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『生物学者のための科学哲学』

 
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コスタス・カンプラーキス、トビアス・ウレル 編
鈴木大地・森元良太・三中信宏・大久保祐作・吉田善哉 訳
『生物学者のための科学哲学』

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はじめに
 
 科学哲学は生物学者にとって何かの役に立つのだろうか。よく知られる答えは、科学哲学は鳥類学者が鳥の役に立つくらいにしか科学〔者〕の役に立たないというものだ。実際にそう言ったのがリチャード・ファインマンだったかどうかはともかく、これまでに私たちと顔を合わせた生物学者の多く、とくに年上の生物学者が、この答えにやすやすと同意しがちであったことは事実だ。こうした生物学者のなかには、哲学的な議論はどれも時間の無駄だと考えながら、一流の研究資金を獲得し一流の出版物〔論文など〕を発表してきた一流の研究者もいる。このような研究者がよく言うには、経験豊富な研究者は何をなすべきか心得ており、経験の浅い研究者は実験室やフィールドで経験豊富な研究者から学ぶべきである。クーンやポパーが何を言おうと(彼ら研究者は、ラカトシュもラカトシュよりのちの哲学者も、誰も聞いたことがない)、科学の実践には無関係なのだ。科学哲学はせいぜい、引退した科学者の試みとしては結構である。それも自身の経歴や業績を顧みる気になったのであれば。話としてはそんなところだ。
 以上の応答はもちろん戯画化したものであり、このように考えない生物学者も多い。だが哲学的に思索したり議論したりすることに基本的には反対せずとも、それを推し進めるかというと、ふつうそんなことはほとんどしない。生物学者には分析すべきデータがあり、書くべき論文があり、提出すべき研究資金申請書がある。科学するのに勤務時間をめいっぱい費やすので、哲学する時間はほとんど残らない。それゆえ、哲学は贅沢品になる。しかし本書のねらいは、哲学は贅沢品ではなく必需品であると示すことだ。哲学的に思索することはどんな科学の活動にも内在している。必要なのは、経験豊富な研究者にそれを隠さずにいてもらい、経験の浅い研究者にそれを理解してもらうことである。本書に収められた論考から、科学哲学が生物学にとっていかに重要か、また哲学的に考えたり思索したりすることで生物学者がどれほどの利益を得られるのかがわかれば幸いである。
 本書に収められた論考は哲学の一部の側面しか押さえておらず、生物学者、とくに若い生物学者が理解すべき最重要事項だと考えられる側面に注目していることは注記すべきだろう。まず、なぜ生物学者は科学哲学に目を向けるべきかを詳しく説明して舞台を整える章から始める(私たちトビアス・ウレル&コスタス・カンプラーキスが担当)。続く三つの章は、きわめて根本的な問題をいくつか議論する。すなわち、生物学における説明は何から構成されているのか(アンジェラ・ポトチュニック担当)、生物学的知識とは何か(ケヴィン・マケイン担当)、生物学における理論とモデルとは何か(エミリー・パーク&アーニャ・プルティンスキー担当)である。次に概念に注目し、概念とはいったいどのようなものであり、どのような役割を有するのかについて四つの章を割く。すなわち、生物学の概念はどのように使用され、どのように変容するのか(インゴ・ブリガント担当)、なぜ多くの生物学の概念がメタファーであることが問題になるのか(コスタス・カンプラーキス担当)、概念はいかにして科学を前進させるのか(デイヴィッド・デピュー担当)、概念分析は科学の実践にとっていかなる貢献があるのか(ティム・レーウェンス担当)を議論する。
 続く〔五つの〕章では、以下のテーマが議論される。まず、生命科学の諸分野で使われる方法について(エリク・L・ピーターソン担当)。次に、生物学者は過去をどのように研究し、このたぐいの研究が実験科学と同じくらい確固としたものとなりうるのはなぜなのかについて(キャロル・クレランド担当)。さらに、何が生物分類の基盤であるのかについて(トーマス・レイドン担当)。生物科学における科学論争とはいったいどのようなものかについて(マイケル・R・ディートリック担当)。そして、生物科学において事実と価値はどのような関係にあるのかについて(キャリー・フリーズ&バーバラ・プレインサック担当)である。そしていよいよ、「生物学の哲学」と呼ばれる分野の創始者のひとりであるマイケル・ルースが、生物学の哲学を実践した50 年にわたる経験を語ってくれる。結びに、生物学者に科学哲学を教えるにはどうすればいいかについて、私たちから実践的な提案をする。
 もちろんのことだが、本書の寄稿者の方々からは、ありがたいご協力のもと高水準の論考を提供いただいくという恩恵を授かった。またケンブリッジ大学出版局の生命科学分野の編集者であり、生命科学シリーズとしてはかなり特殊な本書のプロジェクトを滑り出しから出版まで支えていただいたカトリーナ・ハリディに謝意を表する。そしてオリヴィア・ボールトとサム・ファーンリーによる本書の制作を通してのお力添えに、またクリス・ボンドによる細心の注意を払った校正に感謝する。最後に、私たちふたりは互いに謝意を表したい。互いの見事な協力に助けられ、その成果を読者であるあなたは今まさに手にしている。あなたも私たちと同じように、本書を楽しんで読んでいただければ幸いである。
 
コスタス・カンプラーキス
トビアス・ウレル
(鈴木大地 訳)
 
 
訳者あとがき
 
 本書は、コスタス・カンプラーキス(Kostas Kampourakis)とトビアス・ウレル(Tobias Uller)編著のPhilosophy of Science for Biologists(Cambridge University Press, 2020)の全訳である。生物学者が目を向けるべき科学哲学の主要なトピックについて、科学哲学者や科学史家たちが概説している。「生物学者のため」と明言されているが、読者を生物学者に限定しているわけではない。哲学者はもちろん、物理学者、心理学者、その他さまざまな分野の人たちにも有益な情報を提供してくれる。科学哲学の概説は第1 章にゆずるが、ごく簡単に述べると、従来の哲学的問題を科学の知見をもとに究明したり、科学における概念の分析や方法論の探究などをおこなったりする分野である。科学哲学は物理学を範としてきたという経緯があるが、20 世紀半ばからの生物学の飛躍的発展とともに、生物学にも大きな関心を向けてきた。生物学には物理学にない特徴がたくさんあり、哲学的に魅力的な題材の宝庫である。かつては物理学中心の科学哲学であったが、いまでは生物学の哲学が物理学の哲学と並ぶ科学哲学の主要な分野となっている。
 生物学は哲学者をひきつける一方で、科学哲学も生物学者に刺激を与え、おおいに役立つ。生物学者は自身の研究を進めるうえで、どうすれば説明したことになるのか、そもそも知識やモデルとは何か、生物学の概念の役割はどのようなものか、事実と価値はどのような関係にあるのか、といった根源的な問題に直面する機会があるだろう。こうした哲学的問題は研究を引退してからゆっくり考えることにして、いまは目の前の研究に専念しようと考える生物学者が大半である。厄介な哲学的問題に挑むのは哲学者に任せるのが得策かもしれないが、哲学者による成果を利用しない手はないだろう。また、生物学の先達たちが意匠惨憺してきた歴史はいまの生物学研究の道標やヒントになることもある。「はじめに」にあるように、哲学を贅沢品ではなく必需品として利用していただきたい。
 本書はいわゆる生物学の哲学の入門書である。生物学の哲学の書籍は数多く出版されており、日本語で読める本も多く、主要な文献については「読書案内」に記載した。生物学の哲学の代表的な教科書に、ポール・グリフィスとキム・ステレルニーの『セックス・アンド・デス』、およびエリオット・ソーバーの『進化論の射程』がある。やや古くはなったが、世界的に広く読まれている標準的な入門書である。より新しい内容が含まれている入門書に森元良太と田中泉吏の『生物学の哲学入門』もある。生物学の哲学の門をくぐるにはこの3 冊がおすすめだが、本書はさらに新しい内容も含まれており、これから生物学の哲学を始めるには適書である。また、既出版の3 冊とは異なるテーマが多々あるので、すでに生物学の哲学を学んだことのある読者にとって有益な情報も豊富に含まれている。入門書ということで、わかりやすさが配慮されているが、執筆者の色が出すぎている箇所も少なくない点に注意しつつ読み進めるのがよい。
 編者のふたりを紹介しておこう。カンプラーキスは、ジェノヴァ大学の理学部生物学分野および教員養成センター所属で、科学教育を専門としている。科学哲学の著書も多数あり、主に進化論や遺伝学の哲学に関する論文を執筆している。代表的な著書に、進化論の考え方を紹介したUnderstanding Evolution(2nd edition. Cambridge University Press, 2020)、遺伝子概念を解説したMaking Sense of Genes(Cambridge University Press, 2017)がある。編著には教育者向けの生物学の哲学の入門書The Philosophy of Biology: A Companion for Educators(Springer, 2015)、共著には科学における不確定性を扱ったUncertainty: How It Makes Science Advance(Oxford University Press, 2019)などがある。「生命を理解する(Understanding Life)」シリーズの編集者でもある。もうひとりの編者ウレルは、ルンド大学の理学部生物学科所属で、進化生物学を専門としている。主な研究テーマはエピジェネティクスや母性効果、発生可逆性であり、発生、遺伝、進化の関係について数理モデリングや概念分析の手法にもとづく統合的なアプローチを用いた研究もおこなっている。「拡張された進化の総合説(Extended Evolutionary Synthesis)」の共同提唱者としても有名である。2018 年にスウェーデン王立科学アカデミーからターゲ・エルランデル科学技術研究賞を受賞している。共編著に、進化生物学における因果概念をめぐる論争を扱ったEvolutionary Causation: Biological and Philosophical Reflections(MIT Press, 2019)がある。
 ここで、各章を担当する著者と章ごとの内容を概説しよう。本書は15 の独立した章立てからなっており、関心のある章から読み進められるようになっている。とはいうものの、章のあいだに関連やまとまりがある部分はある。第1章は科学哲学の重要性を説きつつ本書全体の導入になっている。第2 章から第4 章までは従来の哲学でも論じられてきた根本的な問題が取り上げられている。第5 章から第8 章までは概念がテーマである。第9 章は科学の方法論についてであり、第10 章から第14 章までは生物学の各論的な話題が扱われている。最後の第15 章では生物学者に科学哲学の教え方が示され、本書は締められている。また、14 章以外のすべての章のタイトルは問いのかたちになっており、読者は問いへの答えを意識しながら読み進められるようになっている。
 第1 章の著者は、編者でもあるウレルとカンプラーキスである。この章ではまず、生物学者向けに科学哲学が概説され、科学哲学者が科学の研究体系、および事実と価値の関係に精通しており、生物学者にとっての科学哲学の必要性、科学者と科学哲学者の連携における科学哲学の重要性が説かれている。次に、ポパーとクーンで科学哲学が止まっているという科学者の認識に警鐘を鳴らしつつ、目的、方法、概念という科学の特徴がそれぞれ紹介される。科学の目的には記述、分類、予測、説明などがあるが、満足な説明が与えられたときに現象が理解されたと言えることから説明に焦点を当て、説明の因果説を中心に解説される。説明については第2 章でさらに詳しく論じられている。科学の方法については、ポパーの反証可能性とはそりの合わない生物学の事例をあげ、生物学の方法の多様性を紹介するとともに、多様な方法の長所と短所を気にかけるように注意を促す。科学的概念については、概念分析が現象の理解や科学の発展につながることが強調される。概念分析のねらいは概念の用法や役割を明らかにすることであるが、概念と用語が1 対1 に対応した厳密な定義は混乱を回避する利点がある一方で、あいまいな定義は包括的に研究アジェンダを定められるので強みになる場合もある。
 第2 章の著者アンジェラ・ポトチュニック(シンシナティ大学)は科学哲学を専門とし、科学の方法論や目的に関する論文を多く執筆している。主著に、科学モデルにおける理想化を扱ったIdealization and the Aims of Science(University of Chicago Press, 2017)や、科学リテラシー向上のために科学の方法や推論を紹介するRecipes for Science: An Introduction to Scientific Methods and Reasoning(Routledge, 2018, 共著)がある。本章ではまず、科学的説明に関する哲学の代表的な見解である演繹- 法則的学説、統合説、因果説が紹介される。因果説に多くの紙面が割かれており、因果関係だけでなくその因果関係のおよぶ範囲の描写も重要性である点が強調されている。次に、実体やシステムの構成要素と過程を引き合いに出す、メカニズムによる説明が取り上げられる。メカニズム論者は構成要素によって実行される過程があらゆる説明の中心になると主張するが、著者は科学的説明では必ずしも構成要素や過程が引き合いに出されるわけではないとする。同じ現象が局所的でメカニズム的な原因によって説明されることもあれば、広範囲におよぶ原因によって説明されることもある。そして、生物学では同じ現象が多くの異なる因果的要因から影響を受けるため、ひとつの現象についての複数の説明がどれも正しい場合があると主張する。
 第3 章の著者ケヴィン・マケイン(アラバマ大学バーミンガム校)は、認識論や科学哲学を専門とした哲学者である。主著に、Evidentialism and Epistemic Justification(Routledge, 2014)、Epistemology: Fifty Puzzles, Paradoxes and Thought Experiments(Routledge, 2021)、Understanding How Science Explains the World(Cambridge University Press, 2022)がある。この章では、生物学的知識とは何かという問いに迫る。知識は事実に関する命題的知識と技能や能力に関する方法的知識に大きく分けられ、生物学ではどちらの知識も重要であるが、ここでは命題的知識に焦点が当てられる。命題的知識の本性をめぐる問題は古くはプラトンが論じ、近年では哲学者エドムント・ゲティアが再考することで注目を集めた。命題的知識は、異議は唱えられているが、正当化された真なる信念として特徴づけられるのが一般的である。生物学での命題的知識は、観察的知識と理論的な知識に区別される。観察的知識は観察によって得られ、理論的知識は最善の説明への推論を通じて得られる。そして、最善の説明への推論からどのように知識が得られるのか、また最善の説明への推論は信頼できるのかという問題に議論が移る。単純性や説明能力、保守性や予測能力といった説明的美徳や説明と真理の関係が鍵となる。最後に、科学的知識が偉大な科学者個人の発見によるという誤解と、生物学的知識には絶対的な確実性が必要だとされる誤解への注意喚起がなされる。
 第4 章の著者は、エミリー・C・パーク(オークランド大学)とアーニャ・プルティンスキー(ワシントン大学セントルイス校)である。パークは生物学の哲学や環境倫理を専門とする科学哲学者である。編著書にThe Ethics of Protocells: Moral and Social Implications of Creating Life in the Laboratory(MIT Press, 2009)、共著にSocial and Conceptual Issues in Astrobiology(Oxford University Press, 2020)がある。プルティンスキーは修士で生物学、博士で哲学の学位を取得した科学哲学者である。主著にがんの科学と医学に関連する哲学的問題を扱ったExplaining Cancer: Finding Order in Disorder(Oxford University Press, 2018)、編著書に生物多様性の哲学の論文集The Routledge Companion to Philosophy of Biodiversity(Routledge, 2016)がある。本章では、生物学の理論とモデルが取り上げられる。哲学では理論はモデルや法則の集まりという見解が主流である。法則は化学元素の性質に成り立つような普遍的な一般化を指すが、生物学に厳密な意味での法則はないとされ、生物学のモデルの分析がなされる。モデルには大きく、数理モデル、数値計算モデル、物質モデルの3 種類があり、それぞれは予測や説明、抽象化や具体化などの役割が異なる。また、生物学固有のモデルにモデル生物がある。モデル生物の役割について、大腸菌の長期におよぶ進化実験を具体例として取り上げ、実験の役割と比較しながら検討されている。著者たちは、実験がモデルよりも優れているという主張に懐疑的であり、むしろ実験もモデルも推論に根拠があることが重要であり、どちらからも学ぶものがあるとする。
 第5 章の著者は、インゴ・ブリガント(アルバータ大学)である。ブリガントは生物学の哲学、心の哲学、フェミニストの哲学などを専門とする科学哲学者である。生物学の哲学では、進化発生学やシステム生物学の哲学関連の論文を多数執筆している。本章のテーマは、生物学の概念の使用と変容である。概念は理論構築や実践的行為などで大きな役割を担う。概念は経験的発見により変容する動的な存在である。概念を正確に定義することは現象を指し示すという意味で重要である。だが、進化的新奇性や生きている化石などの概念には説明アジェンダや研究アジェンダを設定し、現在や未来の説明上の取り組みに刺激を与える機能もある。この前向きな機能を背景に概念は使用され、また概念は変容することでまったく別の現象を含むようになる。こうしたオープンエンドな特徴が遺伝子概念を事例に詳説される。遺伝子概念の統一的な解釈はなく、生物学者は自身の研究の文脈や目的に依存して概念を使用する。こうした概念の多様性の例として種概念の変容が解説され、多様な種概念が互いに影響しあい、概念が科学の目的に指針を与えることが示される。
 第6 章の著者は、編者のひとりカンプラーキスである。生物学の概念のほとんどがメタファーであり、本章ではメタファーの本性に迫る。メタファーは表現したい概念(目標領域)を別の慣れ親しんだ概念(起点領域)で表すことで、目標領域の理解に役立つ。メタファーの本性について、メタファーは文字どおりの表現の単なる置き換えだとするメタファー置換説や、起点領域と目標領域が相互作用して新たな意味を獲得するとするメタファーの相互作用説が解説される。メタファーの置換説は哲学的には魅力がないので、メタファーの相互作用説を軸に議論が展開される。まず、メタファーの相互作用説の枠組みであるメタファー構造のスキーマと、メタファーの三つの機能(発見法的機能、理論的機能、レトリック的機能)が紹介される。この枠組みをもとに、「生物は機械である」と「自然選択」のメタファーが具体例として分析される。起点領域と目的領域の類似性はメタファーの発見法的機能として重要だが、理論的機能とレトリック的機能に関して問題も生じる。それゆえ、メタファーの意味と用法を理解し、価値とともに限界があることも留意すべき点が強調される。
 第7 章の著者、デイヴィッド・J・デピュー(アイオワ大学)の専門は科学史・科学哲学であり、生化学者のブルース・H・ウェーバーとの共著にDarwinism Evolving: Systems Dynamics and the Genealogy of Natural Selection(MIT Press, 1994),Entropy, Information, and Evolution: New Perspectives on Physical and Biological Evolution(MIT Press, 1988),Evolution and Learning: The Baldwin Effect Reconsidered(MIT Press, 2003)がある。本章では進化生物学の進展のなかで概念の果たした役割が議論されている。まずダーウィン自身の進化学説において、自然選択という概念は、はじめ人為選択との対比によるメタファーとして誕生し、それが自然選択理論の基礎になったと論じられる。次に、自然選択という概念は、ネオダーウィニズムの成立時において統計物理学に由来するモデルとして明確化され、対立理論を退ける役に立ったことが示される。そして最後に、現代生物学において遺伝子中心主義の問題が概念的枠組みの観点から議論される。以上のように本章では、科学における概念の役割が、実際の生物学史を参照しながら展開される。科学史家としても知られる著者の面目躍如といったところである。
 第8 章を執筆したティム・レーウェンス(ケンブリッジ大学)もまた、科学史と科学哲学を専門とする。本書「読書案内」で最初に紹介される、The Meaning of Science(Penguin Random House, 2015)の著者である。本章でレーウェンスは、文化進化学をテーマに、この分野の鍵概念(「文化」「社会的学習」「累積的文化変化」など)が研究の目的によって異なる定義が用いられており、分野間、さらには分野内でさえ混乱が生じる原因となっていると指摘する。しかしここで定義を確定させてしまうと、それにそぐわないが考察に値する仮説を意図せず排除してしまうリスクをはらむ。概念の哲学的分析は、科学の実践と結びつくことで、こうしたリスクを明らかにして緩和するのに役立つのである。本章での議論は、レーウェンス本人が記しているように、多元的かつ個別的なアプローチにもとづいており、一般性を志向する伝統的な科学哲学のアプローチとは一線を画している。
 第9 章のエリク・L・ピーターソン(アラバマ大学タスカルーサ校)の専門も、科学史・科学哲学である。主著に、エピジェネティクスの歴史的源流を論じたThe Life Organic: The Theoretical Biology Club and the Roots of Epigenetics (University of Pittsburgh Press, 2017)がある。本章のテーマは、科学の方法である。つまり科学では(具体的には生命科学では)唯一の方法だけがあるのか、逆に「なんでもあり」なのか。ピーターソンは、現代生物学での事例(アルツハイマー病のアミロイドβ原因説の提唱)と生物学史の分析を通して、生命科学で用いられる方法には「帰納か演繹か」「生体内(in vivo)か、ガラス器内(in vitro)か、コンピューター内(in silico)か」「被験体に干渉するか、干渉しないか」「焦点距離が大きいか小さいか」という四つの要素があると整理する。生物学者はこれらの要素のいずれかを組み合わせている─つまり生命科学で用いられる方法は、唯一ではないが、なんでもありでもなく、(グラデーションはありつつも)上記の要素の組み合わせの数として限定されている─のである。つまりピーターソンは方法論的多元主義を支持していると見てよいだろう。それは生命科学の実態ともよく合致しているように思われる。
 第10 章の著者は、哲学者のキャロル・E・クレランド(コロラド大学ボールダー校)である。地球科学にも造詣が深く、主著に(地球外生命を含めた)生命の普遍理論の可能性を論じたThe Quest for a Universal Theory of Life: Searching for Life As We Don’t Know It(Cambridge University Press, 2019)がある。本章でクレランドは、歴史科学としての進化生物学を、実験科学に劣っているわけではないと擁護する。実験科学は実証実験により仮説を検証できる点で優れているように思われるが、この実験ひとつでは偽陰性と偽陽性の可能性を排除できない。そこで実験科学者は複数の証拠にもとづいて偽陰性と偽陽性の問題に対処する。それと同じように歴史科学者も複数の証拠にもとづいて仮説を検証する。確かに歴史科学者は実証実験による検証をしないが、両者の用いる方法が異なるのは、現在の証拠は過去の原因を過大決定している一方で(証拠がたくさんあったとして、そのすべてが必要であるわけではない)、予測された未来の結果を過小決定している(論理的に言えば実証や反証には不十分である)という「過大決定の非対称性」があるからだ。その違いを浮き彫りにする実例として、歴史科学から白亜期末の大量絶滅の原因についての研究と全生物の共通祖先の存在についての研究が、実験科学からリボザイムの発見が取り上げられる。
 第11 章では、哲学者のトーマス・A・C・レイドン(ライプニッツ大学ハノーファー校)が生物分類について論じる。分類の問題、とりわけ生物種に関する問題(種問題)は、生物学者と哲学者のどちらも巻き込み、活発に議論されてきた。レイドン自身もこの問題に長らく取り組んでおり、本章でも引用されているように、多数の論文がある。本章では、生物種と遺伝子を題材に議論が進められる。レイドンによれば、分類はもともと理論依存的である。生物種と遺伝子においては、現在では進化理論がよりどころとなっているが、進化理論自体はよい分類体系がどれかは教えてくれない。事実、研究の文脈が違えば、役に立つ種概念や遺伝子概念も違ってくる。そこで、理論をどのように解釈して確固たる分類基盤を確立し、分類体系をめぐる混乱を解決するために、科学哲学の出番となる。
 第12 章の主題である科学論争は、著者のマイケル・R・ディートリック(ピッツバーグ大学)が主要な分析対象としているテーマである。科学史・科学哲学が専門のディートリックには、共編書としてDreamers, Visionaries, and Revolutionaries in the Life Sciences(University of Chicago Press, 2018)などがある。本章でディートリックは、進化遺伝学における古典説と平衡説の論争などを引き合いに出しながら、なぜ、どのように論争が始まり、継続し、終わるのかを論じる。生物学の周辺での科学論争を扱った、日本語でも読める文献として、本章でも引用されている『デヴォン紀大論争:ジェントルマン的専門家間での科学知識の形成』(マーティン・J・S・ラドウィック 著、菅谷暁 訳、みすず書房、2021 年)、また本章では触れられてはいないが、『アカデミー論争─革命前後のパリを揺がせたナチュラリストたち』(トビー・A・アペル著、西村顯治訳、時空出版、1990 年)などがある。
 科学と価値、あるいは科学と社会の関係を扱う第13 章は、科学技術社会論のキャリー・フリース(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス)とバーバラ・プレインサック(ウィーン大学キングス・カレッジ・ロンドン)の手による。主著として、フリースにはCloning Wild Life: Zoos, Captivity, and the Future of Endangered Animals( NYU Press, 2013)、プレインサックにはPersonalized Medicine: Empowered Patients in the 21st Century?(NYU Press, 2017)がある。本章では、歴史的事例として優生学と生体解剖を、現代の事例としてエピジェネティクスとインターセックスの問題をテーマに、事実と価値の関係が検討される。ここでの価値は、社会における価値や倫理だけでなく、科学そのものの価値、つまり「よい科学」とは何か、という問題も含まれる。本章を通してフリースとプレインサックは、事実と価値は容易には分離できないという点、科学は文化的要因の影響を受けるので「中立」で客観的ではありえない点、よい科学であるには再現性や透明性、オープンであることなどが重要である点を強調する。
 第14 章は、生物学の哲学における泰斗マイケル・ルースによるものであり、本書の大トリともいえる立ち位置を占めている。本章そのものがルースの自叙伝であるため、本章の要約がそのままルースの紹介になる。ルースは生物学の哲学の創始者のひとりとして分野の礎を築いただけでなく、生物学史でもダーウィニズム関連での業績を多く残している。また本章でも紙面が大きく割かれているように、創造論と進化生物学の論争についての研究でとりわけ有名である。ルース自身はもちろん進化生物学擁護の立場であるが、創造論者との交流をもち、対話を試みている。それと同時に、反創造論者にはびこる進歩主義にも批判の目を向ける。ルースによれば、進歩主義は科学ではなく、その根底に世俗宗教としてのダーウィニズムがあるために、キリスト教徒の反感を招いているのだと喝破する。自分の立場に拘泥せず、多角的な視点から考察を深める姿勢は、哲学者だけでなく科学者にとっても学ぶところが多いだろう。
 締めに当たる第15 章は、編者のカンプラーキスとウレルがふたたび執筆している。テーマは、(学生を含めた)生物学者に科学哲学を教える方法についてである。第1 章で論じられているように、科学哲学は生物学者にとっておおいに役に立つ。しかし生物学者にとって、まったく分野の異なる科学哲学を学ぶのは確かにハードルが高い。これは本書『生物学者のための科学哲学』そのものが編纂された理由でもある。本章では、本書を実際に使うか使わないかにかかわらず、生物学者に対して科学哲学を教える際に「してはならないこと」と「したほうがよいこと」を提案する。これは裏を返せば、生物学者が科学哲学の文献を読む際に自身の理解を助けるためにも応用できる。たとえば「してはならないこと」のひとつめに「哲学的話題について事細かに掘り下げてはならず、重要な面に焦点を当てたほうがよい」とあるとおり、哲学的議論の詳細を追おうとして迷子にならないように、議論の骨子に意識を向けるのがよいだろう。また「したほうがよいこと」では、一般的な事例や生物学での具体的な事例に当てはめて考えることの重要性が説かれているが、抽象的になりがちな哲学書を読む際にも、自身でさまざまな事例に落とし込んで考えてみることも理解の役に立つだろう。
 
 本書の翻訳は、鈴木と森元が中心となって、生物学と科学哲学の両方に関わりのあるメンバーで翻訳チームを組んで作業を進めた。メンバーのうち、鈴木、三中、大久保の三人は生物学寄り、森元、吉田のふたりは哲学寄りの専門である。各訳者の略歴は、巻末の「訳者紹介」を参照されたい。原則として、各章に担当者が割り当てられ(担当章についても巻末の「訳者詳細」に記載されている)、担当者が作成した草稿はふたり以上のチェックを経てクオリティの向上に努めた。
 出版にあたっては、勁草書房の鈴木クニエさんに大きなご助力をいただいた。ここに謝意を表する。またアーティストのRyu Itadani さんにはすばらしい装画を描いていただいた。心より感謝する。さらに鈴木の企画による本書のweb読書会では、多くの参加者とともに内容を議論することができた。そこでの議論は訳文の随所に活かされている。参加者のみなさんに感謝したい。
 最後に、本書をきっかけに生物学の哲学に興味をもたれた読者の方々へ。生物学と科学哲学に関しては、国内にも「生物学基礎論研究会」があり、生物学者や哲学者を中心に、生物学の哲学的・基礎論的な問題について議論されている。本書の訳者の鈴木と森元も、この研究会の世話人メンバーである。いまのところ会員制ではないので、年1 回を目安に開催されている研究会に気軽に参加していただきたい。
 本書が生物学と哲学の相互コミュニケーションをより活発にする触媒となることを願ってやまない。
 
訳者代表 鈴木大地・森元良太
 
 
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