ジェンダー対話シリーズ 連載・読み物

《ジェンダー対話シリーズ》第3回 平山亮×上野千鶴子:息子の「生きづらさ」? 男性介護に見る「男らしさ」の病 ――『介護する息子たち』刊行記念トーク

 
 

[介護ときょうだい関係]

 
上野 育児と介護の決定的な違いは、育児はパパとママという責任者がはっきりわかるけども、介護は、きょうだいが複数いるから、誰がするか、どうやって分担するかということが自動的には決まらないっていうことなのよね。そうすると、きょうだいがいる場合・いない場合、そのきょうだいが兄弟の場合・姉妹の場合、それから一人しかきょうだいがいない場合・何人もいる場合、それが全部違うということが、ちゃんと、英語圏では比較研究できているのね。
 
平山 そうなんですよね。
 
上野 すごい蓄積ですね。それで、うわぁ、おもしろいなと思ったのは、「息子介護者に姉妹が一人いる場合が、きょうだい構成の中では最悪」って書いてありました。姉妹がいたら楽だろうと思ったら。
 
平山 最悪とまで言ってましたっけ、私。
 
上野 「大変だ」って。あ、また超訳しちゃった(笑)。
 
平山 やっぱり男の人って、できないことが多いわけですよ、介護の場面で。そうすると、どうしても、女の人が手を出してしまう。このまま放っておくと親がちょっとまずいことになる、と思って、やってしまう。そうすると、それが大変気に入らないという男はたくさんいる。
男きょうだいだけで介護をやっていると、できないということを自分に露骨に見せてくる女きょうだいというのはいないんだけれども、女きょうだいが一人入ってくることによって、自分たちの「できない」が、それこそ見える化させられてしまう。そこで不快に思っちゃう、という。
 
上野 だから、姉妹がいたら助かるだろうと思ったら、逆なんだって。おもしろいね、こういう研究がちゃんとあるのね。
 
平山 そうなんですね。
 
上野 日本も介護問題が、これだけ大きな問題になってきているのに、こんなふうに緻密な、きょうだい間の関係とか、きょうだい構成による比較とか、そういう研究の厚みがほとんどないでしょう。一つの理由は、研究者の層が圧倒的に足りない。研究費がないからというのもあるんだけどね。それともう一つ、「家族」という言葉で何もかも覆われて、続柄やジェンダーにきちんと突っ込んでいってくれる人がいない。あと、やっぱり、きょうだい関係に立ち入るまでに、壁になっていたのは「嫁」っていうものなのよ、日本では。
 
平山 うーん。
 
上野 だから、英語圏できょうだい関係がこれだけ研究の主題になるということは、血縁の子どもたちが介護の主役になるからで、日本みたいに、まず「嫁」という大きな壁があって、そこを越さないときょうだい間の関係にいかないというふうにならなかったからなのかなと思ったんだけど。
 
平山 それが、欧米で進んだ理由?
 
上野 欧米で、きょうだい関係が主題化した理由。
 
平山 ああ。日本って今までは、誰が介護者になるべきかというのが、ほとんど自動的にわかっちゃっていたから。息子の妻がまずやるべきという規範があったので。だから、親の世話を誰がするかについて、きょうだいの間で交渉するなんていうのは、かつての日本ではほぼ不要だったわけですけども、だんだんそういう規範も力を失ってきたから、そうすると日本でも、今度はきょうだいの間で誰が何をやるかという交渉が研究のテーマにならざるをえない。
 
上野 ……得ませんよね。介護におけるきょうだい関係の研究が、既に英語圏ではこれだけの蓄積があるということにはびっくりしました。
 

[きょうだいリスク]

 
上野 それで、きょうだい関係でどういうことがリスクになるかという、それが2番目に書かれた本(『きょうだいリスク』)で、怖い本なのよね。兄弟のなかで誰が家族介護者になる可能性が高いかというと、恐ろしいことが書いてありました。私の口から言いたくない。
 
平山 いつも言ってるじゃないですか(笑)。
 
上野 本人から言って。
 
平山 大変過激な言葉なんですけれども、「潰してもいい子」が、介護役割を担わされる。親にとって「潰してもいい子」のところに介護の役割が回ってくる、と言って、私は親の皆さんから嫌われているんです。
 
上野 ひんしゅく買ったでしょう。
 
平山 そう。
 
上野 うん。でも、逆に受けたのは……。
 
平山 その「潰されてしまった子」たち。
 
上野 「やっぱり、そうだったんだ」って。
 
平山 そうそう。だから、よくぞ言ってくれた、というのは、その潰されてしまったというか、きょうだいのなかで貧乏くじを引かされ、介護役割を回されてしまった子。その子たちからは圧倒的支持、で、親からは圧倒的不支持という。
 
上野 だから、これ、危険な本なのよね。
 
平山 そうなんです。
 
上野 例えば長男で、銘柄大学出て、ブランド企業に勤めて、ちゃんと妻も子どももいるという息子は、潰せないのよね。
 
平山 そうです。親にとっては、それは投資した子なので。
 
上野 ああ、投資効果が上がった子と、上がらない子の違いなのか。
 
平山 そうですね。最初は長男に期待をかけて、一生懸命投資するんだけど、後々次男のほうが伸びてきちゃったら、「やっぱり潰していいのは長男」ってなりますと。でも、そんなね……、ちょっといいですか。
 
上野 はいはい。
 
平山 ちょっと誤解があるようなので言っておきたいんですけれども、親が、「この子なら潰してもいい」って明確に思っているわけじゃないんですよ。ただ、どうもそういうふうに見えるのは、やっぱり投資効果があった子が介護に煩わされることがないように、って親が配慮しているから。そうすると、そうでない子は、介護に煩わされざるをえない状況に追い込まれるから、結果的に「潰してもいい子」という扱いを受けているように見えると言っていただけなので、「潰しちまえ」って、最初から思っているかというと……。
 
上野 そうか。私は介護されている親の側を研究対象にしているから、親を見るとやっぱりそこで直観的な打算が働くんだと思う。例えば、いきおくれのシングルの娘なんか、潰してOKとか。
 
平山 それは、私には何とも……(笑)。
 

[「男らしさ」の病]

 
上野 こうやって人が見たくない現実に突っ込んでいくと、怖いことも嫌なこともどんどん表にバクロされてきて、最後に行きあたったのは、「男という病」でしたね。
 
平山 そうですね。実は、私の本丸というか、最大の関心がここにある。もう、最終章なんか、息子介護、どこへ行っちゃったんだっていうくらい、男の何が問題なのかについて論じ続けてますね。
 
上野 介護する息子たちを通じて、「男らしさ」の病というのが浮かび上がってくる。春日キスヨさんが、シングルファザーを研究することを通じて、男という病を浮かび上がらせるのと同じように、ケアは、切り口としては男にとってのアキレス腱ですね。
 
平山 うん、そうですね。
 
上野 先ほどの発言で、息子介護の特徴として親を自立させたいという志向があるということでしたね。自立させたいっていうのは、親が自分よりも弱い存在だと思いたくないから?
 
平山 そうですね。
 
上野 思った途端に……。
 
平山 支配してしまいたい。
 
上野 支配者になる。
 
平山 一見、聞こえはいいんですよ、「親の自立を保たせたい」という目標は。でも、何で自立させておきたいかというと、親を自分より劣った存在に見たくない、その意味で対等だと見なしたいという思いがある。そう言ってたのが、第2章で紹介したアメリカの介護研究者、サラ・マシューズですよね。彼女は、息子の「親を自立させておきたい」という志向をすごく評価しているんですよね、だけれども、相手が自立していると思えれば、その相手を自分と対等な存在と見なせるはず、と考えてしまうことは、逆に言えば、その相手が自立できないって思った瞬間に、「この人は、自分とは対等な、一人の人間として扱わなくていいんだ」っていう考えがあることの裏返しですよね。
 
上野 私はね、日本はもっと悪いんじゃないかと思う。なぜかって、「自立」ってアメリカ人には大きなキーワードだけど、日本じゃ、息子は親と対等と思うどころか、一生「ボクちゃん、息子のままでいたい」って思いたいんじゃない。
 
平山 そういう人もいますね。うん。この『介護する息子たち』の研究で見出した「男らしさの病」というのは、依存的な他者を支配したくなる欲求から逃れられない、ということ。それを繰り返し、男にとってはすごく嫌な感じで書いているというね。
 
上野 そうよね。マウンティングして、自分よりも弱者だと思ったら、どれだけつけ込んでも構わないと……。
 
平山 私は、つけ込みたがる男たちに逆につけ込んだわけでしてね、インタビューのなかで喋らせるために。
 
上野 はいはい。弱者パフォーマンスをしたんですよね。
 
平山 そうです。
 
上野 男女関係でも同じですよ。マウンティングできる相手を選んで、自分より弱者だと思えば、どこまでも、相手につけ込むんです。
 
平山 そうですね。
 
上野 父親による子どもの虐待でも、息子が中学生になると、父親の暴力はぱたっと止むんだって。だって、殴りかえされるもの。息子のほうが強いからね。
 
平山 ある意味、すごいですよね。男として成長していく間にすごく訓練されるのは、今のこの状況で誰が自分より弱いかを、ちゃんと判定できる能力ですよね。
 
上野 そうそう。一瞬にしてペッキングオーダー(つつき順位)が決まるでしょう。それで、振る舞い方、口のきき方、自分の立ち位置、全部決まるのよね。
 
平山 うん。それがすごいなというのは思いますよね。
 
上野 そうか、インタビューのときも、そのスキルで、ぺッキングオーダーを一瞬のうちに決めたわけね。
 
平山 そうそう。男がそれに長けているっていうことがわかっていれば、逆にそういう男の性(さが)を利用できることもあると。
 

[弱者を弱者のままに尊重するということ]

 
上野 高口光子さんという介護業界のカリスマがいますが、その人が最近書いた本に、おもしろいことが書いてあった。「介護職も、じいさんやばあさんを思いどおりにしたくなる生きものや」って。「自分が保護する対象になった生きものは、思うようにしたいもんや」、その思うようにしたくなる気持ちをどうやって抑えるかが大事だって書いてあった。
 
平山 うんうん。ケアと支配って紙一重というか、すごい薄い紙一枚の裏表じゃないですか。どこからがケアでどこからが支配か、よくわからないくらいなのがケアですよね。
 
上野 その「思うようにしたいもんだ」というときに、赤の他人のじいさん、ばあさんよりも、自分の血のつながった親や子なら、もっと思うようにしたいでしょう。そこに「あなたのために」という口実がついて、思うようにならないとキレるでしょう。
 
平山 そうですね。
 
上野 その点では、ケアと支配の欲望は、男だけに限らない。そういう立場に立った途端、ケアする側の人間は、依存的な相手に権力を振るえるから。
 
平山 だから、ケアする側は常に権力を振るえるんだとしたら、弱者を支配することから逃れられない男がケアする側に立つのは、大変に怖いことでもあって。だからこそ私は、本の終章で、男がケアに携わるということは、支配への志向をどう放棄するのかを学ぶこと、それを迫られることでもある、と書いたんです。男性がケアをする経験について研究する一つの意義は、そこですよね。
 
上野 口で言うのはやさしいけど、権力志向が男性性の核心にあると考えると……。
 
次ページ:本質主義に陥らないこと――doing gender

1 2 3 4
ジェンダー対話シリーズ

About The Author

「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というスタンスで、いろいろな方にご登場いただきます。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信を持って語ることができる場が必要です。そうした場所のひとつとなり、みなさまが身近な人たちと何気なく話すきっかけになることを願いつつ。