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中山康雄 著
『言語哲学から形而上学へ 四次元主義哲学の新展開』
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まえがき
現代哲学には、いくつかの流派がある。その流派のひとつに、分析哲学(Analytic Philosophy)がある。分析哲学はいくつかの分野に細分されるが、特に中核的役割をはたしてきたものに、論理学研究、言語哲学(Philosophy of Language)、科学哲学(Philosophy of Science)がある。
二〇世紀に言語論的転回(linguistic turn)があったことは、広く指摘されている(Rorty 1967)。その後、哲学にどのような発展があったのだろうか? 本書の目的のひとつは、言語哲学研究の発展の後に形而上学研究が深められていく自然な発展があったことを示すことにある。そして分析哲学は、このような進展を見せる中で、哲学としても適用範囲を拡張し、同時に深化していった。分析哲学の最近の展開に対するこのような私の見解を説明することが、本書の目論見のひとつである。そして今世紀に入って、日本でも分析形而上学(Analytic Metaphysics(の研究が盛んになり、優れた研究書や入門書が出版されるようになった(中山2009; 秋葉ほか2014; 倉田2017; 柏端2017; 加地2018)。
分析哲学は、一九二〇年代に活動を開始した論理実証主義者たちに顕著に現れているように、その出発点においては形而上学的傾向のある伝統的哲学を批判する傾向が強かった。そして、そのとき基盤にされたのが、論理学研究、科学哲学、言語哲学だった。しかし二〇世紀半ばに、アメリカの哲学者クワインが論理実証主義批判を通して、反基礎づけ主義的で自然主義的な分析哲学の可能性を示してみせた。そして二〇世紀末には、かなりの数の分析形而上学者たちが現れて、古代哲学や中世哲学と問いを共有する方向に探究を進めていった。こうして分析哲学は、回り道をしながら、古代ギリシャ以来哲学者たちが取り組んできた問いを真剣にうけとめる場所へとたどりついたのである。
私は以前、『現代唯名論の構築』(2009)という本を書き、自分の形而上学的思索を展開してみた。しかし、この「現代唯名論(Contemporary Nominalism)」という命名は私の立場を適切に表していないと、今では思っている。この旧著作でも私は、対象は時空的に拡がっているという四次元主義(Four-dimensionalism)の立場をとっていたが、「唯名論」という名称にはこのことが反映されていない。そこで本書では、「現代唯名論」の代わりに「プロセス形而上学(Process Metaphysics)」という名称を用いることにした。ただし、ここで言うプロセスは、時空的に拡がった動的な存在者のことである。またプロセス形而上学は、プロセス存在論(Process Ontology)とプロセス認識論(Process Epistemology)からなる哲学的体系である。
本書では、拙著『現代唯名論の構築』でとられていた唯名論的立場をプロセス存在論へと発展させていく。このとき、アリストテレスの質料形相論(Hylomorphism)が重要になる。私が提案するプロセス存在論では、アリストテレスの質料は動的なプロセスに置き換えられる。つまり、宇宙を構成する根底的な存在者は動的存在者であると主張する。そして、このような動的存在者がプロセスということになる。また、宇宙自身もひとつのプロセス、すなわち、最大プロセスにほかならない。近年、私は論文「四次元主義の存在論と認識論」(2014)で、認識論の存在論的前提を四次元主義の立場から記述した。本書では、この四次元主義的認識論のことを「プロセス認識論」と呼んでいる。さらに本書では新しく、行為主体の観点からとらえた様相的視点を〈内部的様相〉として分析している。そして、プロセス存在論にこのプロセス認識論を加えたものが、プロセス形而上学ということになる。本書のサブタイトルにある「四次元主義哲学の新展開」とは、このプロセス形而上学のことを指している。
プロセス存在論に対比される存在論は、アリストテレスが提案した実体論(Substance Theory)である。実体論とは、物体の背後に時間経過の中で不変にとどまる実体があると主張する説である。伝統的哲学では多くの場合、実体論がとられていた。そしてこのような傾向は、現代の分析哲学の中でも続いている。本書は、このような伝統に逆らって、実体ではなく、プロセスこそが根本的な存在者だと主張し、それを基盤にした哲学的考察を展開する。実体論が存在者の固定性・継続性を重視するのに対し、プロセス形而上学は、存在者が宇宙のプロセスの部分であるということと存在者の変容プロセスを重視する。つまり、存在者を、生成・変貌・分裂・融合・消滅というプロセスの中でとらえることを重視するのである。
本書の目的のひとつは、言語哲学に興味のある読者を分析形而上学の領域へと導くことである。またこの道筋は、私自身がたどったものでもある。私はもともと言語哲学の研究者だったが、その研究を徐々に形而上学の方へと広げていった。形而上学にいたる道にはさまざまなものがあることを、哲学の歴史は教えてくれる。そして分析哲学内部でも、言語哲学から分析形而上学への道が新たに示された。また言語哲学の問題のいくつかも、存在論や認識論の視点から解明することができる。本書を読んで、言語哲学から形而上学にいたるひとつの道を一緒にたどっていただきたい。
本書のさらなる目的は、プロセス形而上学の構築である。プロセス形而上学は、存在論の提示だけでは不十分であり、適切な認識論によって補完されねばならない。これが、本書の主張である。プロセス認識論は、行為主体の存在論的位置づけを基礎にした認識論である。認識論の根本的部分が存在論に依存しているところに、プロセス形而上学のひとつの特徴がある。プロセス形而上学は、〈超越的視点〉に基づく記述と〈内部からの視点〉に基づく記述を区別する。〈超越的視点〉は、いわば「鳥の視点」であり、存在論的描写を可能にする。これに対し〈内部からの視点〉は、いわば「虫の視点」であり、認識論的描写を可能にする。宇宙はこれら二つの視点から適切に記述できるというのが、本書で提案するプロセス形而上学の立場である。
それでは、本書の内容を簡潔に紹介しておこう。本書は、四部構成になっている。
第Ⅰ部「言語哲学の形而上学的前提」では、まず第一章「言語哲学史粗描」で分析哲学における言語哲学の歴史を紹介しながら、そこで何が前提にされていたのかを明らかにしていく。ここで特に注目したいのは、部分と全体の問題、個体化の問題、対象の階層性の問題、部分関係と時間との関わりの問題などである。第二章「部分全体論」では、これらの問題が議論される。部分全体論は、本書の中軸となる存在論であり、標準的部分全体論という形式的体系およびそれに種名辞(sortal term)の使用が加えられた体系が紹介される。
第Ⅱ部「実体論とプロセス存在論」では、古代哲学以来支配的だった実体論と本書が提案するプロセス存在論が比較される。第三章「実体論の歴史」では、古代哲学から現代の分析哲学にいたるまで実体論が支配的な存在論だったことを見ていく。そして第四章「プロセス存在論」では、標準的部分全体論の四次元的解釈が提案され、その一ヴァージョンであるプロセス存在論が紹介される。プロセス存在論は、ものを中心とした存在論とは相いれず、時空に拡がった動的プロセスを軸にする存在論である。そのため、プロセス存在論は実体論と鋭く対立する立場である。
第Ⅲ部「プロセス形而上学」では、第Ⅱ部で導入されたプロセス存在論を前提にして、宇宙の中のプロセスのひとつとして行為主体を位置づける。また、行為主体の志向的状態を描くことで、プロセス認識論が表現される。そして、プロセス存在論とプロセス認識論を合体させたものとしてプロセス形而上学が導入される。これらは、第五章「プロセス存在論とプロセス認識論」の中で議論される。そして第六章「時間と様相」では、プロセス存在論が持つ〈超越的視点〉とプロセス認識論が持つ〈内部からの視点〉から、時間の問題と様相の問題を分析する。これら二つの視点は、時間論と様相論の中でも重要な役割をはたすのを、私たちは見ることになる。
第Ⅳ部「プロセス形而上学の適用」では、第Ⅲ部までの記述で完成されたプロセス形而上学を用いて、世界の中の現象を具体的に記述していくことになる。この具体的記述によってプロセス形而上学の特徴がより鮮明にされていく。プロセス形而上学は、本質主義を拒否し、存在論と認識論の両方においてプラグマティックな立場をとっている。この柔軟な視点によって、階層性をともなう多くの現象がプロセス形而上学に基づいて記述できることを、私たちは第Ⅳ部で確かめることができる。
付録では、本書が前提している二つの形式的体系であるプロセス存在論と分岐的プロセスモデルを描写するとともにそれを解説していく。この付録は、これらの二つの体系に対する理解を深めるために付け加えられたものである。
本書は、言語哲学に興味がある人と形而上学や伝統的哲学に興味がある人の両方に読んでいただきたい。言語哲学では何が問題とされてきたか、そして、形而上学はどんな観点から哲学の問題に取り組んできたかの両方が、本書では紹介されている。そして、これらの問題系をつなぐひとつの方法と視点を、本書は提供しようとしている。