あとがきたちよみ
特別公開Ⅰ『入門・医療倫理III』第9章 感染症対策

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2020/5/14

 
あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
 
 
赤林 朗・児玉 聡 編
『入門・医療倫理III 公衆衛生倫理』

「第9章 感染症対策」(第3節まで)(pdfファイルへのリンク)〉
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*COVID-19(新型コロナウイルス)の流行をうけ、2015年に刊行した、公衆衛生倫理をテーマとする『入門・医療倫理Ⅲ』のなかから、感染症対策を論じた章を一部分公開いたします。感染症対策等を考えるうえで、本書が少しでもお役に立てば幸いです。現在、最前線で奮闘してくださっている医療従事者の方々への感謝とともに。


第9章 感染症対策
 
林 芳紀
 
本章の目的と概要
 本章では,特に新型インフルエンザを例として,感染症対策に伴うさまざまな倫理的問題を取り扱う.具体的には,まず前半部において,予防・まん延防止対策に関する倫理的問題として,検疫・隔離の正当化の問題とワクチンの優先接種順位の問題を取り上げる.次に後半部では,医療に関する倫理的問題として,医療従事者の診療義務の問題を取り上げる.
 
Ⅰ.新型インフルエンザとは
 現在の世界が直面している深刻な感染症の問題のひとつに,新型インフルエンザの脅威がある.インフルエンザは,インフルエンザウイルスを病原体とする感染症であり,毎年冬季になると流行を繰り返すものは季節性インフルエンザと呼ばれている.しかし,およそ10 年から40 年の周期で,ウイルス表面の抗原タンパクが変異した新型のウイルスが出現することがある.こうした新型のウイルスは,ほとんどの人々が有効な免疫を獲得していないために急速に感染が拡大し,パンデミック(世界的な大流行)を引き起こす危険性がある.このように「新たに人から人に伝染する能力を有することとなったウイルスを病原体とするインフルエンザであって,一般に国民が当該感染症に対する免疫を獲得していないことから,当該感染症の全国的かつ急速なまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるもの」(感染症法6 条7 項1)が,新型インフルエンザと呼ばれている.
 新型インフルエンザのパンデミックがいったん発生すれば,多大な健康被害と社会的影響を人間社会にもたらすおそれがある.例えば,1918 年のH1N1亜型インフルエンザウイルスのパンデミック(スペイン風邪)時には,全世界で約2000 万人から4000 万人,日本でも約40 万人の犠牲者を出したと言われている.それ以降も,1957 年のH2N2 亜型インフルエンザウイルスのパンデミック(アジア風邪)では全世界で約200 万人が,1968 年のH3N2 亜型インフルエンザウイルスのパンデミック(香港風邪)では約100 万人が命を落としたと言われる.近年においても,2009 年にH1N1 亜型インフルエンザウイルスのパンデミックが発生し,大きな社会的混乱をもたらしたことは,多くの人の記憶に新しいところであろう.
 この2009 年のパンデミック時の健康被害は,従来のパンデミックに比べればかなり低い水準にとどまった.しかし,2003 年以降現在に至るまで,東南アジアや中国を中心に,H5N1 亜型インフルエンザウイルスが鳥の間で流行を拡大している.この鳥インフルエンザウイルスが鳥からヒトへ,さらにはヒトからヒトへ感染する事例は,現在のところ偶発的で小規模に収まっているものの,その感染者の多くは小児または40 歳未満の若年者であり,致死率も高い.そのため,こうした高病原性の(ヒトがウイルスに感染した場合に症状が重篤化しやすい)インフルエンザウイルスがヒトの間で伝播拡大した場合には,世界中に甚大な健康被害と社会的影響をもたらしかねない.また,仮に今日,1918 年のスペイン風邪と同程度・同規模のパンデミックが発生したとすれば,全世界で5100 万人から8100 万人の犠牲者が現れると推定されているなど[1],新型インフルエンザは全世界の人間社会に対して深刻な脅威を突き付けている.
 こうした新型インフルエンザの脅威に対しては,かねてより,世界各国で対策計画が立案されている.しかし,新型インフルエンザ対策計画の実施に際しては,同時にさまざまな倫理的問題の発生が予想されており,議論を呼んでいる[2].そこで本章では,現在の日本のインフルエンザ対策計画を例に取り,その計画の中に示されている具体的な対策に即して,新型インフルエンザ対策においてどのような倫理的問題が発生し,またそれらの問題についてこれまでどのような議論がなされてきたのかを概観する.
 
Ⅱ.日本の新型インフルエンザ対策計画
 日本では,2005 年に「世界保健機関(WHO)世界インフルエンザ事前対策計画」が公表されたことを受け,「新型インフルエンザ対策行動計画」の策定や感染症法・検疫法の改定などを通じて,新型インフルエンザ対策が図られてきた.特に,2009 年の新型インフルエンザ(A/H1N1)パンデミックの発生以降は,その教訓を踏まえて,高病原性の新型インフルエンザやそれと同様の危険性のある新感染症を対象とした危機管理のための新たな法律として,「新4型インフルエンザ等対策特別措置法」(以下,特措法)が2012 年4 月に制定された.また,その特措法に基づき,2013 年6 月には,新型インフルエンザ等対策の実施に関する基本的な方針や国が実施する措置等を示したものとして,「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」(以下,政府行動計画)が作成された.
 この政府行動計画は,1)「感染拡大を可能な限り抑制し,国民の生命及び健康を保護する」,2)「国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにする」という二つの主要目的を掲げ,これらの目的を達成するための具体的な対策を,(1)実施体制,(2)サーベイランス・情報収集,(3)情報提供・共有,(4)予防・まん延防止,(5)医療,(6)国民生活及び国民経済の安定の確保の六項目に分けて立案し,さらにこれら各項目の具体的な対策の内容を,海外発生期,国内発生早期,国内感染期,小康期というパンデミックの進行段階毎に整理・記述している.以下では,上記六項目の対策のうち,予防・まん延防止に関する倫理的問題として,検疫・隔離の正当化の問題とワクチンの優先接種順位の問題を,医療に関する倫理的問題として,医療従事者の診療義務の問題を取り上げる.
 
Ⅲ.検疫・隔離
 検疫は,感染症の国内への侵入を防ぐために空港や港湾等で実施される検査である.また,検疫およびそれに伴う隔離は,14 世紀のヴェニスで,感染症の流行地域から来航した船に対して40 日間港外に停泊するよう命じたことに端を発する,古くからの感染症対策のひとつである.2009 年の新型インフルエンザパンデミックの際には,日本においても,入国者に対する健康状態質問票の回収,サーモグラフィによる体温測定,患者や濃厚接触者(新型インフルエンザ等の患者と濃密に,高頻度または長期間接触した人)に対する隔離・停留等のいわゆる水際対策が,国際線が就航している空港等で大々的に実施された.政府行動計画では,海外発生期の予防・まん延防止対策のひとつとして,検疫を中心とした,水際対策にも重点が置かれている.これら海外発生期の水際対策の中でも,とりわけ倫理的に見て問題視されやすいのが,患者や濃厚接触者に対する隔離・停留である.
 また,政府行動計画は,海外発生期の水際対策だけでなく,国内に新型インフルエンザ等が侵入し,地域的に患者が現れ始める国内発生初期,さらにはそれ以上に国内での感染が拡大し,新型インフルエンザ等の患者の接触歴が追跡不可能となった国内感染期においても,一種の隔離を国内でのまん延防止対策として位置づけている.具体的には,特措法第45 条において隔離の実施に法的基盤が与えられている(BOX9─1 参照).
 隔離は,大別すれば二種類に区別される.第一は,新型インフルエンザ等に感染し,すでに発症した患者を非感染者から遠ざける隔離(isolation)である.第二は,患者と濃厚に接触しているものの見かけ上は健康な人々,つまり,すでに感染しているものの潜伏期間中でいまだ発症していないおそれのある人々を非感染者から遠ざける隔離(quarantine)である.この第二の形態の隔離は,日本の検疫法上は「停留」と呼ばれており,第一の形態のように感染症患者本人に対して実施される「隔離」と区別されている[3].また,これら感染者と非感染者との空間的距離を隔てるという仕組みによる感染症の予防・まん延防止対策は,学校や職場等の大勢の人々が集まる施設の閉鎖,集会やイベントの制限等の措置と合わせて,現在では社会的距離拡大(social distancing)と総称されることが多い.もっとも,現時点の日本ではあまりこの言葉は普及していないため,以下では,特段の断りがないかぎり,社会的距離拡大措置全般のことを指して隔離と呼ぶ.
 隔離は,例えば2002─3 年のSARS 流行当初のように,病原体や流行の疫学的特徴がはっきりしておらず,またそのため予防目的のワクチンや明確な治療法が存在しないような感染症に対しては,予防やまん延防止のための重要な対策となる.しかし,感染者・濃厚接触者の隔離や自宅待機,多数の人々が利用する施設の使用制限等の命令は,個人の移動や行動の自由,集会の自由,自由な経済活動などを制限する.つまり,隔離という措置は,感染症のまん延防止という社会的・公衆衛生的な利益と,個人の基本的な自由・権利との衝突の可能性を孕んでいる.そこで,いつ,いかなる場合,誰に対する行動や移動の制限が許容されるのかという正当化の問題が,隔離に際しての重要な倫理的問題となる.
 一般に,隔離など個人の自由の制限を伴う公衆衛生対策の正当化に関しては,1985 年に国際連合経済社会理事会によって示された,シラクサ原則[4]が参照されることが多い.このシラクサ原則の精神を要約すれば,個人の自由の制限を伴う感染症対策の実施に際しては,次の点を考慮に入れなければならない[5].
 (1)制限は法によって規定され,法に則して施行されなければならない.
 (2)制限は公共の利益に資する正当な目的に照らしたものでなければならない.
 (3)制限は当該目的を達成するうえで厳密に必要とされるものでなければならない.
 (4)同一の目的を達成するような,より侵入や制限の度合の低い代替手段が利用不可能でなければならない.
 (5)制限は科学的証拠に基づくものでなければならず,恣意的に立案・強要されたものであってはならない.
 確かにこれらは,隔離の実施に際してすべからく考慮されるべき事柄であり,現在の新型インフルエンザ対策をめぐる議論の中でも,概ねこれらと同趣旨の基準が提唱されている[6].しかし,特に新型インフルエンザ等の公衆衛生上の緊急時に実施される隔離の正当化に際しては,これらの原則を直接適用するだけでは解決困難なさまざまな問題が発生しており,議論を呼んでいる.
 
1.どの程度の脅威であれば隔離が許容されるか
 まず,感染症の脅威の規模をめぐる問題がある.シラクサ原則の(2)にあるように,一般には,社会が直面している明白かつ重大な脅威を防止するためであれば,個人の基本的な自由や権利を制限することも倫理的に許容されやすい.しかし,どの程度の感染症の脅威であれば隔離も許容されるのか.例えば,新型インフルエンザ等の脅威ということで,1918 年のスペイン風邪と同程度の被害を想定するのであれば,それが社会に対する重大な脅威であることにはほとんど疑いの余地がないだろう.しかし,2009 年の新型インフルエンザが社会に対する重大な脅威とまで言えるかどうかについては,判断が分かれるかもしれない.
 感染症の脅威の大きさは,その病原体が感染者にどの程度重篤な疾患を引き起こすかだけでなく,感染経路の様態や感染拡大の速度などにも左右されると考えられる7).さらに,とりわけ新型インフルエンザ等の流行当初の時点では,いまだ病原体やその疫学的特徴についての情報が乏しいことから,目下の流行がどの程度の被害を及ぼすかを予測することは容易ではない.そのため,どの程度重大な脅威であれば隔離によって個人の移動や行動の自由を制限することも許容されるのかについて,その明確な基準を定めることは困難を極める[8].となれば,現実的な考え方としては,それまでに入手された限られた情報をもとに,その状況で予想される最悪の事態を視野に入れた対策を取ることも止むを得ないかもしれない.しかし,例えば日本弁護士連合会(日弁連)からは,特措法のようにスペイン風邪を被害想定の上限に位置づけるかぎり,こうした「万が一に備える」という発想は安易に利用されてしまい,非常に曖昧な根拠のもとに人権が制限されるという危惧も示されている[9].
 
2.どの程度強力なエビデンスが必要か
 次に,隔離という感染症対策の有効性をめぐる問題がある.そもそも隔離が実施されるからには,その措置に感染症の予防・まん延防止効果が認められなければならず,もしそうした効果が認められないのであれば,それは端的に不必要な措置である.また,その感染症対策としての必要性を厳密に判断するためには,当然のことながら,可能なかぎり科学的な証拠に基づかなければならない.したがって,シラクサ原則の(3)や(5)の条件を満たすためには,十分な科学的証拠に基づいて隔離の必要性を判断しなければならない.しかし,そうした隔離の必要性を立証するためには,隔離の有効性について,どの程度まで強力なエビデンスが要求されるのか.
 新型インフルエンザの感染から発症までには数日間の潜伏期間があり,また感染しても明確に発症しない場合もあることから,感染者が自らの感染に気づかずに他人に伝播させる可能性は高い.そのため,接触者に対する隔離や自宅待機の措置が有効であるのは流行の初期,しかも感染拡大を遅らせるための手法として有効であると考えられている[10].また,一般に児童は感染源となりやすいことから,学校閉鎖には感染の拡大防止効果があると推定される.しかし,少なくとも現時点では,これらさまざまな形態の隔離の有効性について十分なエビデンスが得られているとまでは言い難い.こうした科学的根拠の不十分さから,日弁連などは,感染拡大の防止という目的達成に必要な最小限度を超えて集会の自由が制限される危険性が高いとして,特措法を批判している[11].
 感染症対策による公共の利益の保護と個人の権利・自由の制限とのバランスを取るための一つの考え方としては,個人の基本的権利・自由の制限を伴うような公衆衛生対策を実施する場合には,そこで制限される基本的権利・自由が重要なものであるほど,その公衆衛生対策の有効性についてのより強力なエビデンスが要求されるというものがある[12].この見解に従うならば,移動や集会の自由という重要な基本的権利・自由を制限する隔離は,今後の研究等を通じてその有効性についてのエビデンスが十分に蓄積されるのでないかぎり,実施されるべきではないのかもしれない.
 もう一つの考え方として,隔離の実施の必要性を判定する際にはその有効性についてのエビデンスのレベルだけではなく,社会が直面している感染症の脅威の大きさも考慮に入れなければならないという見解もある.この見解に従えば,病原体やその疫学的特徴についての情報に乏しく,予防用のワクチンや明確な治療法の確立されていない流行初期に,何万人,何百万人の生命が危機にさらされる可能性があるにもかかわらず,多かれ少なかれ予防効果が期待される隔離という措置が,最高レベルのエビデンスがないかぎり決して許されないというのは無謀であり,社会が直面している危機が大きければ大きいほど,要求されるエビデンスのレベルは低くてもかまわないとされる13).この考え方は,不確実性を理由に予防措置を何も取らないことが破壊的な帰結を招くおそれがある場合には,その「何もしない」という選択肢の支持者の側にこそ厳格な挙証責任が問われるという,いわゆる予防原則の発想とも親和的であり,とりわけ2002─3 年のSARS 流行以降は,この予防原則の見解に訴えた積極的な予防措置の実施を擁護する声も高まっている[14].
 
3.緊急時に個人の自由の制約の最小化は実現可能か
 シラクサ原則の(4)にも見られるように,一般に,ある公衆衛生対策と同程度の効果が期待される別の対策が存在するならば,より個人の自由の制約度の低い対策を実施するほうが倫理的には望ましい[15].したがって,隔離という感染症対策の実施に際しても,その状況で隔離と同程度の効果が期待され,かつ,隔離に比べて個人の自由の制約度の低い別の対策が存在するかどうかを考慮に入れなければならず,隔離とはあくまでも,それら他の対策のすべてが失敗に終わった後に用いられる「最後の手段」(last resort)でなければならないとは,よく言われるところである.しかし,新型インフルエンザの流行当初のようにリスクについての不確実性が高い公衆衛生上の緊急時には,そうした自由の制約度の低い代替手段を試みるだけの時間的余裕はないかもしれない.その場合,個人の自由の制限の最小化を要求するこの条件は,少なくとも新型インフルエンザの流行当初のような公衆衛生上の緊急時には,有名無実と化すおそれもある[16].
 また,仮に隔離の実施はやむをえないと判断された場合であっても,実際の感染者の隔離(isolation)ではなく,感染の疑いがある人々や流行地域の住民を隔離(quarantine)するという場面では,同じ隔離でもその実施形態の面では自由の制約度の高いものから低いものまでさまざまな選択肢がありうるということを考慮に入れる必要がある[17].例えば,2002─3 年のSARS 流行時には,中国では多くの市民に対して特定の収容施設への集団隔離が命令された一方で,カナダのトロントでは市民に対する自発的な自宅待機が要請され,13,000 人を超える市民がその要請を受け入れた結果,強制的な措置が取られた事例はわずか27 例であったと言われている[18].
 さらに,感染症やそれに伴う隔離の脅威は,一般市民の間に恐怖やパニックを引き起こすことから,地域住民の強制的な集団隔離は市民の自由を制限するばかりでなく,感染症の予防・まん延防止対策としてもかえって逆効果になるという指摘もある19).例えば,カナダよりも強制的な対策が取られた中国では,香港でのSARS 流行の発生当初,ある地域の住民を集団的に隔離施設へと移送しようとしたところ,半分以上の家庭が移送前に行方をくらましたという逸話や,北京に戒厳令が敷かれて隔離が実施されるという噂が立った結果として,24 万人を超える地方からの出稼ぎ労働者が故郷に逃げ帰った等の逸話も残っており,自発的な自宅待機よりも強制的な集団隔離のほうが常に効果的であるとも限らない.
 とはいえ,どのような形態の隔離が効果的であるかは,病原体や疫学的特徴,さらには流行地域の文化的要因などにも左右されることから,自発的で個人の自由の制限が少ない形態の隔離が常に望ましいとも一概には断定できない.しかし,人々の隔離に対する意識の調査や過去の世界各地での隔離の経験などを踏まえて,政策決定に際しての選択肢を増やしておくことが,予防原則に依拠して個人の自由の制約度の高い感染症対策を即断するという安易な決定に陥らないための防御策になるというのは,傾聴に値する指摘と言えよう.(以下、第9章本文つづく。傍点は省略しました)
 
【BOX9─1:隔離に関する法的基盤】
 特定都道府県知事は,新型インフルエンザ等緊急事態において,新型インフルエンザ等のまん延を防止し,国民の生命及び健康を保護し,並びに国民生活及び国民経済の混乱を回避するため必要があると認めるときは,当該特定都道府県の住民に対し,[中略]生活の維持に必要な場合を除きみだりに当該者の居宅又はこれに相当する場所から外出しないことその他の新型インフルエンザ等の感染の防止に必要な協力を要請することができる.(第1 項)
 学校,社会福祉施設[中略],興行場[中略]その他の政令で定める多数の者が利用する施設を管理する者又は当該施設を使用して催物を開催する者[中略]に対し,当該施設の使用の制限若しくは停止又は催物の開催の制限若しくは停止その他政令で定める措置を講ずるよう要請することができる.(第2 項)
 施設管理者等が正当な理由がないのに前項の規定による要請に応じないときは,特定都道府県知事は,[中略]当該施設管理者等に対し,当該要請に係る措置を講ずべきことを指示することができる.(第3 項)
 
※第9章の4節以降は、以下の構成です。
Ⅳ.予防接種
  1.ワクチンの優先接種順位の問題
  2.ワクチンの配分の公正さに関連する原則
  3.ワクチンの接種順位の決定の難しさ――日本の体制を例に
  4.手続的正義の重要性とその他の問題
Ⅴ.医療従事者の診療義務の問題
  1.医療従事者の出勤拒否の可能性
  2.医療従事者の診療義務の根拠
  3.医療従事者の診療義務の限界
  4.個人の義務から社会の連帯へ
まとめ
 
[1]Murray, CJ, Lopez, AD, Chin, B, Feehan, D, Hill, KH, 2006, “Estimation of Potential Global Pandemic Influenza Mortality on the Basis of Vital Registry Data from the 1918─20 Pandemic:A Quantitative Analysis,” Lancet, 368: 2211─8.
[2]さまざまな倫理的問題を包括的に取り上げている文献としては,以下参照.Battin, MP, Francis,LP, Jacobson, JA, and Smith, CB, 2009, The Patient as Victim and Vector: Ethics and Infectious Disease, New York: Oxford University Press, chs. 17─19; Gostin, LO, 2004 “Pandemic Influenza: Public Health Preparedness for the Next Global Health Emergency,” Journal of Law, Medicine & Ethics: 565─73; Gostin, LO, 2006, “Medical Countermeasures for Pandemic Influenza: Ethics and the Law,” Journal of the American Medical Association 295, no. 5: 554─6; Kotalik, J, 2005, “Preparing for An Influenza Pandemic: Ethical Issues,” Bioethics, 19, no. 4:422─31; Schuklenk, U, and Gartland, KMA, 2006, “Confronting an Influenza Pandemic: Ethical and Scientific Issues,” Biochemical Society Transactions, 34: 1151─1154; Selgelid, MJ, 2009, “Pandethics,” Public Health, 123: 255─9; Slowther, A, 2009, “Planning for and Managing Pandemic Influenza,” Clinical Ethics, 4, 116─8; Thompson, AK, Faith, K, Gibson JL, and Upshur, REG, 2006, “Pandemic Influenza Preparedness: An Ethical Framework to Guide Decision Making,” BMC Medical Ethics, 7, no. 12; Tong, R, “Shaping Ethical Guidelines for an Influenza Pandemic,” Michael Boylan ed., 2008, International Public Health Policy and Ethics, Springer, pp. 215─231; University of Toronto Joint Centre for Bioethics Pandemic Influenza Working Group, 2005 Stand on Guard for Thee: Ethical Considerations in Preparedness Planning for Pandemic Influenza; Upshur, REG, 2005, “Enhancing the Legitimacy of Public Health Response in Pandemic Influenza Planning: Lessons from SARS,” Yale Law Journal of Biology and Medicine, 78: 331─338; World Health Organization, 2007, Ethical Considerations in Developing Public Health Response to Pandemic Influenza.
[3]二種類の隔離の区別と日本における用語の混乱に関しては,岡崎勲・豊島英明・小林廉毅編,2009『標準公衆衛生・社会医学(第2 版)』 医学書院,164 頁参照.
[4]United Nations, 1985, Economic and Social Council, Siracusa Principles on the Limitation and Derogation Provisions in the International Covenant on Civil and Political Rights, http : //www1.umn.edu/humanrts/instree/siracusaprinciples.html(2014 年4 月15 日確認)
[5]cf. WHO Guidance on human rights and involuntary detention for xdr-tb control. http://www.who.int/tb/features_archive/involuntary_treatment/en/(2014 年4 月15 日確認)
[6]Gostin, LO, Bayer, R, and Fairchild, A, 2003, “Ethical and Legal Challenges Posed by Severe Acute Respiratory Syndrome: Implications for the Control of Severe Infectious Disease Threats,” Journal of the American Medical Association, 290: 3229─37; Selgelid, op. cit.; Verweij, M, “Infectious Disease Control,” Dawson, A, ed., 2011, Public Health Ethics: Key Concepts and Issues in Policy and Practice, Cambridge: Cambridge University Press, pp. 100─117.
[7]Gostin, Bayer, and Fairchild, op. cit., p. 3234; Verweij, M, op. cit., pp. 113─4.
[8]Selgelid, op. cit., p. 257.
[9]日本弁護士連合会『新型インフルエンザ等対策特別措置法案に反対する会長声明』2012 年3 月22 日.http : //www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120322.html(2014 年4 月6 日確認)
[10]Gostin, LO, 2006, “Public Health Strategies for Pandemic Influenza: Ethics and the Law,”Journal of the American Medical Association, 295: 1700─4.
[11]日本弁護士連合会,上掲「会長声明」参照.
[12]Kass, NE, 2001, “An Ethics Framework for Public Health,” American Journal of Public Health, 91: 1776─82, 1778─9.
[13]Selgelid, MJ, 2009, “Pandethics,” Public Health, 123: 255─9, 258.
[14]Gostin, Bayer, and Fairchild, op. cit.; Upshur, REG, 2012, “Evidence and Ethics in Public Health: the Experience of SARS in Canada,” NSW Public Bulletin, 23: 108─10.
[15]Kass, op. cit., p. 1780; Upshur, REG, 2002, “Principles for the Justification of Public Health Intervention,” Canadian Journal of Public Health, 93: 101─3, 102; Verweij, op. cit., pp. 114─5.
[16]Selgelid, op. cit., p. 258.
[17]Certon, M, and Landwirth, J, 2005, “Public Health and Ethical Considerations in Planning for Quarantine,” Yale Journal of Biology and Medicine, 78: 325─30, 326─7; Edelson, 2006, “Quarantine and Civil Liberties,” Balint, J, Philpott, S, Baker, R, and Strosberg M, 2006, eds., Ethics and Epidemics, Amsterdam: Elsevier, pp. 29─42, pp. 37─8; Gostin, Bayer, and Fairchild, op. cit., p. 3235; Gostin, LO, Gravely, SD, Shakman, S, Markel, H, and Cetron, M, “Quarantine: Voluntary or Not?” Journal of Law, Medicine & Ethics, 32, Suppl. 4: 83─6; Selgelid, op.cit., p. 258; Wynia, MK, 2007, “Ethics and Public Health Emergencies: Restrictions on Liberty,”American Journal of Bioethics, 7: 1─5, 4.
[18]Ries, NM, “The 2003 SARS Outbreak in Canada: Legal and Ethical Lessons about the Use of Quarantine,” Balint, J, Philpott, S, Baker, R, and Strosberg M, 2006, eds., Ethics and Epidemics,Amsterdam: Elsevier, pp. 43─67, pp. 44─6.
[19]Annas, GJ, 2006, “The Statue of Security: Human Rights and Post-9/11 Epidemics,” Balint,J, Philpott, S, Baker, R, and Strosberg, M, eds., Ethics and Epidemics, Amsterdam: Elsevier,pp. 3─28, pp. 13─8.

 
 
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