「憲法学の散歩道」単行本化第3弾! 書き下ろし1編を加えて『思惟と対話と憲法と――憲法学の散歩道3』、2025年10月15日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
筆者はいわゆるロースクールに所属している。法曹養成を任務とするロースクールでは、ソクラティック・メソッドと呼ばれる問答を通じた教育が推奨されている。アメリカのロースクールでは、そうした教育方法がとられているらしいので*1、それを輸入しようということのようである。
ロースクールで行われるはずのソクラティック・メソッドが、ソクラテスが行ったと伝えられる問答法(dialectic)とどのような関係にあるかは、判然としないところがある。ロースクールの教員のすべて(あるいは大部分)が、ソクラテスの問答を描いたプラトンの著作の熱心な読者かと問われると、はなはだ心許ない。
とはいえ、ソクラティック・メソッドを標榜する以上、ソクラテスの問答法との関係について、全く無関心というわけにはいかないであろう。プラトンの描くソクラテスは、たしかに問答を通じて「徳とは何か」「知とは何か」等の深遠な問題を探究しているように見える。
たとえば、『ゴルギアス』という対話篇がある。ゴルギアスは弁論術(rhetoric)の大家で、弟子とともにアテナイを訪問し、得意の弁論術を披露した。
ソクラテスはゴルギアスの演説が終わった後に到着し、ゴルギアス本人を含め、その場にいた人たちと弁論術をめぐる問答を始める。問答を通じて議論するためには、問に対して短く答えることが求められる。回答にあたって、弁論術を使った長談義を披露するのはやめてもらいたいとソクラテスは釘をさす(449b, 461d)。
ゴルギアスとの問答を通じてソクラテスは、弁論術に関する自身の見解を明らかにする。言いにくいことではあるが、弁論術は技術と言い得るほどのものではなく、聴衆に対するおべっか使い(kolakeiâ)である。本当に身体を善くする医術に対して身体にとって善いと思わせる食べ物を拵える料理術がそうであるのと同様、人の魂を本当に善くするわけではなく、快いその幻影を与えるペテンにすぎない(463a−465d)。
つづきは、単行本『思惟と対話と憲法と』でごらんください。
遠い昔の学説との対話を楽しみつつ、いつしか「自意識」が揺さぶられる世界に迷い込む。憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。
2025年10月15日発売
長谷部恭男 著 『思惟と対話と憲法と』
四六判上製・216頁 本体価格3200円(税込3520円)
ISBN:978-4-326-45147-0 →[書誌情報]
【内容紹介】 書き下ろし1篇を加えて、勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第3弾。心身の健康を保つ散歩同様、憲法学にも散歩がなにより。デカルト、シュミット、グロティウス、フィリッパ・フット、ソクラテス、マッキンタイア、フッサール、ゲルバー、イェリネク等々を対話相手の道連れにそろそろと。
「憲法学の散歩道」連載第20回までの書籍化第1弾はこちら⇒『神と自然と憲法と』
「憲法学の散歩道」連載第32回までの書籍化第2弾はこちら⇒『理性と歴史と憲法と』
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