ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 24〉「選挙ヘイト」とどう向き合うか

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2024/10/8By

 
 

3:: 実際の事例と考察

相反する考え方がにらみ合う場面を離れ、一歩引いて冷静に見下ろし、この事例をすこし学問的に考察してみたい。
 
 日本で最初におこなわれた選挙は1890年の衆議院議員選挙である。ただし、投票権があったのは一定額以上を納税した25歳以上の男性だけ。当時の有権者は人口の1%程度だった[1]。戦後の新憲法下では、性別に関係なく20歳以上の国民が選挙権を得た。2024年現在の有権者数は人口の8割にのぼる約1億人だ。
 
 選挙は、主権者の意志を政治に反映させる重要な制度。参政権が広く平等に与えられていることは、社会が民主的であることを表している。だが、わたしたちの社会には、選挙をめぐるさまざまな問題がある。
 
 まず、世襲議員の大量発生が挙げられる。投票権をもたない企業・団体が多額の献金をして政治に影響を及ぼしていることも由々しき問題だ。贈収賄などカネをめぐる疑惑や事件も後を絶たない。近年は、少なからぬ自民党議員が、霊感商法で知られる世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から選挙応援を受けていたというスキャンダルが発覚した。
 
 今回考えたいのは、ヘイトスピーチを繰り返してきた「在日特権を許さない市民の会」(在特会)を母体とする「日本第一党」のような勢力が、選挙の仕組みを悪用して差別的な主張を拡散している事態に、ジャーナリズムがどう対処できるのかという難しい問題だ。
 
●――放送メディアのくびき
 
 放送は免許事業であり、電波法・放送法という2つの法によって業務が定められている。また、放送は選挙制度に組み込まれてもいる。公職選挙法150条によれば、政党や立候補者は放送局の設備を使って無料で政見を放送でき、放送局側は内容に手を加えてはならない[2]。このためNHKと民放は、国会議員や都道府県知事の選挙期間中に政党や立候補者が意見(政見)を述べるための放送枠を提供してきた[3]。
 
 NHKの場合、収支予算や事業計画は国会の承認を要する。国会はわたしたちが選んだ代表者で構成する「言論の府」だが、自民党が総務大臣の席を長年保持しており、かねてから放送各局の忖度が懸念されてきた[4]。2014年には当時NHK会長だった籾井勝人が「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」などと発言して批判を浴びた。
 
 自民党が民放に対する圧力を強める契機となったのは1993年の「椿発言」事件だ。当時テレビ朝日報道局長だった椿貞良が民放連の会合で「反自民党政権をつくるために選挙報道を行った」という旨を発言したことが明るみに出た。国会に証人喚問された椿は、放送番組の公平性を定めた放送法に違反する発言ではないか、などと自民党議員から厳しく糾された[5]。
 
●――権力への及び腰とヘイトの野放し
 
 自民党は衆院選を控えた2014年11月、「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」と題する文書を在京キー局に送った。文書には「椿発言」問題が言及されていた。一部の新聞は文書の存在を批判的に報じたが、テレビ各局は沈黙したままだった。その2年後には総務大臣が、政治的な公平性を欠く放送が繰り返された場合、電波停止を命じる可能性があると国会で明言した。その後、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子、TBS「ニュース23」の岸井成格、テレビ朝日「報道ステーション」の古舘伊知郎の3人のキャスター/アンカーが番組を降板した。
 
 他方、2013年にはインターネットを利用した選挙運動が解禁されていて、2016年には選挙年齢が18歳に引き下げられた。積極的にSNSで発信した元首相の安倍晋三は特定の新聞社を繰り返し揶揄した[6]。2008年から2015年まで大阪府知事と大阪市長の座にあった橋下徹は記者会見の動画をネットで公開し、SNSでは論争を呼ぶ過激な発言で注目を集め、「ばか」「頭が悪い」などと取材記者を罵倒することも珍しくなかった[7]。放送法3条には放送番組編集の自由が明記されており、放送の自律性が認められているが、放送各社は面倒を避けようとする傾向を強め、批判的な番組作りに及び腰になった[8]。
 
 選挙ヘイトはそんな時期に起こっていた。「在特会」代表の桜井誠は2016年に無所属で東京都知事選に出馬して11万票を獲得した[9]。4年後の都知事選では「日本第一党」党首として出馬し、上位5位で18万票に迫る勢いだった[10]。ヘイトスピーチをする集会やデモ行進に抗議の声をあげる「カウンター」と呼ばれる市民活動があるが、選挙期間中は立候補者の選挙活動の自由を妨害すると罪に問われかねない。このため、排外主義者はだれにも邪魔されずに差別の言葉を拡散できる。桜井誠は「(選挙期間中は)無敵だ」と発言している[11]。選挙という民主的な制度が悪用される。こうしたパラドックスを前に、マスメディアは手をこまねいてきた。いや、目をつぶってきたと言うべきだろう。
 
 だれにでも選挙に立候補する自由はあり、有権者に自らの信条や政策を表明してよい。選挙管理委員会に立候補の届け出をすれば、「選挙広報」や「ポスターの掲示」は平等に扱われる。ただし、報道メディアは「売名などを目的として、正当な選挙運動をする意思がない候補者」[12]のことを「泡沫候補」として、まともに取りあげることはなかった。ヘイトスピーチをおこなう団体の見解が、公共の電波を使って報道されることはない。
 
●――悪用されるデモクラシーの制度
 
 「選挙ヘイト」が始まる前から、イレギュラーな事例はあった。1983年の参院選に出馬した「雑民党」党首の東郷健が政見放送で身体障害者に対する差別用語を口にしたためNHKが音声を部分削除したことがある。東郷は公選法違反だとしてNHKを訴えたが、最高裁は差別用語が公選法の定める「品位の保持」から逸脱すると判断し、東郷の敗訴が確定した[13]。この事件では、差別表現が不特定多数に伝わることをNHKが食い止めたが、ネットや街角で繰り広げられる選挙運動はだれにも止めることができない。
 
 2016年にはヘイトスピーチ対策法[14]が成立していて、選挙運動であっても「違法性は否定されない」との見解を法務省は表明している[15]。2019年の福岡県議選で在特会が九州朝鮮中高級学校近くでおこなった演説を、九州法務局はヘイトスピーチと認定した。ただし、この法律には罰則規定がない。このため神奈川県川崎市では2020年からヘイトスピーチ条例を施行し、差別発言を繰り返した場合、最高で50万円の罰金を科すことにこぎつけた。罰則が設けられたことは画期的であったが、これに続こうという自治体が現れるかどうかはまだわからない[16]。
 
 2020年代には、政治活動とは呼べない逸脱行為が目立つようになった。2024年の衆議院議員の東京15区補欠選挙では、「つばさの党」の候補者らが他陣営の演説会場へ押しかけて拡声器で妨害する場面を動画共有サイトに公開し、正当な広告ビジネスだとうそぶいた。同じ年の東京都知事選挙では、「NHK党」が24人もの候補者を立て選挙ポスターの枠を広告枠として売り出した。このほか、「表現の自由」と称して裸の女性のポスターを掲示した候補者まで現れた。この都知事選には、先述の桜井も立候補して「選挙ヘイト」を展開していた[17]。たしかに選挙は民主主義の根幹をなす制度だが、選挙期間中は何をしても許されるという悪弊を放置することは民主主義を手放すことにつながりかねない。
 
●――消える「差別用語」、沈潜する「差別」
 
 すべての前提として踏まえておくべきは、「選挙ヘイト」のような問題が現れる前から、わたしたちの社会には数多くの差別があったということだ。その被害者はたいてい少数者(マイノリティ)である。この問題が厄介なのは、マイノリティに対する差別が、社会の多数者(マジョリティ)には自覚されにくい点だ。マイノリティを苦しめる社会の仕組みや習慣は、マジョリティにとって痛くも痒くもない。それは「ふつうの」「当たり前の」「昔からの」「疑うまでもない」ことになっている。このため、知らないうちに差別を温存する側に立っているということが自覚されにくい。
 
 確信犯のように露骨に差別的な行動をする悪意のある人よりも、数で言えば「じぶんは差別をするような悪い人間ではない」と信じて疑わない人のほうが圧倒的に多い。ときおり「差別だ」と指摘された著名人が「差別の意図はなかった」と当惑したり、「誤解を与えたとすれば……」と言い訳をしたりするニュースが流れるが、それはマスメディア関係者も例外ではない[18]。
 
 メディア企業は過去に番組や紙面を通じて起こした差別事象について、部落解放同盟などの運動団体からたびたび批判されてきた[19]。その影響もあり、多くのメディア企業では、「差別用語」なるものをリストアップして番組や紙面で使わないルールを徹底した。メディア企業が内部でつくった「禁句集」や「言い換え集」によって、たしかに、いくつもの言葉は「死語」になったかもしれない。だが、社会から差別がなくなったわけではない。むしろ、差別的な表現や排外主義的な言葉はインターネットで拡散されるようになった[20]。
 
 そんな事態にマスメディアがうまく対応できなかったのは、「差別問題には当たらず障らず」という感覚が業界全体に蔓延していたからではないだろうか。取材者が取材現場の最前線から離れて管理職になると、組織のことを考えざるをえなくなる。他方、現場に赴き被害者の声に耳を傾ける記者やディレクターたちの中には、眼前で繰り広げられる不正義を傍観することに耐えられなくなる人が現れる。在日コリアンへのヘイト問題を扱ったものとして、近年ではフリージャーナリストの安田浩一[21]、神奈川新聞社の石橋学記者[22]、共同通信社の角南圭祐記者[23]、毎日放送の斉加尚代ディレクター[24]、毎日新聞の鵜塚健・後藤由耶の両記者[25]たちの優れた仕事があり、この種の問題を世に問うている。
 
●――他人事として見過ごすな
 
 歴史の教訓として、いま一度想起しておきたいことがある。「北海道旧土人保護法」や「優生保護法」が成立した当初、多くの日本人は法に内在する暴力性や差別性を意識できなかった。長年にわたり人権が侵害されてきたにもかかわらず目を背けてもきた。被差別の当事者や現場を知る人たちがいくら声を挙げても、世論はなかなか動かなかった。「一部の人の問題」「じぶんは無関係」……そんな意識が社会全体を覆っていたのではないだろうか。
 
 いま選挙制度を悪用してヘイトスピーチがばらまかれている。そのことに、どれくらいの日本人が胸を痛めているだろう。傷つけられている人がいると知っても、それは「一部の人の問題」「じぶんは無関係」と受けとめる人が多数を占める限り、世論は動かない。先述したヘイトスピーチ対策法は罰則規定のない理念法だが、川崎市をはじめいくつかの自治体では、条例が制定され実効性のある規制が始まった。それは、その地域住民がヘイトを他人事として見過ごさないという意思をようやく示した先駆的な事例だ。
 
 普通選挙が1925年に実施されてからほぼ1世紀。女性参政権の実現から約80年。デモクラシーを目指す長い道のりを闘ってきた先達の政治家や言論人、知識人たちの目には、こんにちの選挙の風景はどのように映るだろうか。
 

4::  Move Forward 一歩先へ

思考実験と異論対論に続いて、もう一歩先の思考に挑戦してみたい。
 
 思考実験の主人公は、夕方の情報番組を統括する管理職のディレクターだった。管理職は若手ディレクター(取材当事者)の気持ちに共感しつつも、組織全体のリスクも同じ程度気にしている。このジレンマから抜け出す手立てはあるだろうか。
 
◆――結果・行為・美徳:規範倫理学の3種類の知恵
 
 いったい何が道徳的に良い(善い)ことなのか。どういう判断が道徳的に正しいのか。そんな疑問を扱うのが規範倫理学と呼ばれる学問だ。規範倫理学には大きく分けて3つの立場がある。ここではごく簡単に、それぞれの立場を概観しておこう。
 
 ひとつは帰結主義と呼ばれる考え方だ。行為の結果を重視する点に特徴があり、結果的に社会全体の幸福を最大化すること、つまり「最大多数の最大幸福」を目指す。幸福の量を測る方法を功利計算と呼ぶため功利主義とも言われる。代表的な論者は、ジェレミ・ベンサムやジョン・スチュアート・ミルだ。
 
 次に挙げるのは義務論である。この立場は、結果をあれこれ想像するよりも、目の前の行為に集中する。たとえば「嘘をついてはならない」とか「人の尊厳を傷つけるな」など、究極の普遍的な原理に従うことを推奨する。こちらの立場を代表する人物といえば哲学者イマヌエル・カントだ。この帰結主義と義務論は18~19世紀の欧州で生まれた倫理学の立場であり、それぞれ首尾一貫した理論に見えるが、しばしば対立する。
 
 そこで見ておきたいのは美徳を重視する徳倫理学と呼ばれる立場だ。そのルーツは古代ギリシャのアリストテレスや中国の孔子などに求められる。そんな古い思想が現代の難問を解く鍵になるのか、と疑問に思うかもしれない。だが、徳は人類が何千年もかけて受け継いできた知恵でもあり、近年は生命倫理や科学者倫理などの分野でも参照されている。道徳的なジレンマに直面したとき、結果だけ、あるいは行為だけの決断では狭隘すぎる場面は多い。そんな場面で徳倫理学は、先人から継承されてきた徳を手がかりにする。義務論や功利主義には近代合理主義に特徴的な性質があるのに対し、徳倫理学は前近代の目的論的な眼差しをもつ。それはアリストテレスの「善く生きる」という言葉に集約される。
 
◆――3つの知恵と登場人物の心理
 
 「思考実験」を振り返ると、後輩ディレクターは義務論に近い立場にある。殺人や強盗が万人の認める犯罪行為であるのと同じく、他者の心を傷つける行為は明らかに道徳に反する。後輩は選挙ヘイトの現場に出くわしただけでなく、その団体のネット映像にも使われた。
 
 翌日の特集映像を作らせてほしいと主人公に懇願している後輩の胸中は、ヘイトスピーチに傷ついた人に対する義務感と、取材者としての義務感に押し潰されそうになっていると想像できる。人として、放送人として何をすべきか。その答えはすでに出ている。選挙に便乗した卑劣な差別煽動を見て見ぬ振りをしてはならない。それは万人が無条件で従わなければならない義務だ。
 
 一方、主人公には番組全体を統括するという組織における役割がある。後輩と違って、与えられている裁量が大きく、責任も重い。報道局との間に生じる利害を調整したり、連携協力したりする場面もある。広告スポンサーとの関係も考慮する。スタッフがミスをすれば頭を下げなければならない。主人公は、いくつもの糸で複雑に編み上げられた関係性の中にある。
 
 後輩の気持ちはわかる。選挙期間中にヘイトスピーチが野放しになっていることは許されない。だが自分の番組は選挙報道とは無縁の情報番組だ。安易に選挙ヘイトを取りあげれば、自社にも放送業界にも影響が及ぶ。功利主義的な計算をすれば、分が悪い。最大幸福どころか、最大不幸を招きそうだ。
 
 義務論と功利主義の間で板挟みになった主人公は、思考実験の最後の部分で心情をこんなふうに吐露している。「もし優れた番組ディレクターなら、こんなときどうするだろう」。それは徳倫理学が大切にする「問い」だ。徳倫理学は義務論や功利主義のように明確な答えを出してくれるとは限らない。むしろ、安易に「正解」を出してしまうことを戒めるはずだ。たとえば「勇気」という美徳は「臆病」と「向こう見ず」の間にあるが、時代や地域、文化や風土によって判断が異なる。道徳的な思慮や善さは、実践を通して求め続けるものだ。
 
 少なくとも主人公は、番組について大きな裁量があり、後輩からの相談に応じられる経験をもち、報道局にも話をつなげられる立場にある。優れたディレクターと言われるような人も、何が正しい判断なのかを最初から知っているわけではない。むしろ、考えに考えを巡らせて、「徳」を手がかりに実践することで「優れた(有徳の)ディレクター」に近づいていく。徳倫理学の答えは基本的にオープンエンド。優れたディレクターになるには、思慮に基づいて誠実に実践するしかないのである。
 
 

[1]国立国会図書館(2004)「第1回衆議院議員選挙で当選した人々」近代日本人の肖像(2024年5月11日取得、https://www.ndl.go.jp/portrait/pickup/024/)。
[2]安斎茂樹(2022)「『政見放送』って何ですか? 参院選公示にあたって」民放online(2024年5月10日取得。 https://minpo.online/article/post-133.html)。
[3]政見放送は国会議員と都道府県知事の選挙に限られている。
[4]衆議院(2014)「NHK会長に対してその適格性を問う公開質問状が出された件に関する質問主意書」第186回国会質問第209号(2024年5月10日取得、https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a186209.htm)。
[5]国会議事録検索システム(2024)「第128回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第8号 平成5年10月25日」(2024年5月10日取得、https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=112804573X00819931025)。
[6]安倍晋三は公式ツイッター(現X)で2021年5月18日に当時防衛大臣を務めていた岸信夫の投稿を引用して「朝日、毎日は極めて悪質な妨害愉快犯と言える。防衛省の抗議に両社がどう答えるか注目」とコメントした(https://twitter.com/AbeShinzo/status/1394572582058217478)。その10日後の28日には「元朝日記者、長谷川煕著「崩壊朝日新聞」。朝日の宿痾ともいえる捏造、機関紙体質はどこから来るのか。ミステリー小説10冊分の読み応え。単なる批判本ではない長谷川氏渾身の書です」と写真付き投稿した(https://twitter.com/AbeShinzo/status/1398165430854840321)。さらに2022年6月4日には、産経記者の投稿を引用して「珊瑚を大切に」とツイートした(https://twitter.com/AbeShinzo/status/1532739093737910272)。
[7]橋下徹がSNSで批判的なメディアを攻撃しつづけていることについて、毎日新聞編集局長(当時)の若菜英晴は以下のように批判する。「「バカ」「頭が悪い」……。橋下氏はツイッターで毎日新聞や批判的なメディアに対してこのような言葉を繰り返しぶつける。これにはいちいち反論もしないが、政治家であるならば、冷静で吟味された言葉で語るべきだ。荒っぽい言葉を「本音」ともてはやすことは、人を傷つけるだけでなく、国益も損なうことを今回の問題は示している」(「橋下・日本維新の会共同代表:慰安婦発言「誤報」の主張 橋下氏に反論する」2013年5月30日)。
 また、小説家の星野智幸は、松本創(2015)『誰が「橋下徹」をつくったか ―大阪都構想とメディアの迷走』(140B)の書評で、テレビ局について以下のように論じている。「特にテレビ局は橋下氏をタレントとして育てたとの身内意識があるから、政治家転身の際に親身にサポートする姿勢が強かった。だが、熱狂を呼び起こすその弁舌に異例なまでのスポットライトを浴びせ続けるうち、メディア自らが、敵を作って支持を集める橋下氏の手法の餌食になっていく。橋下氏に依存状態になったメディアは、どれほど侮蔑的で事実無根の罵倒を浴びせられても、それを批判して影響力圏を脱することはできなくなっていた。橋下氏が維新の党の公式文書を通じて、都構想に批判的な識者を出演させるなとテレビ局に圧力をかければ、その意向を汲(く)んだ配慮をするありさまだった」(2015年12月20日朝日新聞朝刊)。
[8]朝日新聞「なにが問題、どんな影響 放送法文書 自主自律認めぬコントロールの姿勢」2023年4月9日。
[9]2016年の選挙公報に桜井が記した公約には「外国人生活保護の廃止」「都内の不法滞在者を半減」「総連、民団施設への課税強化」「韓国学校建設中止」など排外主義的な表現が並んだ。
[10]2020年の選挙公報でも「外国人生活保護の即時廃止」「パチンコ規制」「コロナ武漢肺炎」などの表現があったが、桜井がアピールした公約は「都民税ゼロ」「固定資産税ゼロ」「都知事給料ゼロ」だった。
[11]毎日新聞「ヘイトスピーチ:対策法施行3カ月 選挙中、野放し 政治活動との線引き課題 在特会元会長、都知事選で演説」2016年9月4日。
[12]日本新聞協会(2018)『取材と報道 改訂5版』p.87。
[13]読売新聞「政見放送で「差別用語発言」カットは妥当/最高裁」1990年4月18日。
[14]正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」。
[15]衆議院(2019)「政府参考人・法務省人権擁護局長高嶋智光の答弁」第198回国会 法務委員会 第6号(2024年5月10日取得、https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000419820190326006.htm)。
[16]ヘイトスピーチの全体像を把握するには、師岡康子(2013)『ヘイト・スピーチとは何か』岩波書店、安田浩一(2015)『ヘイトスピーチ:「愛国者」たちの憎悪と暴力』文春新書、前田朗(2019)『ヘイト・スピーチと地方自治体: 共犯にならないために』三一書房などが参考になる。
[17]2024年の東京都知事選で桜井の得票数は約8万3600にとどまり、前回17万8000から大きく後退した。
[18]ふだん意識されない差別感情を自覚することの難しさを描いた物語として、1967年のアメリカ映画『招かれざる客』(原題:Guess Who’s Coming to Dinner)がある。この作品では、黒人の恋人を自宅に連れてきた娘を前にした白人家族の葛藤が描かれている。娘の父親は、差別反対の論陣を張るジャーナリストだが、そんなリベラルで進歩的な人の中にも差別が沈潜していることが暴かれる。
[19]小林健治(2015)『部落解放同盟「糾弾」史:メディアと差別表現』(ちくま新書)、小林健治(2021)「メディアにおける差別表現問題の現況と課題」『部落解放研究:広島部落解放研究所紀要』(28)pp.29-48。
[20]満若勇咲(2023)『「私のはなし部落のはなし」の話』(中央公論新社)が参考になる。
[21]安田浩一(2015)『ネットと愛国』(講談社α文庫)。
[22]神奈川新聞「時代の正体」取材班編(2015)『時代の正体:権力はかくも暴走する』(現代思潮新社)。「時代の正体」シリーズは2016年と2019年に続編が作られている。
[23]角南圭祐(2021)『ヘイトスピーチと対抗報道』(集英社新書)。
[24]斉加尚代(2022)『何が記者を殺すのか:大阪発ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書)。
[25]鵜塚健・後藤由耶(2023)『ヘイトクライムとは何か:連鎖する民族差別犯罪』(角川新書)。
 
 

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About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
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