あとがきたちよみ
『アジアのダイナミズム 渡辺利夫精選著作集第5巻』

About the Author: 勁草書房編集部

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Published On: 2025/4/4

 
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渡辺利夫 著
『アジアのダイナミズム 渡辺利夫精選著作集第5巻』

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まえがき
 
 『本著作集』第5巻『アジアのダイナミズム』についての私の著作は三つある。一つは『西太平洋の時代─アジア新産業国家の政治経済学』(文藝春秋、1989年)、二つは『アジア新潮流─西太平洋のダイナミズムと社会主義』(中公新書、1990年)、三つは『アジア経済の構図を読む─華人ネットワークの時代』(NHKライブラリー、1998年)である。東アジアにダイナミズムを創出したメカニズムはどういうものかについて、ここではできるだけ簡素に整理して、本巻を通読される読者の便に供したいと思う。
 日本、NIES、ASEAN諸国を含む東アジアにダイナミックな変動をもたらしたものは、各国の擁する「転換能力」である。東アジア諸国は、外的与件の変動に順応してみずからを調整し、より高度の構造に転換していく能力において他地域に比較して抜群の力量をみせてきた。しかも、それぞれがもつ高い転換能力のゆえに、東アジアにおいては一国の構造転換が直ちに周辺国の構造転換を誘発するという「構造転換連鎖」が展開されてきた。
 現在の東アジアに渦巻く構造転換の起点は日本であった。1985年9月のプラザ合意による急激な円高を契機に、日本経済は多くのエコノミストの予想を上回る高い転換能力を発揮して、内需主導型成長の定着に成功した。内需の拡大にともない東アジア諸国からの輸入が激増し、日本はこれら諸国に対する「需要吸収者」としての地位を確かなものとした。加えて、円高による海外生産の有利性の増大は、日本企業の東アジア地域への大量進出を誘い、後者の供給力強化に貢献した。
 引きつづいて、NIESが日本の円高に速やかに反応して対日さらに対米輸出を拡大し、未曾有の高成長を実現した。しかし、NIESの輸出拡大と高成長は通貨切り上げと賃金上昇を避けられないものとし、この新しい与件変動に応じてNIESもまた内需主導型成長への転換と海外直接投資の活性化により、新しい構造へと転じた。
 そして日本とこれにつづくNIESの構造変動は、ASEAN諸国などより後発の国々を利するもう一つの与件を生み出したのである。この新しい与件変動に輸出の拡大と外国企業の積極的導入で応えたASEAN諸国は、1990年代初にNIESを凌ぐ成長率を達成することになった。画期の到来というべきであろう。
 先発国の構造変動が作り出す貿易・投資機会に後発国が迅速に反応して、後発国が一段と高い成長率により先発国を追跡していくという構図で描かれる地域が東アジアである。東アジアとは、先発国における激しい与件変動の「挑戦」に、後発国が高い転換能力をもって「応戦」しながら今日を築いた地域に他ならない。
 私は東アジアを、NIESが日本を追い、そのNIESをASEAN諸国が追う「重層的追跡」の経済空間と捉え、その内実を工業製品の国際競争力指数を用いて実証している(『本著作集』第2巻)。先発国の構造調整が生んだ輸入市場や海外直接投資の拡大を、後発国がみずからの発展に有利な「後発性利益」として内部化すべく、自国の構造を転換していく能力の高さこそが東アジアにおける「重層的追跡」の要因に他ならない。
 プラザ合意を契機として始まった円高は、日本経済にとって石油ショックとならぶ大きな突発的な与件変動であった。しかし、この円高に対して日本経済は石油ショック時に劣らぬ転換能力を発揮した。内需主導型成長への転換がその帰結であった。
 この転換にともない、何よりも大きな変動が輸入構造において発生した。特に注目されたのは東アジア諸国からの輸入であり、日本は東アジアの成長を需要面から牽引するかつてない役割を演じることになった。加えて、円高は海外生産の有利性を一挙に高めた。円高の定着にともない日本企業は東アジア諸国から輸入を増加させると同時に生産拠点自体を東アジアにシフトして、そこで生産された財を調達する「アウトソーシング型」の海外進出を積極的に展開するようになった。
 円高後の日本企業の東アジア進出が、大規模なアウトソーシングを通じて日本の輸入を急増させたことは明らかである。しかし、これに加えて円高後の日本企業は生産・部品調達・技術開発・販売などに携わる多様な傘下企業を東アジアの最適地に立地させ、みずからのもつ経営資源を東アジア地域を舞台にシステマティックに編成し、極大利潤を狙うという一段とグローバルな海外事業展開を図るにいたった。結果として、東アジアにおける日本企業の各進出拠点は補完的連携のもとにおかれ、相互取引額が急拡大することになった。この事実は、東アジア諸国の「構造的結合」を強める重要な要因として機能した。東アジアに進出する日本企業は東アジア各国の産業構造を結びつけ、相互の産業構造変動の連鎖的契機を引き起こす一つのエージェントとなったのである。
 円高以降の日本経済は、与件変動に対する高い調整と転換の能力を示した典型例である。しかしより注目すべきは、円高にともなって生じた日本経済の構造変動がNIESにとっての新しい与件となり、この与件変動にNIESが日本のそれに勝るとも劣らない転換能力を発揮したという事実である。
 韓国、台湾の通貨は長らくドルにリンクし、円高は同時にウォン安、台湾ドル安であった。NIESが試みた対日輸出攻勢はめざましい成果を収めた。しかし同時に、円高下でのNIESの輸出でめだったのは、対米輸出の拡大であった。円高により日本の対米輸出競争力が弱まる一方、NIESの対米競争力が相対的に強まり、米国の貿易赤字の対象地域としてNIESは日本に次ぐ大きな存在となった。そして米国は、ハイテク部門を中心とする対NIES貿易収支の赤字に耐えられず、保護主義的対応を強化すると同時に、何よりもドルにリンクしてきたNIES通貨の対ドル調整を強要したのである。
 NIESは通貨調整と時を同じくして、賃金の急上昇というもう一つの厄介な問題と直面せざるを得なかった。対米輸出の大きな盛り上がりによって達成された超高成長は、労働力規模のそれほど大きくないNIESの賃金水準を一挙に高めた。シンガポール、香港はいうに及ばず、韓国、台湾が「労働過剰経済」から「労働不足経済」に転じ、未熟練労働力の供給制約局面に入ったのは、すでに1970年代のことであった。その上に生じた超高成長は両国の労働力不足を決定的にした。加えてこの時期、韓国、台湾は経済発展が権威主義的政治体制を激しく「溶解」させる民主化運動の渦中にあり、これを背景に両国に沸き起こった労使紛争が賃金上昇を一層高率とする要因ともなった。
 NIESは円高の受益者として対日・対米輸出を拡大し、この輸出に牽引されて空前の経済的高揚をみせたのであるが、しかしその成功の帰結として生まれた通貨調整と賃金上昇、さらには米国の保護主義的対応に直面して、厳しい構造転換を迫られたのである。しかしNIESのNIESたるゆえんは、このようにして生まれた与件変動に強靭な転換能力で対応できたという事実である。
 韓国、台湾において新たに生まれた注目すべき動向の一つは、内需主導型成長への転換である。内需の盛り上がりは輸入の増加を誘発せずにはおかない。内需拡大に通貨切り上げ、さらには関税引き下げや輸入自由化政策の効果も加わってNIESの輸入は急速な増加をみせた。通貨切り上げと賃金上昇は両国の輸出競争力を削いで、輸出の減速を余儀なくさせ、外需(輸出マイナス輸入)は減少した。長期にわたる激しい輸出志向工業化によって今日を築いたNIESにおいて内需が成長を主導する新しい成長類型が生まれたことは画期的であった。日本で定着したのと同様の成長パターンへのシフトがNIESでも試みられたのである。
 通貨調整と賃金上昇に対するNIESのもう一つのめざましい対応が、海外企業進出に他ならない。NIESの賃金上昇は繊維製品を初めとする労働集約財の輸出競争力を弱め、ASEAN諸国への生産拠点シフトによる失地回復を避けられない課題とした。通貨切上げはNIES企業の海外生産の有利性を強めてそのASEAN進出を促した。1990年を前後する時点から、NIESはASEAN諸国に対する日本を凌駕する最大の投資者として浮上した。
 NIESは、通貨調整と賃金上昇に対応してみずからの構造を転換する過程で、ASEAN諸国の成長を需要面から牽引する機能を発揮すると同時に、企業進出を通じてその供給力をも強化する機能を備えるにいたった。日本とならんでNIESが両機能をあわせもったことにより、東アジアには先発国の成長が後発国の成長を誘発するまことに好都合な環境が生まれたということができよう。
 ASEAN諸国は、日本、NIESに生じた貿易・投資環境の変化を「千載一遇」としてこれを自分の「胎内」に取り込むための政策的対応を本格化させた。マレーシアのあるエコノミストは、円高を契機にASEAN諸国に蝟集する日本の直接投資を自国の発展に資する「歴史的日本機会」だと表現した。そのひそみにならっていえば、ASEAN諸国は同時に「歴史的NIES機会」にも恵まれ、その2つの機会を手に入れるための政策的対応を試みたのである。輸出志向型の外国企業に対しては、出資比率制限を緩和したり、また事業所得税の減免期間を延長したりするといった、外資系企業に対する旧来の多様な規制を緩和するための諸政策が次々と展開されていった。
 日本、NIES、ASEAN諸国とつづいた構造変動の連鎖的継起の波は東アジアにおける最後の巨大フロンティア・中国に伝播していくであろうか。NIESが攻撃的な姿勢をもって中国沿海部に接近し、後者を東アジア世界に引きずり込む主勢力として登場していることに注目しよう。東アジアにおける連鎖的発展の波動を中国に伝えていく中心的な役割を担ったのは香港、台湾などのNIESであった。このことは、すでに第4巻で記した。NIESは東アジアの構造変動のダイナミズムを中国に伝播させ、中国をこの地域の連鎖的発展の最後のアクターたらしめる主役の役割を果たしてきたのである。
 
 
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