Book Review
『FREE――歴史の終わりで大人になる』

　「これらすべてが一九九〇年十二月に永久に変わった」。現在はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで政治理論を教えるレア・イピは、まだ少女だった時代の日を想起して、このように書く。そう、彼女の祖国アルバニアで、社会主義体制下の一党独裁が終わりを告げた日だ。長きにわたり鎖国を続けてきたこの国に、外からの情報が流れ込む。

　「わたしは大人になり、自分の人生を理解するのはわたしの仕事なのだと気づいた」。同時に彼女は、自由や民主主義は「わたしたちが生きる現実ではなく、わたしがほとんど知らない謎めいた未来の状態なのかもしれない」と思う。はたして日本に生きるわたしたちは、遠い国の少女の思いを、他人事として受け止められるだろうか。ひょっとしたら、わたしたちにとっても自由や民主主義は「謎めいた未来の状態」なのかもしれない。

　
　アルバニアに最初の野党が結成されたとき、彼女の父母は家族の真実を明かした。彼女の曾祖父はジャフェール・イピ、アルバニアの元首相であり、「人民の敵」としてこの国で語ってはならない存在であったことを。曾祖父と同じ名前をもつ彼女の父親は、その名の重圧に希望を潰され、学びたいことも学べない人生を送ってきたことを。

　少女は社会主義の下で育ち、共産主義を理想として生きてきたが、それらは統治体制としてだけではなく、理想として消え、そもそも思考のカテゴリーとしても消滅した。残ったのは「自由（freedom）」だけだった。しかし、「自由選挙」が始まって、彼女の家族は戸惑う。望んでいた自由とは抽象的な可能性としてであり、具体的に手が届くようになった瞬間、むしろ彼女の家族は「状況が手に負えなくなることを恐れていた」。ミルトン・フリードマンとフリードリヒ・フォン・ハイエクが一夜にしてカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスに取って代わったことを将来の政治学者は目撃する。その意味を、彼女は考え続けた。

　かつて社会主義体制の祖国を脱出することは命懸けであった。そして亡命者は受け入れ先で英雄として受け入れられた。しかし、いまや出国を止める人もいないが、向こう側でも歓迎されず、犯罪者のような扱いを受ける。いったい「移動の自由」とは何なのであろうか。

　複数政党制による選挙の後、父親は失業し、アイロニーを生きるようになる。母親は異なる道を歩み、むしろ新たな政党政治に携わるようになる。「自由」であるとは、彼女の家族にとって分解を意味した。そのような彼女にとって、「市民社会」や「政治的多元主義」は皮肉な含意を持つようになった。彼女の、「過去は失敗し、未来のつくり方は学んでいなかった」という言葉が重く読後感として残る。

　
　そして一九九七年、アルバニアでは経済破綻を契機に、全国的な大規模暴動が起こる。最後から二番目の章は、この年のルポルタージュとなっている。「一九九〇年には、何もなかったけれど希望だけはあった。一九九七年にはそれも失った」。本書の結末、哲学を学ぶことを選んだ娘に対して父親は困惑し、混乱した対応を示した。

　
　彼女は現在、社会主義について教えている。彼女にとってそれは「人間の自由の理論」だ。「人びとの潜在能力を開花させると主張しながら、だれもが豊かに生きるのを妨げている構造を変えられない社会もまた抑圧的である」。そして彼女は説く。「たとえあらゆる制約を課せられていても、わたしたちが内面の自由を失うことはない。正しいことをする自由は失われない」。『FREE』をタイトルとする本書にふさわしい結論だろう。

『FREE――歴史の終わりで大人になる』

著者

レア・イピ 著

訳者

山田 文 訳

ジャンル

ノンフィクション・政治

出版年月

2025年2月

ISBN

978-4-326-85204-8

判型・頁数

四六・344ページ

定価

3,300円（税込）

自由ってなに？　スターリン像を抱きしめた日、私は大人になった。LSE政治理論教授がアルバニアでの少女時代から綴る哲学的自伝。
一部公開→『FREE』たちよみ
勁草書房ウェブサイトへ　https://www.keisoshobo.co.jp/book/b657314.html