燃えよ本 連載・読み物

燃えよ本[第1回]逃避としての読書、シェルターとしての書店

 

発酵デザイナーの小倉ヒラクさんが、けいそうビブリオフィルにご登場です。書評連載なのですが、なかでも「燃えた」本についてご紹介くださる予定です。「燃えた」とはどういうことなのか? 「燃えよ」と願う本があるのか? どうぞお楽しみください。[編集部]

 
 

[第1回]逃避としての読書、シェルターとしての書店

 
 
古今東西の、時代の先端を切り取り物議を醸してきた本とその周辺を掘り下げる連載「燃えよ本」。第1回のトピックスは「書店」。文化の尖兵が集うアンダーグラウンド基地としての書店を紹介します。

 
 書店を描いた名著の筆頭といえば、シルヴィア・ビーチの『シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店』(中山末喜訳、河出書房新社)だろう。
 
 20世紀初頭、当時の文化の中心地だったパリ左岸で著者であるひとりのアメリカ人女性がオープンした小さな書店の物語だ。当時珍しかった、英米文学をメインに取り扱うこの書店はパリに集う様々な国籍の文化人が出入りするサロンとなった。エズラ・パウンドやガートルード・スタインなどの英文学の先駆者をはじめ、アンドレ・ジッドやポール・ヴァレリーら仏文学の巨星、ヘミングウェイやフィッツジェラルドなどアメリカの近代文学の創始者たちがサロンのメンバーとしてコミュニティを形成していった。シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店(以下、シェイクスピア書店)は、単なる書籍の小売店を超え、モダニズム文化を生み出す役割を果たすようになったのだ。
 
 次から次へと登場するレジェンド級の芸術家のなかでも、とりわけ本書の中心となるのはアイルランド出身のジェイムス・ジョイスだ。シルヴィア・ビーチは、あまりにも過激な内容で英語圏では発禁処分を喰らっていたジョイスの小説『ユリシーズ』を自前で出版するという無謀な挑戦に出る。
 
 パリという異文化のなかで、英文学のアヴァンギャルドな飛び地であったシェイクスピア書店は、サロンからさらにインディペンデント出版社となり20世紀を代表する傑作の最初の版元として歴史に名を残すことになる。
 
 その猥雑すぎる内容から検閲対象となった『ユリシーズ』は、パリで刊行されると当初はエロ本として流通し、アメリカに輸出しようとすれば税関で没収される憂き目にあう。ここでシェイクスピア書店の兄貴分であったヘミングウェイが一計を案じ、まずカナダに運び、そこからプライベート船でアメリカに密輸するというアクロバットでジョイスの傑作を命がけで英語圏の読者に届けた。この当時、一冊の本がいかに価値のあるものとして認識されていたのか、かつて日本の寺院で火事があった際に、僧が自分の腹を割いてそこに仏像を隠し、己の生命と引き換えに仏を守ったというエピソードを思い起こさせる。寡作なのに超がつく浪費家だったジョイスを、シェイクスピア書店はじめ複数のパトロンが湯水のように身銭を切って援助するくだりは現代に生きる僕たちの感覚からすると「えええ? そこまでするの?」とドン引きだ。もしかしたらジョイスは文学の天才であると同時にヒモの天才でもあったのかもしれない。
 
 『ユリシーズ』の刊行以来、シェイクスピア書店はパリのコスモポリタンな文化人サロンの中心地となるが、やがてナチス・ドイツのパリ侵攻に伴い閉店を余儀なくされる。本書のラストは、パリ解放の日。戦車に乗ったヘミングウェイがシルヴィア・ビーチを迎えにくるシーンで幕を閉じる。ヘミングウェイ、どこまでドラマチックな男なんだ……!
 

 
 ヘミングウェイが戻った後、シルヴィア・ビーチはまた店を開け、シェイクスピア書店の文化のともしびがパリに戻ってきたのだ、めでたしめでたし……と思いきや、この後ビーチは再び店を開けることはなく、シェイクスピア書店の伝説はジ・エンドとなった。
 
「あれ? でも今でもパリにシェイクスピア書店あるよね?」
 
 そうなんだよ。今でもノートルダム寺院の近くにこの書店は現存し、僕もパリに住んでいた時代に何度か覗いてみたことがある。なんと、一度閉店したシェイクスピア書店はもう一人の破天荒なアメリカ人によって二度目の伝説をつくるのだ。
 
 実は第二期シェイクスピア書店を描いたもう一冊の本がある。カナダ人ジャーナリスト、ジェレミー・マーサーによる『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』(市川恵里訳、河出書房新社)。ビーチ時代から半世紀後、20世紀末のパリが舞台の抱腹絶倒の青春ノンフィクションだ。
 
 ビーチによる第一期シェイクスピア書店本の訳者あとがきに、1962年にパリを訪れた際に、ビーチの志を継いだと思われる“Le Mistral”(原文ではMinstral Bookshopと書いてあるが、間違いと思われる)を発見して心が温まる思いをした、と短い記述があるのだが、この”Le Mistral”がやがて第二期シェイクスピア書店を名乗ることになる。後を継いだのは、ジョージ・ホイットマンという放浪の共産主義者だ。政治的ポリシーからアメリカを去ったジョージはパリに書店兼ブックサロンをつくる。第一期と違うのは「見知らぬ人に冷たくするな、変装した天使かもしれないから」という博愛主義に基づき、ゲストハウス機能を実装したところにある。書店のなかに無数のベッドが置かれ、キッチンでは謎のごった煮スープが流れ者の宿泊者に振る舞われる。「はぐれ者共同体としての書店」という、著名な文化人のハイソサエティであったビーチによる第一期と比べると格段にアナーキーな吹き溜まりに深化(退化?)したのが第二期シェイクスピア書店なのである。
 
 本書の著者であるジェレミー・マーサーはカナダの冴えない地方紙の新聞記者だったのだが、仕事でトラブルを起こしパリに逃亡、文無しになってホームレスになる寸前のところでシェイクスピア書店に拾われる。そこで各国から流れ着いた物書きや芸術家を目指す馬の骨たちと交流し、文無しでも愉快にパリをサバイバルできる術を学んでいく。著者の青春物語としても抜群に面白いのだが、ジャーナリストの目を通して描かれる書店主であるジョージ・ホイットマンを中心とするコミュニティの群像劇が格別だ。80歳を超えてなお体力が有り余って、毎晩のように変人パーティを催し、60歳年下の女の子に恋して結婚を申し込み、ホテル王の敷地買収計画を覆すべく壮大な資金調達プロジェクトをぶち上げる、エネルギー過剰すぎてドン引きレベルの店主と、その周りを行き来するヤク中詩人、アート狂いのこじらせ美女、タランティーノもどきの映画マニアなどなど、マトモな人物がまったく出てこない。どこを切っても金太郎飴のごとく変人の大洪水……!
 
 第一期の群像劇が、モダニズムの時代を彩る前衛的ながら優雅なニジンスキーのバレエだとすれば、第二期の群像劇は現代文明の吹き溜まりがいびつに乱舞する寺山修司のサーカスのごとき異様さだ。
 
 数ヶ月のシェイクスピア書店の滞在(というか沈没)の後、著者は娑婆に戻っていくのだが、客観的に見てみればどうかしてるとしか思えない日々をジェレミー・マーサーは心が癒やされていく「優しき日々」だと振り返る。人生とは面白いもので、とことんまでネジがぶっ飛んだ体験を経ると、それが幼少期のような自分の第二の原点になってしまうようである。
 
 巻末、「優しき日々」の後日譚。訳者あとがきによると、ジョージは98歳で大往生を遂げる前に、娘に店の経営を引き継いだ。第三期シェイクスピア書店はいまだ健在で、現店主であるジョージの娘の名はなんと! シルヴィア・ビーチ・ホイットマン。そしてその娘をパリに呼び戻したのが、著者のジェレミー・マーサーなのである。
 
 シルヴィアのシェイクスピア書店とホイットマンのシェイクスピア書店。ジョイスの遺作『フィネガンズ・ウェイク』のごとく、物語のはじまりと終わりは輪廻を繰り返すのであった。(自分でこの文章を書いていて、ホンマかいな? 僕はでたらめばっかり書いているんじゃないか? と頬をつねってみたが、全て真実なのであるよ)
 

 
 『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』と似たような不思議な読書感があるのが、森岡督行の『荒野の古本屋』(晶文社)だ。大学卒業後、就活もせずに「読書と散歩」を求めて神田の古書店街とレトロ建築巡りを続けていた著者が一念発起して古書店界の名門、一誠堂書店に飛び込む。そこでの見習い期間を経て、茅場町に書店兼ギャラリー森岡書店をオープン。様々な領域の著者たちと交流するうちに、一冊の本を展示するという特異な業態を開発するに至るまでの日々が、森岡さん独自のポエジー溢れる文体で綴られる。
 
 シェイクスピア書店の物語と同様に、書店主の原動力は「ここではないどこか」の世界を求めるはぐれ者としてのメンタリティと、本を磁場として生まれる風変わりな出会いだ。はぐれ者=EXILEとしての「逃げ続ける意志」が他の星に住むはぐれ者たちとの邂逅を呼びこむ。
 
 今回取り上げた三冊には共通するキーワードが多数出てくるが、なかでも興味深いのが「貧乏体験」だ。ビーチもジョイスもジョージも森岡さんも何度も窮乏の淵に立たされるが、お金がなければ本を読めばいいじゃないか、とどこか貴族的な風情がある。書店はお金が物言う現代社会とは異なる力学が働く異世界なのだ。
 
 かくいう僕も大学卒業後、無職で社会に迷い出て、何を思ったか東京の三鷹市に大きな一軒家を借りてゲストハウスの経営を始めてしまった数年間の馬の骨時代を送っている。第二期シェイクスピア書店ほどの極端さではないが、世界中の変わり者が入れ替わり立ち替わりやってきては、毎晩のように安酒を持ち寄って馬鹿騒ぎを繰り返し、警察沙汰にならなかったのが不思議に思える日々を過ごした。
 定職もお金もなく、明日がどうなるのかさっぱりわからない不安定な毎日だったが、窓際の陽の当たるリビングに置かれた、ゴミ箱から拾ってきたボロいソファに座って本を読んでいれば心は軽やかだった。本を読んでいるあいだは、明日の不安から自由だった。
 
 知識を求めるため、何かを得るため「ではない」読書が心の支えになることがある。不確かな未来に打ちのめされないための、逃避としての読書だ。
 
 生身の自分が囚われている環境から抜け出して、違う価値観、違うルール、違う常識で動く世界を旅すること。この旅の経験は、社会に出て何かの肩書を持って生きるようになった時に、「優しき日々」として心のシェルターの役割を果たしてくれる。上司や取引先から「こんな仕事じゃやっていけないよ?」と不条理な叱責を受けた時でも「いや待てよ、世界のどこかには朝から晩まで神に祈りを捧げたりジャングルの奥に分け入って謎の生物を追いかけている人たちがいるのだ」と思うと自分の世界が相対化される(もちろん祈りを捧げるのもジャングルの奥地に行くのもそれぞれの大変さがあるのだが……)。
 
 さて。このような効能を持つ本が集まり、アナザーワールドへの旅の達人たちがコミュニティを成すシェイクスピア書店は、個人の脳内シェルターを、苛烈な現代社会の一角に物理的に具現化してしまった奇跡のリアルシェルターだったのだ。社会常識や資本主義のルールに規定された世界になじめなかったはぐれ者たちの逃避場所であり、はぐれ者たちのインタラクションから新たな文化を生み出していく孵卵器だった。逃げ場であると同時に、新たな挑戦のためのエネルギーを蓄える場だったのだ。
 
 かつてひたすら逃げることばかり考えていた僕も、それなりにいいオトナになって自分で事業を営むようになり、2020年に発酵食材のお店を東京下北沢にオープンした。その際に店内に青山ブックセンターと一緒に1000冊ほどの大きな本棚をつくった。
 発酵や食に関わる本以外にも、人類学や生物学、デザイン・アート、文学書がズラリと揃っていて、著者と話すイベントも定期的に開催している。一度これまでの枠から逃げ出して、自分なりのカタチで社会に挑戦していく人を後押しする場所になることを願っているのだぜ。
 
 
《バックナンバー》
[第0回]ご挨拶

小倉ヒラク

About The Author

おぐら・ひらく  発酵デザイナー。下北沢『発酵デパートメント』オーナー。YBSラジオ『発酵兄妹のCOZY TALK』パーソナリティ。著書『手前みそのうた』(農山漁村文化協会、2014)、『発酵文化人類学』(角川文庫、2020)『日本発酵紀行』(D&DEPARTMENT PROJECT、2019)など。写真集に『発酵する日本』(Aoyama Book Cultivation、2020)。山梨県の山の中で日々菌を育てながら暮らしています。