「憲法学の散歩道」単行本化第2弾! 書き下ろし2編を加えて『歴史と理性と憲法と――憲法学の散歩道2』、2023年5月1日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
※本書の「あとがき」をこちらでお読みいただけます。⇒『歴史と理性と憲法と』あとがき
ジャック・ベニニュ・ボシュエは、フランス絶対王政のイデオローグとして知られる。
ボシュエは1627年、ディジョンの司法官の家柄に生まれた。イエズス会の教育を受けた後、メスの司教座聖堂参事会員となった彼の説教師としての声望は次第に高まり、1669年にコンドムの司教となり、さらに1670年にはルイ14世の王太子付きの指導教師となった。1680年に指導教師の務めを終えた彼は、1681年にモーの司教となった。マルブランシュ、ピエール・ジュリウー、フランソワ・フェヌロン等と論争を繰り広げた彼は、「モーの鷲 l’Aigle de Meaux」と呼ばれた。
彼の主著『聖書のことばそのものにもとづく政治論 Politique tirée des propres paroles de l’Écriture sainte』は、彼の死の5年後の1709年に刊行されている*1。「聖書のことば paroles de l’Écriture sainte」とタイトルにはあるが、引用はほとんど旧約聖書からである。
ボシュエ研究で知られるジャック・トリュシェは、この点について、「旧約は一連の歴史書に加えて制度、正義、政府、戦争等に関する多くの訓戒を示すが、新約にそうした言辞は稀である。政治的観点から聖書を検討すれば、必然的帰結として、福音の趣の希薄な著作が生まれる」*2と説明する。本書でのボシュエの意図は、愛と慈悲を説くことではなかった。
ボシュエが生きた時代のフランスは、カトリックとプロテスタントの激しい対立の中にあった。彼の仕えたルイ14世は、プロテスタントの信教の自由を限定的に認めたナントの勅令を1685年に廃止し、20万人にも及ぶプロテスタントの国外流出を招いた。総人口比で言えば、今日の何百万人にも相当する数である。それでもボシュエは、大法官ミシェル・ル・テリエ(Michel Le Tellier)の追悼演説で勅令廃止を熱烈に擁護している。
神は彼[ル・テリエ]に、宗教上の大事業の完遂を委ねました。彼はかのナントの勅令の廃止に押印した後、この信仰の勝利、王の敬虔のかくまでに見事な瞬間の後には、もはや自らの命が尽きることも恐れないと述べたのです*3。
ル・テリエは押印の15日後に逝去した。
ナント勅令廃止を擁護するボシュエの出発点にあるのは、王を中核とする国家の統一という固定観念である。王太子を読者として想定した Politique で、彼は君主の荘厳とは何か、君主の地位とは何かという問いへの回答を次のように描く。
王たちを取り巻くうわべのおごそかさや庶民の目を眩ませる見せかけをもって荘厳(majesté)とは私は言わない。それらは、真の荘厳の反映であり、荘厳そのものではない。
荘厳とは、君主の示す神の偉大さの表象(l’image)である。
神は限りなく、神はすべてだ。君主は、君主である限り、私人として理解すべきではない。君主は公人(personnage public)であり、国家全体が彼の中に存する。人民全体の意思が彼の意思に込められている。神の中にすべての完全性とすべての徳が統合されるように、すべての個人の力が君主の人格に統合される。1人の人間の中にかくも大いなるものが含まれようとは、何と偉大なことであろうか*4。
自分の立てた問題に自分で回答して、その内容に驚愕を示しているわけである。相当に面倒くさい人間であることが分かる。
唯一不可分の王権が国家の統一を実現する。人々が同じ場所に住み、同じことばを話すだけでは、十分ではない。人間はその激情と気質の違いのため、1つの政府に自然に従うことはない。アブラハムとロトが袂を分かったのも(『創世記』13: 6–9)そのためである*5。
唯一不可分の王権は人々の気儘さに箍(たが)をはめる。各人が各人の望むことをするだけでは、すべては混乱に帰する*6。
聖書が繰り返し指摘するのも、その点である。暴虐なアンモン人に反撃せよとのサウルの指令の下、「イスラエルの民は1人の人間のように現れ出た」(『サムエル記 上』11: 7)。
見よ、これこそ、各人が自己の意思を捨て、それを君主である裁き司の意思へと譲渡し、統一したとき立ち現れる人民の統一である。さもなければ、統一はない。人民はばらばらの家畜のように流浪者となる*7。
君主によって代表されることではじめて、ばらばらの群衆であった人々は、1つの人民となる。
つづきは、単行本『歴史と理性と憲法と』でごらんください。
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。山を熟知したきこり同様、憲法学者だからこそ発見できる憲法学の新しい景色へ。
2023年5月1日発売
長谷部恭男 著 『歴史と理性と憲法と』
四六判上製・232頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45128-9 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。
【目次】
1 道徳対倫理――カントを読むヘーゲル
2 未来に立ち向かう――フランク・ラムジーの哲学
3 思想の力――ルイス・ネイミア
4 道徳と自己利益の間
5 「見える手」から「見えざる手」へ――フランシス・ベーコンからアダム・スミスまで
6 『アメリカのデモクラシー』――立法者への呼びかけ
7 ボシュエからジャコバン独裁へ――統一への希求
8 法律を廃止する法律の廃止
9 憲法学は科学か
10 科学的合理性のパラドックス
11 高校時代のシモーヌ・ヴェイユ
12 道徳理論の使命――ジョン・ロックの場合
13 理性の役割分担――ヒュームの場合
14 ヘーゲルからニーチェへ――レオ・シュトラウスの講義
あとがき
索引
「憲法学の散歩道」連載第20回までの書籍化第1弾はこちら⇒『神と自然と憲法と』
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