ハーバード大学の法学者、チャールズ・フリードに、プライバシーに関する論文がある*1。自己情報をコントロールする権利がなぜ大切かを述べたものである。
しまっておきたい記憶、隠したい病歴、密かに奉ずる信条。これらの中には、墓場まで持って行くものもあるだろうが、限られた人には打ち明けるものもある。信条であれば同志や聖職者に、深刻な病気であればかかりつけの医師に、大切な記憶は心を許す友に。
人生の機微に関わる情報を誰と交換するかしないかという選択を通じて、人は自分の選ぶ相手と、自分の選ぶ程度の親密な関係を構築する。親兄弟だからといって親密であるとは限らない。赤の他人だった人とも、親密な友情を取り結ぶことができる。そうした選択を通じて、人は自分が何者であるかも決めていく。だからこそ、自己情報コントロール権は大切である。
アルベール・カミュの『ペスト』の登場人物に、主人公の医師リューとともに、ボランティアとして防疫チームで働くタルーがいる。つらい仕事の終わったある夜、タルーはリューに「私が何者か、知りたいと思ったことはありませんか。あなたは私に友情を抱いていますか」と訊ねる。「抱いていますよ、今まではそのための時間がなかった」とリューが応えると、「では、これからのひとときを友情の時間にしませんか」とタルーは言う*2。
タルーは、これまでの人生を語り始める。彼の父は法院検事(avocat général)*3であった。時刻表を頼りに架空の旅程表を組み立てることが唯一の趣味であった父親は、ある日、論告求刑をする法廷へタルー少年を招く。父の威厳を示したかったのだろう。しかし、タルーの目に映ったのは、大仰な台詞まわしで断首刑を要求する父親と、まばゆい光に怯えきったミミズクのような様子の被告人である。紛うことなく、被告人はそこで生きていた。
つづきは、単行本『神と自然と憲法と』でごらんください。
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
2021年11月15日発売
長谷部恭男 著 『神と自然と憲法と』
四六判上製・288頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45126-5 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。
【目次】
第Ⅰ部 現実感覚から「どちらでもよいこと」へ
1 現実感覚
2 戦わない立憲主義
3 通信の秘密
4 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
5 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
6 二重効果理論の末裔
7 自然法と呼ばれるものについて
8 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争
第Ⅱ部 退去する神
9 神の存在の証明と措定
10 スピノザから逃れて――ライプニッツから何を学ぶか
11 スピノザと信仰――なぜ信教の自由を保障するのか
12 レオ・シュトラウスの歴史主義批判
13 アレクサンドル・コジェーヴ――承認を目指す闘争の終着点
14 シュトラウスの見たハイデガー
15 plenitudo potestatis について
16 消極的共有と私的所有の間
第Ⅲ部 多元的世界を生きる
17 『ペスト』について
18 若きジョン・メイナード・ケインズの闘争
19 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論
20 共和国の諸法律により承認された基本原理
21 価値多元論の行方
22 『法の概念』が生まれるまで
あとがき
索引
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