憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第16回 レオ・シュトラウスの歴史主義批判

 
 
 レオ・シュトラウスは1899年に、プロイセンのヘッセン州キルヒハインで、穀物商を営むユダヤ人の子として生まれ、マールブルク大学とハンブルク大学で学んだ。ハンブルク大学では、エルンスト・カッシーラーの指導の下で博士論文を執筆している。
 
 1922年、シュトラウスはフライブルク大学で、エトムント・フッサールの下でポス・ドクの研究活動を続け、フッサールの助手であったマルティン・ハイデガーの講義にも出席している。当地でシュトラウスは、ハンス-ゲオルグ・ガダマー、カール・レーヴィット、ハンナ・アレント等と知己となった。
 
 1932年、ロックフェラー財団からの奨学金を得て*1、シュトラウスはパリに遊学し、アレクサンドル・コジェーヴと出会う。34-35年にはイギリスで研究を続け、37年にアメリカ合衆国に移る。いくつかの非常勤講師を務めた彼は38年、ニューヨークのthe New School for Social Research (NSSR)に常勤の職を得る*2。49年にはシカゴ大学政治学部の教授となり*3、67年まで同大学に務めた。逝去したのは73年である。
 

 
 シュトラウスは1941年11月26日、NSSRで歴史主義(historicism)をテーマとする講義を行っている*4
 
 シュトラウスによると、歴史主義は、歴史学およびその対象となる歴史自体の意義を過剰に強調する思想として通常、受け取られている。歴史主義者は、過去の歴史を構成する人々の活動、生産物、慣習、経験、制度、思想とその表現等の考察と理解に知的能力のすべてを捧げる(72)。
 
 抽象的かつ普遍的な理念を押し立てたフランス革命に対する反動として歴史主義は生まれた*5。過去の特定の地域・時点の歴史には、それぞれ固有の価値がある。あらゆる先入見を排除し、現在の観念を過去に投影することをやめ、それぞれの歴史をそれ自体に没入することを通じて理解する必要がある。
 
 こうした歴史主義は、ニーチェの『反時代的考察』によって徹底的に批判された。過去の特定の地域・時点の歴史は膨大な数量の事実によって構成されており、その考察と理解に知的能力を総動員したとしても、すべてを理解することは人の能力を超えており、その結果、現在および将来に向けた人の活動はあり得なくなる。この批判を受けて、現在(1941年当時)においては、過去の歴史研究はそれ自体が目的ではなく、現在および将来の生と活動のためのものであることは、常識となっている(72)。
 
 今日において検討対象とすべき歴史主義は、より広く捉える必要がある。歴史主義とは、歴史をより重要であるはずのもの──とりわけ、知の探究としての哲学──を犠牲として重視する思想であり、態度である。歴史主義は、哲学を歴史に置き換えようとする。典型的には、哲学と歴史との区分を否定して両者を同一視し、知の探究としての哲学を思想史に変換しようとする。永遠に変わらぬ真理ではなく、その時々で真理とされたものが何かを知ろうとする(73)。
 

 歴史主義によると、すべては歴史的である。変わるものと変わらぬものとの間に截然たる境界線はない。変わるものと変わらぬものとの境界線とされるものは、それ自体、境界線を引く研究者が置かれた歴史的状況を反映している。あらゆる知識、信念、規準、制度には限られた価値しかない。すべては歴史の変転に応じて変化する。科学的命題でさえそうである。現代の科学は、古代ギリシャ人にとっては意味がない。現代科学は、現代人にとってのみ意味がある。科学も知そのものではなく、1つの教説(doctrine)である。本質的には迷信と身分は変わらない(73-74)。
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つづきは、単行本『神と自然と憲法と』でごらんください。

 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
 
2021年11月15日発売
長谷部恭男 著 『神と自然と憲法と』

 
四六判上製・288頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45126-5 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。


【目次】
第Ⅰ部 現実感覚から「どちらでもよいこと」へ
1 現実感覚
2 戦わない立憲主義
3 通信の秘密
4 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
5 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
6 二重効果理論の末裔
7 自然法と呼ばれるものについて
8 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争

第Ⅱ部 退去する神
9 神の存在の証明と措定
10 スピノザから逃れて――ライプニッツから何を学ぶか
11 スピノザと信仰――なぜ信教の自由を保障するのか
12 レオ・シュトラウスの歴史主義批判
13 アレクサンドル・コジェーヴ――承認を目指す闘争の終着点
14 シュトラウスの見たハイデガー
15 plenitudo potestatis について
16 消極的共有と私的所有の間

第Ⅲ部 多元的世界を生きる
17 『ペスト』について
18 若きジョン・メイナード・ケインズの闘争
19 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論
20 共和国の諸法律により承認された基本原理
21 価値多元論の行方
22 『法の概念』が生まれるまで
あとがき
索引
 
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長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。