ジェイソン・ブレナン『投票の倫理学』ブックガイド:
投票についてより広く深く考えるための21冊

About the Author: 勁草書房編集部

哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。
Published On: 2025/3/21

このほど刊行されました『投票の倫理学:ちゃんと投票するってどういうこと?(上・下)』を理解するのに役立つブックガイドを同書の訳者4名に作成いただきました。論争的な内容であるからこそ、かたよった見方に陥ることなく、学術的にきちんとしたかたちで受け取っていただきたい、そんな思いから公開します。PDF版もご用意しました(→ジェイソン・ブレナン『投票の倫理学』ブックガイド、PDF版(カラー)PDF版(モノクロ印刷用))。書店のみなさまからご依頼いただければ紙版もお届けします。ご活用ください。【編集部】

 

はじめに

 ジェイソン・ブレナンによる著作『投票の倫理学』は、私たちが投票に行くべき理由はどこにあるのか(あるいはそんなものが本当にあるのか)を、丁寧に論じていく政治哲学の本です。

 民主主義は素晴らしい政治制度であり、民主主義のためには人々が選挙に行かなければならない。それゆえ、昨今の投票率の低さは大きな問題であり、いまよりもっと多くの人が投票に行くことが望ましい。選挙なんて面倒だから行かずに済ませたい、というのは非難されるべき態度である。こういったことは、現代の日本に生きる私たちの常識になっています。しかしその常識を、ブレナンは正面から疑ってかかります。私たちは誰もが投票に行くべきだと、単純にそう言い切ってしまっていいのだろうか?とブレナンは問い直すのです。

 そしてブレナンは、さまざまな検討を通じた先にこう言います。知的・道徳的に十分な準備がない人は、むしろ投票に行くべきではないのだ、と。つまりはこういうことです——「バカは投票に行くな!」。これはたいへん常識に反する主張であり、多くの人は反感を持つでしょう。

 でもちょっと待ってください。「投票するなら、ちゃんと勉強した上で、社会全体のことを考えて投票しないとダメだ」ということもまた、実に当たり前のことではないでしょうか。投票に行くことだけが大事なのであって、特に何も考えずに投票しても構わない、と考えている人はそれほど多くないはずです。さらに言えば、政策については考慮せず候補者の知名度や外見の好感度、イデオロギー的な主張への共感、悪質なデマによる誘導、果てはその場のノリなどに従って投票することが、今まさに民主主義をダメにしているのだ…という考えは昨今、少なくない人が抱いているのではないでしょうか。

 私たちはふつう「バカは選挙に行くな!」とは思っていません。この言葉は差別的に響きます。とはいえ、不勉強な人や身勝手な人も好き勝手に投票していいのでしょうか。それもなんだか違う気がしませんか。このようなもやもやを取り上げて、厳密に考えていくのが、本書『投票の倫理学』です。

 ブレナンの様々な主張は、読者に多くの知的刺激を与え、さらなる読書へと私たちを誘うでしょう。しかしながら、そこにはもしかすると、読者を足踏みさせるハードルがあるかもしれません。第一に、本書には類書がほとんどなく、それゆえ本書をきっかけにして勉強を進めていこうとしても、次にどうしていいのか戸惑うところがあって当然です。第二に、本書はその独特な主張の故に、他のどのような議論と関連づければいいのか、ぱっと見ではなかなかわかりづらいも事実です。

 そこで訳者4名は、本書のよりよい理解と、本書からはじまるさらなる読書とをできるかぎり後押しするために、ここにブックガイドを作成しました。以下では3つのカテゴリーに分けて、合計21冊の本を紹介しています。それぞれの紹介文を頼りに、投票をめぐる倫理学的な考察という魅力的で、そして実に創造的な知の世界に、ぜひ足を踏み入れてみてください!【玉手】

Jason Brennan, The Ethics of Voting(Princeton University Press, 2011)
ジェイソン・ブレナン 著/玉手慎太郎、見崎史拓、柴田龍人、榊原清玄 訳
『投票の倫理学:ちゃんと投票するってどういうこと? 上巻』

みなが選挙にいけばよい、というものではない! 何となくの常識にとらわれず、私たちが投票すべき理由について根本から問い直す。 ■定価3300円
〈書誌情報・目次〉〈あとがきたちよみ〉

 

Jason Brennan, The Ethics of Voting(Princeton University Press, 2011)
ジェイソン・ブレナン 著/玉手慎太郎、見崎史拓、柴田龍人、榊原清玄 訳
『投票の倫理学:ちゃんと投票するってどういうこと? 下巻』

真剣に投票すること、また投票を棄権することの意味を深く緻密に考える。極めてアクチュアルな政治的・倫理的考察。 ■定価3300円
〈書誌情報・目次〉〈あとがきたちよみ〉

 

(1)『投票の倫理学』をよりよく理解するための本

 
エミリー・B・フィンレイ 著/加藤哲理訳『民主至上主義』(柏書房、2024)
 自分は民主主義者だ、と本書の中でブレナンは言うわけですが、やはり民主主義と相反するようなエリート主義を彼に感じた方も少なくないでしょう。実際その後、ブレナンは『アゲインスト・デモクラシー』という著作——タイトルのとおり民主主義に反対する著作——を執筆するに至ります。
 さてそれでは、ブレナンの議論はやはり他の著名な民主主義の著作たちとは全く違ったものだったのだ、ということになるのでしょうか? 実はそうでもないのかもしれない、という視座を提供してくれるのが、このフィンレイの『民主至上主義』です。フィンレイは言います。通常は民主主義のヒーローとされるようなジェファソンやハーバーマスといった論者も、実はフィンレイが「民主至上主義」と呼ぶエリート主義——そこにはブレナンの『アゲインスト・デモクラシー』も含まれます——へと一直線につながっているのだ、と。
 本書『投票の倫理学』を政治(哲)学の中でどう受け止めどう位置付けるか? それを考えるにあたって、この本は非常に興味深い視点を提供してくれるはずです。【見崎】

エリック・A・ポズナー=グレン・E・ワイル/安田洋祐 監訳、遠藤真美 訳『ラディカル・マーケット:脱・私有財産の世紀』(東洋経済新報社、2020)
 一人一票の原則を正面から崩し、それぞれの票を売買にかける可能性すらブレナンは主張します。非常に奇抜な発想で、現代では実現には程遠い——そう思われた皆さん、案外そうでもないかもしれません。海外に目を向けると、有力な論者によって類似した構想が少なからず論じられています。
 その一つが、ポズナーとワイルの提唱するQV(Quadratic Voting)です。ポズナーは数多くの著作を持つ有名な法学者、ワイルはMicrosoftに所属する気鋭の経済学者であり、QVは彼らの共著『ラディカル・マーケット』において語られる構想の一部になります。ここで詳しく語ることはできませんが、ごく簡単に言うと、各自が持つ投票権をクレジットに見立て、金融商品のように売買したり、金銭のように特定の投票に対して多く支払ったり、あるいは貯めておけるようにしたりするというものです。
 このQV、単純にブレナンの「投票の倫理学」の延長線上にあるものと考えてよいでしょうか? それとも実は相反する構想ということになるのでしょうか? ぜひ色々と考えてみてください!【見崎】

ブライアン・カプラン/長峯純一=奥井克美監訳『選挙の経済学:投票者はなぜ愚策を選ぶのか』(日経BP、2009)
 『投票の倫理学』第七章でブレナンは、2011年あたりのアメリカの投票者がいかに不合理に振る舞っているかを政治学の知見を用いて示そうとしています。その内容が事実だとすれば、望ましい投票が実際になされる見込みはかなり薄いように思われます。
 このブレナンの議論には元ネタが存在します。それがカプランの『選挙の経済学』です。この本でカプランは、民主主義が本来は人々の様々な利害関心を反映すべきシステムであるにもかかわらず、投票者の経済知識の不足や感情、イデオロギーによる偏った認識により、特に経済政策に関して実際の投票行動は非合理的な結果を招くと主張しています。さらに、投票者は自分一人の投票が政策に大きな影響を及ぼさないと考えてもっぱら自らの(多くは問題のある)信念に従って投票するのですが、その誤った認識による投票が集約された結果、保護主義や過度な政府介入など経済的合理性に欠けるとされる政策が採用される問題があると言います。これらの結論をもとに、カプランは世の中に蔓延る「デモクラシー原理主義」を批判します。ブレナンも、カプランの同じ問題関心を引きついでいると言えます。【榊原】

ジョセフ・ラズ/森際康友 編、宇佐美誠他 訳『自由と権利:政治哲学論集[新装版]』(勁草書房、2021)
 ブレナンの言葉遣いや用語の使い方に違和感を覚えた方もいらっしゃるのではないでしょうか? たとえばブレナンは、投票する「権利」と投票の「正しさ」は簡単に切り離せるものだと考えているようです(上巻10頁)。しかし、本当にそんなことをして大丈夫なのでしょうか……? また、ブレナンの論じる投票の倫理学の核には「義務」があるようです。しかし、そもそも「義務」があるとはどういった状態を意味するのでしょう……?
 そんな変わった疑問を持ってしまったあなた、ちょうど勁草書房が名高い著作を復刊しております(旧版は1996年出版)。著者のラズは有名な法哲学者であり、また政治哲学もフィールドにしています。本書は彼の政治哲学に関連する論文を集めたもので、投票に直接関連するものではありませんが、「権利」や「義務」などの意味を深く考えるにあたって一読の価値があります。ただし、研究者向けであり非常に難解ですので、全部ではなくまずは冒頭の論文あたりをしっかりと精読してみるとよいかもしれません。その議論がブレナンの主張を補強するものなのか、逆に反駁するものなのか。ぜひその目で確かめてみてください。【見崎】

デイヴィッド・レオポルド=マーク・スティアーズ 編/山岡龍一=松元雅和監訳『政治理論入門:方法とアプローチ』(慶應義塾大学出版会、2011)
 ブレナンの議論のやり方というのは、やや抽象的な印象を受けます。たとえば、良い投票の原理とは何であるか、投票の義務はないといった様々な論を展開していますが、こうした議論が現実の投票制度にどう関連するのかについてブレナンはあまり言及していません。極めつけには、第一章には数式すら登場します。なぜブレナンはこのように抽象的な議論をするのでしょうか?
 その疑問に答えうるのが、レオポルドとスティアーズの『政治理論入門』です。入門を謳ってはいますが、この本は政治理論・政治哲学の方法論を扱った論文集です。内容としては、分析哲学、実証的社会科学、歴史学、現実政治、批判理論、イデオロギー論が登場します。この内ブレナンが採用しているアプローチは、分析哲学と実証的社会科学です。本書の第一章「分析政治哲学」と第四章「形式的であることの理由」を読むことで、なぜブレナンが実際の制度から離れた視点で議論を展開しているのかをよりハイレベルな視点から理解できるでしょう。【榊原】

ダーヴィッド・ヴァン・レイブルック/岡﨑晴輝=ディミトリ・ヴァンオーヴェルベーク 訳『選挙制を疑う』(法政大学出版局、2019)
 『投票の倫理学』でブレナンは民主主義を否定することはしていませんが、『アゲインスト・デモクラシー』では民主主義の理念を否定しています。つまり、「重要な政治的決定に誰もが参加する平等」という理念を否定するに至るのです。その代わり、「能力面で適格と判断された者のみが政治的決定に参加できる」という「智者政」を擁護します。ブレナンが智者政を支持するようになった経緯には、現実では投票が上手くなされていない状況があります。
 しかし、レイブルックは、たとえ投票行動や選挙制度に問題があるとしても、民主主義まで否定する必要はないと主張します。なぜなら、問題があるのは理念ではなく選挙制度だからです。そこで、レイブルックは民主主義そのものを否定するのではなく、選挙制度に代わるものとして「抽選制」を提示します。これは政治家や議員を一般市民から無作為抽出で選出する制度です(ただし選挙制度を完全に廃止すべきとは主張していません)。この制度により、特定のエリート層や政党に偏らない多様な意見が政治に反映され、民主主義の理念をより良く満たしうるとレイブルックは言います。これは急進的なアイデアに見えますが、智者政に対抗する制度として注目されています。これがどれぐらい魅力的な制度なのかをぜひ確かめてみてください。【榊原】

坂井豊貴『多数決を疑う:社会的選択理論とは何か』(岩波新書、2015)
 『投票の倫理学』においてブレナンは、個人の一票が政治を変える見込みが非常に小さいことに注意を促しています。たった一票が政治を変える可能性は極めて小さい、というのです。これは少し考えてみればわかる当然の事実であるように思えますが、実のところそれほど簡単な話ではありません。なぜなら、一票がどれだけの効果を持つのかは、一票をどのように数えるのか、つまり「集計手続き」にも大きく依存するからです。得票数が多い方が勝利する、という「多数決」が、私たちに許された唯一の集計手続きではなく、他にも様々な数え方があります。たとえば、各人が、複数の候補者の中から好ましい人を選ぶのではなく、候補者それぞれに点数を付けて、その点数を合計する、という手続きはどうでしょうか。
 本書『多数決を疑う』は、社会的選択理論という、集計手続きを数理的に分析する学問の成果をもとに、多数決にとどまらない集計のあり方を紹介しています。ブレナンが「みんなが投票に行った方が良い」という常識を疑ったのと同様に、この本は「困ったら多数決で決めれば良い」という常識を疑います。投票について根本から考え直す上で、お勧めの一冊です。【玉手】

松林哲也『何が投票率を高めるのか』(有斐閣、2023)
 実際のところ、人々の投票の実態はどうなっているのでしょう? たとえばですが——メリットやデメリットはきちんと勘案されているのか? それは出身や性別といった属性によって変わったりするのか? 変わるとすればどの程度?——などなど、考えはじめると疑問は尽きないように思われます。
 ブレナンの議論はあくまで政治哲学のものです。もちろん、ブレナンも実証的/経験的研究に随所で触れるわけですが、専門はどうしても異なりますし、2011年出版ということもあって言及される研究も少し古くなっています。加えて、どうしても日本国外の研究が参照されますので、日本にそのまま適用できるものなのかも不安が残ります。
 そんな疑問をお持ちの皆さんにお勧めなのが、本書『何が投票率を高めるのか』です。実証的/経験的な政治学、とりわけ選挙研究を専門とする著者が、日本の人々の投票行動についての近年の研究を非常にわかりやすく紹介・解説してくれます。こうした実証的/経験的研究がブレナンの議論にどんな影響を与えうるのか、ぜひとも考えてみてください。【見崎】

井上彰「デモクラシーにおける自由と平等」齋藤純一=田村哲樹 編『アクセス デモクラシー論』(日本経済評論社、2012)所収
 ブレナンは、デモクラシーの価値が共通善への貢献であるという前提のもとに議論を展開します。具体的には、デモクラシーの価値は、政治参加を通じて社会をより良いものにすることにあると想定しています。しかし、共通善への貢献以外に、デモクラシーの価値は本当に存在しないのでしょうか? デモクラシーの価値は、単に共通善に貢献するということにあるのではなく、一人ひとりの自由と平等に貢献するということにこそ、その真の価値があるのではないでしょうか? この論文では、そのような視点を検討します。
 デモクラシーの価値が自由と平等に基づくとする立場は、「民主的手続主義」と呼ばれます。民主的手続主義によれば、デモクラシーの価値は、一人一票の原則に基づく多数決ルールと、それを支える基本的権利の保障や諸制度に由来する手続きそのものにあります。この立場によると、デモクラシーの価値は結果ではなく、手続きにこそあるのです。この立場は、ブレナンのデモクラシー批判において繰り返し標的とされてきた考え方です。この論文を通じて、政治哲学におけるデモクラシー論の中で、ブレナンの立場がどのように位置付けられているのかがより明確になるでしょう。【柴田】

 

(2)政治哲学の世界へとやさしく誘う本

 
デイヴィッド・ミラー/山岡龍一=森達也 訳『はじめての政治哲学』(岩波現代文庫、2019)
 本書でブレナンは、投票行為に関して道徳的に望ましいやり方を明らかにしようとしています。ブレナンの本のように、政治的な事柄を道徳的な観点から扱う学問の一つが政治哲学ですが、実はブレナンは政治哲学の領域においては(少なくとも民主主義論に関しては)異端的存在と言えます。ブレナンは『アゲインスト・デモクラシー』にて民主主義を否定しますが、その議論は少なくとも標準的ではありません(だからこそ魅力的でもありえます)。
 では、政治哲学において標準的な民主主義論とはどういうものでしょうか? それを知るには『はじめての政治哲学』がうってつけです。この本では初学者向けに政治哲学の意義、政治哲学における基本的概念(政治的権威、民主主義、自由、フェミニズム、多文化主義、グローバル正義)を説明しています。本書を読めば政治哲学の基本的な考え方を理解することができるとともに、さらに民主主義論の中でのブレナンの議論をより深く把握することができるでしょう。【榊原】

ジョナサン・ウルフ/大澤津=原田健二朗 訳『「正しい政策」がないならどうすべきか:政策のための哲学』(勁草書房、2016)
 ブレナンの議論のアプローチは、現代英米圏の政治哲学では標準的なものになっています。そのアプローチでは、「正義」、「自由」、「平等」といった政治的に重要な概念のあるべき姿を明らかにし、その原理に基づいた道徳的に望ましい社会の理念を導き出そうとします。本書でブレナンのしようとしていることも、あるべき投票のあり方・理念を示すことなのです。しかし、このようなアプローチが抱える問題として、そうした理念は現実の制度に対する応用可能性に乏しいことが指摘されています。たとえば、ブレナンの提示した原理を日本の選挙制度にどのように反映するべきかは、かなり難しい問題になるでしょう。
 ウルフの『政策のための哲学』は以上の問題を重く受け止め、ブレナンのようなアプローチとは異なりむしろ現実の政策に焦点を当てます。つまり、抽象的ではない実践的なアプローチを採用します。ウルフは、まず現実の政策の背景にある様々な価値観を特定し、それらの対立を調停することが政治哲学の役割であると主張します。この本では、動物実験、ギャンブル、刑罰、市場などを以上のアプローチで論じます。現実の政策や制度を政治哲学の観点からより実践的に考えたい場合には、ぜひこの本を読んでみてください。【榊原】

ジョアン・C・トロント/岡野八代監訳、相馬直子=池田直子=冨岡薫=對馬果莉 訳『ケアリング・デモクラシー』(勁草書房、2024)
 そもそもの話として、投票が重要であるとされる理由はそれが人々の政治参加だからです。すなわち、政治的決定に参加する主たる手段の一つであるために、投票は政治にとって欠かすことができないものであるとみなされてきたと言えます。ブレナンの議論も、政治参加の価値を前提として展開されています。しかしながら、民主主義を実践するうえで政治参加あるいは投票が重要であるとしても、他にもっと目を向けるべきものがある(と考える人も少なからずいる)のではないでしょうか?
 トロントは、その民主主義論において、「ケア」を考察の中心に据えます。そこではケアを「人々が生活する世界を維持し、継続し、修復するために行うあらゆる活動」として定義し、民主主義を適切に実践するにはケアの分配に人々が参与し、かつケアの責任を共有し平等に負担する必要があるとされます。ところが現状では、ケアの負担が市場によって不適切に分配され、特定の人々が過剰にケア負担を担わされています。その結果、多くの人々が適切なケアを受けることができなくなっているのです。この状況を打破するべく、人々が主体的にケア責任を共有する「ケアリング・デモクラシー」への移行をトロントは提唱します。政治哲学の中で民主主義を論じる営みには、この本のように、現状の政治の仕組みそのものを根底から問い直すものもあります。【榊原】

宇野重規『民主主義とは何か』(講談社現代新書、2020)
 『投票の倫理学』を読んでいるうちに、そもそも民主主義ってなんだっけ?ということが、よくわからなくなってくる人もいるかもしれません。民主主義をめぐる常識を揺るがされるなかで、民主主義の理解そのものがぐらついてくるのももっともです。そんなとき、民主主義の本質について思想史を遡りつつコンパクトにまとめてくれる本書『民主主義とは何か』は、荒波の中でも船を一箇所にとどめる錨のように、思考の足場を安定させてくれることでしょう。2021年の新書大賞2位にランクインした評判の本ですので、ご存知の方も多いかもしれません(同年の石橋湛山賞も受賞しています)。
 本書では、古代ギリシアにおける「民主主義」の誕生から、17-18世紀のヨーロッパ啓蒙思想におけるその発展、さらには19-20世紀の現実政治の中での精緻化と発展まで、大変やさしく説明してくれます。この本を読むことで、民主主義とはこれだ!という答えが得られるというよりも、むしろ民主主義そのものに多様性があり、多くの可能性が含まれていることがわかるでしょう。ブレナンの『投票の倫理学』もまた、そのような可能性の一つを追求するものなのだと言えるかもしれません。【玉手】

野口雅弘=山本圭=髙山裕二 編『よくわかる政治思想』(ミネルヴァ書房、2021)
 『投票の倫理学』を読んでいると、しばしば登場する政治哲学の専門的な用語の意味に戸惑うことが少なくないかもしれません。たとえば「共和主義」とか「熟議」とか、日常生活ではまず使わない言葉については、いまいち意味がピンとこなくても当然です。また、「ハーバーマス」や「ロールズ」といった人名が気になる場合もあるでしょう。そんなとき、もちろんネットでさくっと調べるのも悪くはありませんが、学術的な用語や人名ですから、学術的にきっちりした説明の方が安心です。
 そこで役立つのが本書『よくわかる政治思想』です。この本は、多数の専門家が協力して書いた用語集であり、政治思想および政治哲学の重要な人物やキーワードについて、見開き1枚(2ページ)でコンパクトかつ丁寧に解説してくれます。政治哲学を勉強するにあたって手元にあると、とても便利です。もちろん、この本を単体で読んでいっても、色々な人が色々なことを考えてきたことがわかって、知的関心をくすぐられます。ちょっとした時間にぱらぱらめくるだけでも勉強になる、とっつきやすい一冊です。【玉手】

住吉雅美『あぶない法哲学:常識に盾突く思考のレッスン』(講談社現代新書、2020)
 バカは投票に行くべきではないのだ——。ブレナンの主張はまさに常識を疑うようなものです。皆さんブレナンの主張に対し色々な感想をそれぞれにお持ちだと思いますが(まだ読んでいないという方はぜひ読み進めてくださいね!)、こんな感想をお持ちになった方はいらっしゃらないでしょうか? すなわち、常識を根本から考え直すような思考は、すごい気持ちがいいものだな!——と。
 そんな方にご紹介したいのがこの『あぶない法哲学』です。「法哲学の真骨頂」は、「おとぎ話の舞台裏、アンタッチャブルな影の世界を直視して囚われのない頭脳で考える」ことである(同書269頁)! そのように主張する住吉は、まさに「常識に盾突く」ような問いをバンバン立てていきます。法は社会を守るどころか実は壊してしまっているのでは? とか、そもそも国家などいらないのでは? とかいった具合です。ブレナンを超えて、もっと常識を根本的に考え直してみたい、という人にお勧めの一冊です。【見崎】
 

(3)「それでも」選挙に行くために、読んでおきたい本

 
ダニエル・カーネマン/村井章子 訳『ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?(上・下)』(ハヤカワ文庫NF、2014)
 ブレナンは、本書の「【ペーパーバック版へのあとがき】上手な投票の仕方」で、より良い投票者になるための最初のステップとして、「我々が持つバイアスを認識すること」を挙げています。私たちは、常に首尾一貫して合理的な判断を下せるわけではなく、偏った認識や思い込みをしてしまうバイアスを持っています。しかし、私たちはこうしたバイアスについてどのように認識すれば良いのでしょうか。
 本書『ファスト&スロー』では、私たちが物事を認識する際に陥りがちなバイアスについて解説しています。たとえば、フレーミング効果というバイアスがあります。フレーミング効果とは、同じ事実が提示されるとしても、その提示の仕方によって受け取る印象が変わるという現象です。たとえば、あなたが手術を受ける前に「手術後一か月の生存率は90%です」と伝えられた場合と、「手術後一か月の死亡率は10%です」と伝えられた場合では、受ける印象が大きく異なりますよね。政治的な事実に限らず、私たちは日常生活のあらゆる局面で、何らかのバイアスを抱えて物事を受け止めています。このようなバイアスを理解するために、『ファスト&スロー』は非常に役立つでしょう。【柴田】

境家史郎『戦後日本政治史:占領期から「ネオ55年体制」まで』(中公新書、2023)
 ブレナンの主張によれば、私たちは投票に際して、政治に関する十分な知識、とりわけエビデンスに基づいた情報を知っておく必要があります。政治に関する知識にもいろいろありますが、私たちが暮らす日本の政治の歴史、すなわち「政治史」についての知識も、欠かすことができないものの一つでしょう。たとえば、日本では長らく自民党が(一時的な下野はあれど)政権与党の座についていますが、そもそも自民党はいつ頃、どのような理想を持って立ち上げられ、どのような人々の支持を得てきたのか、よく知らない人も多いのではないでしょうか。
 本書『戦後日本政治史』は、戦後の日本政治についての、非常にクリアに整理された通史です。敗戦直後から、ごく最近の岸田内閣の成立までを扱っており、これ一冊でまさに戦後日本政治の歴史をまるごと知ることができます。次の国政選挙に行く前に、ぜひ読んでおきたい一冊です。【玉手】

NHKスペシャル取材班『地方議員は必要か:3万2千人の大アンケート』(文春新書、2020)
 『投票の倫理学』の中でブレナンは、選挙に行くならば、私たちは政策や社会科学について知っておく必要があると繰り返し述べます。とはいえ実のところ、私たちが選挙で選ぶのは、政策そのものではなく人、すなわち「議員」です。では、議員というのは実のところ、どんな人たちなのでしょうか。議会で討論をしたり、政策立案に関わったり、ということは何となくイメージがつくでしょうが、実際に日々どんなことを考え、何をしているのかというのは、よくわからないというのが正直なところではないでしょうか。
 本書『地方議員は必要か』は、NHKスペシャル取材班が番組作成のために行ったアンケートと、その後の追加取材を元にして執筆されたものです。このアンケートは、全国の地方議員を対象として実施された非常に大規模なものです。そこから明らかになった地方議員の実像は、時に腹立たしいほど不真面目で、時にしみじみとやるせなく、しかし時には情熱的で輝いています。私たちが選ぶ「議員」とはどんな存在なのか、選挙に行く前に知っておくと、自分が投じる一票の意味もまた違って見えてくることでしょう。【玉手】

筒井清忠『戦前日本のポピュリズム:日米戦争への道』(中公新書、2018)
 『投票の倫理学』の中で、選挙に行くなら十分な知識と公共心を持たなければならないとブレナンが主張する理由は、そうでなければ不適切な政治が行われ、人々の利益が損なわれてしまうからです。とはいえ、人々の利益が損なわれるというというだけではよくわかりません。民主主義において人々が冷静な判断をしそこねてしまった場合、実際には何が起こるのでしょうか? さまざまなケースがありえますが、私たちの暮らす日本においてはなにより、先の戦争を挙げないわけにはいかないでしょう。
 大衆人気に政治が左右されてしまう危険な事態が、戦前日本においても生じていたことを明らかにするのが、本書『戦前日本のポピュリズム』です。たとえば、満州事変に際して国際連盟を脱退した松岡洋右が、帰国した際には数万の大衆に熱烈に歓迎されたこと、また大政翼賛会を発足させ議会政治を形骸化させた近衛文麿が、メディア露出を通じて国民に高い人気があったことなどは、いまの私たちにも興味深い事実だと言えるでしょう。この本を読むことで、政治のことを慎重に考えることなしに、ナショナリズムを煽るメディアによって動員された人々が、いかにして戦争への道を推し進めていったのか、その事実と教訓とを学ぶことができます。【玉手】

天谷研一『図解で学ぶゲーム理論入門』(日本能率協会マネジメントセンター、2011)
 私たちがしなければならないことや私たちがすると得をすることは、時として他の人が何をするかに左右されます。ブレナンは『投票の倫理学』第三章の集合的危害の検討で、他の人が害を積み重ねているのに、自分だけが我慢することで自分だけがひどい目に遭ってしまうという事例を取り上げています。ブレナンは、こうした場合に自分だけ集合的危害に参加することを我慢して、ひどい目に遭う必要はないと論じています(ただし、悪い投票については、自分だけが悪い投票を我慢してもひどい目に遭うわけではないので我慢する必要があると、ブレナンは論じます)。
 他の人が何をするかに応じて自分のすべきこと・した方が良いことが変わる状況を「戦略的状況」と呼びます。このような戦略的状況で何が起きるのか、また何をした方が良いのかを論じる分野がゲーム理論です。ゲーム理論は数式が多くて敷居が高いと感じる方もいるかもしれません。確かに当事者の利得や確率を表現するために、ゲーム理論には数式が不可欠です。しかし、本書はゲーム理論のエッセンスをイラストでわかりやすく伝えており、数式が苦手な方にもお勧めできる一冊です。【柴田】

小川光=西森晃『公共経済学[第2版]』(中央経済社、2022)
 ブレナンは、良い統治は公共財であると論じています。そもそも公共財とは何でしょうか? 政府は良い統治を通じて、何を提供するのでしょうか? たとえば、道路や良い治安は公共財であるとされています。道路は、ある人が利用しても他の人の利用が妨げられないという点で非競合的な財と呼ばれます。また、治安維持への対価を支払わない人が良い治安を享受していても、その人に対価を支払わせることが難しいという点で、非排除的であるとされています。このような二つの特性——非競合性と非排除性——を持つ財が公共財であるとされています。
 公共財を提供することは、政府の役割の一つです。さてそれでは、政府は公共財をどのように提供すべきなのでしょうか? また、公共財を提供する以外の政府の役割とは何なのでしょうか? 政府は何を市場に任せ、どの問題を政府の問題として引き受けるべきなのでしょうか? こうした問いに答える学問が公共経済学です。本書は、そんな公共経済学をわかりやすく解説してくれる、数ある入門書の中でもお勧めの一冊です。【柴田】
 
 


 
《ブックガイド執筆者プロフィール》

玉手 慎太郎(たまて しんたろう)
学習院大学法学部政治学科教授
専門:倫理学・政治哲学
業績:『今を生きる思想 ジョン・ロールズ:誰もが「生きづらくない社会」へ』講談社現代新書(2024年)ほか

見崎 史拓(みさき ふみひろ)
名城大学法学部准教授
専門:法哲学
業績:「リーガル・リアリズムの感情言説は「ネガティブ」か?:フランクとルウェリンを中心に」『名城法学』73巻2・3・4号(2024年)ほか

柴田 龍人(しばた りゅうと)
東京大学総合文化研究科国際社会科学専攻 博士後期課程
専門:政治哲学
業績:「契約主義的リスク論の意義と問題」『政治思想研究』25号(2025年)ほか

榊原 清玄(さかきばら きよはる)
東京大学総合文化研究科国際社会科学専攻 博士後期課程
専門:政治哲学・応用倫理学
業績:「無条件かつ一律給付のベーシック・インカムの擁護:平等な尊重の観点から」『社会と倫理』39号(2024年)ほか

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