憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第29回 憲法学は科学か

 
「憲法学の散歩道」単行本化第2弾! 書き下ろし2編を加えて『歴史と理性と憲法と――憲法学の散歩道2』、2023年5月1日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
※本書の「あとがき」をこちらでお読みいただけます。⇒『歴史と理性と憲法と』あとがき
 
 
 
 明治時代の日本は、ドイツから2つの憲法原理を輸入した。君主制原理と国家法人理論である。君主制原理は、天皇主権原理とも呼ばれる。ごく単純化して言うと、上杉慎吉が唱導したのは君主制原理であり、美濃部達吉が唱導したのは国家法人理論である*1
 
 君主制原理は、国家権力はもともとすべて、君主(天皇)が掌握しているとする。しかし、国家権力を君主が実際に行使する際は、君主が自ら定めた憲法(欽定憲法)にもとづいて行使する。大日本帝国憲法のもっとも核心的な条文である第4条は、次のように定める。

天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

 総攬するとは、すべてを掌握するという意味である。天皇がもともと国家権力のすべてを掌握してはいるが、それを行使する際は、この憲法の定めに従うというわけである。君主制原理が文字通りに宣明されている。
 
 君主制原理からすると、欽定憲法は君主の自己制限のあらわれである。全能の君主が自ら憲法を制定することで、自らの権力を制限した。立法権は議会の協賛を得てこれを行い、行政権は国務大臣の輔弼を得てこれを行い、司法権は天皇の名において裁判所がこれを行う。
 
 君主制原理には、全能の神の自己制限と同様の難問がつきまとう*2。全能の君主による自己制限が本当の制限なのであれば、君主はもはや全能ではない。憲法制定後の君主が本当に全能なのであれば、憲法は本当の制限ではない。
 
 どちらであろうか。
 
 君主が全能であり続けるのであれば、君主は制定された憲法を一方的に廃棄し、再び全国家権力を掌中に収めることも可能のはずである。そうだとすれば、制限君主と絶対君主の差異は、程度問題である。本質的な違いはない。
 

 
 国家法人理論によると、国家は法人である。
 
 銀行や自動車会社は典型的な法人である。法人は定款を設立の根拠とする。定款にもとづいて代表取締役や株主総会等の各機関に権限が配分され、それぞれの機関の構成員を選任する手続が定められる。各機関は、与えられた権限の範囲で法人のために契約などの法律行為をし、そうした行為は法人の行為とされる。
 
 国家も同じである。
 
 定款にあたるのは憲法である。憲法にもとづいて議会や内閣、裁判所等の各機関に権限が配分され、それぞれの機関の構成員を選任する手続が定められる。各機関は憲法に与えられた権限の範囲で国家のために法律の制定、法律の執行、争訟の解決等を行う。そうした行為は国家の行為とされる。
 
 国家法人理論からすると、国家権力は国家のものである。たとえ君主がいる国家であっても、君主にあるのは憲法から与えられた権限のみであり、それ以上でもそれ以下でもない。
 
 君主制原理と国家法人理論とは、相性が悪い。両方を国家に関する法理論・・・として受け取った上で、それぞれに内在する論理を突き詰めると、他方の否定に至る。天皇主権原理を額面通りに受け取ろうとする人々が美濃部達吉を、天皇を使用人扱いしていると非難したことに、全く何の根拠もなかったわけではない。
 

 
 国家法人理論は、19世紀後半のドイツで、ゲルバーとラーバントによって構築された。2人はもともと私法学者である。ゲルバーは民法学者、ラーバントは商法学者であった。
 

 2人は私法の領域から法人という概念を取り出して公法の領域に移植し、国家をめぐる法的現象を国家という法人の機関の意思決定とその執行、機関相互の上下関係や並立関係として把握することで、それまで国家に関する歴史記述や思想や現下の政治問題に関する評論の寄せ集めと考えられていた公法学を私法学に匹敵し得る「法律学」へと転換した。
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つづきは、単行本『歴史と理性と憲法と』でごらんください。

 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。山を熟知したきこり同様、憲法学者だからこそ発見できる憲法学の新しい景色へ。
 
2023年5月1日発売
長谷部恭男 著 『歴史と理性と憲法と』

 
四六判上製・232頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45128-9 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。


【目次】
1 道徳対倫理――カントを読むヘーゲル
2 未来に立ち向かう――フランク・ラムジーの哲学
3 思想の力――ルイス・ネイミア
4 道徳と自己利益の間
5 「見える手」から「見えざる手」へ――フランシス・ベーコンからアダム・スミスまで
6 『アメリカのデモクラシー』――立法者への呼びかけ
7 ボシュエからジャコバン独裁へ――統一への希求
8 法律を廃止する法律の廃止
9 憲法学は科学か
10 科学的合理性のパラドックス
11 高校時代のシモーヌ・ヴェイユ
12 道徳理論の使命――ジョン・ロックの場合
13 理性の役割分担――ヒュームの場合
14 ヘーゲルからニーチェへ――レオ・シュトラウスの講義
あとがき
索引
 
「憲法学の散歩道」連載第20回までの書籍化第1弾はこちら⇒『神と自然と憲法と』
 
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長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。