本たちの周辺

『問答の言語哲学』をめぐって②

 
10月刊行の『問答の言語哲学』について、著者入江幸男先生のブログ「哲学の森」では本書の各章の解説、追加説明を連載されています。読者の方々へのガイドとして、弊社サイトにも記事転載させていただくことになりました。全6回シリーズでお届けいたします。読む前に、読んだ後に、ぜひお楽しみください。[編集部]
 

 
拙著『問答の言語哲学』(勁草書房、2020)について、解説したり、追加説明したり、ご批判やご質問に答えたりしたいとおもいます。素朴な疑問、忌憚のないご意見、励ましの声、なども歓迎いたします。→【哲学の森|入江幸男のブログ】
 
 

第2回 第1章の見取り図

 
  第1章の前半では、問いと推論の関係について論じました。
 
 「考える」とはどういうことか? と問われたら、もっとも予想される答えは次の二つでしょう。一つは、考えるとは、問い、それに答えることです。もう一つは、考えることは推論することです。では、この二つは、どう関係しているのでしょうか。推論するとは、ある文(前提)から別の文(結論)を導出することです。この導出が妥当なものであるためには、推論が妥当でなければなりません。妥当な推論とは、前提が真であるならば、常に結論が真となるような推論です。例えば、次のような推論です。
 
  ソクラテスは人間である。
 
  人間は死すべきものである。
 
  ゆえに、ソクラテスは死すべきものである。
 
 しかし、この二つの前提から論理的に導出可能な結論は、「ソクラテスは死すべきものである」だけではありません。「ある不死なるものは、ソクラテスではない」とか「すべての不死なるものは、ソクラテスではない」とか「不死なるソクラテスは存在しない」などもこの二つの前提から導出可能です。しかし、一つの結論を選ばなければ、推論は完成しません。したがって、私たちが現実に推論するためには、論理法則以外のものを必要としている、ということです。推論することもまた行為ですから、私たちが推論するときには、何か目的があるはずです。その目的は、問いに答えるということではないでしょうか。問いに答えるために、可能な複数の結論の中から、一つを結論として選び出すのではないでしょうか。つまり、<推論とは、問いの答えを見つけるためのプロセスである>と思われます。そうすると、現実には、問いを前提にした次のような推論を行っていることになります。
 
   ソクラテスは不死ですか?
 
   ソクラテスは人間である。
 
   人間は死すべきものである。
 
   ゆえに、ソクラテスは死すべきものである。
 
このことは、理論的推論についてだけでなく、実践的推論についてもなりたちます。詳しくは本書で説明しましたが、別のカテゴリー「問答推論主義へ向けて」の最初の方でも、もう少し詳しく説明しました。
 さらに、問いに答えるために、別の問いを立てる必要が生じる時、<問いを前提として、またいくつかの平叙文を前提として、別の問いを結論とする>推論も考えられます。このように平叙文だけでなく問いを前提や結論に含む推論システムを考えることが必要になります。これを「問答推論」と呼ぶことにします。問いを含む論理学の研究は、ヌエル・ベルナップのLogic of Question and Answerなどがあります。本書では、ポーランドの論理学者ウィシニェフスキの「問いの推論」の研究を紹介し、拡張する仕方で、問答推論を説明しました。
 
 第1章の後半では、この問答推論をもちいて、問答推論的意味論を説明しました。
 
 第1章の後半、「1.2 推論的意味論から問答推論的意味論へ向けて」では、ロバート・ブランダムの「推論的意味論」を紹介し、前半で説明した「問答推論」を用いて、それを「問答推論的意味論」へと拡張しました。
 (個人的な話になりますが、私は2005年の秋冬に5ヶ月間ピッツバーグ大学で客員研究員となり、Nuel Belnapさんのもとで彼のLogic of Question and Answer(『問いと答えの論理学』)の翻訳に取り掛かり(この翻訳は帰国後完成したのですが、権利の関係で出版できていません)、毎週Belnapさんの部屋で細かな質問をしていました。そのときにはブランダムさんとは、彼のヘーゲル論についての2,3回面談しただけでした。2015年の秋冬にも、3ヶ月ほどピッツバーグ大学で客員研究員の機会に恵まれ、毎週ブランダムさんの推論的意味論についてや私の問答研究についての話し合う機会を持てました。この第一章後半の議論は、その時のBelnapさんやBrandomさんとの話し合いの成果も生かされています。)
 
 ブランダムは「推論的意味論」の基本的なアイデアを次のように説明しています。
 
「人が自らコミットしている概念的内容を理解することは、一種の実践的な熟練である。それは、主張から何が導かれ何が導かれないか、あるいは、何がその主張を支持する証拠で何がそれに反する証拠なのか、等々を判別できるということに存する。」(Brandom 2003, p.19 訳 p.27. Cf. Brandom 1994, p. 89)
 
 ある主張pを結論とする推論をpの「上流推論」、ある主張pを前提(の一部)とする推論を、pの「下流推論」と呼ぶことにしました(ブランダム自身は「上級推論」「下流推論」という表現を使用していませんが、このほうが簡潔なので)。文の意味(命題)を理解しているとは、その正しい上流推論と正しくない上流推論の判別と、その正しい下流推論と正しくない下流推論の判別ができるということになります。これは、言語の意味の「使用説」の一種です。言語表現の意味を、それを推論において使用することとして説明することだからです。
 私は、現実の推論は問いを前提しており、そのことを明示化すれば問答推論になることから、推論的意味論を問答推論的意味論へ拡張することを提案しました。その基本的なアイデアは次のようになります。
 
〈命題の意味を理解するということは、その命題がどのような問いに答えるための前提になりうるのか、また、なりえないのか、また、どのような問いの答えとなりうるのか、またなりえないのか、を判別できることである。〉
 
 真理条件意味論や主張可能性意味論は、真理値を持たない命題の意味を説明できないのですが、推論的意味論は、真理値を持たなくても推論関係をもつ命題であれば、その意味を説明できるというメリットをもちます(ただし、ブランダムは「主張」というタイプの発話を主に考えているので、このメリットについては言及していません)。ただし、推論的意味論は、(疑問文のように)通常の推論関係を持たない命題の意味については説明することができません。問答推論的意味論は、疑問文の意味も説明できるより包括的な説明になります。
 ところで、ブランダムが、推論関係によって命題の意味を明示化できると主張するときに、重要な論点は、推論法則は表現の意味を変えないという指摘です。論理的語彙の使用法は、その導入規則と除去規則(例えば、「かつ」(∧)という論理的語彙の場合、p、q┣p∧qという「∧の導入期測」とp∧q┣p、p∧q┣q、という「∧の除去規則」)によって尽くされており、それが同時に基本的な論理法則ともなります。これを最初に論じたのは、論理学者ゲンツェンです。しかし、このような導入規則や除去規則を任意の仕方で設定することはできません。そこには制限が必要ですが、どのような制限が必要でしょうか。そこでNuel Belnapが提案したのが「保存拡大性」です。これは、導入規則と除去規則を連続して適用してその論理的語彙が消えたときに、結果として成立する推論が、その論理的語彙を導入する以前の論理法則だけで導出できるものになっているということです。もしそれまでの論理的語彙だけではできなかった推論が、それまでの論理的語彙だけでできるようになっているのだとすると、それまでの論理的語彙や他の語彙の意味が変化していることになるからです。つまり「保存拡大性」は、ある論理的語彙の使用が、その他の語彙の意味を変化させない、ということを示しています。これによって、推論関係によって言語表現の意味が明示化されるのです(ダメットがこれを示唆していたのですが、全面展開したのはブランダムです)。
 論理的語彙がこの「保存拡大性」を持つことが、推論的意味論を可能にしている条件です。それと同様のことが疑問表現の語彙についても言えること、つまり疑問表現の語彙(疑問詞)についてもその導入規則と除去規則を想定して、それが「保存拡大性」を持つことを示し、それゆえに問答が言語表現の意味を変えることはなく、言語表現の意味の明示化に役立つことを示しました(論理や問答は、他の言語表現の意味を変えませんが、それゆえにこそ、探求にもまた利用できるのです)。
 
 第1章の最後で、問答推論的意味論が4つのメリットをもつことを説明しました。
 
次回は、第2章の見取り図を紹介します。[編集部]
 
入江幸男(いりえ・ゆきお) 1953年生香川県出身。1983年大阪大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学。現在大阪大学文学研究科名誉教授、文学博士。著書に『ドイツ観念論の実践哲学研究』(弘文堂、2001年)、『ボランティア学を学ぶ人のために』(入江・内海・水野編、世界思想社、1999年)、『コミュニケーション理論の射程』(入江・霜田編、ナカニシヤ出版、2000年)、『フィヒテ知識学の全容』(入江・長沢編、晃洋書房、2014年)。訳書に『真理』(P. ホーリッジ/入江幸男・原田淳平訳、勁草書房、2016年)。
 


分析哲学の成果を踏まえ言語行為について問いと推論の関係、問いと発話との関係を分析、意味論と言語行為論に新しい見方を提供する。
 
入江幸男 著
『問答の言語哲学』

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b535722.html
ISBN:978-4-326-10287-7
A5判・272ページ・本体4,300円+税
 
本書のたちよみはこちら→【あとがきたちよみ『問答の言語哲学』】