ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 21〉両論併記をうまく使うための注意点

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2019/4/2By

 
新聞等でよく見かける「両論併記」の問題点を、異論対論という両論併記スタイルで議論……? 前回更新から約1年ぶりにご登場。本連載をまとめた単行本『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』とあわせて、ふたたび一緒に悩んでみてください。[編集部]
 
 
これは報道をめぐる答えの出ない難問ではないか――。そんな事例に出会ったとき、安易な二項対立に陥り、思考停止してはいけない。一見すると「難問」に思える事例も、視点を変えてみれば、解決への筋道がきっと見えてくる。さあ、一緒に考えましょう。
 

1:: 思考実験

 
「許しがたい偏向報道だ。事実誤認も甚だしい。責任者を出せ」
 すごい剣幕でまくし立てる甲高い声が耳に突き刺さり、思わず受話器を耳から数センチ離したが、抗議の怒声はとげとげしく響いてくる。
「嫌がらせの電話が引きも切らない。ネットも炎上して収拾不能だ。きみたちの悪意に満ちた断罪報道で、わたしは社会的に抹殺されようしている。これを報道被害というのだ」
 わたしは、ニュースサイトの編集長に就いて半年になるが、この手の電話を受けたのは初めてである。
 先月のことだった。編集会議で、ホロコースト否定論がソーシャルメディアでそれなりに拡散していることが話題になった。歴史的事実に疑義を唱え、過激な書き込みをして人気を博する論客がいる。「ガス室は本当にあったのか」のような扇情的な書き込みに、面白半分で「いいね!」のボタンを押す人が増えるのは問題だ。
 わたしたちは、ひとりの有力な論客に的を絞った。彼は多数の著作がある現役の大学教授だ。
 知り合いの研究者に確認したところ、彼の著作はどれも「トンデモ本」のたぐいで、学会ではまったく相手にされていない。粘着質で自己承認の欲求が強く、「敵」と認定した学者やジャーナリストを執拗に罵倒し続けることでも知られている。
 先日も自分の批判者を「アホ学者とバカ記者を制裁してくれる真の日本人はいないだろうか」と暴力を煽動するような発言もしていた。
 論客氏に名指しで攻撃されている人たちを編集部員が直接取材し、被害の実態を伝える特集記事を掲載した。
 記事を公開した直後、論客氏は編集部に苛烈な抗議の電話をしてきたが、毅然として突っぱねなければならない。
「記事には絶対の自信をもっています。偏向報道という批判は心外です。事実誤認というなら具体的に根拠を示してください」
「ほう。いま、なんと言いましたか」論客氏は尋ねてきたので、わたしは同じ言葉をゆっくり繰り返した。すると、彼は一転して穏やかな口調で言った。
「わかりました。では、あの記事がどのように偏向し、どういう事実誤認を犯しているかを、検証する文書をお送りします。表現を一言一句変えずに掲載してくださいますね」
 そんな約束はできないと拒んだが、論客氏は続けた。
「ネットメディアであろうと、報道を掲げるニュースサイトには公共的な使命があります。恣意的な印象操作は許されません。一方的なバッシング報道をしておいて、反論を掲載しないのはジャーナリストとして失格です。いかにも少数意見でしょうが、わたしにも言論の自由はあるのですよ」
「あなたの意見を載せるか載せないかは、編集部が判断することです」
 論客氏は、言葉を噛みしめるように、落ち着いた口調で言った。
「わかりました。ならば、わたしとしては譲歩する用意があります。わたしの意見だけを載せろとは言いません。わたしの意見に批判的な学者や記者の意見と、わたしの意見を並べてください。正々堂々と両論併記してもらいましょう。最終な判断を読者に委ねるというのが最もフェアな報道ではないでしょうか」
「あなたのような歴史修正主義者の……」と言いかけたとき、「ちょっと待ちなさい」と論客氏から言葉を遮られた。
「まだ反論も読んでいないのに、わたしのことを最初から歴史修正主義者と決めてかかるのは、先入観が強くありませんか。思い込みではなく、事実にもとづいて論争するのが言論人の作法です。『わたしはあなたの意見には反対だが、あなたがそれを主張する権利を命をかけて守る』。そんなボルテールの格言を思い出してくだささい」
 彼の言い分にも一理あるような気もするが、両論併記のようなスタイルで報道してよいだろうか。

    [A]両論併記も悪くない。読者の判断を仰ぐのは悪くない。2つの意見を並べて書けば、どちらが正しいかは一目瞭然だ。
    [B]このケースでの両論併記は絶対にだめだ。歴史修正主義者の声をまともに取りあげれば勘違いする人が増やしてしまう。

 

2:: 異論対論

抜き差しならないジレンマの構造をあぶり出し、問題をより深く考えるために、対立する考え方を正面からぶつけあってみる。
 
[両論併記する立場] 「言論の自由」はすべての人に認められている。地動説や進化論も、当時は激しい批判を浴びる少数意見だった。極論すれば、妄想や極論も抹殺されるべきではない。
 
[両論併記しない立場] 「言論の自由」は権力を抑制する市民の権利であり、売名やデマをまき散らすための根拠にはならない。ファシズムは自由と民主主義の敵であり、絶対に彼らに利用されてはいけない。
 
[両論併記する立場からの反論] 片方の意見が極論で、もう片方の意見が穏当という場合、どう考えても穏当な意見が支持を得るはずだ。判断するのは読者だという論客氏の見解は間違っていない。両論併記して、読者にアンケートを取ってみよう。きっと論客氏にとって残念な結果になるだろう。
 
[両論併記しない立場からの反論] 穏健な意見と極端な意見とを両論併記するのは危険だ。たとえば、平等主義者の意見の隣に、奴隷制度を礼賛する意見を載せると、奴隷制度があたかも検討に値するかのような印象を与えかねない。そんな報道は社会を誤った方向に誘導してしまう。
 
[両論併記する立場からの再反論] 論客氏を「歴史修正主義者」と決めてかかるのは、たしかにフェアではなかった。おそらく彼は、わたしたちから論戦を挑まれたと思っている。反論の機会を与えるべきだ。対話の回路を閉ざしたり、「逃げた」と思われたりするのはまずい。
 
[両論併記しない立場からの再反論] ネットで書き散らしている文章を見れば、どう見ても論客氏は歴史修正主義者だ。そんな人物から言論人の作法を教えられる筋合いはない。彼の狙いは論戦で勝つことではなく、人目を引くこと。両論併記は格好の宣伝材料になる。罠にはまってはいけない。
 
 
次ページ:両論併記が機能する場面を腑分けしてみると……

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Go to Top