カール・フリードリヒ・ゲルバーは1823年、チューリンゲンに生まれた。ライプツィヒ大学とハイデルベルク大学で法学を学び、弱冠23歳にしてイェナ大学の教授となった。その後、エアランゲン大学、チュービンゲン大学を経て1863年、ライプツィヒ大学教授となった。逝去したのは1891年である。学外では、ヴュルテンベルク王国の上院議員、ザクセン王国の首相等を務めている。
ゲルバーはドイツ近代公法学*1の父と目されている。
ということは、日本の公法学の父祖でもある。
ゲルバーは、当時まっとうな学問とはみなされていなかった公法学に、国家を法人として捉える視点を導入し、国家をめぐる法現象を法人たる国家の意思形成とその適用・執行として捉える思考様式を確立した。そうすることで、政治や哲学や歴史などの夾雑物を排除して公法学を純化(Isolierung)し、しかもすでに学問として確立していた私法学からの公法学の独立を図った*2。
公法学確立の必要性に関するゲルバーの考えは、1865年に初版が刊行された『ドイツ国法学綱要 Grundzüge des deutschen Staatsrechts』の各所に示されている。
議論するまでもなく、基本的な解釈論上の諸概念をより明確で正確なものとする必要がある。われわれ[公法学]の文献の中には現代憲法の与える諸概念の法的確定という作業を法学固有の作業としてではなく、国家哲学や政治学に属するものと想定しているかのようなものがある。他の文献には、逆に、古きドイツ公法学の諸原理に支配され、われわれの新たな憲法が古きライヒの領邦法の成果にすぎないかのように扱うものもある。私の見るところ、個別の要素が独自の基本的思考を構成し得るような学問的体系を確立する喫緊の必要がある。わが現代憲法固有の本質の全体とともに個別の現象の間に存する法的関係を解明する体系的基盤なくしては、ドイツ公法学の学問的自律性を獲得することも、確かな法的帰結のすべてを導く基礎を得ることもあり得ない*3。
公法学は、その体系的原理が与える規準に則した素材の継続的批判を通じて、倫理的・政治的考察にのみ属する非法学的素材から純化される(gereinigt wird)*4。
[公法学は]派生的な学問としての、つまり、哲学であろうと私法学であろうと、他の学問分野からしかその素材を獲得し得ない学問としての地位から引き上げられる必要がある*5。
哲学、政治学、歴史学、私法学等に由来する不純物を除去し、精錬された概念や原理をもとに純粋で一貫した公法学の体系を構築し、その帰結を明らかにすることがゲルバーの目的である。
ゲルバーは法実証主義者と言われることがあるが、単純素朴な条文実証主義者ではない*6。公法に関する彼の主著である『公法論』『ドイツ国法学綱要』のいずれでも、具体の条文が頻繁に援用されるわけではないし、援用される場合も、議論の根拠としてよりは、予め構築された自説の例証として扱われることがほとんどである*7。
ゲルバーは私法学者として出発した。彼がライプツィヒ大学で学んだゲオルク・フリードリヒ・プフタ(1798−1846)は、サヴィニーの後継者としてベルリン大学に迎えられた。サヴィニーおよびプフタのローマ法学が、カントの法理論の影響下にあることは、広く知られている*8。
カントによれば、国家の定める客観的法秩序は、各人が自律的に活動し得る範囲を共通の社会生活の枠組みとして一律に設定する点に意味がある。平等に保障された各自の権利の範囲内では、各自は自分の生き方を自ら判断し、自由にそれを生きる。
カントは、法の普遍的原理として、「だれのどのような行為でも、その行為が、あるいはその行為の格率から見て、その人の選択意思の自由が、だれの自由とも普遍的法則に従って両立できるならば、その行為は正しい」という命題を掲げる*9。
人が自由意思にもとづいてそれぞれが「正しい」と考えることを実行し始めると、社会は大混乱に陥る*10。各人の意思にもとづく自由な行動の範囲を一定の枠内に収め、相互に両立させることが、法秩序の核心的な使命である。サヴィニーとプフタは、この使命を受け継ぎ、人々の自由意思にもとづく行為を相互に両立可能とする私法学の構築に努めた*11。
プフタは、「人が権利主体であるのは、自ら決定する能力、つまり意思を備えるからである……法学は意思をその決定の善悪においてではなく、純粋な意思そのものとして、能力(Potenz)、権能(Macht)として把握する」*12。意思決定の道徳的善悪とは無関係に、可能な選択肢の枠として意思能力は理解される。均一な選択の枠を備えた法的人格*13に付与される、対象を支配する権能が権利である*14。多様な状況下にある多様な人間関係も、多様な物を対象とする権利も、統一的な法形式によって把握され、均一に制御される*15。
ゲルバーもこうした視点を師であるプフタから継承した。「私法上の権利のすべては、人の法的意思への対象の従属を意味する。私法の体系は、物的財の世界における対象に向けられた人の意思のさまざまな表示の可能性として展開する」*16。「私法の体系は、意思の可能性の体系である」*17。問題は、こうした相互に衝突する自由な意思表示を両立させるための枠組みとしての法の観念を公法の分野でいかに実現するかである。
公法に関するゲルバーの最初の著作は、1852年刊行の『公法論 Ueber öffentliche Rechte』である。ただ、この著作では、国家法人理論は採用されていない。
当時のドイツの政治状況を見ておく必要がある。1848年、ドイツ各地で発生した三月革命は挫折に終わった。フランスの1814年憲章にならってドイツ各邦で成立した体制(制限君主制)は、その後も引き続き維持されることとなった。
制限君主制の基軸は、君主制原理である*18。国家の統治権はそもそもすべて君主が掌握しているが、それを行使する際は、君主自身が制定した憲法の条文通りに行使するという原理である。バイエルン王国の1818年5月26日憲法第2篇第1条は、君主制原理を典型的に示す*19。
国王は国の元首である。国王は主権的権限のすべてを保有し、この憲法において国王の定める諸規定に従いそれを行使する。
1889年に発布された大日本帝国憲法第4条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し此の憲法の条規に依り之を行ふ」が、この条文とそっくりであることに気付く人も多いであろう。
制限君主制の第二の特徴は、立法権の行使にあたって議会の参与(協賛)を必要としたことにある。バイエルン憲法第2篇第2条は、次のように定めた。
人の自由または臣民の財産に関連する(betrifft)、いかなる新たな一般法も、王国諸身分[身分制議会]の助言(Beyrath)と承認(Zustimmung)なくしては制定されない。王国諸身分の助言と承認は、人の自由と臣民の財産に関連する既存の法を改正し、有権的に解釈し、もしくは廃止する場合にも必要とされる。
日本の公法学で侵害留保*20──人民の自由と財産を侵害する法律は、人民を代表する議会の参与なしには制定し得ない──として知られる考え方をあらわしている。議会はあくまで立法に参与し、君主の立法権を限定するにとどまる。
さらに制限君主制下の憲法は、臣民の主要な諸権利を列挙していた。これも大日本帝国憲法に「臣民権利義務」として採り入れられている。
ゲルバーが『公法論』において国家法人理論をとらなかった主な理由は、この理論が君主制原理と両立し得ないと彼が考えたことにある*21。国家法人理論からすると、君主は議会と同様、法人たる国家の機関(代表)である。機関としての君主の地位は、法人の定款(Statut)にあたる憲法によって付与される。その点では議会と同等である。
他方、君主制原理からすれば、君主は憲法の上位に位置する。憲法制定権力を含む統治権はそもそも君主が掌握しており、君主による制定(欽定)によってはじめて憲法は生まれる。君主の権限は憲法によって与えられたわけではなく、憲法を通じて制限(自己制限)されているだけである。君主が、立法権の行使に参与するだけの議会と同等の地位に引き下げられることはあり得ない。
憲法から付与されたとなれば、「君主の権利は真に自立的な固有の内容を持つものではなくなり、上位や外側の秩序から独立した権利を担っているという君主の権利の属性を示すにすぎないものとなる」*22。君主を法人の機関として、君主の権利を権能として構成することは不可能である。私法から借用した法人概念は、「国家の精神的現実(innere Leben)と関与することのない純粋に形式的な概念でしかあり得ない」*23。
ゲルバーは、君主の権利は王室固有の権利であり、私法上の相続財産の形をとって引き継がれるもので、憲法から派生するものではないと言う*24。しかし、相続が成就するとこの権利は公的な権利へと変性し、私的な財産権ではなくなる。したがって、臣民を対象とする統治権を財産権とする見解は誤り(irrigen Auffassung)である*25。
君主制原理からすれば、いわゆる契約憲法(paktierte Verfassung)、つまり君主と人民との協定にもとづいて制定された憲法にも、契約としての意味はない*26。したがって、この種の憲法を君主が一方的に廃棄したり変更したりしても、違法とは言えない*27。
『公法論』におけるゲルバーは、国家を有機体(Organismus)として捉えた。それが備える人格は法的人格ではなく、有機体の倫理的自己意識、精神的一体性(der geistigen Einheit)のあらわれに他ならない*28。有機体たる国家は、君主の権力に外的に服従する対象でも、君主と並ぶ主体でもない。「君主はまさしく、この有機体の中に生気ある地位を占めるその(きわめて顕著な)構成要素に他ならない」*29。
有機体としての国家は人間と似てはいる。しかしこうした「概念の遊戯(Spiel)に真に豊穣な観念は含まれていない」。それでも、この「法的ではない有機体の概念を通じて公法体系の基礎が与えられる」*30。
君主制原理という桎梏のために国家法人理論を採用し得ない苦境が、明快とは到底言い難い「アクロバティック」*31な議論の数々となってあらわれている。
1865年に初版が刊行された『ドイツ国法綱要』で、ゲルバーは国家法人理論へと踏み出した。「国法学の起点と核心は、国家の人格性(Persönlichkeit)にある」*32。それは法的人格である。「国家は……法秩序における最高の法的人格である」*33。
国家を法人として捉えることで、人格に帰責される意思の可能性の体系という私法学のモデルにもとづいて公法学を構築することが可能となる。
公法学とは、国家権力の学であり、以下の問題を扱う──国家は何を意思し得るか(国家権力の内容と範囲)、いかなる機関がいかなる形式に則って国家の意思を表明することができ、またすべきか*34。
法人である以上、国家はその機関(代表)を通じて行為することとなる。
あらゆる法人と同様、国家も、代表(Vertretung)を必要とする。代表を通じて国家は、自己に与えられた抽象的意思たる国家権力を具体的行為とする*35。
しかし、公法学と私法学との間には違いもある。
公法学は意思の可能性の体系ではあるが、人格を備え政治的に統一された人民(Volk)の権力と関連している。その起点となるのは、したがって、個人の人格があらゆる方向性をとり得る自由な意思によっていかに行動し得るかではなく、[国家]目的によって規定された枠づけの範囲内でいかに行動し得るかである。国家の法的意思は支配すること(das Herrschen)にあり、国家目的の実現のために全人民を拘束する効果を伴って行為することにある*36。
ゲルバーは、君主制原理と縁を切ったわけでもない。法人としての制限君主制国家の機関は、君主と議会である*37。「人民代表は、はじめて、権利主体たる国家と関連づけられた」*38。しかし、両者は同等の機関ではない。
ゲルバーによると、君主は「国家権力の全内容を包括する機関」である*39。「君主は国家の最高の意思機関であり、その意思は、一般意思として、そして国家の意思として妥当する。国家権力の抽象的人格は君主に具現化されている」*40。
君主の権利は、近年制定された憲法によってはじめて創設されたものでもない*41。それは先祖伝来の血統に由来し、君主自身によっても国家権力よっても、任意に処分され得るものではない*42。
議会は君主の立法権の行使に参与する。しかし、議会の任務は支配することではなく、君主の支配的意思への協賛(hinzutreten)を通じて、君主の支配的意思を制約することである。議会の意思が採り入れられない限り、君主の立法意思は適法なものとして妥当しないというだけである*43。議会の参与によって、君主の掌中への全国家権力の統合(die Vereinigung der ganzen Staatsgewalt in der Hand des Monarchen)が阻害されることはない*44。
議会に法案の修正権が認められる場合でも、議会は君主と同等の共同立法者となるわけではない。議会が立法への協賛に一定の条件を付けることができる──議会の修正を受け入れない限り協賛しない──というだけである*45。立法に関しては、君主の裁可権こそが決定的な意味を持つ*46。
とはいえ、君主の体現する「国家権力は絶対的な意思力ではない。それは国家の奉仕すべき目的のためにのみ存在する。国家権力の実効的範囲には自然な限界(die natürlichen Gränzen)がある」*47。
ゲルバーは国家と社会の区分を「自然な限界」として前提していた。国家権力が及ぶのは国家の範囲に限られ、市民の自律的な社会関係には及ばない。ただ、この限界は自然なもの、つまり公法学にとっての所与の前提であり、法的限界ではない。立法への議会の協賛という手続はこの境界線を補強するはずであるが、境界線の存在自体はあくまで法外の前提にとどまる。ベッケンフェルデの言い方を借りるなら、それは国家自身が保証し得ない、国家存立の前提である*49。
ゲルバーにとって、市民(Staatsbürger)は、地方自治体(Gemeinden)や領土と同じく、国家権力の行使の自然的な対象である*50。ゲルバーは、ドイツ諸邦の憲法が規定する人民の諸権利(Volksrechte)なるものは、主観的権利ではなく、公権力の行使を限定する客観的法規の「反射的効果 Reflexwirkungen」に他ならないとする*51。
これらの権利は、「国家によって保護された利益 staatlich geschütztes Interesse」とは異なる*52。したがって、これら市民の権利なるものは、訴訟上の請求権の根拠とはならない。最高権力として国家の任務を遂行する国家権力が、訴訟当事者の地位に貶められることはあり得ない*53。
つまるところ、ゲルバーにとって、人民は国家による統治の対象ではあっても、国家機関でも、権利主体でもなかった。
公法学の純化を目指したゲルバーの企図は、パウル・ラーバントに受け継がれた。ラーバントの『ドイツ帝国国法論』の第2版序文は、次のように述べる*54。
特定の実定法における法解釈(Dogmatik)の学問的役割は、法制度を分析し、個別の諸観念をより一般的な諸概念へと還元し、これら諸概念の含意する帰結を抽き出すことにある。これらは──実定法規の究明、つまり取り扱われる素材の完全な認識と習熟をのぞけば──純粋に論理的な思考作用である。
この作業を遂行する手段として必要なのは論理(Logik)のみである。それに代わり得るものは何もない。歴史学的、政治学的、そして哲学的な考察のすべては、それ自体としていかに貴重なものであれ、具体の法の解釈において意味はなく、往々にして解釈作業の欠陥を覆い隠すことにのみ役立つ。
公法学と私法学の関係について、ラーバントは次のように述べる*55。
公法の領域における概念の多くは、私法の領域において学問的に確立し精錬されたものではあるが、それらは本質的には、私法上の概念ではなく法律学一般の概念である。たしかに、私法固有の特質は排除する必要がある。民法上の概念や法規の公法関係への単なる転用は、公法関係の正確な認識にとって有益ではない。公法の「民法的」処理は誤りである。しかし民法的方法への糾弾は、しばしば、公法の法学的処理への反感を隠している。私法上の概念を排除しようとして、人は実は、法学的概念をすべからく排除して哲学的・政治学的考察で置き換えようとしている。
国家法人理論を梃子に公法学の純化を目指す企図は、極東の美濃部達吉に受け継がれ、さらに押し進められた。
ゲルバーが捨て去ることのできなかった君主制原理は、天皇主権原理として大日本帝国憲法に継受されたが、美濃部にとって、天皇一人に統治権が帰属するという大日本帝国憲法の文面は、天皇が現人神であるとか日本の国体が万邦無比である等の神がかりの主張と同様、法律学から排除されるべきものであった。
「国初以来日本が万世一系の皇統を上に戴き、君民一致、嘗て動揺したことのないこと」は、「決して現在の国法を意味するのではなく、国の歴史及び歴史的成果としての国家の倫理的特質を意味する」にとどまる*56。法学的に見れば、天皇もあくまで法人たる国家の一つの機関として行為し得るにすぎない。
歴史的には天皇の大権の根拠は憲法以前から認められてはいたが、「憲法の既に制定せられたる後に於ては」、憲法は「天皇の大権に付ても其の全部を漏なく規定することを主義と為すものなるを以て」「憲法の規定する以外に於て別に憲法に依らざる天皇の大権あることを主張する為には、其の特別の根拠を証明することを要す」*57。
「統治権は固より天皇の御一身に属する権利に非ず」*58。統治権が君主個人の権利であれば、「戦争は君主の私闘となり、租税は君主の個人的収入となり、国営鉄道は君主の個人的の営業となり」、いかにも奇怪しい*59。君主が逝去すれば、君主の発した法律・命令も効力を失うことになってしまう*60。大日本帝国憲法第4条が明文で定める君主制原理も、ゲルバーとは異なり、美濃部にとって額面通りに受け取るべきものではなかった。
憲法の文字に依りて国家の本質に関する学問上の観念を求めんとするが如きは憲法の本義を解せざるものなり*61。
解釈にあたって条文を必ずしも重視しない態度も受け継がれていることが分かる。美濃部のこうした態度が、1933年、天皇機関説事件の際、激しく攻撃されたことは、広く知られている。
君主制原理の日本的現象形態である天皇主権原理は、国家法人理論を徹底させた美濃部にとって法学上のテーマではなかった。そうである以上、八月革命として論点化された天皇主権の国民主権への転換も、美濃部にとって法学上の問題ではなかったはずである*62。
松本委員会が憲法改正に関する調査を開始した1945年10月、朝日新聞に寄稿した「憲法改正問題」と題する文章で、美濃部は次のように述べる*63。
「憲法の民主主義化」という場合の所謂「憲法」は実質的意義の憲法であり、その所謂「民主主義」は政治的意義の民主主義であることは、論ずるまでもなく明白である。即ち法律上の形式如何は必ずしも重きを置く所ではなく、政治上の実際において国家統治の大権が民意を基礎とし民意に順って行われることを保障し得べき国家組織を為すことが、所謂「憲法の民主主義化」の要求する所に外ならない。かかる意味においての民主主義化は、敢て憲法の改正を待つまでもなく現行の我が憲法の下においても、十分にこれを実現することが出来る。
したがって、宮沢俊義が美濃部の還暦記念論集に寄せた「国民代表の概念」で問題とした、帝国議会の議員が国民の現実の意思をどこまで反映して行動するかという論点も、美濃部にとっては、法学上の問題ではない。「議会を構成する各議員」は「等しく全国民を代表すべき任務を有する」。地域代表、職能代表、少数代表、比例代表などの用語も「普通に使用せらると雖も、此等は何れも唯政治上の意義を有するに止まり、法律上の意義を有するものに非ず」*64と、美濃部は断言する。美濃部からすれば、宮沢は法学から排除されるべき政治的問題を指摘しているだけである。
ゲルバーの理論にあらわれるさまざまな概念──君主による統治権の総攬、君主による立法権行使に対する議会の協賛、君主の最高機関性、反射的効果としての人民の権利等──は、日本の旧憲法および現憲法下の公法学にも受け継がれた。それぞれの概念が君主制原理にもとづくものか、国家法人理論にもとづくものかを整理することにも、意味はあるはずである。
また、美濃部に続く世代の研究者が、カントを源流とするドイツ公法理論を正しく引き継いでいるかという問題がある。宮沢俊義が「国民代表の概念」において、ラーバントの議論を誤読している疑いがあることは、別に論じた通りである*65。また、宮沢がゲオルク・イェリネクの「単なる自由」に加えたミスリーディングな説明は*66、彼がイェリネクの議論の背景にあるカント流の法観念に気付いていなかったことを示していると思われる*67。
その時々の流行学説の輸入を任務と心得るだけでは、最新の学説がどのような歴史的背景のもとに成立しているかを理解できない。理解が歪むことはもとより、こうした作業を続けるだけでは、いつまで経っても追いつくことができず、輸入業に特化し続けることになる。
最後に、君主制原理にもとづく公法理論が筋の通ったものであり得ないとすると、統治権を総攬する人民が実在しており、その人民が憲法を制定することで国家を創設した──憲法の規定する人民の統治権の制約は自己制限にすぎない──という物語が果たして筋の通ったものであり得るか、それも反省する必要があるはずである*68。
*1 本稿では、Staatsrechtの訳語として、文脈に応じて、国法、国法学、公法、公法学を用いる。ゲルバーの当時、憲法と行政法とは分化していなかった。
*2 国家を法人として捉える思考様式が、ゲルバー以前になかったわけではない。ホッブズ、プーフェンドルフ、ルソーはいずれも国家を法人として捉えていた。
*3 Carl Friedrich von Gerber, Grundzüge des deutschen Staatsrechts (3rd edn, Bernhard Tauchnitz 1880) v−vi.
*4 Ibidem 237.
*5 Ibidem 236−37.
*6 Olivier Jouanjan, ‘Carl-Friedrich Gerber et la constitution d’une science du droit public allemand’ (1997) 1 Annales de la faculté de droit de Strasbourg, Nouvelle série, 39.
*7 たとえば、ドイツ諸邦の憲法が規定する「権利」は主観的権利ではなく、客観的法規の派生物にすぎないとするゲルバーの主張の具体例として、さまざまな憲法の条文が挙げられている(Gerber (n 3) 34, n 1)。なお、後注50に対応する本文参照。
*8 ヴィーアッカー『近代私法史』鈴木禄弥訳(創文社、1961)466頁; Ernst-Wolfgang Böckenförde, ‘Die Historische Rechtsschule und das Problem der Geschichtlichkeit des Rechts’ in his Recht, Staat, Freiheit (expanded edn, 2021) 20, n 33; Jouanjan (n 6) 35.
*9 カント『人倫の形而上学』樽井正義・池尾恭一訳(岩波書店、2002)49頁[A230]。長谷部恭男『憲法の円環』(岩波書店、2013)67−68頁参照。
*10 カント(n 9)153頁[A312]。長谷部(n 9)58−59頁。
*11 長谷部恭男『憲法の論理』(有斐閣、2017)13−16頁。
*12 Georg Friedrich Puchta, Cursus der Institutionen, Band I (Breitkopf & Härtel 1841) 9−10 [IV].
*13 Ibidem 79 [XXVIII].
*14 Ibidem 12 [VI], 84 [XXX].
*15 Ibidem 51 [XXI], 84 [XXX].
*16 Carl Friedrich Gerber, Ueber öffentliche Rechte (Laupp 1852) 32−33.
*17 Gerber (n 3) 4, n 2.
*18 君主制原理を核心とする制限君主制の諸憲法の特質については、長谷部(n 11)216−18頁参照。
*19 See Gerber (n 3) 78, n 2.
*20 ドイツ語のEingriffが「侵害」と訳されているが、バイエルン憲法の条文からしても、Betreffに近づけて、人民の自由と財産に関連する事項の留保として理解する余地もある。
*21 Maria Kordeva, Le principe de séparation des pouvoirs en droit allemand (Editions juridiques franco-allemandes 2019) 106 ; see also Jouanjan (n 6) 47−50.
*22 Gerber (n 16) 61.
*23 Ibidem 19.
*24 Ibidem 66.
*25 Ibidem 65.
*26 Ibidem 39.
*27 Ibidem 39−40.
*28 Ibidem 20. 法学者は、国家と並んで、自己展開する有機体たる民族の精神を表明する機関であるという観念は、サヴィニーとプフタの法思想の核心であった(Olivier Jouanjan, ‘Présentation de l’esprit de l’École historique du droit’ (2004) 7 Annales de la faculté de droit de Strasbourg, Nouvelle série, 14−17)。See also Puchta (n 12) 30 [XII], 36−37 [XV].
*29 Gerber (n 16) 20.
*30 Ibidem 48.
*31 「アクロバティックacrobatique」は、君主権の相続と変性に関するゲルバーの議論に対するジュアンジャンの形容である(Jouanjan (n 6) 49)。
*32 Gerber (n 3) 4.
*33 Ibidem 2. 法人たる国家の「自然的natürlich」基礎としての有機体の観念は引き続き維持されている(ibidem 1 and 221)。
*34 Ibidem 3−4.
*35 Ibidem 231.
*36 Ibidem 4, n 2. See also ibidem 21.
*37 Ibidem 77.
*38 Christoph Schönberger, Das Parlament im Anstaltsstaat: zur Theorie parlamentarischer Repräsentation in der Staatsrechtslehre des Kaiserreichs (1871−1918) (Vittorio Klostermann 1997) 21.
*39 Gerber (n 3) 7, n 2.
*40 Ibidem 77−78.
*41 Ibidem 88, n 2.
*42 Ibidem 91−92.
*43 Ibidem 126. ジュアンジャンの表現を借りるならば、「否定することによって支配はできない」(Olivier Jouanjan, ‘La volonté dans la science juridique allemande du XIXe siècle: Itinéraire d’un concept, entre droit romain et droit politique’ (1999) 8 Droits 65)。
*44 Gerber (n 3) 131.
*45 Ibidem 150, n 6.
*46 Ibidem 151.
*47 Ibidem 31.
*48 Ibidem 32; see Jouanjan (n 6) 60.
*49 Ernst-Wolfgang Böckenförde, Recht, Staat, Freiheit (8th edn, Suhrkamp 2021) 112.
*50 Gerber (n 3) 44−45.
*51 Ibidem 47 and 201.
*52 Ibidem 41, n 4.
*53 Ibidem 210−11.
*54 Paul Laband, Das Staatsrecht des deutschen Reiches, vol. I (3rd edn, JCB Mohr 1895) X.
*55 Ibidem VII−VIII. 『ドイツ帝国国法論』初版序文からの引用である。
*56 美濃部達吉『逐条憲法精義』(有斐閣、1927)73頁。漢字は新字体に、カタカナはひらがなに直してある。以下、同様。
*57 美濃部達吉『憲法撮要』(改訂5版、有斐閣、1932)221−22頁。天皇による統治権の総攬から帰結するはずの、君主のための権限の推定(praesumptio pro rege)は成り立たない。ゲルバーは、君主のための権限の推定を肯定していた(Gerber (n 3) 133)。
*58 美濃部(n 57)224頁。
*59 同上書22頁。
*60 同上。これは後に、ハートが法=主権者命令説の欠陥として指摘した点である。HLA・ハート『法の概念〔第3版〕』長谷部恭男訳(ちくま学芸文庫、2014)第Ⅳ章第1−2節参照。
*61 美濃部(n 57)23頁。美濃部は、『憲法撮要』の序文で、「著者は制定法規の文字に絶対の価値を付し、制定法規の文字に依つて示さるる所が即ち現実の国法であるとする思想に反対する」と明言する(美濃部(n 57)序文4頁)。
*62 ゲルバーがすでに、君主主権、人民主権、国民主権といった表現は、さまざまな政治運動の「標語 Stichworte」にすぎないとしている(Gerber (n 3) 22, n 5)。
*63 高見勝利編『美濃部達吉著作集』(慈学社、2007)185頁。
*64 美濃部(n 57)350頁。
*65 長谷部(n 9)90−95頁。
*66 宮沢俊義『憲法Ⅱ〔新版〕』(有斐閣、1971)91頁。
*67 Yasuo Hasebe, Towards a Normal Constitutional State: The Trajectory of Japanese Constitutionalism (Waseda University Press 2021) 141−43.
*68 これはジュアンジャンが夙に指摘する論点である。See Olivier Jouanjan, Une histoire de la pensée juridique en Allemagne (1800−1918) (PUF 2005) 252−53.
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第33回 わたしは考える
第34回 例外事態について決定する者
第35回 フーゴー・グロティウスの正戦論
第36回 刑法230条の2の事実と真実
第37回 価値なき世界と価値に満ちた世界
第38回 ソクラテスの問答法について
第39回 アラステア・マッキンタイアの理念と実践
第40回 エウチュプロン──敬虔について
第41回 グローバル立憲主義の可能性
第42回 二つの根本規範──ケルゼンとフッサール
第43回 内的か外的か、そしてそれは問題なのか
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ISBN 978-4-326-45128-9
https://www.keisoshobo.co.jp/book/b624223.html
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。
本書のあとがきはこちらからお読みいただけます。→《あとがき》
連載書籍化第1弾『神と自然と憲法と』のたちよみはこちら。→《あとがき》