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釼持麻衣 著
『気候変動への「適応」と法 アメリカに学ぶ法政策と訴訟』
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はしがき
「気候変動への適応」というテーマに出会ったのは,アメリカに1 年間留学していたときだった。留学先のニューヨーク州は,ハリケーン・サンディで甚大な被害を受けた地であることから,気候変動に伴う海面水位の上昇や気候関連災害の激甚化などが,土地利用法(Land Use Law)における近年の大きな課題のひとつとして意識されていた。大学院に進学後,災害に強いまちづくりとそれを実現するための都市法制に関心を抱いていた私にとって,気候変動への適応は,そうした問題意識を強くさせるきっかけとなった東日本大震災のような地震・津波災害とは性質を異にするものの,自然災害から人々の命や生活,社会を守るという点で通ずるテーマであった。もちろんそれ以前から,日本においてもゲリラ豪雨や風水害が毎年のように発生していたのだが,2015 年に帰国して以来,気候変動が私たちの日常生活や社会に及ぼす悪影響を目にする機会が増え,気候変動への適応が喫緊の課題となっているように感じる。適応に向けた今後の日本の取組みや議論にあたって,アメリカにおける適応に関する法政策の全体像および法的議論の現在の到達点を示そうとした本書が少しでも参考になれば,それは望外の喜びである。
本書は,2020 年度に上智大学大学院法学研究科に提出した博士論文「気候変動への適応に向けたアメリカの法政策に関する総合的研究」に,その後のバイデン政権の動きや裁判例等を中心に,加筆修正を加えたものである。論文の執筆・審査においては,主査である北村喜宣先生をはじめ,副査を務めていただいた畠山武道先生,下村英嗣先生,筑紫圭一先生,江藤祥平先生に,温かいご指導を数多く賜った。私の至らなさゆえに,ご指摘いただいた点を十分に反映できていない点もあるが,今後より一層研究に励み,検討を重ねることで,その学恩に報いていきたい。とりわけ,指導教員でもある北村先生には,学部生の頃から10 年以上にわたり,熱心かつ丁寧なご指導を賜ってきた。論文の書き方から社会に成果を還元するために尽力し続ける研究者のあり方に至るまで,さまざまなことを学ばせていただき,研究者の道へと導いていただいたことに,深く感謝している。また,ここではお一人ずつお名前を挙げられないが,なかなか論文執筆が進まない私に,折に触れて励ましの声をかけてくださった諸先生方や友人,勤務先である日本都市センターの同僚にも,あらためて感謝申し上げたい。ようやく研究者としてのスタートラインに立てたところであり,引き続きご指導ご鞭撻を賜れれば幸いである。
勁草書房編集部の宮本詳三氏および中東小百合氏には,本書の出版を快く引き受けていただき,感謝の念に堪えない。「気候変動への適応」がまだ人口に膾炙していないなかで本書の書名をどうするかという点をはじめ,本づくりのイロハも含めて,細やかにご相談に乗っていただいたことは,単著を初めて出す私にとって大変心強かった。
そして,博士論文の執筆および本書の刊行は,家族の支えと励ましがなければ,決してなしえなかった。特に両親には,研究者の道を選択すること,さらに,本書のテーマに出会うきっかけとなったアメリカ留学を後押ししてもらった。寄り道ばかりして,博士号の取得まで時間がかかってしまい,心配もかけたが,これから少しずつでも親孝行をしていきたいと思う。また,あっという間に花婚式を迎えた夫は,私の一番の良き理解者であり,とりわけ論文執筆中はあらゆる側面でサポートしてくれた。普段は気恥ずかしさから,家族になかなか感謝の言葉を伝えられないが,この場を借りて心からの感謝を表したい。
2021 年12 月
釼持 麻衣
序 章 本書の問題意識と構成
第1 節 気候変動への適応の重要性
平成30 年7 月豪雨や令和元年東日本台風,令和2 年7 月豪雨をはじめとして,日本では毎年のように,大規模な風水害が発生し,甚大な人的・経済的被害が生じている。さらに,大雨や「ゲリラ豪雨」と呼ばれる短時間強雨の発生頻度は増加傾向にあり,また,年平均気温の上昇,猛暑日・熱帯夜の年間日数の増加なども観測されるなど,極端な気象現象は,私たちの日常生活にも悪影響を及ぼしている。こうした気候関連災害の頻発化・激甚化,極端な気象現象の一因として,しばしば指摘されるのが,「気候変動(climate change)」「地球温暖化(global warming)」(以下,本書では「気候変動」と総称する。)である。
気候変動への対策は,従来,温室効果ガスの排出量を削減するための「緩和策」に重点が置かれてきた。しかし,気候関連災害や極端な気象現象といった,気候変動とその影響がすでに発現しつつあり,また,現在までに大気中に放出された温室効果ガスに起因して,そうした傾向が今後も一定程度継続することは避けられない。したがって,気候変動とその影響が引き起こす,人間の生命・身体・財産や生態系への悪影響を防止あるいは軽減するための「適応策」にも,緩和策と並行して取り組んでいく必要がある。
日本では,2018 年6 月に,気候変動適応法が制定されている。同法は,日本法ではじめて,気候変動への適応に主眼を置いた法律である。主な内容としては,「気候変動適応計画」の法定計画化,および,基本的な推進体制の整備等が挙げられる。すなわち,私人の権利制限または義務賦課を伴うような法的規制を新たに導入したり,法律や事業の実施において,気候変動リスク の考慮を行政機関に法的に義務づけたりするものではない。そのため,具体的な適応策の企画立案・実施は,これからの政策課題といえる。
第2 節 アメリカの法政策への着目
気候変動への適応は,当然に日本特有のものではなく,世界各国が共通して直面している課題であり,その歴史は比較的浅い。世界的にも,1990 年代後半までは,適応策の必要性がほとんど認識されてこなかったと指摘される。しかしその後,欧米諸国が先行して,適応に向けた取組みを始めている。
なかでも,アメリカは,法的規制も含めた具体的な適応策の企画立案・実施が進んでいる点で日本よりも先行しており,また,その実施をめぐって,裁判例および法的議論が蓄積されている。同国では,2000 年代以降,適応に関する法制度が発達し,連邦レベルでは,オバマ政権下でその動きが加速した。適応を念頭に置いた,連邦法の制定および改正は行われていないものの,現行の法制度のもとで,気候変動リスクを考慮した,法律や事業の実施が図られている。さらに,重要視される適応策のひとつである土地利用規制については,州政府または地方政府が,立法的対応によって,あるいは,法律の実施過程を通じて,その導入を実現している。
このように,アメリカでは適応に関する法政策が充実してきている。一方,その背景にある法規範は,必ずしも明らかでない。適応をめぐる法規範に係る公法学上の視点として,具体的には,①適応策の実施に係る法的根拠,②気候変動リスクの考慮とその司法統制のあり方,③財産権保障との整合性が考えられる。そこで,本書では,政府による適応の取組みの全体像を概観したのち,この3 つの視点に関連する裁判例や学界の議論等の整理および分析を行い,適応をめぐる法規範を明らかにすることを試みる。アメリカにおける気候変動対策や裁判例等は,すでに数多くの邦語文献でも論じられてきたが,適応に焦点を絞ったものは限られており,かつ,特定の法制度や裁判例の紹介が中心であった。そうしたなか,本書は,近年の裁判例や文献,トランプ政権下での法令改正等の動きを踏まえながら,前述の3 つの公法学上の視点に着目して,適応をめぐる法規範についての多角的な検討を行うものである。
第3 節 本書の構成
本書の構成と,適応をめぐる法規範に係る公法学上の3 つの視点との関係性は,次のとおりである。
第1 章では,適応に向けた法政策を論じるにあたって,基礎となる事象や概念等を整理する。まず,気候変動とその影響,および,適応策の意義などを確認したうえで,アメリカの適応に関する法制度および気候変動訴訟の全体像,そして,適応をめぐる法規範に係る3 つの視点を概観する。
第2 章は,連邦政府,州政府および地方政府による具体的な取組みを紹介するとともに,各政府が担う役割と政府間関係に触れる。この章は,①適応策の実施に係る法的根拠に関連する。
第3 章は,重要視される適応策のひとつである土地利用規制,および,治水設備の整備等に伴う土地収用を取り上げ,合衆国憲法が保障する財産権との関係で問題となりうる,デュー・プロセス条項および収用条項との整合性を検討する。この章は主に,③財産権保障との整合性に対応しているが,②気候変動リスクの考慮とその司法統制のあり方にも関連する。
第4 章は,気候変動への適応に明示的な言及がない既存法令につき,その実施段階で適応を図る取組みとして,絶滅のおそれのある種の法(Endangered Species Act:以下「ESA」という。)をはじめとする,いくつかの連邦法に関する裁判例等を分析する。この章は,法律の実施段階における,①適応策の実施に係る法的根拠,および,②気候変動リスクの考慮とその司法統制のあり方に対応している。
第5 章は,政府による不十分な適応策に起因して,発生または拡大した私人の生命・身体・財産等への損害につき,不法行為法あるいは収用条項に基づく金銭的救済が,政府に請求された裁判例等を取り上げる。この章は,①適応策の実施に係る法的根拠,②気候変動リスクの考慮とその司法統制のあり方,および,③財産権保障との整合性,のいずれにも関連している。
第6 章では,第2 章から第5 章までの検討を踏まえて,アメリカの適応に関する法政策の背景にあると考えられる法規範を総括する。また,日本の法政策への示唆についても,若干の検討を行う。