あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひ本の雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。
ジョン・グレコ 著
上枝美典 訳
『達成としての知識 認識的規範性に対する徳理論的アプローチ』
→〈「日本語版へのまえがき」(pdfファイルへのリンク)〉
→〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉
日本語版へのまえがき
私の半生について
私が哲学に出会ったのは遅い。少なくとも自分では遅いと思っている。私はジョージタウン大学(ワシントンD.C.)の経営学部で学び、そのときは、そこを出たらロースクールに行くつもりだった。しかしジョージタウン大学はイエズス会の学校で、その種の学校の常として、すべての学生がいくつかの哲学の授業を必修科目として履修しなければならなかった。私はすぐに、自分が会計や経営より哲学に興味を惹かれていることに気付き、それで、人文学部に移り、主専攻を哲学にした。しかしまだその時点では、そこを出たらロースクールに行くつもりだった。哲学を専攻したことは法律方面の仕事をするにしても悪くない経歴なので、ウェイン・デイヴィスやテリー・ピンカードらによる、ジョージタウン大学哲学科の面白い講義を受けながら、楽しい学部時代を過ごすつもりだった。
ジョージタウン大学を卒業するとき、幸運にも、哲学を勉強するための奨学金を受給できることになった。これはいい、と私は思った。あと数年、奨学金をもらいながら哲学を勉強し、そのあとロースクールに行けばいい、と私は考えた。結局、私は一度もロースクールには行かなかった。大学院時代のどこかの時点で、もしかすると哲学で食べていくことができるのではないかと考えるようになった。そして再び幸運なことに、別のイエズス会の学校である、ニューヨーク市のフォーダム大学に一年契約の職を見つけることができた。さらに幸運が重なり、私が働き始める前に、その職が終身契約の職に変わった。その後は、フォーダム大学、そしてセントルイス大学の大きなサポートを受けて、自分が望んでいたよりもはるかに豊かで実りある研究生活をこれまで送ることができた。
私は、アメリカ合衆国の東海岸にあるロードアイランド州で育った。イタリア、アイルランド、ポルトガルからの移民による豊かな文化に満ちた美しい州である。私の家族はイタリア系アメリカ人で、私は一族の中で最初に四年制の大学に行くことを許された人間である。私が当初、哲学で食べていこうとは夢にも思わなかったのはこのためである。しかし私の家族は教育を重視していたし、私の公立学校の先生たちはみな素晴らしかった。私が大学に入学したときには、たしかに十分に準備が整っていた。
私について、日本の読者が興味をもつだろうと思われることがもう一つある。私は人生の大きな部分を柔道とともに過ごしてきた。柔道と出会ったのはジョージタウン大学の一年生のときだが、その後の大学生活をうまくやり通せたのは、ジョージタウン柔道クラブでのチームメイトや友人たちのお陰である。私のセンセイであるタッド・ナルス、そして練習相手であるリック・キャラハンは、私の兄のような存在である。リックは卒業後、日本の天理大学で一年間柔道の修行をした。ワシントン柔道クラブのジミー・タケモリは皆から尊敬されている人物であり、タケモリの家族はアメリカ合衆国東海岸に柔道を根付かせるのに重要な貢献をした。ブラウン大学での大学院時代、私は柔道部のコーチを務めたが、その後幸運にもコネチカット州スタンフォードの椎名清先生の道場で学ぶことができた。そのおよそ10 年後、私の家族は再びロードアイランドに戻ったが、たまたま散歩の途中、アメリカで最高の柔道クラブの一つ、マヨ・クヮンチー柔道レスリングクラブを見つけた。その首席師範でありコーチであるサージ・ブイソーは、それ以来、家族のように親しい親友となった。私たちの子供たちは、一緒の畳で練習をし、その後、国内外のいくつかの大会で優勝するまでになった。
現代認識論の理論的な見取り図
20 世紀半ばの英米系認識論は、知識の本性についての問いに支配されていた。それは、エドマンド・ゲティアの1963 年の論文「正当化された真なる信念は知識か」[1]によって生み出された諸問題に刺激を受けてのことである。それ以前、そしてそれ以降も、20 世紀の認識論は、知識の構造(基礎付け主義対整合主義)や認識的正当化の本性(内在主義対外在主義)についての問題を含む、懐疑論や知識の範囲にかんする問題とかかわってきた。私の最初の著書である『正しい懐疑論の扱い方──懐疑論的議論の本性と、哲学的探究におけるその役割』(Putting Skeptics in Their Place; ケンブリッジ大学出版、2000 年)[2]で私は、懐疑論でないどんな認識論も、知識を知識主体の心理にとって外在的な要因に依存させるという意味で、外在主義でなければならないと論じた。たとえば世界に対する因果的関係や、その他のモデルの関係のような要因である。要するに、その本は、正当化の本性についての内在主義は、それ以外のしかたでは回答不可能な懐疑論を生み出すのに十分だと論じている。またそれに関連して、懐疑論でなく心理的に現実的な認識論は、すべての知識が証拠からの推論に基づかなくてもいいと考える点で基礎付け主義であり、かつ十分な証拠を信頼できるかたちで真理を指し示すものと理解する点で信頼性主義でなければならないと論じている。
21 世紀の認識論は、知識の価値についての問題に向かっている。その意味で現在の西洋の認識論は、プラトンの『メノン』で提示された問題に戻っている。たとえば、なぜ、そしてどのような意味で、知識に価値があるのか。なぜ私たちは、たんに真である意見よりも知識を選好するのか。知識は、たんに実践的な理由で価値があるのか、それともそれ自体で価値があるのか。もしそうならば、どうしてなのか。現代認識論はまた、認識的規範性と認識的評価の目的についても興味をもち続けている。たとえば、認識的規範性と認識的評価は、道徳的な規範性や評価と同種のものなのか。このどちらかは、あるいは両方とも、結果主義的に理解されるべきか、あるいは義務論的に理解されるべきか。エリザベス・アンスコムの1958 年の論文「現代の道徳哲学」[3]に端を発する道徳理論における重要な発展は、道徳的規範性と道徳的価値に対する徳理論的なアプローチの利点の開拓にあった。認識論は今や、主にアーネスト・ソウザとリンダ・ザグゼブスキの影響のもとで同じ道を進んでいる[4]。
本書『達成としての知識──認識的規範性に対する徳理論的アプローチ』は、この最後に述べた方向を推し進めようとするものである。より正確に言うと、本書は、知識とは一種の達成、つまりまったくの幸運や偶然で成功したのとは違う、能力に基づいた成功だという意味での達成である、という主張の理論的な効力を開拓する。知識の本性にかんするこのシンプルな理論は、さまざまなゲティア問題を診断し、知識の価値を説明し、懐疑論に対するたしかな回答を裏書きする。また他方で、認識的規範性の本性と認識的評価の目的への洞察を提供するだろう。
日本の読者へ
私が最初に訳者の上枝美典氏に出会ったのは1990 年代の半ば、彼がフォーダム大学(ニューヨーク市)での私のいくつかのゼミにフルブライト奨学生として参加したときだった。その約20 年後、彼はセントルイス大学(ミズーリ州セントルイス)に訪問学者としてやって来て、うれしい再会を果たすことができた。その間、上枝氏は、ロデリック・チザム、ローレンス・バンジョー、アーネスト・ソウザといった、20 世紀から21 世紀初頭にかけての認識論を牽引した人々の著作を翻訳し、英米圏認識論のもっとも重要な日本語への翻訳者となった。上枝氏が訳してきた人々は、この分野のリーダーであるのに加えて、私自身の思考に重要な影響を与えた人々でもある。ソウザは、私がブラウン大学(ロードアイランド州プロヴィデンス)で書いた博士論文の指導教授であり、チザムはその審査委員会の重要なメンバーだった。バンジョーが私の正式な先生だったことはないが、私が大学院生だったとき以来、その著書を通じて私の偉大な先生だったことはたしかである。だから、私の名前がその人たちに並ぶということは、大変名誉なことである。友人であり同僚である上枝氏に感謝する。
ジョン・グレコ
[1]Gettier (1963).
[2]Greco (2000a).
[3]Anscombe (1958).
[4]とくに重要なのはSosa (1991) とZagzebski (1996) の二書である。