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『人工知能と経済』

 
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山本 勲 編著
『人工知能と経済』

「序章 本書の問題意識と概要」(pdfファイルへのリンク)〉
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序章 本書の問題意識と概要
 
山本 勲
 
本書の問題意識
 人工知能(Artificial Intelligence; AI)をはじめとした新しい技術の普及は、将来の社会経済の構造や人々の行動をどのように変えるのだろうか。新たなツールやサービスによって人々の生活や仕事が便利になったり、これまでにないような新たなビジネスや娯楽が生まれたりするなど、プラスのシナリオが描かれることが多い。一方、技術に人々の雇用が奪われてしまったり、深刻な所得格差が生じてしまったりするなどのマイナスのシナリオも描かれることも少なくない。さまざまな技術や側面に焦点が当てられ、さまざまなタイムスパンを想定した議論がなされている。
 こうした関心の高まりは、2016 年頃から急速にみられるようになってきた。例えば、日本経済新聞・朝刊を「人工知能」という用語で記事検索をすると、2014 年に107 件だったものが2016 年には1,096 件と約10 倍に増加し、その後、2018 年には2,199 件まで増えている。これに対して、人口知能に関する経済学の学術的な研究蓄積は、どちらかというと遅れをとっているといえる。例えば、学術論文検索サービスのGooglescholar で「人工知能 経済 影響」というワードで学術論文数を検索すると、2014 年には337 件、2016 年に528 件、2018 年に727 件となっており、増加傾向にはあるものの、上述の新聞記事数のトレンドとは異なる。
 経済学研究の遅れの1 つの理由としては、AI などの新しい技術の発展・普及が実社会ではそれほど進んでおらず、学術的に検証するに足るデータや事例が得られないことがあるだろう。総務省が2017 年9 月時点で実施した『通信動向調査』によると、AI を導入している企業は14.1% にすぎない。この導入率は、スタンフォード大学のロジャース教授によるイノベーター理論の普及曲線に当てはめると、新商品の普及が急激に広まるとされる普及率16% の手前に位置するものであり、社会経済への本格的な普及には至っていない。データや事例がないと、新しい技術が社会経済に与える影響の客観的・学術的な検証を実施することは難しい。特に社会経済への影響を展望する場合、理論的・概念的な考察は有用であるものの、実証的な検証は欠かすことができない。
 しかし、上述の普及曲線に沿うとしたら、AI などの新しい技術の普及は、近い将来、急激に加速することが予想される。おそらく、社会の関心の高まりもこうした予想が影響しているとも考えられる。そうだとしたら、実際に社会経済に広く普及する前から、学術的にどのようなプラスおよびマイナスの影響が予想されるのか、どのような点に留意していくべきか、政策的な課題として何が挙げられるか、といった点を整理することが、現時点で求められているといえる。現状、そうした要請に必ずしも経済学者は応えることができていないこともあって、社会ではジャーナリスティックで、ともすれば煽動的な主張や意見が少なからず拡がってしまっているように思える。
 幸いにして、経済学では、産業革命以降の技術進歩の影響は大きな研究テーマとしてさまざまな検証がなされてきた。近い過去では、情報通信技術(Information and Communication Technology; ICT)や産業用ロボットなどが普及した際に、雇用や所得格差、経済成長、イノベーション、市場競争などにどのような影響があったかの研究がかなり蓄積されている。よって、実際にAI などの新しい技術の普及が社会経済に与える影響をデータをもとに実証研究できないとしても、経済学のさまざまなフィールドにおいて、技術進歩の影響がこれまでどのように研究されてきたかを整理し、そこからの知見を踏まえて、今後のAI やロボティクスなどの新しい技術の開発・普及の影響や留意点、今後の研究の方向性を展望することは十分に可能である。
 つまり、過去の経験をしっかりと踏まえ、また、新しい技術の特性や社会経済環境などの過去との違いを考慮すれば、今後の影響や留意点などが浮き彫りになるはずである。さらに、すでに新しい技術を導入している企業・職場から得られた事例やデータ、あるいは、企業や労働者の意識や意向を聴取するアンケート調査にもとづくデータを用いることで、先行的に実証的な研究を行い、新たな知見を導出することもできるはずである。本書は、マクロ経済、労働経済、教育経済、金融、交通、生産性、物価、再分配政策、歴史の各フィールドにおいて、こうした作業を行うものである。
 この目的に資するため、本書の各章は必ずしもAI の研究を進めてきた研究者が執筆している訳ではなく、むしろ各フィールドの第一人者といえる研究者が、技術進歩を切り口に、これまでの研究動向を踏まえ、新たな技術が普及した際の影響や留意点、政策含意を執筆するつくりとなっている。
 第7 章の冒頭でも触れているが、そもそも人工知能の定義は定まっていない。このため、本書では、各章で取り扱う新しい技術を敢えて統一していないことにしている。代わりに、経済学の研究として、新しい技術を広く捉え、AI、機械学習、深層学習、IoT、ロボティクスなどのさまざまな技術が進歩し、広く社会経済で利活用されることを想定した状態を念頭に置いた整理・分析・考察をすることにしている。また、第6 章でも触れられるが、新たな技術の進歩・普及の前提として、ビッグデータやクラウド・コンピューティングがあり、それらについても分析・考察の対象として取り上げる場合もある。さらに、どの程度の技術進歩の段階を想定するか、すなわち、いつの時点の将来を想定するかについても、本書では統一することなく各章に委ねている。結果的に、多くの章が1 つのタスクに特化した技術、AI でいえば特化型AI などが普及する比較的近い将来を想定しているが、第8 章のように、複数のタスクをこなせる汎用AI が普及した将来を想定している章もある。
 同様に、フィールドによって技術の普及や研究の蓄積の違いなどもあるため、本書では、取り上げる技術だけでなく、影響の及ぶ可能性のある経済主体や市場の範囲、分析手法なども章によって異なる。大きく分ければ、1、3、8、9 章は先行研究からの知見の整理に力点を置いている一方、2、4、5、6、7 章では日本の市場特性や新たなデータ・事例・理論モデルを踏まえた考察に力点を置いている。こうした特性もあり、本書の各章の順番は必ずしも重要ではなく、読者におかれては、関心のある章から読んでもらって支障ない構成となっている。
 
各章の概要
 上述したように、本書の各章では、経済学のさまざまなフィールド毎に、AI などの新しい技術が社会経済に与える影響に焦点を当て、これまでの技術進歩のエピソードをもとにした先行研究を整理したり、新たな分析を加えたりすることで、今後の動向や留意点、政策含意を導出している。各章の概要について整理すると、以下のようになる。
 
▪第1 章 「マクロ経済 成長・生産性・雇用・格差」(北尾早霧・山本勲)
 第1 章では、マクロ経済学の観点から、技術進歩が雇用・失業、賃金格差、生産性、経済成長などにどのような影響を与えるかについて、これまでの技術進歩を検証した理論的・実証的研究を紹介するとともに、AI やロボットの普及による今後の動向を議論する。
 技術進歩のマクロ的影響は失業の増加や格差拡大といった負の側面と生産性向上や経済成長、雇用創出といった正の側面の双方があり、いずれの影響が強く生じるかは、技術進歩のタイプや経済構造の状態などによって異なる。技術進歩の影響を明らかにすることは、マクロ経済学の中心的な研究課題の1 つとして、常に注目を集めており、数多くの研究が蓄積されている。そこで、マクロ経済学の視点から、これまでの技術進歩の影響を捉える際に用いられてきた理論モデルを理解するとともに、IT や産業用ロボットの普及の影響を明らかにした実証的知見を整理することが有益といえる。
 第1 章では、まず、技術進歩と賃金格差の拡大を説明するスキルプレミアムモデルを紹介し、高スキル労働者の生産性をより高めるような「スキル偏向的技術進歩」と高スキル労働者の労働供給の大きさの2 つの要因の相対的な大きさによって、賃金格差の拡大・縮小が決まるメカニズムを説明している。次に、1990 年以降に観察される雇用の二極化を説明できるタスクモデルを紹介するとともに、技術と雇用の関係性を捉えるには労働者の従事する個々のタスク(業務)の種類と量に注目することが重要であることを指摘する。タスクモデルでは、1 人の労働者が従事する仕事にはさまざまなタスクがあり、そのタスクに応じて労働需要と労働供給が決まり、賃金が設定されることを想定する。定型的な作業などのルーティンタスクは労働者ではなくコンピュータやシステムで安価に遂行できるため、IT 化が進めばルーティンタスクの労働者への労働需要は減少し、賃金は低下する。一方、IT 化が進展しても、何らかの判断を要するノンルーティンタスクは労働者にしかできないため、そうしたタスクへの労働需要は相対的に増加する。さらに、ノンルーティンタスクの中には、サービスや運転など、コンピュータや機械よりも労働者が実施したほうが安価な手仕事タスクがあるため、そうしたタスクへの需要も相対的に増加する。よって、判断や知識、コミュニケーションが必要とされる高賃金の知的労働とともに、手仕事が必要とされる低賃金の肉体労働の労働需要が増加し、雇用の二極化が生じる。
 こうしたタスクモデルを踏まえ、第1 章の後半では、技術的にAI やロボットができる仕事であっても、実際に労働者との代替が起きるか否かはAI などの費用と労働者の賃金次第であることや、たとえ一部のタスクで代替が進んだとしても、マクロ経済全体でみた雇用と賃金への影響がプラスかマイナスかは定かではないことなどを議論する。その際には、生産コストと価格の低下によって需要が高まる結果、同じ企業の別のタスクに追加的な人員が必要になったり、ロボットと補完的なタスクが新たに生まれたりするかもしれず、さらに、生産性の波及効果によって他の企業や産業で新たな仕事が創られる可能性があることを強調する。
 具体的には、タスクモデルを発展させ、経済成長のダイナミクスを捉える一般均衡型マクロモデルを解説するとともに、技術進歩と高齢化の連関を論じた研究や理論モデルにもとづいた実証研究を紹介する。これらの一般均衡型マクロモデルでは、技術進歩が労働を置き換える標準的な代替プロセスだけでなく、労働者が資本に対して比較優位をもつタスクが創出されるプロセスが考慮されている。さらに、資本蓄積や技術進歩が内生的に決まるメカニズムを取り入れることで、生産性向上が労働に還元される可能性などが生まれてくる。
 こうした理論モデルを踏まえた、過去約20 年間のデータにもとづく実証分析を概観し、本章では、代替効果によって失われる雇用のみならず、生産コストの低下によって生じる雇用創出によるプラスの効果を考慮しても、ロボットの導入が雇用と賃金にマイナスの影響を及ぼしうることを指摘する。ただし、大胆なロボット投入を仮定して将来推計を行っても、雇用率の減少は2%ポイント以下で、賃金低下は3%以下にとどまることも示される。このインパクトはAI による技術失業が雇用の約半分に達するとの一部の指摘とは大きく異なるため、筆者たちは、AI やロボットなどの技術進歩の影響についての過度な楽観論は根拠に乏しいが、行きすぎた悲観論にうろたえる必要もないと主張する。
 最後に本書では、AI やロボット導入によるマクロ経済への影響についての最新の理論と実証分析を踏まえ、政策分析に与える影響を考察している。そこでは、若年層から高齢層、低スキルから高スキルまで幅広い範囲の労働者に対して、継続的な人的資本投資を促し、スキル需要に応じた人材の流動性を高める政策が望まれることを指摘する。また、技術進歩で得られる収益や高所得者への課税の強化や低所得者への所得移転が議論にのぼるが、成長の源泉となる技術進歩に歯止めをかけかねない政策の検討には、理論と実証分析にもとづいた慎重さが求められることを強調する。つまり、当面、技術進歩によって大規模な技術失業や賃金下落が発生する極端なシナリオは描きがたいため、限られた貴重な生産資源である労働者を最大限成長のサイクルに取り込み、労働市場への参加を通じて技術進歩の恩恵を広く共有することを促す政策が望ましいことが示される。
 
▪第2 章 「労働 技術失業の可能性」(山本勲)
 第2 章では、労働経済学の視点から、AI やロボットなどの新しい技術が雇用・失業に与える影響を予測した研究を整理するとともに、その評価や留意点を述べる。そのうえで、新しい技術が労働市場に与える影響を見通す際には、雇用・失業や賃金だけでなく、働き方など幅広い視点をもつことや、国によって異なる労働市場特性を踏まえることが重要と指摘する。
 AI などの普及によって大量の雇用が奪われるといった予測は、学界として、必ずしもコンセンサスが得られたものとはいえない。しかし、AI による大規模な技術失業の可能性を示唆するオックスフォード大学のオズボーン氏らの研究や指摘などは、マスメディアなどにも取り上げられることも多く、いまだ注目を集めている。第2 章では、まず、そうした研究や指摘の代表的なものを概観したうえで、オズボーン氏らの研究の留意点を整理する。具体的には、彼らの推計がベースとしている情報は機械学習の研究者による将来予測であり、あくまで主観的な予測に過ぎない点が強調される。また、AI などの新しい技術と雇用の代替が生じるかは、技術的な観点だけでなく、技術革新によってAI などの価格が賃金と同じ水準まで低下するかも重要であり、将来予測にはその点も考慮する必要があることも示される。さらに、新しい技術が雇用を代替するだけでなく、技術開発や普及に必要な雇用や生産性向上による経済成長がもたらす雇用など、雇用創出の効果ももつことや、労働者の負荷やストレスを軽減したり、柔軟な勤務を可能にしたり、人手不足を補ったりするなど、働き方や労働力の補強という点でも労働市場にプラスの影響をもたらしうることを強調する。
 次に、第2 章では、日本の労働市場に焦点を当て、日本に固有な労働市場特性を考慮した場合に、AI などの新しい技術の普及にどのような留意点があるかを整理する。まず、日本でも雇用の二極化が生じているかをデータを用いて確認したところ、雇用や賃金の二極化はアメリカほど明確ではないものの、ある程度は観察できることが示される。さらに、どのようなタスクが多いかを国際比較した研究を紹介し、日本では他国に比べてノンルーティンタスクよりもルーティンタスクが相対的に多くなっていることを指摘する。
 さらに、こうした事実関係を踏まえて、正規雇用者と非正規雇用者に分けてAI などの新しい技術の影響の見通しを整理し、まず、日本的雇用慣行の適用される正規雇用者については、企業内で人的投資・回収がなされる長期雇用が続く限りは、影響を受けにくいと指摘する。しかし、AI などの新しい技術の価格が大幅に低下したり、正規雇用者に人的投資したスキルが技術革新によって陳腐化したりするようになると、正規雇用者への人的投資が埋没費用化したとしても、AI などの新しい技術に代替したほうが企業にとってのトータルの費用が低くなるため、正規雇用でも代替が進む可能性は十分にあることも指摘する。また、AI などの新しい技術の普及によって労働者に必要とされるスキルが企業特殊的でなく、どの企業でも活用できる一般的なものになれば、日本的雇用慣行そのものが崩壊することで、代替が加速する可能性があることも述べられる。
 次に、日本の雇用者の4 割を占める非正規雇用については、AI などの新しい技術によって代替されるリスクが非常に大きいことを指摘する。1990 年代以降にIT が普及した時期に、調整費用を含めた人件費が非正規雇用で低かったため、日本では正規雇用からIT 資本ではなく、正規雇用から非正規雇用への代替が進んだ可能性がある。その際には正規雇用の従事していた多様で複雑なタスクがデジタル化・標準化といった脱スキル化によって整理され、非正規雇用がルーティンタスクとして遂行するようになったと考えられる。よって、AI などの新しい技術の技術進歩が進み、より安価に非正規雇用のタスクを遂行できるようになると、一気に代替が進む可能性が高いことが示唆される。
 さらに、第2 章では、AI などの新しい技術の利活用の面で、日本はアメリカよりもIT や新しい技術の活用度や認知度が低いことを指摘する。こうした状況が続くと、AI などの新しい技術の利活用が遅れ、将来的に競争力が低下して日本の労働市場での雇用が大幅に減少することも懸念される。企業でのAI などの新しい技術の利活用は長期的に生産性を高めるとともに、利活用に伴う雇用創出も見込めるため、積極的に進めることが重要といえる。
 最後に第2 章では、日本の直面している少子高齢化においてはAI などの新しい技術の利活用が労働供給制約の処方薬になる可能性も指摘する。具体的には、不足する労働力を補うための利活用とともに、高齢者や女性の就業をサポートする形での利活用、長時間労働是正や柔軟で健康な働き方への改革を進めるツールとしての利活用がAI などの新しい技術には期待できる。新たな技術が企業や経済全体の生産性向上につながるには組織や経営のあり方を改革する補完的イノベーションが必要とされており、働き方改革、女性活躍推進、健康経営など、さまざまな改革をAI などの新しい技術の利活用と同時に進めていくことが日本の労働市場にとって重要であることを指摘する。
 
▪第3 章 「教育 資源と成果の変容」(井上敦・田中隆一)
 第3 章では、教育経済学の観点から、AI などの新しい技術が教育で用いられることの影響を先行研究を紹介しながら考察する。教育現場では、情報通信技術を教育活動に取り入れた「教育ICT」や、教育ICTを活用することで教育活動にイノベーションを起こそうという「教育テクノロジー(Ed-tech)」への注目が集まっている。そうした教育での新しい技術の活用は、投入される教育資源を変えながら、さまざまなチャンネルを通じて教育成果に影響を与えると予想される。第3 章では、教育生産関数を踏まえながら、従来の教育活動における投入資源の果たす役割がどのように変化するのか(学校資源)、また、学校教育の登場人物である児童生徒(ピア効果)・教員(教員効果)・親(家庭環境効果)の行動がどのように変化するのかに焦点を当てた議論を展開している。
 具体的には、まず、教育ICT の導入と利用は全体的には進展している一方で、地域間で教育ICT を利用できる児童生徒とそうでない児童生徒の差が生じている状況を明らかにしている。そのうえで、こうした教育ICT へのアクセスや利用の機会の差が教育成果の違いを生むかどうかは、教育格差を議論するうえで学術的にも政策的にも重要な論点となると指摘している。
 次に、教育成果への影響を明らかにするのに有用な教育経済学の理論モデルとして、教育生産関数が紹介される。教育生産関数は教育資源などのインプットが教育成果のアウトプットをもたらす関係性を捉えるものであるが、著者たちは、AI などの新しい技術が、集団一斉授業などの従来からの指導では実現できなかったアプローチで教育成果を改善する可能性があると指摘する。また、教育成果への影響を把握する際には、教員や教科書といった従来からの教育資源と、コンピュータやインターネット、教育ソフトウェアといった教育ICT に分類される「ICT 利用型教育資源」の代替・補完関係を明らかにすることや、どちらへの投資がどのような教育成果に対して大きな効果をもつかといった点を解明することが重要であると強調している。
 これらの理論モデルや論点を踏まえたうえで、第3 章では、従来の教育活動における投入資源が教育成果に与える影響を分析した実証研究を紹介し、AI が導入されることでその影響がどう変化しうるかを議論している。その際には、学校教育資源として注目を集めているクラスサイズ、教育ICT 投資、教育ソフトウエアを用いた指導、ピア(参照グループ)、家庭環境の効果を取り上げている。
 このうち、クラスサイズについては、AI の導入で個に応じた指導が可能になると、クラスサイズの違いによる教育効果の意味合い自体が変わっていくことが予想されるものの、その重要性は決して失われることはなく、学習環境としての学校資源として重要であり続ける可能性が指摘される。教育ICT については、これまでの研究では教育成果に対してはっきりとした効果をもっていないことが示されるが、その理由としては、教育ICT が本来もつ利用可能性を十分に活かしきれておらず、そのために既存の指導方法を上回るだけの効果を生み出すことができていない可能性がある。よって、AI の導入が教育ICT の利用可能性を大幅に高めるのであれば、投資効果が大きく改善する可能性があると著者たちは指摘する。
 こうしたAI との相乗的な効果については、教育ソフトウェアを用いた指導(computer-aided instruction, CAI)についても当てはまることも示される。つまり、AI とCAI の間には強い補完性があり、CAI の効果を高めるうえでAI 技術を活用することが必要不可欠であると強調される。教員効果についても、どの教科においても教員にしか担えない分野は必ずあり、そのような指導においては、教員の属人的な技能に頼らざるをえないことから、分業を通じた補完的な関係が強くなるとの見通しが示される。また、AI 技術を用いて、児童生徒のみならず、教員の指導上の得意・不得意を把握し、それに応じて最適な指導法のアドバイスを行うことができるようになれば、教育機会の平等化も果たされる可能性も示される。
 このほか、AI の導入によって、ピア(参照グループ)としての生身のクラスメイトは共感の対象としてその重要性をより一層高めることや、家庭へ適切な情報が提供されることで教育成果が改善されることも指摘される。
 以上の議論を踏まえ、本章では最後に、新しい教育ICT が教育資源として活用されるようになれば、従来の教育資源と補完的な関係をもつインプットの効果を高め、また代替される部分に関しては、さらなる分業を可能とすることで、より効果的な学校教育活動を行うことができるとの見通しを示す。さらに、教育課程修了のためには一定の成果を上げることを必要とする、いわゆる「修得主義」の観点も制度の中に取り入れるなど、児童生徒が積極的に学習するインセンティブを確保する制度もセットで議論されるべきと著者たちは指摘する。また、教員についても、人間味に溢れた指導に優れた教員を確保するための養成・採用・研修のあり方が、AI の技術が進展すればするほど強く求められるようになるとの見通しが示される。つまり、AI との役割分担を積極的に進め、AI にできる分野は技術に任せ、教員は教員にしかできない分野に特化するという分業の深化が重要であると強調される。
 
▪第4 章 「金融 金融ビジネスとその変容」(小倉義明)
 第4 章では、金融論の観点から、人工知能・機械学習を用いたフィンテックに焦点を当て、金融ビジネスがフィンテックによってどのように変化しうるのかといった点を先行研究や事例を用いた考察を行う。
 新しい技術によって金融ビジネスでは新たなサービスが生み出されつつある。そこで第4 章では、まず、既存文献にもとづいて、フィンテックとして分類される新たな金融ビジネスとして、クラウドファンディングによる金融仲介、暗号通貨・電子決済、個人資産管理の概要を解説する。次に、第4 章では、フィンテックで多く用いられるビッグデータと機械学習の仕組みについて、LASSO などの手法を取り上げて解説し、金融ビジネスで機械学習がどのように用いられるかを展望する。
 こうした基本的な現状やテクノロジーの仕組みを踏まえ、第4 章では、金融業の経済効率性に与える影響について、経済学的議論を踏まえた論点整理を行っている。具体的には、フィンテックの普及に伴って、まず、効率化による金融仲介コストの低下と金融包摂の進展を通じて、金融市場が未発達の経済でも発達した経済でも、経済厚生の向上が期待できることが示される。次に、金融ビジネスへの新規参入と市場競争の活性化についてもフィンテックが促進する可能性が指摘される。これまで、金融業では自然独占的傾向と先行者利益があるために、伝統的な銀行グループが寡占的に活動してきたが、フィンテックによって預金・貸出・証券発行業務、決済業務、M&A仲介業務などを切り分けるアンバンドリングが可能となり、特定の業務に特化した形での新規参入が増加しうる。そうなれば金融仲介コストが低下し、経済厚生の向上が期待できる。
 さらに、本章では、これらのメリットがある一方で、フィンテックには、ビッグデータ提供者など金融規制の対象外の主体への金融市場の依存度が高まることや、機械学習に用いられるモデルのブラックボックス化が生じること、多くの主体が類似の機械学習モデルとデータを利用することに伴う隠されたシステミックリスクが発生しうることなど、新たなリスクをもたらすデメリットがあることも指摘する。
 続いて、第4 章では、新たな金融ビジネスのうち、特に金融業の核となる金融仲介業務、すなわち、多くの人々から小口資金を集めて分散投融資するという業務に挑戦し、急成長を遂げつつある「クラウドレンディング」と呼ばれる新たな金融仲介モデルに焦点を当てて、その急成長の要因、経済厚生的な意味、持続可能性を探る。具体的には、クラウドレンディングの概要や仕組みを解説した後、すでに株式市場への上場を果たしていて公開情報が充実している米国最大手のクラウドレンディングプラットフォームを提供しているLendingClub をモデルケースとして、ケーススタディを行う。そのうえで、伝統的銀行融資とクラウドレンディングの異同について、資金提供者、信用リスクの担い手、資金提供者のポートフォリオの自由度、債権管理・回収のインセンティブの観点から整理を行う。その結果、伝統的銀行融資と比べて、クラウドレンディングは、安価なリスク資金の供給の点では優れているとみられるものの、融資審査のインセンティブについては不安が残ると筆者は指摘する。
 そこで、こうした課題が実際にどの程度あるのか、また、持続可能性はどの程度あるかを検討するため、本章では、LendingClub の融資実績や収益性・株価、経営体制などを概観・整理している。その結果、筆者は、次のような暫定的な評価を行っている。すなわち、満期の長い融資が多いことから信用コストも含めたクラウドレンディングビジネスの成否については、もう少し時間をおいて観察する必要がある。また、世界金融危機の際に問題となった証券化と似たスキーム、すなわちoriginate-todistributeモデルを採用しているため、危機時に問題となったオリジネーターのモラルハザード問題を回避する工夫がどの程度施されているのかとの点について、明確な情報は提供されていない。さらに、アメリカが金融引き締めの局面に入り、市場金利が上昇する中、投資家にとってクラウドレンディングが依然として魅力的な投資先であり続けるかとの点については不透明感が増している。しかし、このような疑念は残るものの、このビジネスモデルには個々の投資家のリスク回避度の識別を可能にする仕組みが組み込まれており、これをうまく活用することでより安価なリスク資金供給の道を開拓しつつあるといえる。
 
▪第5 章 「交通 自動運転技術の社会的ジレンマ」(森田玉雪・馬奈木俊介)
 第5 章では、自動運転技術に焦点を当て、自動運転車の普及の過程で、人々が理想とする自動運転車が市場に出回らないという社会的ジレンマが生じる可能性を指摘する。自動運転車に搭載された人工知能は、人間の運転者と同様に、「トロッコ問題」に直面せざるをえない。
 トロッコ問題とは、例えば、自動車の運転者が自分を犠牲にして通行人を救うべきか、自分を助けるために通行人を犠牲にするべきか、犠牲者の数を最少にするためには自分を犠牲にしてでも救える人数が多いほうを救うべきか、といった倫理的なジレンマの問題である。自動運転車の普及が緒に就いたばかりの現在、人々は、自動運転車がトロッコ問題にどのように対応することが望ましいと考えているのであろうか。そして、自動運転車が市場に出たとき、人々はどのような判断を下す自動運転車を購入しようとするのであろうか。そのような人工知能の判断を法律で規制するべきと考えているのであろうか。第5 章は、トロッコ問題を抱えざるをえない自動運転車に対する消費者の意識を、アメリカにおける先行研究との比較を含めて調査分析するとともに、日本で消費者の意識を決める要因を分析し、自動運転車の普及に伴う課題を明らかにすることを目的としている。
 まず、第5 章では、1950 年代以降の第1 期から第4 期までの自動運転の歴史を整理し、第4 期にあたる現在の状況を解説する。また、日本の今後の動向として、高速道路においては、2020 年までに乗用車による加減速や車線変更が可能なレベル2 を実現し、2020 年以降に高レベルの自動走行を実現、また、一般道路においては、2020 年頃に国道・主な地方道で直進運転のレベル2 を実現し、2025 年頃には対象道路拡大や右左折を可能にするなど自動走行の対象環境を拡大する、との自動走行ビジネス検討会による予測を紹介している。
 次に、第5 章では、人工知能と倫理、社会的ジレンマ、自動運転車に対する社会的受容性の3 つの観点から先行研究を概観する。そこでは、自動運転車に限らず、人工知能の開発においては、ロボットが人間と共存していくための倫理的問題を切り離すことはできず、特に「人間自身が有する価値観と行動の非整合性」への対処法まで考慮することが重要とされていることを確認する。また、トロッコ問題などの社会的ジレンマについては、混合動機状況のゲームにおいて社会的規範が現れ、それが文化や状況によって異なることが示される。さらに、社会的受容性については、自動運転機能に対する支払意思額などの消費者需要を推計した先行研究がみられるものの、倫理観との関係から分析したものは僅かであることが述べられる。
 こうした点を踏まえて、本章では、日本全国1 万6,000 以上のサンプルによるインターネットアンケート調査を用いて、自動運転車の普及の過程で人々が社会的ジレンマに直面しうることを検証している。検証ではアンケート調査の回答者の属性等を確認した後、海外の先行研究と同様の質問項目に対する回答結果を用いた解析を行っている。具体的には、アンケート調査の回答者には、自動運転車の乗員になった場合を想定し、交通事故が起きる際に、自動運転プログラムが通行人を救うことと自分を含む乗員を救うことのどちらを重視するかという点について、道徳観とそれにまつわる購入意思を回答してもらっている。そこで、回答結果から、道徳観と購入意思の分布や両者の違い、法規制への期待度をアメリカの先行研究の結果との比較を含めて示すとともに、日本におけるそれらの決定要因を回帰分析で解析している。
 その結果、日米双方において、消費者の道徳観と購買行動の間には、人々は道徳的には通行人を救うべきと考えているものの、市場に出る完全自動運転車では自分たちを救うプログラムを購入するであろうというギャップがあることが示される。また、消費者の道徳観と望む法制度の間には、より多くの人を救うべきであるという概念に対して、道徳的に望むほどには法制化を望まないというギャップが生じるため、これらのギャップにより、自動運転の普及が社会的ジレンマを生み出しうることも示される。このことは、アルゴリズム設計や法制度設計を行ううえで看過できない問題であり、自動運転車がもたらす倫理的問題・法律的問題は、自動運転の普及度合いに応じて、想定しうるさまざまな局面について研究することが必要となると筆者たちは指摘している。さらに、日本と米国で社会的規範が異なる側面もあることから、米国でプログラムされる自動運転車をそのまま日本で実用化できないとも考えられるため、日本に合った形での自動運転車の開発が求められることも指摘している。
 
▪第6 章 「生産性 イノベーション戦略の重要性」(元橋一之)
 第6 章では、イノベーションや生産性に焦点を当て、AI、IoT、ビッグデータといった新しい情報技術の進展がもたらすイノベーションの特徴を整理し、その結果としてイノベーションに関する企業間組織やイノベーションシステムに与える影響について述べる。
 AI、IoT、ビッグデータといった新しい情報技術を本章では、汎用的技術、すなわち、イノベーションそのものではなく、イノベーションを実現するためのイネーブラー(Enabler)として捉える。このため、イノベーションを実現するためには、それらの技術を活用するユーザーサイドで経営上価値のある活動に組み立てるビジネスイノベーションが必要となる、というのが第6 章の問題意識となっている。
 第6 章では、まず、AI、IoT、ビッグデータがこれまでの技術とどのような点で異なるのかについて明らかにする。そのため、これらの技術のトレンドについて解説し、相互に補完性のある状況について述べたうえで、イノベーションに対するイネーブラーとして有効に機能することを指摘する。具体的には、インターネットに蓄積されたヒトが起点となる膨大な情報(画像データ、テキストデータなど)に加えて、IoT のセンサーネットワーク技術の進歩によるモノを起点とするデータが蓄積されるようになったため、ビッグデータの3 つのV、つまりVolume(量)、Velocity(速度)、Variety(多様性)が格段に向上する。さらに、こうしたビッグデータを活用することで、情報検索やデータマイニングなどの知識・発見技術や深層学習をはじめとしたAI に関する各種基盤技術が格段に進歩する。加えて、AI 関連技術は、スマート工場、スマート家電、スマートシティといった各種IoT サービスを実現するための重要なコンポーネントとなる。つまり、これまで人が主体となってコンピュータにデータを与えて処理を支持する形態から、よりコンピュータが主体性をもって人に対するサービスを提供できるようになるため、人や企業にコストをかけずにより大きな効用がもたらされる。これがAI、IoT、ビッグデータによってイネーブルできるイノベーションの特徴であると筆者は主張する。
 第6 章では、次に、日本の製造業企業におけるAI、IoT、ビッグデータの活用実態について述べる。具体的には、経済産業研究所における企業へのインタビュー調査やアンケート調査の結果をベースに、日本企業がこれらのイネーブリング技術をどの程度ビジネスイノベーションにつなげることができているのかを検証する。その結果、経営効果を上げている企業の姿として、全社的データ専門部署、顧客連携、現場レベルでの早いPDCA というキーワードが浮かび上がることが指摘される。ビッグデータの戦略的活用に関するトップのコミットメントが必要であり、データ専門部署に対する経営資源の配分やデータドリブンでビジネスイノベーションを創り出す企業内文化の醸成はトップのコミットなしではできないといえる。また、企業内部門内のデータ共有やビジネスパートナー、特に顧客とのデータ連携が重要といえる。
 ただし、アンケート調査からは、全社的なビッグデータ専門部署を設けている日本の大企業は全体の半分以下であり、IoT に対して取り組んでいると答えた企業は3 割強となっており、イネーブリング技術を実際に使いこなしてイノベーションにつなげている企業はまだ一部にとどまっているという課題も指摘される。
 そこで、第6 章では、ビジネスエコシステムやプラットフォームリーダーシップ戦略などの理論的フレームワークを用いて、最新の情報技術がイノベーションの与える影響について検証している。具体的には、まず、エコシステム論をレビューし、革新的なイノベーションにおいては、ビジネスモデルそのものが変化し、これまで注目を払ってこなかった補完的財・サービスのプレイヤーとの連携が必要になることが多いと指摘する。また、エコシステム形成とプラットフォーム戦略の関係についても整理し、AI やIoT の進展はパートナーとの協創のあり方に関する両者のトレードオフの関係を緩める役割をもたらすと指摘する。
 最後に、これらの理論的研究を踏まえて、本章では、日本のイノベーションシステムの特性を踏まえた、日本企業のイノベーション戦略を検討している。日本のイノベーションシステムは、技術力のある中堅企業と大企業が長期的な関係を構築し、イノベーションに関する協業を行う「関係依存型システム」が特徴である。また、企業間や大学などの組織との間の雇用の流動性が低い水準にとどまっているため、この関係性が継続している。そこで、筆者は、日本のイノベーション戦略としては、強みであるパートナー協調をベースにスケーラビリティのあるイノベーションの方向性を目指すべきであり、その際には米国におけるプラットフォーム企業との協業によってエコシステムを構築することが有効であると主張している。
 
▪第7 章 「物価 経済変動メカニズムの変容」(笛木琢治・前橋昂平)
 第7 章では、金融政策運営への含意を展望し、AI やロボットの普及が物価変動にどのような影響を及ぼすかを実証的・理論的に検証している。
 第7 章の前半では、AI・ロボットの普及がマクロ経済に及ぼす影響について、先行研究を「労働市場・格差」と「経済成長・生産性」という2 つの分野に整理して紹介している。次に、第7 章の後半では、物価変動への影響に焦点を当て、AI・ロボットの普及と物価変動の関係を検証した筆者たちの研究成果を紹介する形で、データを用いた実証分析と動学的一般均衡モデルを用いた理論分析にもとづく議論を展開している。
 このうち、実証分析については、まず、ロボット装備率とインフレ率の関係を標準的なフィリップス曲線を用いて検証し、高ロボット化国グループのフィリップス曲線は低ロボット化国に比べてフラットな形状となっていることを確認する。この観察事実は、ロボット化が進展している国ほど、需給ギャップに対するインフレ率の反応が弱くなるという関係性を示唆するものである。
 次に、国レベルのパネルデータを用いた回帰分析を行うと、高ロボット化国グループと低ロボット化国グループの景気が良くなり、どちらのグループも同じ程度だけ需給ギャップが上昇したとしても、2 つのグループの間にインフレ率の上昇度合いに有意な差が生じていることが紹介される。
 さらに、動学的な関係性も考慮するために需給ギャップとインフレ率の2 変数を対象とするパネルVAR モデルを推計すると、2 つのことが明らかになると指摘している。第1 に、需給ギャップのショック直後のインフレ率の反応の大きさを比較すると、高ロボット化国グループは低ロボット化国グループの4 分の1 程度の反応にとどまる。第2 に、需給ギャップのショックを受けて上昇したインフレ率が元の状態に収束するスピードについて、高ロボット化国グループは7 年程度で収束しているのに対して、低ロボット化国グループでは10 年程度の期間を要しており、需給ギャップのショックがより長期間に亘って物価変動に作用している。
 以上の実証的な分析を総合すると、筆者たちは、ロボット化が進展すればするほど、実体経済の変動(需給ギャップ)見合いで、インフレ率の変動が抑制的になると指摘している。
 一方、理論分析においては、そうしたAI・ロボットと物価変動の関係性が生じるメカニズムを解明するため、AI やロボットの普及を織り込んだニューケインジアン・モデルを用いた分析を紹介している。ニューケインジアン・モデルとは、家計、企業、政府といった各経済主体が各種制約のもとで、合理的な行動選択を将来にわたって行うことを定式化したた動学的一般均衡モデルであり、企業の独占的競争と価格の粘着性が仮定されている点が特徴といえる。AI・ロボットをニューケインジアン・モデルに組み込む際には、労働との代替性の高いAI・ロボット資本を組み込むため、生産技術として入れ子型CES 生産関数を想定し、AI・ロボット資本と労働の代替の弾力性を1 よりも大きいと仮定する。
 こうしたセットアップをもとに、インフレ率の決定メカニズムが記述されるニューケインジアン・フィリップス曲線を導出すると、AI・ロボット資本を組み込んだとしても、その形状自体は標準的なニューケインジアン・モデルと変わらないことが示される。しかし、AI・ロボット資本を組み込むと、実質限界費用の決定メカニズムが変わるため、結果的にインフレ動学については標準的なニューケインジアン・モデルとは異なることも指摘される。具体的には、標準的なニューケインジアン・モデルにおける限界費用は需給ギャップと比例関係にあるが、AI・ロボット資本を考慮したモデルではこの比例関係が失われる。これは、AI・ロボット資本という労働代替的な生産要素が加わることにより、限界費用の変動が景気変動(需給ギャップ)見合いで抑制されるようになるからであり、その結果、インフレ率の反応もAI・ロボット化が進展するほど抑制的となる。最後に筆者たちは、この点をインパルス応答と理論モデルのシミュレーションによって確認し、AI・ロボット化が進展するほど、限界費用とインフレ率のインパルス応答が弱くなっていることや、シミュレートされたフィリップス曲線の傾きがフラット化することを確認している。
 
▪第8 章 「再分配 ベーシックインカムの必要性」(井上智洋)
 第8 章では、所得再分配政策への含意を展望し、ベーシックインカムの概要やメリット・デメリット、必要性などについて議論している。
 ベーシックインカムを議論するにあたり、第8 章では、遠くない未来に人間の知的振る舞いをおよそ真似ることのできる「汎用AI」が実現するものと仮定する。汎用AI とは、タスクに特化された「特化型AI」とは違って、人間並みの汎用的な知性をもったAI のことである。その実現方法としては、「全脳アーキテクチャ」と「全脳エミュレーション」が挙げられ、後者は実現の見込みが今のところないものの、前者については2030 年には実現のめどが立つとも言われている。汎用AI が実用化されれば、多くの雇用が奪われる可能性があり、そうなるとベーシックインカムなどの包括的な社会保障制度の必要性が高まるといえる。
 そこで、第8 章では、まず、ベーシックインカムとは何かを明らかにし、そのメリットやデメリットについて論じる。ベーシックインカムとは、収入の水準に拠らずにすべての人々に無条件に、最低限の生活を送るのに必要なお金を一律に給付する制度である。社会保障制度としてベーシックインカムを導入する目的は主に2 つあり、1つはすべての人々を貧困から救済することで、もう1 つは社会保障制度を簡素化し行政コストを削減することである。筆者は、前者の平等性を重視するのが左派で、後者の自由性を重視するのが右派と分類し、いずれの立場をとるかで主張が異なると指摘している。また、ベーシックインカムの大きな特徴として、貧困者支援のような選別的社会保障ではなく、全国民に支給する普遍主義的社会保障であることも強調される。こうした普遍主義的社会保障であることから、平等性と自由性が追求できるメリットがあるのがベーシックインカムであるが、一方で、そのデメリットとして労働意欲が低下することや人々が堕落することが指摘されることが多い。ただし、この点について、筆者はデメリットの大きさは給付額によって変わってくるので、誤解も大きいと主張している。
 次に第8 章では、ベーシックインカムが他の所得保障制度とどのような類似点と相違点をもつのかについて、最低保障の有無と条件の有無の2 軸で整理し、最低保障があって条件がない点でベーシックインカムが他の所得保障制度と異なると指摘している。一方で、ミルトン・フリードマンが提唱した「負の所得税」は低所得者にマイナスの徴税つまり給付がなされるものであり、すべての国民が所得保障の対象となる意味では条件なしの最低保障制度とみなすことができるため、ベーシックインカムに類似するとも指摘している。そのうえで、負の所得税と生活保護の関係を分析し、負の所得税は、生活保護に労働インセンティブを付けるとともに、条件をなくしたものと位置づけることができるため、現行の生活保護の欠点である「貧困の罠」からの脱却の難しさを改善できると主張している。
 続いて第8 章では、ベーシックインカムの歴史と現状について、16 世紀のトマスによる発想から20 世紀の現代的なベーシックインカム論の起源と発展、近年の国内外での議論を詳しく紹介している。最後に、筆者は、汎用AI が普及したAI 時代には、「機械の競争」に競り勝った一部のスーパースター労働者しか、生活していけるだけの十分な所得が得られないと予想する。そのため、例えば企業に課される法人税や一部のスーパースター労働者や株主などの資本家に課される所得税を財源にベーシックインカムを導入しなければ、多くの労働者は食べていけなくなると警鐘を鳴らしている。
 
▪第9 章 「歴史 「大自動化問題」論争の教訓」(若田部昌澄)
 第9 章では、経済思想や歴史の観点から、機械が経済に与える影響についてさまざまな経済学者たちがこれまで行ってきた議論、とりわけ1960 年代に米国で論争となった「大自動化問題」を概観し、そこからAI やロボットなどの影響についての現代の問題への教訓を導出している。
 第9 章の問いは、果たして「今回は違う」のかどうかであり、歴史を紐解けば現在いわれている機械化・自動化の雇用への不安は極めて古い問題で、それへの分析や処方箋もすでにかなり出そろっていたことを指摘するのが第9 章の目的といえる。
 第9 章では、1960 年代のコンピュータの出現と人工知能の萌芽を背景として米国で「大自動化問題」論争が起きたことを取り上げ、サイバー化や貧困問題への注目、失業率の上昇がその背景にあり、論争の当事者に「新しい経済学」と呼ばれた新古典派総合の経済学者達がいたことを指摘している。そのうえで、技術進歩と雇用・貧困問題との関わりを指摘した1964 年の「大統領経済報告」の内容や、サミュエルソン対ハイルブローナー、ソロー対ハイルブローナー、サイモンといった経済学者による議論の内容を詳細に紹介している。また、そうした論争を受けた米国政府の1966 年の報告書「技術とアメリカ経済」を取り上げ、技術進歩が技術的失業をもたらしてはいないことや、機械化・自動化への処方箋として、マクロ経済政策による総需要管理政策、教育・訓練による労働者の適応能力の増大、最後の防御線としての最低所得保証が必要であることなどが盛り込まれていたことを指摘している。
 第9 章ではその後の論争についても詳しく触れており、一連の論争の内容は、現代への教訓として多くを教えてくれることを述べる。すなわち、機械化・自動化への基本的な懸念は歴史を通じて新しいものではなく、基本的な解決策もすでに歴史に見出だすことができるため、その意味では、歴史に先例はあり、「今回は違う」わけではないと指摘できる。
 また、基本的な理論的・政策的対立も1960 年代の論争から学ぶことができる。例えば、自動化は雇用に影響しないと考える人々は、基本的には市場経済の調整能力に信頼を置いていた一方で、技術的失業を懸念する異端派の人々には根底のところで市場経済に対する懐疑があったことが指摘される。さらに、当時の論争は希望と不安の綱引き、すなわち、新技術のもたらす豊かさへの希望・夢と職を失うことへの不安・恐怖の綱引きであったことも教訓として重要であり、この構図は現代にも極めて共通していて、ベーシックインカムへの関心が2007 年以降の世界的金融・経済危機後に増えたことは、不安が要因になっていることを示している。
 以上の考察を踏まえ、第9 章では、歴史から学べる重要な点として次の3 つを指摘している。第1 に、マクロ経済政策的対応と機械化・自動化への対応を対立的に描く必要はないこと、あるいは、循環的失業と構造的失業の理論的対立を政策にもち込む必要はないことである。複数の目的がある場合には複数の政策手段が必要となるから、需要不足失業には総需要管理政策を、構造的失業には構造的政策を利用すればよいという考え方である。第2 に、大自動化問題論争からは、急速な技術進歩への確信と「問題は解決できる」という強い意志があったことである。例として、貧困家庭への最低所得補償立法化が実現したことが挙げられる。第3 に、市場経済と政府の対応への不安が強い時代には、機械化・自動化への不安も強くなることである。1960 年代の大自動化問題論争のきっかけは、失業率の高まりと貧困問題への関心の高まりであり、経済成長率の高まりと失業率の改善でそうした不安が消失すると、大自動化問題論争も終焉を迎えたことが特徴的である。
 そのうえで、筆者は、現在進行形の人工知能・ロボットをめぐる議論の帰趨も、人工知能やロボットの興隆に限られない経済を巡るさまざまな不安がどのように取り組まれ、解消されていくかにかかっていると指摘している。
 
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