憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第8回 『ペスト』について

 
 
 ハーバード大学の法学者、チャールズ・フリードに、プライバシーに関する論文がある*1。自己情報をコントロールする権利がなぜ大切かを述べたものである。
 
 しまっておきたい記憶、隠したい病歴、密かに奉ずる信条。これらの中には、墓場まで持って行くものもあるだろうが、限られた人には打ち明けるものもある。信条であれば同志や聖職者に、深刻な病気であればかかりつけの医師に、大切な記憶は心を許す友に。
 
 人生の機微に関わる情報を誰と交換するかしないかという選択を通じて、人は自分の選ぶ相手と、自分の選ぶ程度の親密な関係を構築する。親兄弟だからといって親密であるとは限らない。赤の他人だった人とも、親密な友情を取り結ぶことができる。そうした選択を通じて、人は自分が何者であるかも決めていく。だからこそ、自己情報コントロール権は大切である。
 
 アルベール・カミュの『ペスト』の登場人物に、主人公の医師リューとともに、ボランティアとして防疫チームで働くタルーがいる。つらい仕事の終わったある夜、タルーはリューに「私が何者か、知りたいと思ったことはありませんか。あなたは私に友情を抱いていますか」と訊ねる。「抱いていますよ、今まではそのための時間がなかった」とリューが応えると、「では、これからのひとときを友情の時間にしませんか」とタルーは言う*2
 
 タルーは、これまでの人生を語り始める。彼の父は法院検事(avocat général)*3であった。時刻表を頼りに架空の旅程表を組み立てることが唯一の趣味であった父親は、ある日、論告求刑をする法廷へタルー少年を招く。父の威厳を示したかったのだろう。しかし、タルーの目に映ったのは、大仰な台詞まわしで断首刑を要求する父親と、まばゆい光に怯えきったミミズクのような様子の被告人である。紛うことなく、被告人はそこで生きていた。
 
 父親の職務にも、また死刑という制度の上に成り立つ社会にも心底嫌気がさしたタルーは、しばらくして、父母に本当の理由を告げることもなく家を出る。市民として生きること自体が、日々、死刑に関与することに彼は気づいた。さまざまな遍歴の後、社会のあり方自体を変革する運動に参画した彼は、組織の裏切り者を銃殺刑に処す場を、ハンガリーで、目の当たりにすることになる*4

僕は正義のためにペストと戦っていると思い込んでいたのに、その自分が、ずっとペスト患者だったことに、そのとき気づかされた。……僕がペストについて知っていることと言えば、そいつと戦い続けざるを得ないということだけだ。なぜなら、僕たちはみんなペスト患者だから。うっかりして他の人の顔に菌を吹きかけたりしないように、始終自分を監視していないといけないんだ。

 ペストが終息を迎えようとするとき、最後の犠牲者の一人として、タルーはリューのアパートで息を引きとる。「外は変わらぬ寒い夜だ。澄みわたり凍った空に星々が貼りついている。薄闇の部屋で、窓に冷気が、凍てついた夜のほの明るい息吹が感じられた」。
 
 リューは思う*5

希望なくして心の安らぎはない。タルーは人を断罪する権利は誰にもないと考えたが、誰も断罪をやめはしないことも知っていた。被害者でさえ、ときには死刑執行人となる。断絶と矛盾の中を生きたタルーに、希望はなかった。

 タルーの述懐は、1930年代におけるカミュ自身の、アルジェリアでの共産党員としての経験と実感を反映しているのであろう。しかし、それを超えてもいる。高邁な理想を楯にとった組織防衛の論理と暴力行使の正当化一般に対する、強靱な抵抗の意思が示されている。
 
 そのためサルトルに、冷戦下において間違った側に味方したと糾弾されることにもなった。『反抗的人間』をめぐる論争の際、カミュが『レ・タン・モデルヌ』に送った書簡への応答で、サルトルは次のように言い放つ*6

強制収容所の存在は、われわれを憤激させ、恐怖を感じさせるかもしれない。しつこくとりつきもするだろう。だからと言って、困惑を感じる必要があるのか。

 
 神聖なる共産主義へと至る「歴史」への信仰を保持することは、強制収容所の存在への感受性を押し殺すことでもあった。
 
 『ペスト』は、カミュが初期の三部作──『異邦人』『シジフォスの神話』『カリギュラ』──の出版を待ちつつ、なおアルジェリアのオランで暮らしていたころに書き始められている*7
 
 『異邦人』が印刷に附されたのは1942年5月、ガリマール社が販売を開始したのは、同年6月はじめである。カミュは28歳だった。原稿は事前に、ナチス宣伝班のゲアハルト・ヘラー中尉に送付された。彼は一晩で読み終え、ガリマール社に、出版に異存はなく必要であれば印刷用紙の確保を援助すると連絡した。
 
 この頃のカミュは結核の発作に苦しめられ、しばしば喀血した。結婚した彼に、ドイツ占領下のフランスで出版すべきか、迷う余裕はなかった。彼は生きる糧を稼がねばならず、自分の命数は限られていると考えていた。『シジフォスの神話』は、「本当に真剣な哲学的問題は一つしかない、それは自殺だ」という言明で始まる*8。人生に意味はあるか、短い生をいかに生きるべきか、若い彼はそれを問うていた。
 
 ガリマール社からの支援も得て、カミュ夫妻は転地療養を試みる。船でマルセイユに着き、リヨンを経てヴィヴァレ地方のル・シャンボン-シュル-リニォン村に近いホテル、ル・パヌリエに赴く。フランシーヌの遠縁の親族が経営するホテルである。当時、高地で過ごすことは、結核を快方に向かわせると、誤って、信じられていた。プロテスタントの住民からなるこの地域は、第二次大戦下、強制収容所送りとなるはずだった多くのユダヤ人を庇護したことで知られる。
 
 数学の教員であった妻のフランシーヌは1942年9月末にアルジェリアに戻った。11月8日アメリカ軍はモロッコとアルジェリアに上陸し、ドイツ軍は同月11日、「自由地域」と呼ばれていたフランス南部に進駐した。カミュはアルジェリアに戻る途を断たれた。彼はスペインを経てアルジェリアに渡る可能性を考えたが、友人たちは止めた。フランコ政権に捕まれば、収監される上、治療を受けるすべもない。
 
 『ペスト』の登場人物の名前は、ル・パヌリエでの滞在経験から来ている。ル・パヌリエという名からは戦闘的なイエズス会士のパヌルー、隣人のモンランベールからは、恋人と再会するためにペストの街を脱出しようとする新聞記者のランベール、村医者のリウー(Rioux)からは主人公のリュー(Rieux)といった具合に。
 
 カミュは、抵抗運動に参加するドミニコ会の修道士ブリュクベルジェと知り合う。「若いころ、神父はみな幸福なのだと思っていました」と言うカミュに、神父は答える。「信仰を失う恐怖から感受性が損なわれてしまい、彼らにとって聖職は否定的な務めでしかなくなっている。人生を正面から受け止めようとしていない」*9
 
 ペストに打ちひしがれたオランの街でなお、医学に頼らず、神をひたすら愛することを唱導するパヌルー神父について、タルーは、戦時中、両眼をつぶされた若者の顔を見て信仰を失った司祭の逸話を引きつつ、次のような観察を述べる*10

パヌルーには彼なりの理屈がある……罪なき者が両眼をつぶされたとなれば、キリスト者は信仰を失うか、両眼がつぶされることを受け入れるかだ。パヌルーは信仰を失いたくない。最後まで信仰と添い遂げるつもりだ。

 ル・シャンボン-シュル-リニォンの村人たちは、信仰のある者もない者も、ユダヤ人の保護と抵抗運動のため、ともに戦っていた。表向きはヴィシー政権へ忠誠を誓い、ペタン元帥の誕生日には教会の鐘を鳴らした。他方で、当局の捜索を知らせる合図を示し合わせ、身分証を偽造し、ときには隣国のスイスまでユダヤ人たちを案内した。当時のフランスにあって、稀なことである*11
 
 この世は不条理であるだけではない。悲惨で悪に満ちている。この世は不条理と知りつつ、悪とは戦い続けるしかない。自分の中の悪も含めて。たとえ力が及ばないことがあっても。普通の人々が、普通の良識と品性を働かせれば、それは行える。それが『ペスト』のメッセージである*12
 
 カミュのメッセージは人々には届かなかったのであろう。人々は、自身では判断せず、カミュの権威にすがった。レジスタンス運動の機関紙コンバに掲載されるカミュの社説を読んで、人々は日々の判断の指標を得ようとした*13。自動車事故死の1カ月前のインタヴューで、あなたは世代の導き手ではとの質問に、彼は次のように答えている*14

私は誰のためにも語らない。自分自身のことばを探すのに懸命だ。私は誰も導かない。自分がどこへ行こうとしているか、私は知らない。ぼんやりとしか分からない。

 他方、パリのインテリたちは、『ペスト』の多義性にとまどいを覚えた。ナチス・ドイツはペストと同じ自然の作用なのか。それはナチスに加担した人々の責任を免除することにならないのか。
 
 名作と言われる小説が例外なくそうであるように、『ペスト』も象徴と比喩に富んでいる。カミュの他の小説や戯曲と同様、『ペスト』から安易な教訓を得ようとすべきではないのであろう。
 
 ペストが終息して市の封鎖が解かれ、ランベールは恋人の到着を駅のホームで待つ。彼は、ペストの発生当初、市を脱出して恋人に会いに飛んで行きたいと熱望したあのときの自分に戻ることを望んだはずだが、それがもはや不可能であることも分かっていた。「ペストは彼の心を分裂(distraction)させ、彼は変わってしまった。その分裂を彼は全力で否定しようとするが、漠然とした不安のように、彼の中に居続ける」*15
 
 カミュは『手帖』に次のように記している*16

収容所から解放された人たちの8割は離婚した。人間の愛の8割は、5年の離別に耐えられない。

 1944年8月にパリは解放され、警察の探索を逃れてパリ郊外に潜伏していたカミュも、通常の生活に戻る。フランシーヌとも再会を果たす。
 
 カミュが郊外に隠れ住むことにしたのは、『誤解』の初演で主演したマリア・カサレスと連れ立って歩いていたとき、突然道路の両端が封鎖され、警察の尋問を受けたことがきっかけである。カミュはコンバの割り付け紙を所持していた。コートのポケットに隠していた割り付け紙を、彼はマリアに手渡す。警察は両手を挙げたカミュを身体検査したが、何も発見することはできなかった*17
 
 マリアはフランシーヌの存在に不安を感じていた。カミュは、「フランシーヌは妹のようなものなんだ」とマリアに請け合っている*18
 
 カミュの早すぎる晩年の作品『転落』で、主人公クラマンスの人生の転機となるのは、セーヌ河にかかるポン・ロワイヤルから、深夜、若い女性が身投げする場面である。フランシーヌはカミュに、「これ、私のおかげよ」と言った*19。彼女はオランで、そしてパリで、投身自殺を試みている*20。マリアのことで、彼女は深刻な鬱病に陥っていた。
 
 カミュ自身は『転落』について、次のように語る*21

『転落』の語り手は、計算ずくの告白を行う。運河のめぐる冷たい光の街、アムステルダムに逃げのびた彼は、隠者=預言者を演じる。この元弁護士は、怪しげな酒場で話を聞いてくれそうな人間を待ち構える。彼は現代人で、つまり裁かれることに耐えられない。すぐさま自分を糾弾するのは、他人を糾弾しやすくなるからだ。彼は鏡を見つめるが、その鏡は最後に他人に押しつけられる。

 断罪に抵抗し続けたカミュは、人が他者を断罪し続けざるを得ないことも了解していた*22。比較不能な諸価値の対抗の中を生きた彼に*23、心の安らぎはあっただろうか。
 

*1 Charles Fried, ‘Privacy’, 77 Yale L.J. 475 (1968).
*2 Albert Camus, La peste (Gallimard 1947) 221-22. 既存の邦訳には従っていない。
*3 破毀院、会計院および控訴院で、検事長(procureur général)の指揮下で職務を遂行する上級の検察官。
*4 Camus (n 2) 226-27.
*5 Ibidem, 264.
*6 Quoted in Raymond Aron, Memoires (Robert Laffont 2003) 722. アロンは、「この優れた知性[サルトル]が、こんなたわごとをなぜ発し得たのか」と慨嘆する(ibidem, 723)。
*7 Olivier Todd, Albert Camus: une vie (Gallimard 1996) 389.
*8 Albert Camus, Le mythe de Sisyphe: essai sur l’absurde (Gallimard 1942) 17.
*9 Todd (n 7) 444.
*10 Camus (n 2) 208.
*11 Robert Zaretsky, A Life Worth Living: Albert Camus and the Quest for Meaning (Harvard University Press 2013) 51-53.
*12 Tony Judt, ‘On ‘The Plague’’, New York Review of Books, 29 November 2001.
*13 1943年末にパリに移ったカミュは、ガリマール社の校閲・編集を務めるかたわら、コンバ紙の執筆・編集に携わった。ガリマールの編集者として彼が発見した著者に、シモーヌ・ヴェイユがいる(Zaretsky (n 11) 103-05)。
*14 Quoted in Zaretsky (n 11) 185.
*15 Camus (n 2) 266.
*16 Albert Camus, Carnets II: janvier 1942-mars 1951 (Gallimard 2013) 162.
*17 Todd (n 7) 485.
*18 Ibidem, 537. 『手帖』でカミュは、「私にとって結婚とは洗練された官能的情事ではなかったか。そうだった」と記す(Albert Camus, Carnets III: mars 1951-décembre 1959 (Gallimard 2013) 173)。
*19 Todd (n 7) 877.
*20 Ibidem, 808-10.
*21 Ibidem, 878.
*22 『手帖』でカミュは、「実存主義者。彼らが自らを責めるのは、必ず他者を打ち負かすためだ。改悛した判事たち」と記す(Camus (n 18) 172)。
*23 Cf. Tony Judt, The Burden of Responsibility: Blum, Camus, Aron, and the French Twentieth Century (University of Chicago Press 1998) 125.

 
 
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第1回 現実感覚
第2回 戦わない立憲主義
第3回 通信の秘密
第4回 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
第5回 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
第6回 二重効果理論の末裔
第7回 自然法と呼ばれるものについて
第8回 『ペスト』について
第9回 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第7版』(新世社、2018年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。