2015年11月に刊行された『注意』からはじまった『シリーズ統合的認知』は、2023年8月の『感覚融合認知』をもって無事に全巻が刊行されました。
要素還元的な脳機能の理解には限界があり、人間の行動を統合的に理解することが必要であるという視点でスタートした本シリーズは、認知心理学の王道ともいえる研究テーマや近年の研究蓄積が著しいテーマについて、それぞれの分野を代表する先生方にご執筆いただいたものです。
シリーズ全体の概要については各巻頭に収録されておりますが(→こちらからどうぞ)、完結を記念し、監修者の横澤一彦先生に全体を俯瞰する解説を改めてご執筆いただきました。
脳の中にとどまらない広大な認知心理学のフィールドを探索する道しるべとして、本シリーズをぜひご活用ください。【編集部】
『シリーズ統合的認知』全6巻が2023年8月に全て刊行されました。シリーズの監修と、全巻での分担執筆を務めましたが、各巻の分担執筆者の先生方の辛抱強い協力のもと、やっとゴールにたどり着いたという感じです。
これまでの刊行が散発的で、第1巻が刊行されてから約8年の歳月がかかったことになりましたので、改めてシリーズ全体の構想を踏まえて、監修者によるブックガイドを試みてみたいと思います。
『シリーズ統合的認知』のいずれの巻も、認知心理学の学術書です。正直に言えば、どの巻も高度な内容の学術書なので、認知心理学に関する特殊講義の教科書にさえなりにくいと思います。それでは、どのような読者を想定しているのでしょうか?
もちろん、人間の脳機能の特徴を、心理学的な現象から知りたいという読者(例えば、神経生理学者や脳科学研究者など)もいると思いますが、主たる読者として、認知心理学に関する研究テーマで卒論に取り組もうとする大学生、認知心理学に関する研究テーマに取り組もうとする大学院生、認知心理学の演習ゼミを担当し、参考書を探している大学教員とゼミ生などを想定して、各巻がまとめられています。
例えば、素朴な疑問として、人間の注意力に興味を持って、深く知りたい、じっくりと調べてみたいと思ったとき、すぐに過去の注意研究の膨大な成果の蓄積にたじろぎ、何から勉強したら良いのか途方に暮れるはずです。注意に関する学術論文は、過去数十年に渡り取り組まれ、最近では毎年1500編以上発表されている訳ですから(第1巻「はじめに」より)、心理学概論や認知心理学の入門書を勉強しただけでは、自分の研究テーマにするためには、太刀打ちできないでしょう。
河原純一郎・横澤一彦
『注意――選択と統合』
認知機能の基本をなす注意。100年以上にわたる心理学研究の蓄積の全体像を俯瞰し、注意とは何かを丹念に論じる、シリーズ第1巻。 ■定価3850円
〈書誌情報・目次〉/〈あとがきたちよみ〉
注意に限らず、『シリーズ統合的認知』で取り上げた研究テーマはいずれも同様に膨大な認知心理学的な研究の蓄積があるのです。『シリーズ統合的認知』の各巻共に、巻末に膨大な原著論文の引用文献リストが掲載されていて、それが『シリーズ統合的認知』各巻の特徴の1つですが、実はそれらが厳選された文献リストであることは、本文を読み進んでいただければ分かることだと思います。
すなわち、認知心理学の重要な研究テーマについて、過去に取り組まれた研究内容を専門研究者が整理して、高度な判断により分類し、コンパクトにまとめたのが、『シリーズ統合的認知』という学術書群なのです。
宝の山から自分の本当に興味ある研究テーマを見つけ出し、掘り進めるための指南書として捉えて、有効に活用してもらいたいと願っています。
新美亮輔・上田彩子・横澤一彦
『オブジェクト認知――統合された表象と理解』
私たちは無数の物体・文字・顔・情景が溢れる中に生きている。それらの脳内表象が形成され、身の周りの世界が理解される過程に挑む。 ■定価3850円
〈書誌情報・目次〉/〈あとがきたちよみ〉
『シリーズ統合的認知』のいずれの巻も、高度な内容の学術書だとすれば、『シリーズ統合的認知』全巻に興味を持ち、読んでおくべきなのは、どのような読者でしょうか?
『シリーズ統合的認知』のいずれの巻も、認知心理学の研究テーマを取り上げていますが、感覚器官からの入力から、行動という出力に至るまでの、単純な階層的情報処理過程を取り上げている訳ではありません。脳情報処理の特徴は並列分散処理だと言われますが、並列処理でも分散処理でも一定の情報処理原理に基づいて瞬時に、次の行動という解が導き出されているはずです。
いわば、身体が手や足に分かれて、それぞれの別の機能を果たしているように、脳も様々な部位が役割分担をしていますが、身体の一部である手だけを切り出して、手の機能を分析するのではなく、常に身体の一部としての手に焦点を当てて分析するという問題の捉え方が、統合的認知における問題の捉え方に近いと思います。現状では、1つの統一原理を示すのではなく、様々な側面から統合的認知における問題を明らかにするというのが、『シリーズ統合的認知』のそれぞれの巻で取り上げている研究テーマなのです。
例えば、機能還元的な脳科学の研究に基づき、側頭葉のある部位が『オブジェクト認知』(第2巻)を担っていると特定されたとしても、その部位が『注意』(第1巻)や『身体と空間の表象』(第3巻)にも関わっている可能性が高いとすれば、それぞれを別の情報処理機能を担うと見なすのではなく、別の側面から情報処理過程を捉えているに過ぎないことがわかれば、脳情報処理が多面的であるという本質に近づけるように思うのです。
少なくとも、複数巻の内容を読み比べていただくと、『シリーズ統合的認知』の各巻が決して独立ではないことが明らかになると思います。そのような意味で、認知心理学もしくは脳科学を専門とする大学院生や研究者には、『シリーズ統合的認知』の全ての巻を読み比べてもらうことに挑戦して欲しいと願っています。
横澤一彦・積山 薫・西村聡生
『身体と空間の表象――行動への統合』
私達の体と周囲の空間は、脳内でどのように表現され、行動に結びついているのか。様々な現象から知覚と行為の相互作用を明らかに。 ■定価3300円
〈書誌情報・目次〉/〈あとがきたちよみ〉
前半3巻はそれぞれ、『注意』、『オブジェクト認知』、『身体と空間の表象』という認知心理学における中心的研究テーマを取り上げています。いずれも認知心理学の創成期から中心的な研究テーマであった訳ではありませんが、現代の認知心理学の中では、王道の研究テーマとして重要な位置づけになっているのは間違いありません。
これらの前半3巻に比べ、後半3巻は、これまで認知心理学では扱いきれなかった問題を取り上げています。『感覚融合認知』、『美感』、『共感覚』は、これまでは王道の認知心理学的研究テーマではなく、どちらかといえば、扱いにくい研究テーマだと考えられてきたように思います。
ところが、ここ最近は多くの研究者が興味を持って取り組んでいて、研究成果も蓄積されてきています。確立されていない研究分野であるので、問題の捉え方について、各巻の内容を是非とも参考にしてもらいたいと思います。
横澤一彦・藤崎和香・金谷翔子
『感覚融合認知――多感覚統合による理解』
視覚や聴覚といった単独の感覚ではなく、複数の器官から得られた情報の相互作用によってはじめて生み出される認知に焦点を当てる。 ■定価3520円
〈書誌情報・目次〉/〈あとがきたちよみ〉
本シリーズのいずれの巻もあまり類書はないと思いますが、関連書籍があったとしても、各巻の特徴を副題との関係でご理解いただけると良いと思います。お気づきとは思いますが、各巻の副題には、「統合」という言葉が含まれており、この「統合」が統合的認知の本質を表しています。
第1巻『注意――選択と統合』は、注意はこれまで脳内情報の取捨選択機能を指していると考えられてきましたが、それに加え、選択情報を特徴統合することで、さらに高次の処理過程に進める役割を果たしていることを明確にしています。同時に、選択されず、特徴統合されなかった結果、無視や見落としにつながっていることに言及しています。
第2巻『オブジェクト認知――統合された表象と理解』は、脳内情報処理の単位をオブジェクトと呼び、具体的には日常物体、顔、文字というオブジェクトがそれぞれラベル付け、すなわち命名される情報処理過程を取り上げています。それぞれの部品(顔ならば、目、鼻、口、輪郭など)を統合した脳内表象を基に、外界に存在するオブジェクトを理解していることを明らかにしています。
第3巻『身体と空間の表象――行動への統合』は、我々の脳情報処理の座標軸を決める過程を扱っています。身体の位置、方向、大きさを含む表象を把握することで、外界を相対化することができますし、身体を原点として、上下左右や前後という軸に基づく相対的な空間として統合された表象により、我々の行動が可能になります。実空間ではなく、仮想空間の中での行動には、身体と空間の表象の問題がますます重要になってきているように思います。
第4巻『感覚融合認知――多感覚統合による理解』は、これまで五感を分けて取り扱ってきた認知心理学的研究とは異なり、例えば視聴覚とか視触覚などの、多感覚の統合による理解過程を扱っています。統合された結果、元に戻れないほど融合されてしまい、新たな解釈を生み出すことで、それぞれの感覚に含まれる雑音成分を除去できることになる現象を取り上げています。複数の感覚器官を有する目や耳から得られた情報に基づく、立体視やステレオ聴なども、感覚融合認知として扱っているところに特徴があります。
第5巻『美感――感と知の統合』は、美感についての科学的な実験研究を取り扱っています。歴史的に実験美学から美感科学へと研究展開されていく中で、美感に関わる美醜や好悪に関する問題を取り上げるとき、認知心理学の主たる研究対象である知覚過程において扱いにくかった、感情、感性、知識が干渉しあいながら統合される過程、すなわち感と知の統合過程が徐々に明らかになっていることを知ることができるでしょう。
第6巻『共感覚――統合の多様性』は、ごく少数の方が感じている共感覚を扱っています。色の付いていない文字に特定の色を感じるような現象です。すなわち、色に関わる入力情報がないにも関わらず、脳内で色覚を誘発していることになります。ただし、この共感覚を共感覚者特異の現象ではなく、感覚統合の多様性と捉えることで、共感覚の仕組みを理解することから感覚に関する個性について洞察を深めることができるように思います。
三浦佳世・川畑秀明・横澤一彦
『美感――感と知の統合』
人は何を美しいと思い、いかにして美を感じるのか。実証科学的研究をもとに、個々の美の向こう側に共通する普遍的なものを捉える。 ■定価3850円
〈書誌情報・目次〉/〈あとがきたちよみ〉
「統合的認知」とは、上述のような認知過程の捉え方を指していますが、『シリーズ統合的認知』の特徴は、単著でもなく、各章が全て別々の執筆者による分担執筆形式でもなく、各巻2、3人に限った専門研究者に複数章を担当してもらい、お互いの担当章だけでなく、意識的に干渉させあいながら、まとめていく作業に参画いただいたことにあると思っています。
このことは、第5巻『美感――感と知の統合』の「はじめに」では、カノンのような展開と表現されています。各著者の先生方には、1つの出版物という出力を出すために、いわば「統合的認知」と同様に、シリーズ全体の構想に沿って、統一感を持って読者に解を提示する役割を果たしてもらったと感謝しています。
したがって、読者の皆さんに、各巻を順番に読み進めていただく必要もないし、興味ある章を拾い読みしてもらっても良いと思いますが、それらを統合することで、明確に役割分担された脳機能に基づく機械的な情報処理ではない脳情報処理の本質を理解していただき、独自の人間観につなげてもらいたいと願っています。
浅野倫子・横澤一彦
『共感覚――統合の多様性』
共感覚の基本的特徴や神経機構を解説、また色字共感覚者へのインタビューを収録。「共感覚とは何か」を理解する上で必読の書。 ■定価3520円
〈書誌情報・目次〉/〈あとがきたちよみ〉
著者紹介
横澤一彦(よこさわ・かずひこ)
1956年生まれ、東京大学名誉教授、筑波学院大学教授、日本認知科学会フェロー、認知神経科学会副理事長。主な著書に『シリーズ統合的認知』全6巻(監修、勁草書房)、『視覚科学』(単著、勁草書房)、『マインドワンダリング』(翻訳、勁草書房、近刊)、『講座認知科学』全4巻(編著、東京大学出版会)、『つじつまを合わせたがる脳』(単著、岩波書店)、『感じる認知科学』(単著、新曜社)