憲法学の散歩道
第12回 plenitudo potestatisについて

About the Author: 長谷部恭男

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)、『法とは何か 新装版』(河出書房新社、2024年)ほか、共著編著多数。
Published On: 2020/9/29By

 
 
 テューダー朝のヘンリー8世*1は、イングランド国教会を創設したことで知られる。
 
 彼は、兄アーサーの未亡人であったキャサリン・オヴ・アラゴンと結婚したが、男子に恵まれなかった。ヘンリーは、その原因が、聖書の禁ずる近親婚であるために神の怒りに触れたことにあると言い始め*2、ローマ教皇に婚姻の無効を宣言するよう求めた。
 
 キャサリンの甥にあたる神聖ローマ帝国皇帝カール5世からの圧力もあり、教皇クレメンス7世は、ヘンリーに有利な判断を下さない。キャサリンは、アーサーとの婚姻は完成しておらず(unconsummated)*3、彼女は独身者としてヘンリーと結婚したと主張した。クレメンスはかえって1531年に、アン・ブーリン*4との結婚を企てていたヘンリーに対して、結婚の禁止を命じた。
 
 この対立が発端となって、ヘンリーは、司教座の継承に際してのローマ教皇への上納を禁ずる法律、争訟をローマ教皇へ上訴することを禁ずる法律、国王を教会の首長として認める法律などを次々に議会に制定させる。これらの施策は、議会の力を借りてイングランドの教会の組織と権限を変革しただけではない。伝統的な建前によると、既存の法を宣言するにとどまるはずであった議会の役割をも変革し、議会に新たな法を制定する権限があることを明確化することとなった*5
 

 
 本稿で扱うのは、イングランド国教会の成立とそれに伴う王権と議会権限の伸張ではなく、ヘンリーはなぜアン・ブーリンとの結婚にあたって、教皇の許可を求めようとしたのかである。教皇だけにできることがあるのだろうか。
 
 この論点は、plenitudo potestatis(全権限)という観念と密接に関連している。ヨーロッパで近代国家が興隆した時期に、君主の主権の絶対最高性を示すために使われたことばである。
 
 このことばは、教皇イノケンティウス3世*6によって多用された。彼以前に用いられなかったわけではないし、教皇の権限だけでなく、大使や特使の権限や司教の権限について使われることもあった*7。ただ、イノケンティウスは教皇の権限行使に際して、それがplenitudo potestatisであることをしばしば根拠とした。教皇のplenitudo potestatisの内容が本格的な議論の対象とされたのは、彼以降のことである。
 
 彼の発した指令書(decretal)の1つにQuanto personamがある*8。ドイツの5人の司教に送られたもので、ケルフルトのコンラッドが20日以内に教皇の指示に従わないときは、彼を破門するよう命じていた。コンラッドは、ヒルデスハイムの司教であったが、ヴュルツブルクの司教座参事会が彼を司教に選出すると、教皇の許可を得ることなく、ヴュルツブルクへ移動した。
 
 イノケンティウスは、司教はその教会と婚姻しており、したがって、他の司教座教会への転任は、教皇のみがそれをなし得ると言う。
 

 婚姻の絆を解くことができるのは神のみであり、神のみが司教とその会衆との絆を解くことができる。この権限をキリストはペトロ、つまり初代のローマ教皇とその後継者のみに与えた。したがって、司教と教会との婚姻を解き、司教を転任させることができるのは、教皇のみである。
 ↓ ↓ ↓
 
つづきは、単行本『神と自然と憲法と』でごらんください。

 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
 
2021年11月15日発売
長谷部恭男 著 『神と自然と憲法と』

 
四六判上製・288頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45126-5 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。


【目次】
第Ⅰ部 現実感覚から「どちらでもよいこと」へ
1 現実感覚
2 戦わない立憲主義
3 通信の秘密
4 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
5 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
6 二重効果理論の末裔
7 自然法と呼ばれるものについて
8 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

第Ⅱ部 退去する神
9 神の存在の証明と措定
10 スピノザから逃れて――ライプニッツから何を学ぶか
11 スピノザと信仰――なぜ信教の自由を保障するのか
12 レオ・シュトラウスの歴史主義批判
13 アレクサンドル・コジェーヴ――承認を目指す闘争の終着点
14 シュトラウスの見たハイデガー
15 plenitudo potestatis について
16 消極的共有と私的所有の間

第Ⅲ部 多元的世界を生きる
17 『ペスト』について
18 若きジョン・メイナード・ケインズの闘争
19 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論
20 共和国の諸法律により承認された基本原理
21 価値多元論の行方
22 『法の概念』が生まれるまで
あとがき
索引
 
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About the Author: 長谷部恭男

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)、『法とは何か 新装版』(河出書房新社、2024年)ほか、共著編著多数。
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