あとがきたちよみ
『クラウゼヴィッツ 』

About the Author: 勁草書房編集部

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Published On: 2021/7/9

 
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マイケル・ハワード 著
奥山真司 監訳
『クラウゼヴィッツ 『戦争論』の思想』

「序論」「監訳者解説とあとがき」(冒頭)(pdfファイルへのリンク)〉
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*サンプル画像はクリックで拡大します。「序論」と「監訳者解説とあとがき」の本文(冒頭)はサンプル画像の下に続いています。

 
序論
 
 カール・フォン・クラウゼヴィッツの『戦争論』について、アメリカの戦略思想家であるバーナード・ブロディ(Bernard Brodie)は、次のように大胆な発言を行っている。「クラウゼヴィッツの『戦争論』は、単に最も優れているというだけではない。戦争に関する唯一の偉大な文献である」。この発言に異を唱えるのは難しい。社会、政治、または経済思想の理論書に匹敵するものを軍事理論の分野で作ろうとしても、クラウゼヴィッツの偉業に太刀打ちするのが困難であることは誰にでもわかるはずだ。
 戦争をテーマにした他の著述家たちの中でも、当時の政治的な事情、または技術的な背景によって自分の洞察力に課せられた限界をクラウゼヴィッツのように超えることができた者は、存在したとしてもごくわずかである。クラウゼヴィッツ以降の世代の人々がどのように戦争を考えてきたかを示す著作は数多くあるが、戦争そのものを考えるための手がかりを与えてくれる思想家は驚くほど少ない。こういった思想家たちは、自分たちが生きている時代に特有の表面的な現象ではなくその深層に入って考えるものであり、戦争をただの技術(クラフト)ではなく、敵味方の双方とも政治目的を達成するために暴力を意図的に用いることを合法としている点において他の活動すべてとは明確に区別される、大きな社会的・政治的な活動(アクテイビテイ)であると考えるのだ。
 たしかに優れた研究書としては、おそらく紀元前四世紀頃に書かれたとされる『孫子 兵法』が存在する。クラウゼヴィッツと同時代の人間であるジョミニ(Jomini)の著作にも、優れた章がいくつか含まれている。リデルハート(Liddell Hart)や、リデルハートと同時代の奇人であるJ・F・C・フラー(J.F.C. Fuller)の著作にも、優れた部分が散在している。マルクス(Marx)、エンゲルス(Engels)、レーニン(Lenin)およびトロツキー(Trotsky)の著作からも、興味深い洞察が多く見つかる。クラウゼヴィッツ以前の思想家の中では、ツキュディデス(Thucydides)やマキャベリ(Machiavelli)らの著作の中にある付言などから多くの冷徹な知恵を集めてくることも可能だ。しかし、クラウゼヴィッツが行った戦争研究に匹敵するほどの体系的な研究は存在しない。大抵の軍事の専門家というのは、後世に残る知恵を導き出すことではなく、むしろ自分と同世代の人間や、同時代の社会に対して助言することのほうに関心を持つものだからだ。
 クラウゼヴィッツは自分の著作について、二、三年後には忘れられてしまうものではなく、「このテーマに関心を持つ者が一度ならず手にするかもしれない」[1]といったものになってほしい、という控(ひか)えめな希望を述べていた。
 しかしクラウゼヴィッツの主な関心は、自分と同じプロイセン人や、同時代の人間の力になることにあった。クラウゼヴィッツは、プロイセン将校団(Prussian officer corps)の一員であり、ホーエンツォレルン朝に忠実であった。だがクラウゼヴィッツは、プロイセンが直面していた問題の大半よりも、フランス革命によって引き起こされた政治的な流れにどう対処すべきかということに関心があった。たしかにフランスによる侵略という脅威は一八一四年から一八一五年にヨーロッパ諸国の力によって阻止されたが、クラウゼヴィッツはその脅威が決して打ち砕かれたわけではないと考えていた。そしてもし戦争を理論的に理解できれば、プロイセンとその同盟国たちは、先祖代々の敵に対する次の戦争を、迅速かつ効果的に遂行できるようになるのだ。
 そもそもクラウゼヴィッツは、自分と同じ職業軍人のために書いていたのであって、大学の政治学部で講義をするような学者ではなかった。したがって、彼は作戦を計画している指揮官にとって直接役立つように、分析の対象を意図して狭めたのだ。実務家たちにとっての悪夢は、実際の状況と直接結びつけることができない抽象論や、事例による裏付けができない命題、そして目前の課題に関係しない事象を論じることであり、クラウゼヴィッツもそれを理解していた。
 もちろんクラウゼヴィッツは一人の思想家として、たしかに自(みずか)らが研究するテーマの核心に到達しようとしていた。ところが彼はつねに理論を行動に結びつけようとしており、自分が熟知しているタイプの戦争を遂行することに直接関係しないものは、自分の研究テーマである戦争に関するものであってもすべて無視したのだ。

戦争指導には、火薬や火砲をつくるために石炭、硫黄と硝石、銅と鉛が与えられるのではなく、威力を持った兵器の完成品が与えられるからである。戦略は、三角測量術に頭を悩ますこともなく、地図を使用すればよい。戦略は、最善の戦争成果を得るために、どのように国土が整備され、国民が教育され、統治されねばならないかを考察するものではなく、これらがヨーロッパの国家社会においてどのような状態にあるかを考察し……[2]。

 それゆえ、クラウゼヴィッツは実用性と簡潔性を優先し、普遍性を犠牲にしている。しかし、自分がどれほど多くの事項を犠牲にしていたかについてクラウゼヴィッツ自身がどこまで自覚していたかは疑問の残るところだ。二度の世界大戦を経験した後では、戦争における戦闘行為を真に可能とする経済的基盤について全く考慮しないクラウゼヴィッツのような戦争の理論を批判するのは簡単だ。しかしこのような批判を行うことは、単に後知恵であるだけではない。
 クラウゼヴィッツが徹底的に行ったような形でナポレオン時代の戦争を研究しようとすれば、実際には戦争の性質に関する非常に限定された考え方が求められたのだ。たとえばクラウゼヴィッツは、大陸封鎖(対英征服を強固にし、かつ拡大するため、軍事的手段のみならず経済的手段も用(もち)いようとしたこと)がナポレオンの戦略において果たした役割、そしてナポレオンの失脚において果たしたであろう役割を考慮していない。もちろんクラウゼヴィッツが海上での戦争に全く詳しくなかったという点は特筆すべきものだが、実際それほど驚くようなことではない。海はクラウゼヴィッツの文化圏を超えたところに広がっていたからだ。
 さらに興味深いのは、軍事的な勝利だけでなく経済を運営する手段が優れていたために軍事……(以下、本文つづく)
 
[1]日本クラウゼヴィッツ学会訳『戦争論 レクラム版』芙蓉書房出版、二〇〇一年(以下、レクラム版)、一一頁。
[2]レクラム版、一三一─ 一三二頁。
 
 
監訳者解説とあとがき
 
 本書は、マイケル・エリオット・ハワード卿(Sir Michael Eliot Howard)によるClausewitz : A Very Short Introduction(Oxford University Press, 2002)の完全日本語版である。
 原著のタイトルからもおわかりのように、本書はオックスフォード大学出版による「超短入門シリーズ」(Very Short Introduction)のひとつとして二〇〇二年に出版されたものだが、その実態は一九八三年に同社からペーパーバック版として出版されていた『クラウゼヴィッツ』(Clausewitz)を、そのまま体裁を替えて出したものだ。したがって、本書の中身そのものが書かれたのは一九八〇年代前半であり、その文体には当時の「新冷戦時代」の雰囲気が実に色濃く反映されている点に留意していただきたい。
 マイケル・ハワードといえば、イギリスを代表する歴史学者や戦史家として世界的にも有名な人物だ。二〇一九年に九七歳で亡くなったが、その一世紀近くにわたるキャリアは実に興味深いものであり、詳しい解説は石津朋之氏の『大戦略の哲人たち』(日本経済新聞出版社、二〇一三年)にあるので、ご興味のある方はそちらを参考にしていただきたいのだが、本書でも簡単に紹介しておきたい。
 一九二二年にイギリス南部のドーセットの裕福なドイツ出身のユダヤ系の家庭に生まれたハワードは、名門の私立寄宿舎高校であるウェリントンカレッジで学んだ後にオックスフォード大学の名門クライスト・チャーチ校で学んでおり、在学中に第二次世界大戦に参戦している。長い歴史を誇るイギリス陸軍の「コールドストリームガーズ」という連隊の士官として従軍しており、イタリア戦線で戦い、二度の負傷を経験して軍事勲章(ミリタリー・クロス)を授与されている。
 戦後は大学に戻って学士号を取得しており、これが後に修士号に格上げされた。博士号はとらずに一九四七年よりロンドン大学キングス・カレッジに赴任し、当初は「一七世紀の歴史研究者」としてキャリアをスタートさせたが、従軍経験と当時の冷戦を背景に、イギリス社会の上層部との密接なコネクションを使って「戦争学部」を創設している。
 一九六四年には同学部初の正教授に就任しており、一九七〇年にオックスフォード大学に異動してからはオール・ソウルズ・カレッジのチチェリー講座教授(一九七七─八〇年)、現代史欽定講座教授(一九八〇─八九年)などを歴任し、その後はオックスフォード大学との関係を保ちつつ、アメリカにわたってイエール大学歴史学部の軍事史・海軍史講座担当教授として赴任、一九九三年に退職している。
 彼の戦史家としての名声を確立したのは、なんといっても一九六一年に出版された『普仏戦争』(The Franco-Prussian War : the German Invasion of France, 1870-1871)であり、この本でハワードはドイツの歴史家・政治家であるハンス・デルブリュックにならう形で、従来の軍事史における戦術面に絞られた狭い分析ではなく、その背後にある社会や政治制度に注目するように促して脚光を浴びている。
 その後は邦訳もされている『ヨーロッパ史と戦争』(奥村房夫・奥村大作訳、中央公論社、一九八一年、原著は一九七六年)や『戦争と知識人』(奥村房夫訳、原書房、一九八二年、原著は一九七八年)のように、欧州のリベラルな社会的背景における戦争の位置づけを問う学術的な著作から、イギリス政府が第二次世界大戦の正史として一九七〇年に刊行した『大戦略』(Grand Strategy, August 1942 – September 1943, Volume IV, Grand Strategy series, History of the Second World War)に関わっただけでなく、現実の問題として核戦略に関しても論文を書くなど、歴史を中心としながらも、その関心は戦略論や核戦略など多岐にわたっていた。
 ハワードは実務家としても優れた働きをしており、最初に教えたロンドン大学のキングス・カレッジで「戦争学部」(the Department of War Studies)を創設したほかに、毎年シンガポールで開催されている「アジア安全保障会議」(通称:シャングリラ会合)を主催して、世界各国の軍備のデータをまとめている『ミリタリー・バランス』(Military Balance)を出版していることで知られる世界的な英国のシンクタンクである「国際戦略研究所」(the International Institute for Strategic Studies : IISS)の一九五八年当時の共同創設者となっている。
 英語圏における戦史・戦略研究などにおいて絶大な影響を与えたほか、数々の研究者も育てている。たとえば一九八〇年代から活躍しており、日本でも近年『戦略の世界史』(貫井佳子訳、日本経済新聞出版社、二〇一八年)の著者として話題になったローレンス・フリードマンを自身の創設したキングス・カレッジの戦争学部の後継者に据えたほかに、『文明と戦争』(石津朋之ほか監訳、中央公論新社、二〇一二年)でも知られるイスラエルの歴史家アザー・ガット、そしてロンドン大学の戦略学者であるクリストファー・コーカーなどがハワードのもとで学んでいる。
 このように、英語圏における戦史・戦略研究、そして安全保障論において数々の功績を持つハワードだが、そのうちの一つとして無視できないのが、クラウゼヴィッツ研究者という側面である。というのも、ハワードはドイツ出身で長年アメリカで活躍した研究者であるピーター・パレットとともに、クラウゼヴィッツの主著『戦争論』の英語版を普及させたことで世界的に知られているからだ。その英訳版が出版されたのは一九七六年であり、本書のもととなる本の刊行が一九八三年であることから、本書はクラウゼヴィッツを訳し終えたあとのハワードの『戦争論』に対する考え方のエッセンスをまとめたものと捉えることもできる。
 
本書の特徴
 このようなハワードによって書かれた本書であるが、その特徴は、大きく見れば三点ある。第一は、本書が「クラウゼヴィッツ・ルネサンス」と呼ばれる現象の中心に位置していた研究者による、クラウゼヴィッツとその主著『戦争論』に関する小論であるという点だ。ただし原著の本文がたった八〇頁ほどしかない「小論」であったとしても、エッセンスは実に凝縮(ぎょうしゅく)された優れたものであることは言うまでもない。
 たとえば同じくオックスフォード大学出版の「超短入門シリーズ」で出版され、邦訳も出ている『第一次世界大戦』(馬場優訳、法政大学出版局、二〇一四年)があるが、こちらも一読していただければわかる通り、実に簡潔ながらも膨大な歴史的事象の背景や本質に迫る優れた著作である。余談だが、本稿を書いている監訳者である私も、イギリスで何度かハワードの生前の講演を聞く機会があったが、つねに簡潔にエッセンスを語るため、与えられた時間よりも話を短くまとめる、学者としては実に珍しいタイプであったことが印象的だった。(以下、本文つづく)
 
 
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