憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第31回 高校時代のシモーヌ・ヴェイユ

 
「憲法学の散歩道」単行本化第2弾! 書き下ろし2編を加えて『歴史と理性と憲法と――憲法学の散歩道2』、2023年5月1日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
※本書の「あとがき」をこちらでお読みいただけます。⇒『歴史と理性と憲法と』あとがき
 
 
 
 シモーヌ・ヴェイユは、截然として容赦がない。彼女によると、

哲学の適切な方法は、解決不能な諸問題のあらゆる解決不能性を明晰に理解し、ただそれらを熟考することである。じっとたゆむことなく、年月を経ても、希望を抱くこともなく、辛抱強く待ちつつ。この規準に照らすと、本当の哲学者はわずかしかいない。わずかならいるとさえ言いがたい*1
 
哲学とは(認識等の問題を含めて)、行動と実践以外のなにものでもない。哲学について書くことがこれほどまでに難しいのもそのためだ。テニスやランニングの専門書を書くの同じように、いやそれよりも難しい*2

 修道僧を思わせる彼女の生涯そのものが*3、行動であり実践であった。
 

 
 シモーヌは1909年、ユダヤ系の裕福な医師の家庭に生まれた。彼女はパリのリセ、アンリ四世校の高等師範受験クラス(cagne)を経て高等師範学校(l’École normale supérieur)を卒業した。
 
 1931年、高等師範学校を出たシモーヌは、オーヴェルニュのル・ピュイ(Le Puy)のリセに哲学教師として着任する。ル・ピュイにはパリから母親が付き添ってきた。リセの受付掛は、シモーヌを新入生と間違えたそうである*4
 
 シモーヌは、小学校教師の初任給以上の暮らしはしないと決心し、給与の残りは、労働組合への寄付やその機関紙の講読に当てた。それでも母親は、彼女のために町で一番のアパートを借りることにし、同時に着任したフランス語の教師とルーム・シェアするよう手配した*5
 
 シモーヌは潔癖症で食べ物の好き嫌いが激しく(果物に染みが1つあるともう食べない)、きわめて高価で新鮮なものしか食べようとしなかった。母親は同居する同僚に日々の買い物をするよう頼み、買い物代の差額を支払っていた。シモーヌは自分がどれほど高価な食物をとっていたか知らなかったわけである。母親は毎月、町を訪れる際、シモーヌのための靴下やシャツを衣装棚に忍び込ませた*6
 
 哲学は教室での授業にはとどまらない。哲学は行動と実践である。彼女は、学校から休暇をとっては、工場や農場で働き、組合活動に献身した。しかし、彼女の行動と実践はときに悲喜劇の様相を示す。
 
 ル・ピュイで彼女は炭鉱を訪れ、許しを得て削岩機を使った。止められなければ、彼女は倒れ込むまで続けていたはずである*7。ブールジュ(Bourges)のリセで教えていたときは、生徒の親戚である農家の夫婦に頼み込んで仕事を手伝うことにしたが、シモーヌは暇さえあれば夫婦の暮らし振りを究明しようとした。夫婦は、農家の暮らしがとてつもなく不幸で報われないものだと彼女が思い込んでいるらしいことに気がつき、訪問をやめるよう人伝てに頼んだ。「あの人は勉強のしすぎで頭がおかしくなったのだ」と夫婦は考えたとのことである*8
 

 
 1936年2月、スペインで人民戦線政府が成立し、7月には軍の叛乱が勃発した。シモーヌは両親にスペイン行きを宣言した*9。彼女はジャーナリストを装い、組合仲間の助けを借りて国境を越え、伝をたどって多国籍の義勇軍部隊に同行する。さらに彼女は、自分がスペインに来たのは、旅行や視察のためではなく、戦うためだと言い、銃を手に入れる。ただ、彼女の極度の近視を知っていた同僚は、実戦や訓練に際して彼女の前方を横切ることを慎重に避けていた*10
 

 シモーヌは近視のせいで、ある日、料理用に煮えたぎっていた油の中に片足を突っ込んだ。大火傷を負った彼女はバルセロナに送られた。それを知った両親はバルセロナに赴き、方々を尋ね歩いて、ようやく診察もろくに受けずにベッドに横たわっていたシモーヌを発見した。両親は彼女を説得して一緒にフランスに帰国した。両親に発見されなければ、彼女は片足を失っていたはずである*11
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つづきは、単行本『歴史と理性と憲法と』でごらんください。

 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。山を熟知したきこり同様、憲法学者だからこそ発見できる憲法学の新しい景色へ。
 
2023年5月1日発売
長谷部恭男 著 『歴史と理性と憲法と』

 
四六判上製・232頁 本体価格3000円(税込3300円)
ISBN:978-4-326-45128-9 →[書誌情報]
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。


【目次】
1 道徳対倫理――カントを読むヘーゲル
2 未来に立ち向かう――フランク・ラムジーの哲学
3 思想の力――ルイス・ネイミア
4 道徳と自己利益の間
5 「見える手」から「見えざる手」へ――フランシス・ベーコンからアダム・スミスまで
6 『アメリカのデモクラシー』――立法者への呼びかけ
7 ボシュエからジャコバン独裁へ――統一への希求
8 法律を廃止する法律の廃止
9 憲法学は科学か
10 科学的合理性のパラドックス
11 高校時代のシモーヌ・ヴェイユ
12 道徳理論の使命――ジョン・ロックの場合
13 理性の役割分担――ヒュームの場合
14 ヘーゲルからニーチェへ――レオ・シュトラウスの講義
あとがき
索引
 
「憲法学の散歩道」連載第20回までの書籍化第1弾はこちら⇒『神と自然と憲法と』
 
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長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。