憲法学の散歩道
第14回 価値多元論の行方

About the Author: 長谷部恭男

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)、『法とは何か 新装版』(河出書房新社、2024年)ほか、共著編著多数。
Published On: 2020/11/25By

 
 
 政治思想史家のアイザィア・バーリンは、価値多元論者として知られる。価値多元論(value pluralism)は、価値一元論(value monism)と対置される。
 
 価値一元論は、いくつかの主張によって構成される。第一に、あらゆる道徳問題には、唯一の正解がある。第二に、正解へ行き着く途は発見可能である。第三に、すべての正解は相互に両立可能であり、ジグソーパズルのように、全体として整合する*1
 
 価値多元論は、これらの主張と対立する。第一に、あらゆる道徳問題に唯一の正解があるとは限らない。人の世には、永遠に解決できない問題──「哲学的問題philosophical problems」──も存在する*2。第二に、正解がかりにあるとしても、そこへ辿り着く途が発見可能とは限らない。とりわけ、自然科学の方法にならって検証と論理とに頼って道徳問題の正解を見出すことはできないし、歴史の究極の方向と目的に関して、必然で不可避の歴史法則は存在しない。第三に、道徳問題に関する回答はしばしば相互に両立せず、比較不能(incommensurable)でさえある。つまり、すべての回答を共通の1つのものさしに落とし込んで善し悪しを比べることはできない。
 

 
 バーリンはリベラルである。しかし、リベラルな思想家が価値多元論者とは限らない。ジョン・スチュアート・ミルは功利主義者であり、価値一元論者であった。個人の根源的平等性を強調したロナルド・ドゥオーキンも価値一元論者である*3
 
 ときにイマニュエル・カントが価値一元論者であるとされることがあるが*4、これは誤解である。彼の言う定言命法は、道徳問題について唯一の正解を発見するための手段ではないし、そんなものは発見できないとカントは考えていた。彼が客観的法秩序の下ですべての市民が社会生活を送るべきだと主張したのは、激烈に衝突する道徳的判断を下す諸個人が、自由に判断し行動し得る範囲を法秩序が各個人に平等に割り当てることで、平和な社会生活を保証することができるからである*5。カントは道徳的判断に関する多元論を当然の前提としていた。
 
 いずれにせよ、リベラリズム擁護のために価値多元論があるわけではない。価値が多元的であること、異なる諸価値が対立すること、相互に比較不能でさえあることは、この世の現実である。リベラリズムが擁護されるべきか否かとは、独立の問題である。
 

 
 価値多元論は、価値相対主義と混同されることがある。レオ・シュトラウスもこの混同をおかした。シュトラウスにとって、正解は1つである。それは決して獲得できるものではなく、それを目指して永遠に努力すべきものにとどまりはするが*6。正解が1つであることを否定する者は、シュトラウスにとっては価値相対主義者であった。
 

 バーリンは、マイケル・ウォルツァーに宛てた手紙(1986年1月14日付)で、価値多元論と価値相対主義の相違を論じている*7。議論の出発点となるのは、H.L.A. ハートが『法の概念』で描いている「自然法の最小限の内容」だとバーリンは言う。
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つづきは、単行本『神と自然と憲法と』でごらんください。

 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
 
2021年11月15日発売
長谷部恭男 著 『神と自然と憲法と』

 
四六判上製・288頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45126-5 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。


【目次】
第Ⅰ部 現実感覚から「どちらでもよいこと」へ
1 現実感覚
2 戦わない立憲主義
3 通信の秘密
4 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
5 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
6 二重効果理論の末裔
7 自然法と呼ばれるものについて
8 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

第Ⅱ部 退去する神
9 神の存在の証明と措定
10 スピノザから逃れて――ライプニッツから何を学ぶか
11 スピノザと信仰――なぜ信教の自由を保障するのか
12 レオ・シュトラウスの歴史主義批判
13 アレクサンドル・コジェーヴ――承認を目指す闘争の終着点
14 シュトラウスの見たハイデガー
15 plenitudo potestatis について
16 消極的共有と私的所有の間

第Ⅲ部 多元的世界を生きる
17 『ペスト』について
18 若きジョン・メイナード・ケインズの闘争
19 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論
20 共和国の諸法律により承認された基本原理
21 価値多元論の行方
22 『法の概念』が生まれるまで
あとがき
索引
 
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About the Author: 長谷部恭男

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)、『法とは何か 新装版』(河出書房新社、2024年)ほか、共著編著多数。
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