1932年にパリで出会って以降、レオ・シュトラウスとアレクサンドル・コジェーヴは、生涯にわたって対話を続けた*1。
アレクサンドル・コジェーヴは、1902年5月11日、モスクワの裕福なブルジョワの家庭に生まれた。彼は1920年、革命の勃発したロシアを逃れ、カール・ヤスパースの下で博士論文を執筆する。
1926年末、彼はパリに移って研究を続け、1933年から39年まで、高等研究院でヘーゲルの『精神現象学』に関する講義を行った。この講義には、レイモン・アロン、ジョルジュ・バタイユ、アンドレ・ブルトン、モーリス・メルロー・ポンティ、ジャック・ラカン等が出席した*2。講義の内容は、後にレイモン・クノーによって『ヘーゲル読解入門』としてまとめられ、出版されている*3。彼のヘーゲル解釈は、『精神現象学』の中から「承認」の観念を取り上げ、その意義を強調したことで知られる。
第二次大戦の勃発後、彼はマルセイユに隠れ住み、レジスタンス運動とソヴィエトへの情報供与に関与したとされる。コジェーヴはその後、フランス政府の対外経済局に職を得てマーシャル・プランの遂行、ヨーロッパ経済共同体(現在のEU)やGATT(現在のWTOの前身)の立ち上げに関与した。彼が逝去したのは、1968年である。
『ヘーゲル読解入門』の冒頭で、コジェーヴは、「人間とは自意識(Conscience de soi)である」と述べる(11)。自意識である点で、人間は動物と異なる。
人間は最初から自意識ではない。人間はまず対象を省察し、それに没頭し、飲み込まれる。自身を取り戻すのは、欲求(Désir)によってである。たとえば、食べる欲求。欲求を通じて、人間の自己が立ち現れる。
人間存在そのもの、自身を意識する存在は、欲求を前提とする。人間の現実(réalité humaine)も、動物的生の生物学的現実の中でしか成り立ち得ない。しかし、動物としての欲求は、自意識の必要条件ではあるが、十分条件ではない。それだけでは、自己感覚しか生み出さない(11)。
欲求は人間を不安(in-quiet)にし、人間を行動へと駆り立てる。欲求は、欲求の対象を「否定négation」するよう、破壊するか少なくとも変容させるよう仕向ける。飢えを満たすためには、食べものとなるものを破壊するか、変容させねばならない(11)。
かくして行動は否定的である。しかし、純粋に否定的ではない。それは新たに主観的現実(réalité subjective)を作り出す。人間は食べ物を食べることで、それを同化し、内部化し、自身の現実を作り出す。ただ、こうした行動にとどまっている限り、自己は「自然の自己Moi naturel」、自己感覚にすぎない。それはなお、自意識ではない(12)。
つづきは、単行本『神と自然と憲法と』でごらんください。
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。そして周縁からこそ見える憲法学の領域という根本問題へ。新しい知的景色へ誘う挑発の書。
2021年11月15日発売
長谷部恭男 著 『神と自然と憲法と』
四六判上製・288頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45126-5 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部ウェブサイトでの連載エッセイ「憲法学の散歩道」20回分に書下ろし2篇を加えたもの。思考の根を深く広く伸ばすために、憲法学の思想的淵源を遡るだけでなく、その根本にある「神あるいは人民」は実在するのか、それとも説明の道具として措定されているだけなのかといった憲法学の領域に関わる本質的な問いへ誘う。
【目次】
第Ⅰ部 現実感覚から「どちらでもよいこと」へ
1 現実感覚
2 戦わない立憲主義
3 通信の秘密
4 ルソー『社会契約論』における伝統的諸要素について
5 宗教上の教義に関する紛争と占有の訴え
6 二重効果理論の末裔
7 自然法と呼ばれるものについて
8 「どちらでもよいこと」に関するトマジウスの闘争
第Ⅱ部 退去する神
9 神の存在の証明と措定
10 スピノザから逃れて――ライプニッツから何を学ぶか
11 スピノザと信仰――なぜ信教の自由を保障するのか
12 レオ・シュトラウスの歴史主義批判
13 アレクサンドル・コジェーヴ――承認を目指す闘争の終着点
14 シュトラウスの見たハイデガー
15 plenitudo potestatis について
16 消極的共有と私的所有の間
第Ⅲ部 多元的世界を生きる
17 『ペスト』について
18 若きジョン・メイナード・ケインズの闘争
19 ジェレミー・ベンサムの「高利」擁護論
20 共和国の諸法律により承認された基本原理
21 価値多元論の行方
22 『法の概念』が生まれるまで
あとがき
索引
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