憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第11回 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論

 
 
 ジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、終わり近くの第23章で「高利usury」に関するアダム・スミス*1とジェレミー・ベンサム*2の論争に触れている。
 
 「高利」という概念は多義的であるが、いずれにせよ否定的な評価を伴っている。動産や金銭の貸借にあたって、利子を一切とるべきではないという立場からすると──後で説明するように、こうした立場は歴史上、稀ではない──あらゆる利子は「高利」であって許されない。他方、ある程度の利子をとることは許されるが、破格に高い利子をとることは借手の事業と生活を破綻させるし、そうした行為が広まると健全な事業主が資金に欠乏することになり、一国の経済にも悪影響を与えるので許すべきでないという立場もある。
 
 ベンサムの『高利の擁護Defence of Usury』*3は、1787年末に初版が刊行された。本書は、ベンサムの他の著作の多くと同様、彼の執念深さが遺憾なく発揮された怪作である。
 
 ベンサムが「高利」とするのは、当時のイングランドで上限利率とされた年率5パーセントを超える利子である*4。ベンサムの高利擁護論は多岐にわたる。彼は、他の商品の上限価格を政府が設定することは稀なのに、なぜ現在の金銭を将来の金銭と交換する貸借について上限価格を設定する理由があるのか、また、なぜ政府は上限価格だけを設定して下限価格を設定しないのかという一般的な疑問を提示したのち*5、個別の論点の検討にとりかかる。
 
 高利禁止の根拠として、浪費の抑止が挙げられることがある。しかしベンサムに言わせると、こうしたパターナルな──そう言いたければマターナルな──配慮は、政府にとっては義務なき働き(supererogation)と言うべきものである*6。資産のある浪費家はわざわざ高利で借金しようとはしない。借金をする場合でも、確かな担保があれば、高利を吹っ掛けられることはない。貸手としては、借手が浪費家であるかどうかを見分けるよりも、担保が確かかどうかを見分ける方が簡単である。担保を提供できない浪費家であれば、誰も金を貸そうとはしないはずである*7
 
 高利禁止の次の根拠として、貧困者の保護という根拠が挙げられる。しかし、貧困者といえども自分の判断で5パーセントを超える利率で借金をすべきだと考え、それに応ずる貸手がいるのであれば、個々人の事情を知らない政府がそれを妨害すべき理由はない*8
 
 事理の弁識能力の不十分な者を保護するという根拠が挙げられることもある。しかし、事理の弁識能力が全く欠如しているのでない限り、個々人の判断よりも政府の判断の方がすぐれていると考えるべき理由はない。仮に政府の判断の方がすぐれているとしても、ことは金銭貸借の場面には限らないはずである。政府は、同じ根拠で、あらゆる物品の価格を統制せざるを得なくなる。借りた本人が高すぎる金利で借りてしまったと考えるのであれば、より低利の借金に借り換えればよいだけであり、そうした貸手が見つからないとすれば、当初の金利は相応なものであったことになる*9
 

 こうして高利禁止の根拠論をすべて粉砕した後、ベンサムは高利禁止のさまざまな弊害を並べる。急場をしのぐために借金しようとする人を妨害する、そのため資金を要する人は手持ちの資産を安値で売却せざるを得なくなり、高利で借金するよりはるかに大きな損失を被る等である*10
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つづきは、単行本『神と自然と憲法と』でごらんください。

 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
 
2021年11月15日発売
長谷部恭男 著 『神と自然と憲法と』

 
四六判上製・288頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45126-5 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。


【目次】
第Ⅰ部 現実感覚から「どちらでもよいこと」へ
1 現実感覚
2 戦わない立憲主義
3 通信の秘密
4 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
5 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
6 二重効果理論の末裔
7 自然法と呼ばれるものについて
8 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

第Ⅱ部 退去する神
9 神の存在の証明と措定
10 スピノザから逃れて――ライプニッツから何を学ぶか
11 スピノザと信仰――なぜ信教の自由を保障するのか
12 レオ・シュトラウスの歴史主義批判
13 アレクサンドル・コジェーヴ――承認を目指す闘争の終着点
14 シュトラウスの見たハイデガー
15 plenitudo potestatis について
16 消極的共有と私的所有の間

第Ⅲ部 多元的世界を生きる
17 『ペスト』について
18 若きジョン・メイナード・ケインズの闘争
19 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論
20 共和国の諸法律により承認された基本原理
21 価値多元論の行方
22 『法の概念』が生まれるまで
あとがき
索引
 
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長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。