《ジェンダー対話シリーズ》第3回 平山亮×上野千鶴子:息子の「生きづらさ」? 男性介護に見る「男らしさ」の病 ――『介護する息子たち』刊行記念トーク

「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というスタンスで、いろいろな方にご登場いただきます。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信を持って語ることができる場が必要です。そうした場所のひとつとなり、みなさまが身近な人たちと何気なく話すきっかけになることを願いつつ。
Published On: 2017/4/26By

 
 

[大人の息子と親との関係]

 
上野 それで、介護する息子たちに行きついた。
 
平山 そうですね。最初に男性の友人関係から入っていき、で、男性がもっているもろもろの人間関係の研究を調べてみた。調べても絶対に出てこなかったのが、「大人の息子としての親との関係」。というより、これは研究だけじゃないんですけれども、息子としての経験が、男性によってほとんど語られていないな、という。だから、もともと介護の研究をしようと思っていたのではなくて、中高年の息子を研究しようと思った先に、介護する息子たちが出てきた、ということですね。
 
上野 うーん。息子としての経験を彼らは語らないが、父親としてとか、夫としての経験は語るんですか。
 
平山 語れると思いますよ。例えば最近、「男の生きづらさ」なんていうのがはやっていますよね。あそこで出てくる生きづらさって、大抵、夫としての、夫婦関係における生きづらさだったり、家族のなかの稼ぎ手にならなければいけない生きづらさ、あとは、イクメン言説が出てきた後の父親としての生きづらさだったりするんですけれども、息子としての生きづらさって出てきたことないですよね。
 
上野 それについては、女性の間では、娘としての経験というのは、女性学の最初のころからずーっと言語化されてきて、「私、ほんとはママが嫌いだったんだ」みたいなね。最近テレビドラマでもやってましたけど。
 
平山 やってましたね。
 
上野 あの「お母さん、娘をやめていいですか」ってドラマ、あの監修をやっておられたカウンセラーの信田さよ子さんとつい数日前に会ってしゃべってきたところだから、今わたしには信田さんが憑依してます(笑)。
それでね、彼女が言ってたのは、娘と母が家の中で葛藤を起こすでしょう、そこに夫がいるでしょう、すると夫が石像化する。ある漫画家さんがそれを表現して、夫をモアイ像にした。すごいね、夫は家庭で、モアイ像になるんだって。
 
平山 それは、息子の場合も起きるんですか。
 
上野 夫として、父として、モアイ像になってるの。
 
平山 それは、夫として、父としての生きづらさ?
 
上野 彼らはそこで完全に凍結しているんです。だから、生きづらさもないんじゃない。
 
平山 生きづらいって言っていいのか、わからないですけど、本人からしたら、その場でどうしたらいいのかわからなくて、固まってしまっているんじゃないですか。
 
上野 どうなんですかね。生きづらさも感情だから、すべての感情を凍結して入力を遮断してる思考停止状態なんじゃない? 鈍感力とも言うけれど(笑)。
 

[息子による介護の特徴]

 
上野 誰が誰を介護するかに加えて、前著になかったなと思ったのは、どうやって介護するのかっていう、介護の内容をちゃんと書いてあるところね。
 
平山 うん。
 
上野 「看方」っていう、介護する仕方ね。うまいこと名づけたでしょう、「ミニマム介護」って。親の自立を尊重して、できるだけ手を出さない。ほとんどネグレクトと見まがうほどに手を出さない介護、が息子介護の特徴であると。
 
平山 そうですね。
 
上野 そうなると、夫介護と息子介護はやっぱり違う。夫介護は、「介護者主導型管理介護」と言われていて、定年退職したオジサンが、業務に代わるタスクを引き受けて、朝起きたときから妻の血圧と体温を測って全部エクセルに入れ、体調管理して、投薬管理してっていう管理型介護。こういうことは息子はやらない。
 
平山 そういう息子さんもいないとは思いませんけど、ただ、息子にしばしば見られる特徴として、お母さんお父さんをできるだけ自立させておこうっていう意向が非常に強いということがある。そのために例えば、もうすぐ百歳近いお母さんに、「ちょっと立って」って、脚力強化のために筋トレをさせたりとか、そういうふうな……。
 
上野 限りなく虐待じゃない(笑)。
 
平山 そういうふうにして、何とかして体の機能を維持してもらって、できるだけ自立状態に留めよう、という息子さんがすごく多かったな、という印象がありますね。
 
上野 母は、それに従順に従うの?
 
平山 従っている方が多いですね。
 
上野 ああ。母と息子の共犯関係もあるのよね。
 
平山 そうですね。
 
上野 ……ねえ。母は、死ぬまで母。息子は、死ぬまで息子。
 
平山 そういう関係は変わらない。
 
上野 百歳になっても。
 
平山 そうですね。お母さんもそれに、「嫌だ」って必ずしも明確に言わないから、周りから見ると、そこでの介護関係はうまくいっているように見える。息子はそういうふうにスパルタ式介護でいくんだけれども、お母さんはお母さんで、やっぱり「息子に介護させてしまって申しわけない。男の子にこんなことをさせるべきではなかったのに、こんなことさせちゃって申しわけない」というのがあるから、自己主張しないんですよね。「これ以上は迷惑かけたくない」、みたいな感じで。
 
上野 それだけでなく「こんな息子に育ててしまったのは私の責任」、というのがあるのよね。
 
平山 そう思っているのかな。
 
上野 思ってる、思ってる。死ぬまで母だから。
 
平山 だから、介護される方も文句を言っていない、良い介護関係に見えちゃうという。
 
上野 親孝行な息子さんに仕えてもらった幸せなお母さん。で、そこに、外から入れなくなっちゃう。
 
平山 そうですね。周りの誰か一人にでも、お母さんが「困った」って言ってくれれば、そこに介入の余地ができるんですけれども、息子もお母さんも、「わたしたちには問題はありません」っていう雰囲気をかもし出しているから、誰もその関係には立ち入れない。
 
上野 介護現場では、そうした事例がケアマネさんにとって処遇困難事例になってるんですよね。
 
平山 そうですね。春日キスヨさんが大変お詳しいです。
 

[見えなかったものを「見える化」する理論の力]

 
上野 私が今回、理論的にすごくがっつりしたものが出てきたなと思ったのが、英語圏の研究。すごい蓄積があるんですね。
 
平山 そうなんです、実は。
 
上野 メイソンという人の「段取り力」、原語が“sentient activity”なんですが、ベタな翻訳をすると「感覚的活動」、これではよくわからないんだけど……。
 
平山 もう、どうやって訳したらいいのか、それは……。
 
上野 この「段取り力」って訳、超いいですよ。
 
平山 段取り力?
 
上野 うん、「段取り」って。
 
平山 それは、上野訳ですよね。
 
上野 「段取り」って訳語、つくったでしょう?
 
平山 わたしが使ったのは「お膳立て」。
 
上野 ああそうか、「お膳立て」でしたね。じゃあ、私が勝手に今、超訳したんだ。
 
平山 そう、超訳。
 
上野 あ、そうか。私、日本語に「段取り」って、なんていい言葉があるんだろうと思ったんだけど。
 
平山 それは、私の本の上野訳ですよ。
 
上野 そうでしたっけ。平山訳だと「お膳立て」か。「お膳立て」より、「段取り」がよくない?(笑)
 
平山 まあ。うん(笑)。
 
上野 実際に手や足を出す前に、何をいつ、どのようにするかっていう、采配をちゃんと決めるための、お膳立て、段取り力――なんか「段取り力」のほうがいいな(笑)。
 
平山 じゃあ、きょうは「段取り力」でいきましょう。
 
上野 ……ということを誰かがいつの間にかやってくれている、ということをちゃんと暴き出したっていうことが本書のお手柄ね。
 
平山 そうですね。
 
上野 やっぱり、概念が一つできることで、見えなかったものが見えるようになるっていうのが理論の力だから。いやあ、すごいなと、これは思いましたね。
 
平山 やっぱり、育児研究もそうだと思うんですけれども、介護研究では実際の手を出すところというか、目に見えるタスクのところばかり検討されちゃうんですよね。で、そのタスクとしての介護を女の人と男の人が同じくらいやっているのが平等だ、というふうに考えられていたんだけれども、実は、そのタスクが介護される側にとってケアになるためには、そこまでの「段取り力」が必要で……。
 
上野 だんだん、使っていると使いよくなるでしょう(笑)。
 
平山 それが必要だねっていうことで、で、段取りの部分を男の人が率先してやることはほとんどない。
 
上野 そうなんですよ。育児も同じ。言われたタスクはやるけども、自ら進んで、今晩のめしは、何と何を使って、何を買ってくればいいかというタスクに先立つ段取りはやらないのが男。
 
平山 そうですね。
 
上野 その段取りをいつの間にか、見えないところでやってくれているのが、実は、その息子介護者の妻だったり、姉妹だったり。これをきちんと書いてくれたと、信田さよ子さんが感動していました。
 
平山 ほんとですか。
 
上野 うん。段取りは、まず、見えない。見えないだけじゃなくて、段取りしてもらっているその息子が、それを自覚していない。それから、段取りしている本人たちも、自分がそんな後方支援をちゃんとやっているということを自覚していない。見えないものを見えるようにしたのは、理論の力よね。
 
平山 そうですね。なかには自覚的にやっている妻とか、姉妹もいるんですよ。ただ、そこで女性が「私、やってます」と主張すると、怒っちゃう男の人がいっぱいいる。俺がコントロールしている介護のテリトリーに、「私、やってます」という人が出てきちゃうと、自分のテリトリーを侵されたようでちょっと気に入らないと。
なので、そういうことを見越して、やっていることをそれと見せつけないようにする妻や姉妹もいて。もちろん、自覚的じゃない場合もあるんだけど、自覚的な場合でも、本人が申告することはない「段取り」っていうのが実はある。
 
上野 ……という、見えないものをちゃんと見える化したという功績は大きいですね。でも、男って、そうやってまで段取りしてもらっている現実を否認したいんですね。
 
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