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坂野 徹 編著
『帝国を調べる 植民地フィールドワークの科学史』
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序論 「帝国日本」「ポスト帝国」時代のフィールドワークを問い直す
坂野 徹
1 本書のねらい
本書は、「帝国日本」「ポスト帝国」時代[1]に東アジア各地で行われたフィールドワークや学術調査を、科学史あるいは学問史の観点から検討しようとするものである。
周知のように、一九九〇年代以降、日本では、かつて支配下に置いたアジア各地の植民地・占領地の歴史に関する膨大な研究が積み重ねられてきた。こうした植民地・占領地史研究の進展にくわえ、近年では、日本敗戦=植民地帝国崩壊後におけるアジア各国の「戦後」史に関する研究も盛んになっており、「帝国日本」「ポスト帝国」史研究は、現在、歴史研究の大きな潮流となっている。
こうした研究の展開と連動して、九〇年代には、科学史家を含むさまざまな領域の研究者によって、アジア各地の植民地・占領地における学術活動に関する歴史研究も本格的にはじまった。その後、生物学、物理学、化学、医学、工学などのいわゆる科学技術の領域から、歴史学、政治学、法学、経済学などの人文社会科学の領域まで、かつて植民地・占領地で行われたさまざまな分野の学術活動についての検討が進められるとともに、現地に設立された研究教育機関、博物館の歴史など、多様な問題系をめぐって「帝国日本」の学知の政治性が問う研究が登場するようになった[2]。こうした「帝国日本」時代の学術活動への関心は、かつて日本の支配下に置かれた東アジア諸国にも共有されており、韓国・台湾・中国においても、植民地・占領地時代の学術活動に関する歴史研究が盛んになっている。本書は、こうした研究潮流に棹さしつつ、学術活動のなかでも特にフィールドワークに焦点を当て、その歴史的意味を考えることを企図している。
いうまでもなく、フィールド系の学問領域では、日本国内を含むフィールドワークや学術調査に関する学史研究は古くから存在する。とりわけ民族学(文化/社会人類学)や民俗学においては、現地調査が大きな位置を占めているため、これらの学問領域の学史研究は必然的にフィールドワークの歴史を含むものとなる。
また、かつて今西錦司らを擁し、「探検大学」とも称された京都大学における学術調査の歴史について、関係者を中心に、研究が一定積み重ねられてきたことも見逃せない。いずれにせよ、先に述べた「帝国日本」「ポスト帝国」史研究の潮流とは別のところで、従来からフィールドワークの歴史に関わる研究が進められてきたことは確かである[3]。
だが、先に述べた「帝国日本」の学知という問題意識にもとづき、(特に海外における)フィールドワークの政治性を問うような研究が登場したのはやはり九〇年代以降のことである。そして、こうした研究動向をリードしたのは、古くから植民地主義との関係が指摘されてきた民族学(文化/社会人類学)に関する学史研究であった[4]。
しかし、ここで注意したいのは、民族学(文化/社会人類学)の学史以外に視野を広げてみると、「帝国日本」のフィールドワークの歴史を主題とした研究は必ずしも多くないということである。先に述べたとおり、本書は九〇年代以降の植民地・占領地史研究の蓄積を踏まえているが、管見の限り、本書で扱うさまざまな学問領域におけるフィールドワークの展開を「帝国日本」「ポスト帝国」史のなかに位置づけるような著作は─研究論文はともあれ─ほぼ皆無に近い[5]。本書では、自然・人文・社会の区別をこえた多様な学問領域におけるフィールドワークを取り上げることになるが、そうした意味で、本書は、学問領域横断的な形でフィールドワークと「帝国」との関わりを考えようとする、日本ではじめての研究書だといってよい。
2 本書の視角
本書で扱われる学問領域は、考古学、歴史学、民俗学、文化人類学(民族学)、地理学、薬理学、生物学である。人文科学から自然科学まで、また、いわゆるフィールド系の学問から、一見するとフィールドワークとは無縁にも思える学問まで、各章が分析対象とする領域は多種多様だが、それぞれの学問領域のなかでフィールドワークが果たした役割が分析されることになる。
また、本書がカバーする時代は、一九世紀末から戦後、おおむね一九六〇年代までである。基本的には「帝国日本」時代の植民地・占領地におけるフィールドワークが中心となるが(第一章─第四章)、最後の二章には、「ポスト帝国」時代のフィールドワークに関する論考が置かれる(第五章・第六章)。各章で検討対象となるフィールドワークが実施された地域は、中国大陸および日本国内(第一章)、朝鮮半島(第二章・第三章)、パラオ(第四章)、北海道(第五章)、瀬戸内地方・沖縄・韓国(第六章)だが、フィールド研究者の多くは一ヶ所に留まらず、「帝国」各地を移動しながら調査を実施したので、各章では、必要に応じて彼らの地域間での移動をめぐる問題にも目を向けている[6]。
本書で検討するフィールドワークのほとんどは植民地や占領地を舞台に行われたものである以上、当然そこにはさまざまな形で植民地状況が影を落としている。「調査する側」と「調査される側」のあいだの不均衡な関係や、そこで生じるさまざまな問題(宮本常一「調査地被害」)が指摘されて既に久しいが、植民地・占領地で行われるフィールド調査において、それはより先鋭的な形で現れることになる。しかもまた、それは調査する側の人間=研究者と、調査される側の人間=現地住民のあいだの関係にとどまらない。宗主国の研究者とその調査対象(当然、それは人間とは限らない)のあいだには、植民地出身の研究者を含めてさまざまなエージェントが存在するが、各章では、こうした多様なエージェントをめぐる問題も検討されている。
ただし、各章におけるフィールドワークに対する捉え方は大きく異なっている。第一章が扱うのは文献史学を越える可能性をもつ(と考えられた)方法論としてのフィールドワークであるのに対して、第二章におけるフィールドワークとは、極論すれば文献の記述を再確認するための作業にすぎない。さらに第三章におけるフィールドワークは、実験研究と相補うものであり、第四章においては植民地での生活総体がフィールドワークだということになる。また、第五章が焦点を当てるのは研究者のフィールドノートなどから明らかになるフィールドワークの実態であり、第六章が主題化するのは、フィールドワーカーが各地を移動する姿である。
もちろん、これは、まずは各章が扱う学問分野によってフィールドワークの捉え方や方法論に違いがあったからだともいえるが、本書ではこうしたフィールドワークの方法論上の問題について議論することはできなかった。だが、少なくとも本書を通読することで、植民地や占領地などで進められた多様なフィールドワークの姿が浮かび上がってくるはずである。本書各章での分析をきっかけに、フィールドワークの方法論について、さらなる議論が生まれることを期待している。
3 各章の内容
ここで本書への導入として、各章の内容を簡単に紹介しよう。
第一章(菊地暁「民俗学者・水野清一」)が取り上げるのは、中国の雲高(雲崗)石窟の発掘調査や京大イラン・アフガニスタン・パキスタン学術調査などで知られる東洋考古学者・水野清一と彼を取り巻く研究者である。ただし、ここで考察の対象となるのは、水野たちの考古学上の業績ではない。本章の題名が示すとおり、本章は、「「考古学者・水野清一」の陰に忘れられた「民俗学者・水野清一」」に光を当てようとする試みである。
著者によれば、一九三〇─四〇年代まで時代を遡ると、そこには現在では考えられないような、考古学と民俗学の距離感と協同が存在した。この時代、京大文学部の史学科に学んだ水野清一を含む若き研究者たちは、民俗学に対して並々ならぬ関心を抱いており、彼らにとって、考古学と民俗学は、ともにフィールドワークを基盤とし、かつ非文字資料を扱い人類文化史の再構成を目指す「新しい歴史学」にほかならなかった。
かくして、本章では、水野と彼の周辺にいた考古学者・民俗学者の学術活動が、「戦前期」「戦中期」「占領期」に分けて分析されていく。第2節(戦前期)で、水野が学んだ京大史学科が標榜した「文化史学」と民俗学との近さが明らかにされ、第3節(戦中期)では、戦時中、中国大陸でフィールドワークを盛んに進めた水野における民俗学的関心があぶり出される。そしてさらに、第4節(占領期)では、水野を介した京大の研究者と「旅の巨人」宮本常一(民俗学者)の接近がもつ意味が考察される。
現在でも、例えば博物館などでは、民俗学者と考古学者の協同が皆無とはいえないだろうが、本章が指摘するとおり、同じフィールド系の学問でありながら、戦後、考古学と民俗学はある意味で対照的な道を歩むことになった。学問の制度化の意味を改めて考えさせる論考である。
続く第二章(アルノ・ナンタ「植民地考古学・歴史学・博物館」)は、第一章と同じく、考古学・歴史学におけるフィールドワークを扱っているが、だいぶおもむきが異なる。ここで問題とされるのは、植民地統治時代の朝鮮を舞台とした考古学・歴史学研究とナショナリズム(ナショナル・アイデンティティの創造)、植民地統治の関係である。
本章は、大韓帝国期から日韓併合(一九一〇年)を経て、日本の植民地支配が終わる四五年までの朝鮮半島における考古学研究の展開を、初期におけるフィールドワーク(第2節)、日韓併合後、総督府主導で行われた考古学研究の制度化(第3節)、その後の発掘事業の展開と博物館の設立(第4節)、考古学関係の出版物(第5節)という順序で丹念に追っていく。本章の議論を通じて明らかにされるのは、植民地朝鮮における考古学研究が朝鮮半島の過去を古代から連綿と続く「一国史」として捉え、(解放後の)朝鮮人のナショナル・アイデンティティにも一定の影響を与えたという事実である。
そして、ここで注目されるのは、こうした朝鮮半島におけるフィールドワーク=発掘調査が、結局のところ、文献資料によって「既に知られた」知識を再確認するにとどまったという指摘である。第一章に登場する一九三〇年代の京大文化史学派において、フィールドワークは文献史学の限界性を越える方法論と位置づけられていたが、ここではフィールドワークとは古文献の記述を再確認するためのものであった。
そして、第三章(愼蒼健「フィールドワークと実験室科学の接合」)は、やはり日本統治時代の朝鮮半島における学知を扱ったものである。先の二つが人文科学分野であったのに対して、ここで焦点が当てられるのは、京城帝大における薬理学研究の誕生とフィールドワークの関係である。
著者によれば、植民地統治下の朝鮮において、一九一〇年代から総督府のさまざまなセクターで薬用植物に関するフィールドワーク(現地医療者に対する聞き取りを含む)と文献調査が進められていた(第2節─第4節)。そこに日本の「内地」および満洲で進められた漢薬に対する実験研究(第5節)が合流する形(「フィールドワークと実験室科学の接合」)で、京城帝大における漢薬に関する薬理学的研究は成立したのだという。そして、京城帝大の薬理学研究は、一九三〇年以降、帝国日本の大陸進出と連動して、中国大陸でのフィールドワークや軍事用医薬品の研究開発に邁進していくことになる。京城帝大薬理学教室の研究史は、受け身ではなく、主体的に政治に関与することで研究を拡大していく歴史なのであった(第6節)。
ここでは、第一章、第二章とはまた違った形でのフィールドワークの姿が描かれている。すなわち、菊地・ナンタが問題としていたのは、フィールドワークと文献研究の関係であったが、ここで描き出されるのは実験室科学を補うものとして文献調査とフィールドワークが求められる姿である。
同じく自然科学分野のフィールドワークを扱った第四章(坂野徹「珊瑚礁・旅・島民」)は、戦前、南洋群島と呼ばれたミクロネシア・パラオに置かれたパラオ熱帯生物研究所の学術活動について考えようとするものである。パラオ研には、「内地」から若い研究者が派遣され、現地で珊瑚礁を中心とする熱帯生物の研究にあたった。
本章は、植民地統治下で進められたパラオ研における研究生活全てをフィールドワークと捉える。パラオ研のような臨海実験所においては、「野外調査」と「実験室」の区分は明確ではなく、しかも海外植民地での研究生活はそれ自体が一種のフィールドワークとみなせるという判断からである。ここでは、研究所設立の背景を確認した上で(第2節)、現地住民との交流を含めた、研究員のパラオでの研究生活が詳細に検討される(第3節)。そして、一九三〇年代末以降、研究所が戦時体制に巻き込まれ、ついには閉鎖されるとともに、元研究員たちが東南アジアの占領地における占領政策に関わった局面(第4節)と、研究所の遺産がアメリカに利用されていく事態(第5節)が描き出されることになる。
本章がおもに依拠するのは(元)研究員たちが戦後も刊行し続けたパラオ研の同窓会誌(『岩山会会報』)だが、著者は、それをひとつの偉大なフィールドノートと呼んでいる。
以上ここまでが「帝国日本」時代のフィールドワークに関する章であったのに対して、以下の二つの章が扱うのは「ポスト帝国」時代のフィールドワークである。
まず第五章(木名瀬高嗣「「アイヌ民族綜合調査」とは何だったのか」)が焦点を当てるのは、日本敗戦後の北海道を舞台とした「アイヌ民族綜合調査」(一九五一─五四年)とそこで泉靖一(文化人類学者)が果たした役割である。
本章は大きく二つの部分からなる。まず第2節では、家系調査にもとづきアイヌ社会に「固有」の構造と機能を再構成しようとする「綜合調査」の試みが本来的に「仮構」でしかないこと、この共同研究には、中央の「文化人類学」者が、「北海道諸学者」(仮に「民族/民俗学」者と呼ばれる)とアイヌの「ネイティヴ・インフォーマント」という二重のエージェントを媒介としてアイヌを知的に搾取・収奪する構造が存在したことが指摘される。
だが、著者によれば、以上はあくまでも活字化された論文などから導き出された分析であり、その意味で本章の真骨頂は第3節にある。ここで分析の対象となるのは、泉靖一のアイヌ調査に関する「挫折」体験─「綜合調査」の後半、泉がひとりのアイヌの老女から罵倒され、アイヌ研究から撤退したというエピソード─と呼ばれるものである。しかし、著者は、泉靖一の遺したフィールドノートや泉の調査に同行した研究者からの私信などにもとづいて、実際の「挫折」はもっと後のことである可能性が高く、しかもこの「挫折」譚が、一九六〇年代末における全共闘運動などを背景とした文化人類学における植民地主義批判の流れのなかで登場したことを明らかにする。
そして、最後の第六章(泉水英計「アメリカ人地理学者による冷戦期東アジアのフィールド調査」)が分析の俎上にあげるのは、「帝国日本」に代わる新たな「帝国」として東アジア地域の覇権を握ったアメリカの地理学者(F・ピッツ)のフィールドワークである。フィールド研究者の移動の問題は、ここまでの各章でも触れられていたが、本章は、それを中心的テーマとしている。
日本敗戦間際の一九四五年にアメリカ海軍東洋語学校を卒業後、ミシガン大学大学院で学んだピッツは、五〇年代から六〇年代にかけて、瀬戸内、沖縄、韓国で農村調査を実施した。本章が注目するのは、戦時中、対日戦争のためにアメリカで急速に発展した日本研究が沖縄研究、さらには韓国研究へとつながっていく姿である。
ピッツが瀬戸内、沖縄、韓国で実施した調査は基本的に実践的な目的と結びついていたが、著者はそこに単純な政治性(アメリカ政府や軍の要請)を読み込んでよしとはしない。なぜなら、ピッツは現地(沖縄)の統治にとって不利な調査をも辞さなかったからだ。むしろ、ここで著者が強調するのは、研究者が「地域」を結んで移動することは(その研究者が属する国家が)優勢であることを示しており、逆に「地域」に留まることこそが「劣位」の証だということである。
翻って考えてみると、同種の構造は、本書の他の章で検討されたフィールドワークにも存在したし─例えば、植民地朝鮮における日本人研究者(さらにそれは細分化できる)と朝鮮人研究者の関係(第二章)や、アイヌ研究における中央の「文化人類学」者と「北海道諸学者」の関係(第五章)など─、さらに、現在の学術研究のさまざまな局面にも見出すことができるだろう。その意味で、ここでの著者の指摘は、「帝国日本」にとどまらない、フィールドワークや地域研究の覇権をめぐる問題を考えるための重要な視座を提示しているように思われる。
なお、本書は全体としてストーリー展開を入念に検討したうえで構成を決めているが、もともと各論考は独立の論文として執筆されている。それゆえ、興味のある章から読んでいただいても理解可能な内容となっていることをここでお伝えしておきたい。
注
[1]本論では、「帝国日本」崩壊後の時期を指す際、(少々座りのよくない表現だが)「ポスト帝国」時代という用語を用いることにする。ここには、もはや「帝国」とは呼びがたいが、同時に「帝国」の遺産がさまざまな形で残っている時代といった意味を込めている。
[2]その一つの達成が、『岩波講座「帝国」日本の学知』全八巻だといえる。ただし、科学技術関係の巻が、「実学としての科学技術」(第七巻)だけであることなど(田中編 二〇〇六)、この講座で扱われている学問領域に片寄りがあることも否めない。
[3]ここでは、個別の学問分野におけるフィールドワークの歴史に触れた研究を羅列する代わりに、こうした学問領域での著名なフィールドワーカーを主人公とした代表的著作として、中薗英助『鳥居龍蔵伝─アジアを走破した人類学者』、佐野眞一『旅する巨人─宮本常一と渋沢敬三』、斎藤清明『今西錦司伝─「すみわけ」から自然学へ』の三冊を挙げておく。こうした著作をみれば、人類学(民族学)、民俗学、京都学派におけるフィールドワークが占める役割の大きさがわかる(中薗 一九九五; 佐野 一九九六; 斎藤 二〇一四)。
[4]九〇年代以降、刊行された日本の民族学(人類学)史に関する多くの歴史研究のなかから、ここでは特に「学術調査」を表題にもつ著作として、山路勝彦『近代日本の海外学術調査』(二〇〇六)と山路勝彦編『日本の人類学─植民地主義・異文化研究・学術調査の歴史』(二〇一一)の二冊を挙げておく。
[5]あくまでも国内調査が対象だが、「ポスト帝国」時代のフィールドワークを主題とした研究として、拙著『フィールドワークの戦後史─宮本常一と九学会連合』(二〇一一)がある。
[6]残念ながら、台湾でのフィールドワークを扱う章を置くことはできなかった。
参考文献
斎藤清明(二〇一四)『今西錦司伝─「すみわけ」から自然学へ』ミネルヴァ書房
坂野徹(二〇一一)『フィールドワークの戦後史─宮本常一と九学会連合』吉川弘文館
佐野眞一(一九九六)『旅する巨人─宮本常一と渋沢敬三』文藝春秋
田中耕司編(二〇〇六)『岩波講座「帝国」日本の学知(第七巻)実学としての科学技術』岩波書店
中薗英助(一九九五)『鳥居龍蔵伝─アジアを走破した人類学者』岩波書店
山路勝彦(二〇〇六)『近代日本の海外学術調査』山川出版社
山路勝彦編(二〇一一)『日本の人類学─植民地主義・異文化研究・学術調査の歴史』関西学院大学出版会
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》坂野徹著『〈島〉の科学者 パラオ熱帯生物研究所と帝国日本の南洋研究』のたちよみ
》坂野徹・塚原東吾 編著『帝国日本の科学思想史』のたちよみ