
私はミシェル・フーコーの研究をしていて、そのほかにもいろいろやっていますが、社会契約論とか連帯の哲学を研究していて、こういう感じのポップな話は、授業なんかではやっているんですが、あまりしたことがないんですけども、ちょっと今日はそういう話をしてみたいと思います。
 

[新型の出生前診断]

 
重田 で、生命倫理についての議論の現状を示す例として、はじめに出生前診断の話題を取り上げようと思います。レジュメにあるのは2016年9月28日の朝日新聞の記事なんですけれども、何が出ているかというと、新型出生前診断が――「出生前(まえ)診断」と言われたりするのですが――導入された。これが今、臨床試験という形で導入されて、その中で結構な数の人がこの試験を受けたわけです(http://www.asahi.com/articles/DA3S12580698.html)。
 

重田園江(おもだ・そのえ) 東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。明治大学教授。政治思想、ミシェル・フーコー研究。

ここで簡単に出生前診断の歴史を振り返ると、まず羊水検査というのはかなり前からあります。それから「母体血清マーカーテスト」とここに書いてありますけれども、これは「トリプルマーカーテスト」と呼ばれていて、1990年代に導入されたときは結構、大変なことだというふうに言われたんですよ。血液を採るだけで、ダウン症児が生まれる確率を示す数値が出るということで、これはいろんな問題を引き起こすだろうというようなことが言われました。
 
ところが、このトリプルマーカーテストというのは確率でしか出ないから、あなたの子どもがダウン症児である確率は500分の1ですとか、50分の1ですとかという数値が出るんですけれども、50分の1と言われても、それがどれぐらいなのかということはよくわからないので、確定ではないわけです。
 
それで、今回出てきた「新型」出生前診断って何かというと、これは、血液を採るだけで、40代では90%ぐらいの確度で胎児がダウン症かどうかがわかると言われています。40代では高くて、若いと低くなるんですが、それは、母集団の中に、ダウン症児を妊娠している人の割合が高まれば高まるほど診断の確度が高まるという理由らしいです。統計的に説明すれば多分わかる話なんですけれども、私も統計が非常に苦手で――言っちゃいけないんですが、統計の勉強をしているんですけども(笑)――、まあ、そういうことなんです。
 
で、90%の確度というのはかなり確率としては高いわけで、まず、トリソミーというのがあって、そのトリソミーの数を調べる形で、ダウン症以外のものも調べる。検査をしている人の人数の内訳の記事も7月20日の東京新聞から載せていますが、ここで「母体血細胞、フリー胎児遺伝子検査」と書いてあるものが、今話した新型出生前診断と呼ばれているものです。ダウン症というのは21トリソミーと言われて、あと18トリソミーと、13トリソミーとが診断できるということです(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201607/CK2016072002000137.html)。
 
で、臨床研究が日本で始まってから、そこに書いてありますけども、3万615人が受診しました。そのうち陽性は547名で、確定診断である羊水検査というのは、本当にそうかどうかというのが羊水を採るとわかる。これはゼロか1で、間違いは絶対ないというわけじゃないけれども、100%わかると言われています。
 
羊水検査というのは非常に侵襲的で、直接子宮に針を刺して羊水を採らなきゃいけないので、流産の可能性もあるということで忌避されます。だから採血だけでわかる検査がどんどん広まったんですが、これを受けて、異常なしと異常ありで、この異常ありのうちの、中絶した人が417人中392人です。妊娠継続が15人となっていますが、ちょっともう少し詳しく調べてみると、この中には、この時点で試験から離脱した人もいたそうなんですね。そうなると、その人はどうなっているかというのもわからない。あるいは、流産した人もこの中にいるだろうということで、かなりの割合の人が結局、出産しなかったということがわかって、私はこの記事を見たときに、今年の夏ごろなんですけれども、非常に衝撃を受けました。
 
なんでこれに衝撃を受けたかというと、中絶した人の割合が非常に大きいということももちろんあったんですけれども、私自身が、98年に自分の子どもを初めて産んだんですよ。自分のっていう言い方も変ですね。まあひとの子どもを産むということもありえますけど(笑)。で、この98年というのが、実はさっき言ったトリプルマーカー検査というのが、日本では90年代の半ばぐらいから結構導入されるようになって、妊婦雑誌なんかでも、この検査を受けてみた人の体験談が載っていたりして、それが結構話題になっていました。
 
ちなみに、イギリスとかフランスでは、今はもうその検査というのが、スクリーニングで原則受ける検査になっているようです。日本でも採血での性病検査とかはみんな受けるんですけれども、この検査も拒否しなければ受けるということのようです。
 
話を戻しますと、当時、難病の子どもに造血幹細胞をあげるための臍帯血バンクというのが出てきて、それはやらなくていいのかなみたいなことを、生命倫理を研究している友人に相談したら、「あれは遺伝子情報が全部知られちゃうけど、そのリスク管理のあり方が定まっていない。だから今はまだやらないほうがいいよ」と言われてやめたのを思い出しました。このころは、生殖に関わる新しい技術がどんどん臨床に応用されていく時期だったんだと思います。
 

[医療技術の進歩と倫理的な議論の停滞?]

 
重田 それから、1996年に優生保護法改正があって母体保護法に変わったというのがありますよね。ちょうどその前後の時期で、生命倫理というか、性と生殖をめぐる倫理について女性たちがわりと活発に議論していて、私もこういうワークショップとかシンポジウムみたいなのを、そちら側に座っていろいろ聞きに行ったりとか、それで、自分が遺伝性の難病にかかっているけども子どもを産んだという女性の体験談とかを聞いたりして、そのころいろいろこう、自己決定と生命倫理といった話題で盛り上がっていたんですね(注:そのとき話を聞いた安積遊歩さんは、骨形成不全症で出産したばかりでした。同じ障害を持って生まれた安積さんのお子さん(宇宙さん)が既に20歳で、ニュージーランドの大学で社会福祉士になる勉強をされているという記事が、2017年3月14日の朝日新聞朝刊に掲載されていました(http://www.asahi.com/articles/DA3S12839970.html))。
 
そのころ、いろんな議論がされているように見えました。その結果どうなったのかって、それは97-98年とかだからもう20年も前ですね。20年前にされていた議論がどうなったかというと、あ、結果、これなんだって、やっぱり。結果がこれかどうかわからないけれども、そのころみたいな形で、倫理的な議論というのが活発にされているようにはとても感じられなくて、結局、その検査への反対とか疑問というようなのは、はじめて導入されたころは表に出てきたんだけども、今のほうがそれはあまり出てきていなくて、なんか高齢妊婦も増えたし、しようがないよね、みたいな言説がわりと普通だと受け入れられてしまっているように思います。
 
検査を受ける人は増え続けて、技術は進んで利用しやすくなっていくんだけれども、それに対して倫理的な議論というのは、盛り上がらないどころか、20年前よりも注目もされないまま、どんどん技術のほうが進んで、その検査を受ける人が増える。で、検査の結果起こっていることというのが、これがその1つの例なんだという気がして、そのとき非常に衝撃を受けて、一体、20年間、日本の生命倫理をめぐって、少なくとも出生前診断とか妊娠中絶に関して議論されてきて確認され到達したところはどういうところなのだろうと思ったわけです。
 

[女性の性規範の変遷]

 
重田 この話は導入でしかなくて、これについては、私は何の結論ももっていないんですけれども、女性の性規範というものに関して――女性と言っちゃったらまただめなのかもしれないけども――、自分が女性だからちょっと女性をクローズアップして論じて、それがどうなってきたのかということを振り返ってみたいなというふうに思っています。
 
で、その振り返りのために、これは、隠岐さんが今回のシンポの前にやりとりしたメールで挙げられていた、北原みのりさんの『アンアンのセックスできれいになれた?』(朝日新聞出版、2011)という本があって、それを読んでみたのですが、その『anan』のセックス特集というのが、これは一番最近のが指原さんという人なんですけども、じゃんじゃんじゃんとあって(パワポで写真提示)、私の知らない人も結構いるんですけれども、北原さんが『anan』のセックス特集のあり方の変化を日本の女性の性規範の変化と結びつけながら議論している、という本です。それで、私自身も80年代が私にとって祭りの時代で、80年代はみんなお祭りしていたと思うんですけれども、私は86年に大学に入って90年に卒業したのでまさにお祭り(イントラ・フェストゥム)だったんですけれども、で、隠岐さんなんかの世代みたいに大学改革で大変な目にも遭わずにぎりぎり抜けてきた世代なんですが、女性の性規範のあり方がどう変わったかというのは、北原さんの本もそうなんだけども、私自身も結構感じてきたことと重なる部分もあるので、簡単に、こう言われているということを紹介したいと思います。男女平等とか、解放への脅迫みたいな強い雰囲気みたいなのって、私が80年代、大学生だったころって結構あって、男女雇用機会均等法ができた直後だったということもあるんですけれども、私は多分この法律が適用された4期目ぐらいでした。「雇均法」って呼ばれていたんですけれども、女の人が結婚して子どもを産んでも働くのは当然だ、みたいなことがわりと言われていたんですよ。
 
女性の性規範というか、規範意識といいますか、どんどん進歩していって、進化していって、それの行き着いたところが当時で、これからは女性も男性と変わらないように生きていくんだ、みたいな一種の進化論図式でしょうか。なんか「婚期を逃す」みたいな考えはタブーな感じだし、そもそも「子どもを産める年齢が」なんて言っている人も全然いないから、知らなかったし考えたこともなかったです。
 
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「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というスタンスで、いろいろな方にご登場いただきます。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信を持って語ることができる場が必要です。そうした場所のひとつとなり、みなさまが身近な人たちと何気なく話すきっかけになることを願いつつ。
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