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マーサ・ヌスバウム 著
池本幸生・栗林寛幸 訳
『ケイパビリティ・アプローチとは何か 生活の豊かさを測る』
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はじめに
世界の貧しい国々の問題に取り組む経済学者、政策立案者、官僚たちは、長い間、人間の経験を歪めるような話を人々に語っていた。彼らの支配的なモデルによると、ある国の生活の質の改善とは、一人当たり国内総生産(GDP)の増加にほかならなかった。この雑な指標は、驚くほどの不平等を抱える国、つまり人々の大部分が国の経済成長の果実を享受していない国に高い評価を与えることになった。各国は国際的評価を左右するランキングに反応するため、この雑なアプローチは、各国が経済成長だけを目指すように促し、貧しい住民の生活水準には目を向けず、必ずしも経済成長によって改善されない健康や教育といった分野への取り組みを軽視させることになった。
このモデルは今も健在である。それが最も強く定着しているのは、開発経済学や、国際通貨基金(IMF)や世界銀行などの開発機関における「発展途上国」の発展の標準的分析であるが、このモデルは豊かな国の「発展」や生活の質の改善の意味を考えるときにも広く使われている(すべての国が「発展している国」だが、発展途上国という言葉は貧しい国を指して使われる。どの国も、すべての国民に適切な生活の質をもたらすという点で大きな改善の余地がある)。豊かな国々も大きな不平等を抱えており、このアプローチは同様の歪みを生み出す。
今日、開発や政策の世界に新しい理論的パラダイムが存在する。「人間開発」アプローチ、または「ケイパビリティ・アプローチ」、「ケイパビリティーズ・アプローチ」と呼ばれるもので、それは非常に簡単な問いから始まる。人々は実際に何をすることができ、何になることができるのか? 人々にどのような真の機会があるのか? この問いは単純だが、複雑でもある。というのも、人間の生活の質は複数の要素を含み、それらの相互関係は綿密な検討を要するからである。実際、この新しいアプローチの魅力のひとつはその複雑さにあり、人間の生活や努力の複雑さに十分に対応できるように見える。結局、この問いは、人々が日常生活で頻繁に自らに問いかけているものである。
この新しいパラダイムは、世界銀行から国連開発計画(UNDP)まで、厚生(welfare)を議論する国際機関への影響力を次第に強めてきた。また、一九九〇年からUNDPが毎年発表している『人間開発報告書』の影響を通じて、いまや現代のほとんどの国にも影響を及ぼし、それぞれの国のさまざまな地域や集団の福祉(well-being)についてケイパビリティに基づく独自の調査が行われるようになっている。現在、このような報告書を定期的に作成していない国はほとんどない。(アメリカでさえ二〇〇八年にその仲間に加わった。)また、『アラブ人間開発報告書』のような地域版の報告書もある。さらに、HDCA(人間開発とケイパビリティ学会)には、八〇カ国から約七〇〇名の会員が参加し、人間開発とケイパビリティ・アプローチが重要な貢献をなし、また貢献することが可能な幅広いテーマについて質の高い研究を推進している。最近では、経済活動と社会進歩の測定に関するサルコジ委員会の報告書に大きな影響を与えている。
影響力が増しつつあるケイパビリティ・アプローチについては、これまで主に専門家向けの難解な論文や本で説明されてきた。一般の読者や学部生向け授業の教員からは、このテーマに関するもっとわかりやすい本はないのか、という嘆きが繰り返し聞かれた。本書はこの溝を埋めることを目的としており、このアプローチの鍵となる要素を明確にし、ライバルとなるアプローチと比較して評価できるようにする。とくに、人間の生活という物語的な文脈にこのアプローチを位置づけ、それは人間の生活について政策立案者たちが気づくことにどのような違いをもたらすのか、ひいては、知的エリートの偏見を単に反映するのではなく、現実の人々に敬意を示し、力を与えるような意味のある介入を構築する政策能力にどのような違いをもたらすのかを示す。
人々の生活の質を改善するには、賢明な政策の選択と多くの個人による献身的な行動が必要になる。とすると、このテーマに関する理論的な本(どれほど物語的な詳細にこだわっているとしても)を書く必要はないと思われるかもしれない。しかし、理論は私たちの世界の大きな部分を占めており、問題の見方の枠組みを作り、重要な認識を形成し、そして議論を特定の政策に向かわせることになる。賢明な活動家は権力の回廊においてほとんど影響力を持たない。後述するように、この分野の政策選択を歴史的に導いてきた有力な理論には深刻な誤りがあり、広く共有された人間的価値(平等の尊重や尊厳の尊重など)の観点では間違った選択をするよう、開発政策を誘導してきた。政策選択を正しい方向に導きたいなら、定着してしまった誤った理論に対抗する理論が必要である。そのような対抗理論は、開発の世界を新たな方法で描き出し、私たちの優先事項は何であるべきかについて異なるイメージを示すはずである。人類の差し迫った課題と正当化できない人間の不平等の時代にあって、ケイパビリティ・アプローチこそ私たちが必要とする対抗理論である。
第1章 正義を求める女性
世界中で、人々は人間の尊厳にふさわしい生き方を求めて奮闘している。各国のリーダーたちは自国の経済成長に注目するが、国民は別のもの、つまり自分にとって意味のある生き方を求めている。GDPの増加は必ずしも人々の生活の質を改善してこなかった。国の繫栄を示す報告が、不平等や剥奪に苦しむ人々を慰める可能性は低い。そうした人々に必要なのは、彼らの奮闘を助けるか、せめてこうした問題に注目を集めて公共の討論を喚起する理論的アプローチであって、彼らの奮闘を隠蔽したり、議論や批判を抑え込んだりするアプローチではない。国連開発計画の『人間開発報告書』を創刊したパキスタンの経済学者、故マブブ・ウル・ハクは、報告書の創刊号(一九九〇年)で次のように書いた。「国の真の富は人々である。そして、開発の目的は、人々が健康で創造的で長生きできるような環境を創り出すことである。この単純ながら強力な真実は、物質的・金銭的な富を追求するあまり、忘れられがちである」。ハクによると、人々の最も差し迫った課題に応える開発経済学は、新しい理論的アプローチを必要としている。
三〇代前半の小柄な女性バサンティのことを考えてみよう。彼女は北西インドにあるグジャラート州の大都市アーメダバードに住んでいる。バサンティの夫は賭博と酒に目がなかった。彼は家族の金で酒を買い、その金がなくなると、グジャラート州政府が提供する不妊手術奨励金をもらうため、精管切除手術を受けた。そのため、バサンティには助けてくれる子どもがいなかった。子どものいない女性は家庭内暴力(DV)を受けやすいことを考えると、これは大きなマイナスだった。結局、夫による虐待がひどくなると、彼女は夫のもとを去り、実家に戻った。
貧しい親(親が亡くなっている場合は兄弟姉妹)は、結婚した子、とくに持参金を持って出ていった娘が戻ってくるのを喜ばないことが多い。子を家に受け入れると、扶養家族が一人増え、新たな不安を抱えることになる。バサンティの場合、夫が離婚を認めたがらなかったため、離婚は高くつくことになった。幸いなことに、家族は喜んで彼女を支援した。彼女のような立場にある多くの女性は路頭に迷い、性労働以外に選択肢はなくなる。かつてシンガー・ミシンの部品を作っていたバサンティの父はすでに亡くなっていたが、彼女の兄弟が父の作業場跡で自動車部品のビジネスをしていた。バサンティは作業場に住み込み、父の古い器械を使ってサリーのトップスのフック用の穴を開ける仕事でわずかな収入を稼いでいた。一方、兄弟はサリーの端を巻く器械を買うための金を貸してくれた。彼女はその金を受け取ったが、兄弟に頼ることは望まなかった。彼らは結婚して子どもがおり、いつ支援が打ち切られるかわからなかったからだ。
バサンティは、アーメダバードで貧しい女性のために活動する画期的な非政府組織(NGO)である自営女性協会(SEWA)を見つけた。国際的に著名な活動家、エラ・バットが設立したSEWAは、マイクロクレジット(少額融資)、教育、医療、労働組合などのプログラムによって、五万人を超える会員をすでに支援していた。インドの他の一部の州とは異なり、グジャラート州は成長志向の政策を採用し、最も貧しい住民のニーズを満たすために多くの資源を投入することはなかった。法的支援、医療、融資、教育など、バサンティを助けたかもしれない政府のプログラムは見当たらなかった。幸運だったのは、インドで最も優れたNGOのひとつがたまたま彼女の家の近くにあったことだ。
SEWAの支援によってバサンティは自分で銀行からローンを借り、兄弟に返済することができた(質素な信用組合として始まったSEWAは、今ではアーメダバードの中心街で立派なオフィスビルを構えて銀行を運営している。この銀行の役員と従業員はすべて女性で、その多くがSEWAのプログラムの世話になっていた)。数年後、私が彼女に出会ったときには、彼女はSEWAの融資をほぼ全額返済していた。彼女にはSEWAの教育プログラムに参加する資格があり、読み書きを学び、社会的・経済的自立と政治参加の促進に必要な技能を身につける計画を立てていた。友人のコキラの力を借りて、彼女は地域の家庭内暴力をなくすための活動に積極的に取り組んでいた。この友情はSEWAがなければおそらくありえなかっただろう。バサンティは貧しかったが、高位カーストのバラモンの出身であるのに対し、コキラはより低位のカースト出身だったからである。カーストや宗教による分断はインド社会では今も顕著だが、インドの女性運動においては忌み嫌われる。
どのような理論的アプローチを採用すれば、バサンティの状況の最も重要な特徴に注意を向け、適切な分析を進め、行動のための適切な提言を行えるだろうか。仮に、経済理論や政治理論に関心はなく、人間だけに関心があるとしてみよう。そのとき、バサンティの話から何に気づき、何が重要だと考えるだろうか?
第一に、バサンティがいかに小柄であるかに気づき、それは子どもの頃の栄養不良の証拠であると考えるだろう。貧困家庭ではすべての子どもに粗末な食事を与えるしかないとしても、彼女の兄弟はどうだったのか尋ねてみたくなる。女の子は男の子よりも栄養状態が悪く、病気になっても医者に連れていってもらうことが少ないことを示す証拠は数多い。なぜか? それは、女の子は男の子よりも雇用機会が少ないため、家族全体の福祉にとって重要性が低いと思われているからである。女の子が家で行う仕事はお金にならないため、その経済的重要性は見落とされがちである。さらに、インドの北部や西部では、娘は結婚すると家族を離れ、持参金を持って出ていく。そのため、女の子は男の子に比べてお金がかかり、親は自分が年老いたときにそばで面倒を見てくれない女の子になぜお金をかけるべきなのかと考えがちである。インドの北部や西部は次女の死亡率が高いことで悪名高い。バサンティの栄養不良は、単に貧困によるだけでなく、性差別の結果でもある。
財産や相続に関する不平等な法律がインドの娘たちを苦しめており、バサンティの人生を考えるのであれば、そのような法律が彼女の状況でどのような役割を果たしたかを考える必要がある。独立後のインドでは宗教に基づく身分法が存在し、財産、相続、そして家族法を規定している。すべてのシステムが女性にとって著しい不平等を制度化している。たとえば、一九八六年までキリスト教徒の女性は男性の四分の一しか相続できなかったが、この慣習は娘の価値を息子の価値よりも低いと見なすことに間違いなく寄与している。ヒンドゥー教徒の女性も、ヒンドゥーの財産法のもとで不平等に苦しんできた。女性が農地の平等な相続権を獲得したのは二〇〇五年のことであって、私がバサンティに会ってから七年後である。彼女の家族は土地を所有していないが、彼女の苦境を分析すれば、密接に関連する不平等に自然と気づくだろう。
こうした問題を考えると、インドの人口における顕著なジェンダー間の不釣り合いの研究に行き着く。人口統計学者の推計によると、栄養状態や医療水準に差がなければ、女性は男性よりも平均してわずかに長生きするため、男性一〇〇人に対して女性一〇二人の比率になると予想される。ところが、インドの最新の国勢調査では、男性一〇〇人に対して女性九二人の比率になっている。この数字は平均値である。南部では、財産は母系を通して相続され、夫が新婦を連れていくのではなく、新婦の家に夫が移り住む伝統があり、女性の基本的平均寿命は人口統計学者の予測と一致する。ケーララ州では男性一〇〇に対し女性一〇二の割合になっている。それとは対照的に北部では驚くほど不均衡な州がある。ビハール州の農村部のある地域で戸別調査を行ったところ、男性一〇〇に対して女性七五という驚くべき比率になった。よく知られているように、胎児の性別に関する情報を入手できる場所ではどこでも不均衡はさらに大きい。羊水穿刺(せんし)〔出生前診断〕を行う診療所は国内のいたるところにある。性別を選択するための中絶はインドでは広く行われて問題となっているため、胎児の性別の情報を求めることは法律で禁じられているが、こうした法律が実効性を持つことはめったにない。
したがって、バサンティは、生きていること自体がちょっとした幸運だった。彼女の家族は彼女に十分な栄養を与えなかったが、多くの貧しい家族よりはましだった。私が彼女に会ったとき、彼女はまずまず健康そうに見えた。彼女が丈夫な体を持っていたことは幸運だった。なぜなら、グジャラート州の貧困層が医療サービスにアクセスすることは容易ではないからだ。インド憲法は、医療は連邦ではなく州の課題としているため、貧困層が利用できる医療資源は州によって大きく異なる。たとえばケーララ州のような一部の州には有効な医療制度があるが、ほとんどの州にはそれがない。
つぎに気づくのは、バサンティのように聡明で意志の強い女性でも、読み書きができないために、雇用の選択肢がほとんどなかったという事実だろう。これは、グジャラート州の教育制度の失敗によると言える。なぜなら、医療と同様に教育は州の課題であり、識字率は州によって大きく異なるからである。ケーララ州では青年の識字率は男女ともに一〇〇パーセントに近いが、全国的には男性の識字率が七五・三パーセントであるのに対して、女性の識字率はわずか五三・七パーセントである〔二〇二一年の調査では男性八二・四パーセント、女性六五・八パーセント〕。この差を生む要因は、基本的な平均寿命や健康状態の性差を生む要因と関連している。女性には雇用や政治における選択肢が少ないと考えられているため、家族としては、家事労働を女の子にやらせ、男の子を学校に行かせるほうが合理的である。この予言は自己成就的である。なぜなら、読み書きができない女性は、ほとんどの雇用と多くの政治的機会から締め出されているからである。さらに、女の子は結婚すると生まれた実家を離れ、別の家族のところに行ってしまうという事実によって、両親は女の子の将来に関心を持たなくなる。ケーララ州はグジャラート州よりもこうした問題にうまく対処しているが、教育を受けた人々に雇用機会を創出するという点では実績に乏しい。
(以下、本文つづく)
