「憲法学の散歩道」単行本化第2弾! 書き下ろし2編を加えて『歴史と理性と憲法と――憲法学の散歩道2』、2023年5月1日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
※本書の「あとがき」をこちらでお読みいただけます。⇒『歴史と理性と憲法と』あとがき
18世紀半ばに『法の精神』を刊行したモンテスキューは、当時のイギリスをモデルとして、自由を確保すべき国制について大要次のようなことを述べている。
国の統治権力は立法・司法・行政の3権に分類できる。このうち2権以上を1つの国家機関が独占すると専制がもたらされ、人々の自由は失われる*1。そうした権力の集中を防ぐ必要がある。
ただ、この消極的原理だけでは不十分である。立法作用は他の2権をコントロールすることができる。専制的な立法が行われないような仕組みが必要となる。
モンテスキューによると、当時のイギリスでは、国王・貴族・庶民という異なる社会階層をそれぞれ代表する要素が議会に組み込まれており、3者すべてが同意したときにのみ新たな法律が制定されることとなっていた。相互に阻止する力を持つ3者は、協調して国政を前に進めざるを得ない。3者の抑制と均衡を通じて、人民の自由は確保される*2。
このように述べる『法の精神』の第11編第6章の末尾で、モンテスキューは、イギリス人が享有する自由は「極端extrême」なものであり、彼自身はイギリスを他国のモデルとして推奨しないとする。より穏健な形で国民の自由を保障する国家体制として彼が推奨するのは、君主政体を採用する当時のフランスである。
モンテスキューは、政治体制を共和政体、君主政体、専制政体の3種に分類する。君主政体は、ただ1人が確固たる制定された法律によって統治する政体であり、専制政体は、ただ1人が法律も規則もなく、すべてを彼自身の意思と気まぐれで統治する政体である*3。
君主政体の本質を構成するのは、中間的な諸権力であり、典型的な中間権力は、貴族の権力である。モンテスキューによれば、君主政体では、貴族は各自の名誉を守ることを動機として行動し、その付随的結果として国王の権限拡張を抑制し、国民の自由を守る。これは、自由を守るために、国民1人1人が祖国への愛、真の栄誉への希求、自己放棄の精神等の徳を備えることを必要とする共和政体に比べると、より安上がりで効率的である*4。
これに対して、典型的な中間権力である貴族の権力が衰退したイギリスでは、立法・執行・司法の3権を分立させ、しかも異なる社会階級の利害を均衡させる立法過程を人為的に仕組むことで、国民の自由を確保せざるを得ない。権力の分立と均衡の仕組みが要請されるのは、イギリス社会のいびつさのためである。
モンテスキューは、貴族の中間権力を持ち合わせないイギリス人が一旦自由を失えば、彼らは世界でもっとも隷属的な人民に成り果てるであろうと言う*5。
ところでなぜ、イギリスでは貴族の力がそれほどに衰退したのであろうか。この点に関する古典的な説明は、チューダー朝の歴代の君主が意図的に、そうした状況を作り出したというものである。
フランシス・ベーコン(1561−1626)によると、土地の譲渡を制限し土地所有を広く臣民に行き渡らせたのはチューダー朝の開祖であるヘンリー7世の功績である。ヘンリー7世は独立自営農民層を強化し、囲い込みによって土地を収奪しようとする貴族や紳士層の活動を抑制した。その結果、国土や人口においてまさるフランスに対しても、イングランドは十分対応し得る兵士を確保することができた*6。
イングランドが、領土と人口はフランスに比べてはるかに劣っているが(それにもかかわらず)、優勢(overmatch)であり続けているのは、イングランドの中間層(Middle People)がすぐれた兵士となり、フランスの農民はそうではないからである。
この点で、ヘンリー7世の方策は深遠で称賛に値するものであった。標準的な農家のための農場と家屋を定めた。すわなち、一定の土地を維持させ、臣下が安楽で豊かに、他人に隷属せず暮らせるようにした。鋤を所有者の手にとどめ、ただの雇われ者とならないようにした。かくして、ウェルギリウスが古代イタリアに帰する性質──武力は強く土地の豊かな国土(Terra potens armis atque ubere glebæ)──を実現することができる。
さらに、ジェームズ・ハリントン(1611−77)がこの論陣に加わる。チャールズ1世が処刑され、共和制へと移行した後のイングランドで活動したハリントンによれば、「イングランドがフランスに対して武器をとって優勢(overmatch)であった真の理由は、財産が下層の階級にいたるまで配分されていたことによる」*7。イングランドの臣民が武器をとったとき、国王に対して優勢であったのも、同じ理由に基づく。
ハリントンは、ヘンリー7世による独立自営農民の強化策やヘンリー8世による修道院の解散等、歴代のイングランド王のとった施策が、自作農および紳士層の保有財産を増し、貴族層の力を弱めたとする。貴族層は農民を従属させることができず、自前の兵力を用意することができなくなり、ただの宮廷人となって財産の費消に明け暮れる。かくして、「庶民院が君主に対して恐るべき存在として立ち現れ、君主は庶民院では青ざめざることとなった」*8。
人民の支配を恋愛関係であるかのように装ったエリザベス1世の治世の間は、人民と国王との対立は隠蔽されるが、聖職者*9に唆された国王チャールズ1世が人民と対決するにいたったとき、もはや徹底的に弱体化した貴族院は緩衝勢力とはならず、頼るものは軍しかなくなった*10。しかし、打ちひしがれた農民や貧民から組織される軍隊や外国人の傭兵で組織される軍隊では、自作農からなる民兵に太刀打ちはできない*11。
つづきは、単行本『歴史と理性と憲法と』でごらんください。
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。山を熟知したきこり同様、憲法学者だからこそ発見できる憲法学の新しい景色へ。
2023年5月1日発売
長谷部恭男 著 『歴史と理性と憲法と』
四六判上製・232頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45128-9 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。
【目次】
1 道徳対倫理――カントを読むヘーゲル
2 未来に立ち向かう――フランク・ラムジーの哲学
3 思想の力――ルイス・ネイミア
4 道徳と自己利益の間
5 「見える手」から「見えざる手」へ――フランシス・ベーコンからアダム・スミスまで
6 『アメリカのデモクラシー』――立法者への呼びかけ
7 ボシュエからジャコバン独裁へ――統一への希求
8 法律を廃止する法律の廃止
9 憲法学は科学か
10 科学的合理性のパラドックス
11 高校時代のシモーヌ・ヴェイユ
12 道徳理論の使命――ジョン・ロックの場合
13 理性の役割分担――ヒュームの場合
14 ヘーゲルからニーチェへ――レオ・シュトラウスの講義
あとがき
索引
「憲法学の散歩道」連載第20回までの書籍化第1弾はこちら⇒『神と自然と憲法と』
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