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『歴史を書くとはどういうことか――初期近代ヨーロッパの歴史叙述』

 
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小谷英生・網谷壮介・飯田賢穂・上村 剛 編著
『歴史を書くとはどういうことか 初期近代ヨーロッパの歴史叙述』

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はじめに
 
網谷壮介・上村 剛
 
 好むと好むまいとにかかわらず、私たちは過去を語らずにはいられない。たとえば自己紹介がそうである。自分の過去の話を始める。どこで生まれたか、どのような経歴をたどってきたか。人は自分の存在を確認し他者に知らせるために、過去の自分という歴史について語る。私たちがどこからきてどこにいくのか、それを確かめるために多くの人が歴史に関心を寄せる。贔屓球団の来歴のような趣味に関する歴史的考察でさえ、私たちの会話には欠かせない。
 とりわけ多くの人が熱量を持って語るのは国家の歴史である。日本の戦前・戦中について語ることは日本人としてのアイデンティティを形成し確認することであるために、議論は過熱する。外国の文化、制度、人となりなど、他者を理解するときにも、歴史を知ることは有用である。歴史は不正な戦争の大義名分に利用されることもある。ロシアがウクライナへの侵攻を正当化するとき、そこがかつてロシアであったという過去が引き合いに出される。このように人間存在は「いま・ここ」だけで成り立つのではなく、「かつて・どこか」の存在の集積である。
 本書は歴史を書くこと、すなわち歴史叙述の歴史(history of historiography)を探求する一冊である。特に初期近代のヨーロッパにおいて思想家が歴史を書くことで何をしていたのか、また、そうした過去の歴史叙述を現在の思想史家がどのように研究しているのかをテーマとしている。
 ここでいう「歴史」は現在、日本語でも西欧語でも、大雑把に言って二つの意味で用いられている。第一に、過去の事象や出来事、とりわけ、かつてなされた人間の行為や決定、そしてその背景にあった社会的・政治的・文化的な制度や慣習を意味する。第二に、そうした過去の人間行為の、またその背景にある諸制度の記録・記憶をも意味する。その媒体として、西欧や中国、日本などの多くの社会では「書くこと」が選択されてきたが、口頭での語り継ぎのみを行なってきた社会もある。
 本書が歴史叙述というときには第二の意味での歴史を書くことを意味しており、歴史叙述の研究ではその叙述、「書くこと」に力点が置かれる。歴史叙述研究では、しばしば「語る(narrate)」、「語り(narrative)」という語も用いられるが、それは口頭の発話ではなく、実質的には「書くこと」を意味している。
 なぜ過去の歴史叙述を研究するのか。最先端であるはずの現在の歴史学の成果を読めば、過去の歴史叙述など見る必要はないのではないか。そうではない。過去を書くということそれ自体が歴史のなかで一様ではなく、その意味や機能、目的、書き方は変動してきた。歴史が「学」となったのも長期的に見れば最近のことである。それ以前、特に本書第Ⅱ部が扱う西欧初期近代においては、過去、たとえば古代ギリシア・ローマについて、あるいはローマ帝国崩壊後のヨーロッパについて書くことが、同時代の政治・社会について議論するひとつの確たる手段となっていた。つまり、過去の歴史叙述を見ることは、その時代の政治・社会思想を知るための有力な経路となりうるのである。
 歴史叙述の研究は日本では史学史と呼ばれ、歴史学の一分野として扱われてきた(大学ではしばしば史学概論という講義がそれを担う)。多くの場合そこでは、古代ギリシアのヘロドトスやトゥキュディデスから一九世紀のドイツでその礎が築かれたとされる近代歴史学の成立までの進歩が取り上げられる。一九世紀に至ってはじめて歴史は学問、すなわち科学を標榜するようになるが、それは以前の歴史叙述には欠落していた客観性と実証性を自然科学と同様に重視するからだとされる。「それが実際にどうあったか(wie es eigentlich gewesen)」のみを語ること、これが近代歴史学の祖とされるレオポルト・フォン・ランケ(Leopold von Ranke, 1795-1886)の望みだった。
 こうした従来の歴史叙述の研究(史学史)が着目してきたのは、過去を知ることの方法についてだった。近代歴史学成立以前の歴史叙述が扱われる場合にも、それがどの程度客観的か、実証的かという基準に即して評価され序列化されてきたと言える。たとえば、ヘロドトスの叙述には神話が混じっているが、トゥキュディデスはペロポネソス戦争で実際に起きた事柄のみを客観的に伝えているなどといったように。私たちは現在、大学という制度において独立した歴史学科や歴史学部が存在する世界に生きており(一九世紀以降にならないとこれらは存在しない)、科学としての歴史学の方法がどのように洗練されてきたのかを知ることは、その制度のなかで将来の歴史学者を訓練するためには必要だろう。しかし、冒頭で触れたように、歴史は何も歴史学者のみが書くものでも関心を持つものでもない。むしろ、歴史が科学を標榜するようになり、歴史学者という専門家が登場する以前から、そしてそれ以降も、人びとは歴史を書いてきたのである。
 私たちはまずはこの事実に純粋に驚きを感じるべきなのかもしれない。そもそも、いつ、どこで、どのような社会が事績や出来事を書き残すようになり、それで何が起きたのか。歴史学という学問を自明視しすぎていると、このような疑問さえ私たちからは遠のいてしまう。驚くべきことに、歴史を書くことを通じて政治・社会制度について論争が生じ、その結果、血が流れることさえあった。たとえば一七世紀イングランドの内戦は、一一世紀のノルマン人の征服をどう理解するのかを極めて重要な争点としていた。あるいは明治末の日本でも、建武三年以降の皇統分裂をどのように書くかが政治的な論争となった(南北朝正閏論)。当然のことだが、こうしたことはその社会が歴史を書くようになっていなければ生じなかった。では、歴史を書くことが政治・社会について議論するひとつの方法とみなされるようになった社会は、それによってどのような変化を被り、そこで書かれるのはどのような歴史と言えるのか。
 こうした問いにこそ、従来の史学史とは異なる歴史叙述研究の始点がある。そこでは、歴史学を学たらしめる方法とは何か、それはどのように意識化され洗練されてきたかという問いの代わりに、過去の何が記憶されるべきものとしてなぜどのように書かれたのか、それを書くことで何が意図され、何が社会にもたらされたのかということが問われることになる。
 たとえば、ヘイドン・ホワイト(Hayden White, 1928-2018)の『メタヒストリー』(一九七三)は歴史叙述の叙述に焦点を当てて、過去がどんなナラティブ(語り口)で書かれたのかを導きの問いとした。歴史を書く者は過去の何を書くか(書かないか)の選択に迫られるが、それは、歴史を書くことで何をもたらしたいのかに応じて、どんなナラティブを選ぶのかということに相当程度規定される。歴史叙述の内容は形式から独立しておらず、むしろ形式と内容は相互に規定しあう関係にある。
 過去の何をどんなナラティブで何のために書くのか――歴史叙述をめぐって政治的対立が発生するのはここである。他のナラティブもありえたという可能性が論争可能性と結びつく。こうした局面を、歴史叙述の歴史研究のなかで探求してきたのがニュージーランド生まれの歴史家ジョン・G・A・ポーコック(John G. A. Pocock, 1924-)であり、彼の「過去の研究の諸起源」論文(Pocock, 1962/2009)がその嚆矢と言ってもいいだろう。最初の単著『古来の国制と封建法』(一九五七)を支える問題意識が深く議論されているからである。
 ポーコックは歴史叙述の歴史を、さまざまな社会(当然それは西欧に限定されるわけではない)において過去への意識が生み出した諸問題と、そうした問題を解決する試みとして理解する。ここで重視されるのは現在を生きる人びとが過去に対して持つ意識、すなわち過去と現在との関係への意識である。上述したノルマン人の征服についての意識が一七世紀イングランドの対立を引き起こしたのはその一例である。そう捉えることで、ポーコックは歴史叙述の持つ政治思想としての意義を鮮明にした。歴史叙述を政治思想の一形態とみなすことは彼の一貫した問題意識であり、共和主義といったテーマよりも一層重要な問題系であると理解する研究も有力である(犬塚 2017)。実際、より最近の論文(Pocock 2011)でもポーコックは、歴史叙述を政治思想の一形態と見るという理解を引きつづき示している。
 ポーコック自身はアルナルド・モミリアーノ、ドナルド・ケリー、アンソニー・グラフトンといった研究者たちに言及しており、修辞学や弁論家、哲学者と歴史叙述といったテーマを検討してきた。さらにはポーコック以降の世代でも初期近代の歴史叙述研究として、コスモポリタンという視角でヴォルテール、ヒューム、ギボン、ロバートソン、ラムゼイを論じたカレン・オブライエン(O’Brien 1997)や新古典主義という名称でブリテンにおける歴史叙述の復権を描いたフィリップ・ヒックス(Hicks 1996)、また小説とは異なった歴史叙述というジャンルの成立を一八世紀のブリテン社会、読者との関係で位置づけようとしたマーク・フィリップス(Phillips 2000)の研究が新たな知見を加えるなど、広がりを見せてきた。それ以降の研究としては、さまざまな思想家における古典と政治思想との関係や、歴史家とはみなされてこなかった思想家の歴史叙述をより精密に描くもの(例としてNelson 2004; Fasolt 2004; Sato 2018)がある。また、歴史の書き手だけに注目するのではなく、文化史的に読者や公共文化との関係にも目配りし、過去についての解釈を同時代の政治・社会思想につなげる研究も出てきた(Towsey 2014)。
 実証主義史学を生んだドイツ語圏においても、一八世紀を非歴史的な合理主義の時代とする理解を退けて、特にゲッティンゲン大学周辺の知識人を中心にさまざまな歴史叙述が花開いたことに正当な注目が集まるようになった(Hammerstein 1972; Bödeker et al. 1986; Muhlack 1991; Marino 1995)。そこでは、一八世紀の歴史叙述に一九世紀の歴史主義と連続する要素がいかに見出されるかという点のみならず、神聖ローマ帝国の公法学と帝国史の歴史叙述のなかで帝国と領邦の関係がどう理解されたのかとか、一八世紀末のグローバルな政治的・社会的大変動、特にフランス革命が同時代史としてどのように叙述され、その叙述がどのような政治的構想を含むものか(D’Aprile 2013; 熊谷 2015)といった点にも研究が及んでいる。他方、ラインハルト・コゼレック(Reinhart Koselleck, 1923-2006)のように社会史の観点から歴史叙述に現れる「歴史」概念に着目し、初期近代において人びとの時間意識に根本的な変化が生じたと主張する研究も現れた(Koselleck 1989)。近年ではその変化はコゼレックが想定した一八世紀末よりも早められる傾向にあるが(Landwehr 2014)、歴史叙述は政治思想としてだけでなく、その根底にある時間意識が析出される媒体として研究対象となっている(クラーク 2021)。
 こうした新たな研究潮流を汲み、二〇〇八年、二〇一三年には相次いで歴史哲学と歴史叙述についてワイリー・ブラックウェルとブリルから入門書(Tucker (ed.) 2008; Bourgault and Sparling (ed.) 2013)も登場し、歴史叙述の歴史は思想史のジャンルとしての地位を確立しつつある。本書も当然、このような研究潮流に棹差すものである。
 以上のような問題意識から、本書は二部構成をとる。第I部「二〇世紀の思想史家の方法」では、歴史叙述の「語り」と時間意識をめぐる問題系を論じた小谷論文を総論として、歴史叙述の政治思想を開拓したポーコックとその知的連関(オークショット、スキナー、アーレントなど)について検討する。
 続く第Ⅱ部「初期近代の歴史叙述の諸相」では、初期近代の思想史研究者が、各専門対象(モンテーニュ、ライスケ、モンテスキュー、ルソー、ユスティ、マディソン)の個別具体的な歴史叙述を扱っている。
 初期近代の歴史叙述といえば、すべてを人類の進歩に落とし込む歴史哲学のイメージが依然として強い(ヴォルテール、カント、ヘルダー、コンドルセ、ヘーゲル)。だが、初期近代においては古代と近代の関係性の理解が多様化し、古代世界の特殊な社会・政治制度の分析を通じて同時代の特殊な社会・政治制度の批評が繰り広げられたことも見逃してはならない。ルネサンス以降、ギリシア・ローマの歴史とローマ帝国崩壊後の歴史、そしてキリスト教世界の歴史とをどう接合あるいは切断することが可能かをめぐって意見が百出してきた。同時に初期近代はヨーロッパ以外の他者の歴史と遭遇する時代でもある。それはたとえばモンテスキュー『ペルシア人の手紙』(一七二一)のように、ヨーロッパ人の自己理解の批判的な見直しをも意味した。本書はこれらに注目し、ブリテン、フランス、ドイツの個別の政治的実践の場において描かれた歴史を検討している。そこには、近代の歴史学の実証主義的な態度が定まる以前の、多様な歴史の語り方が広がっている。
 冷戦後の今日、「文明の衝突」(ハンチントン)も「歴史の終わり」(フクヤマ)も「二一世紀の啓蒙」(ピンカー)も、絶えず更新されていく未曾有の危機を前に頼りにできる歴史の語りになっていない。「人新世」はビッグヒストリーすぎて、冷戦後の現代を種別化するのには向かないだろう。二一世紀という現代をどのような時代と捉えるのか、その語りは模索途上にある。初期近代もまた、安定したカトリック世界に切れ目が入り、政治的に動揺した不確実な時代だった。過去との断絶が意識される一方、それに対抗して連続性を強調する語りも出てきていた。初期近代の抗争しあう歴史叙述の具体的な相を見ることは、同様に「現代」の語り方の模索を続ける今日の私たちにとっても有益な参照点になるはずである。(参考文献と傍点は割愛しました)
 
 
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