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小野田美都江 著
『飲酒と社会の交差点 戦後日本のアルコール政策過程論』
→〈「はじめに」「酒の入手困難期から酔っ払い天国の日々へ(抜粋)」(pdfファイルへのリンク)〉
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はじめに
かつて、日本は「酔っぱらい天国」だと言われていた。世間は公の場での飲酒に寛容で、かつ、飲酒の上での失敗は「酒の上でのことだから」と許容されることが多かった。しかし、1963 年9 月2 日の朝日新聞社説では「酔っぱらい天国の返上」と題して、泥酔者を甘やかす風習を戒めている。近ごろは公共の場での泥酔者に以前に比して厳しい目が向けられるようになってきたが、今日も相変わらず、全国のあちらこちらで、酒を酌み交わす人々がいるだろう。
現代の私たちの飲酒風景のように、日本人が好きな時に好きなだけ酒を飲み始めたのは明治時代からである。神崎宣武によれば、「江戸時代に都市部でも酒はあらたまって飲むものであり、農山漁村では日常的に飲むことは破廉恥なこととされていた。明治中ごろから酒は買って飲むものとなり、日本人全体に日常的な飲酒習慣が広まった。そして次第に、冠婚葬祭のハレの日以外に、同窓会、県人会、職場の親睦会、公的な社交における宴会が増加し、宴会風景は東京の区会から地方の町村議会にまで及んでいった」とのことである(神崎1991:162-163)。酒はのどを潤すのみならず、人々に社会的なつながりをもたらし、打ち解けた関係性を創出するコミュニケーション・ツールでもある。
一方、青木隆浩は明治期の酒の飲み方の乱れを、柳田國男の『明治大正史第4 巻 世相編』(1931:199-219)や「酒の飲みようの変遷」(柳田 1980:101-109)によって読み解き、酒が必要のない機会にまで節度なく飲まれるようになったことに原因があると指摘した(青木 1999:8)。アルコールの過度の摂取によって抑制が効かなくなった状態になると、「あの人は酒癖が悪い」と言われる程度ではすまない状況に陥ることがある。飲酒を止めるブレーキが壊れ、酒への欲求がおさまらなくなると、アルコール依存症と呼ばれる状態に進行していく。アルコールが合法薬物や社会的薬物と言われる所以である(清水 1992:4)。「アルコールは依存性のある薬物の一種」と厚生労働省のe-ヘルスネットにも明記されている。「地獄を見たければ、アルコール依存症者のいる家庭を見よ」とは、全日本断酒連盟(以下、全断連)のウェブサイトに記載されている言葉である。家族にアルコール依存症者がいると、家族全体が巻き込まれて苦しみ、家庭は機能不全となることを指している。日本では酒を飲んで酔うことについて、良い酔い方と悪い酔い方が区別されており、「良い酔い方は、集団的に共有された酔いを酔うことであり、一方、悪い酔い方は酔いが他人への攻撃性を増幅し、結果的に対人関係に解体的に影響を及ぼす」ことになる(清水2003:47)。
以上のように、酒の功罪は巷に広く語られているが、日本におけるアルコール政策を確認すると、飲酒行為を規制することそのものを主旨として立法化された法律はそれほどない。多くは、例えば道路交通法の飲酒運転規定のように法律の条文の1つとして扱われている。戦後の日本において飲酒の規制を目的に最初に制定された法律は、1961 年に成立した「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律(昭和36 年法律第103 号、以下、酩酊防止法)」である。そして、日本初の総合的なアルコール規制法である「アルコール健康障害対策基本法(平成25 年法律第109 号、以下、アルコール基本法)」が2013 年に成立した。日本で唯一の禁酒法とも言える「未成年者飲酒禁止法(大正11年法律第20 号、現、二十歳未満ノ者ノ飲酒ノ禁止ニ関スル法律)」は1922 年に制定され、改正されたのは約80 年後の2000 年と2001 年である。
社会の中には酒を禁じる法律もあれば、地元で生産された酒類による乾杯を奨励する乾杯条例を制定する自治体も多々ある。アルコール基本法に則った「アルコール健康障害対策推進計画」はすべての都道府県で制定されていることから、同じ地域で施行されている法令でも、アルコールを消費することが抑制されたり、奨励されたりしており、アルコール政策にも酒の二面性が反映されている。
酒を飲むことへの対応は、政治の場でも日常でも、一筋縄ではいかないことがみてとれる。しかし、神島二郎が「もっとも顕著にきわだって政治的にみえるハレの大政治ではなく、日常のケの生活の中でくりかえし、かつ積み重ねられる小さな営みの中に政治を見ることが、われわれにとって大切なことなのである」と説くように(神島 1982:6)、人々の日常生活に関わりの深い法律がいかに形作られるかという問いに着目することは、法律が生活に根差している様相に気づくことにつながるだろう。嗜好品である酒は、その歴史や文化を背景に、功罪ともに否応なしに多くの人々の生活に関わっている。
以上のような問題関心に基づき、本書は戦後日本において飲酒を規制する「アルコール政策」がどのような過程を経て現在の政策になったのか、その経緯を考察する。その際には、わが国のアルコール政策過程の戦後から80 年にわたる連続性を俯瞰できるよう、前後の時代の関連性にも着目する。研究方法としては、キングダン(Kingdon, J. W.)の「政策の窓モデル(Multiple Stream Approach: MSA)」を論理モデルとして援用し(Kingdon[ 1984] 2011)、政策の前決定に注目していく。
最後に、本書の構成について述べておく。第I 部は「酒類消費の動向、先行研究、方法論」とし、日本の飲酒関連法規や飲酒率の変遷を押さえた上で、アルコール政策研究の先行研究と方法論について検討する。第1 章で問題関心を説明する。その上で、アルコール政策を定義し、事例とする日本のアルコール関連法規を抽出した。第2 章では日本における酒類生産や消費について統計を用いて解説し、研究の背景にある社会の飲酒動向を説明する。第3 章では先行研究を分析し、日本のアルコール政策研究において積み残された課題を明らかにした。第4 章では、海外のアルコール政策過程研究に援用されるキングダンの「政策の窓モデル」について検討し、さらに、議員立法を「政策の窓のモデル」で分析した先行研究の知見を参考に、研究の観点を明確にした上で、研究の方法論を提示する。
第II 部は「アルコール関連問題の政策過程」とし、年代ごとに期間を区切り、MSA を援用してアルコール政策過程を分析する。対象とする期間は、第5 章が戦後から酩酊防止法制定(1961 年)まで、第6 章が酩酊防止法成立以降から1970 年代まで、第7 章が1980 年代の動向、第8 章が1990 年代から2000年代初めまでで、未成年者飲酒禁止法の改正を取り上げる。第9 章が2000 年代で、アルコール基本法の政策過程を分析する。第10 章では、アルコール基本法制定後の12 年間について述べる。そして最後に、終章で本書を通じて得られた戦後日本におけるアルコール政策過程の特徴を説明し、知見の包括的な考察によって今後の課題を示していく。
注)本書においては、アルコールの摂取をコントロールできなくなる状態に対する用語として、アルコール依存症、アルコール中毒、アル中、酒乱、酔っ払い等の言葉を用いている。歴史的経緯をたどる際に、当時の用語として使用されていた文脈をできるだけ忠実に表現するために、あえて使用していることをお断りしておく。
(脚注は割愛しました。PDFでご覧ください)
第5章 酒の入手困難期から酔っ払い天国の日々へ――戦後から1961 年の酩酊防止法制定まで
(前略)
酩酊者の迷惑行為に対応する喫緊の必要性を世間に認識させる契機となったと言われている。しかし、生活が苦しい家庭における類似の事件は過去にも起こっている。例えば、1950 年5 月24 日に大酒飲みでヒロポン中毒の息子(27 歳)に困り果てた家族の母と子どもたち(妹19 歳、弟17 歳)の3 人が、その息子を絞殺する事件が東京都新宿区であった。足立区の事件が政治を動かすきっかけとなりえたのは、迷惑行為を繰り返す酩酊者に辟易し、規制による現状改善を求める国民の気持ちが広まり、沸き立っていたためであろう。
婦人団体国会活動連絡委員会は1958 年7 月1 日、7 月21 日に泥酔犯罪者に対する適切なる処罰法の制定を含めた要望書を法務大臣に提出した。また、1958 年7 月11 日の参議院社会労働委員会では、「『少女の父親殺し事件』等に関する決議文」が採択された。市川は1958 年7 月2 日、活動を停止していた衆参婦人議員団を解散せず、新たに有志を募って衆参婦人議員懇談会を発足した。「婦人や子どもに関係のある超党派の問題に努力しよう」と女性議員から提案されたためである(進藤 2018:164)。その2 日前に足立区の事件が起こっていたことも再結成の背中を押した(佐藤ゆかり 2010:82)。
刑法改正を審議する1958 年8 月1 日に開催された参議院法務委員会では、再度、赤松が泥酔者を処罰する法律の制定を強く要請したが、竹内法務省刑事局長は回答を保留した。衆参婦人議員懇談会は1958 年12 月16 日の第9 回会合で、酩酊者からの被害をなくすための議員立法を決意する。ここで問題の流れと政治の流れが合流したと考える。すなわち、泥酔者の迷惑行為への対処が政府アジェンダとなったのである。
4. 4. 2 1960 年法律案作成の経緯と挫折
本章3. 2 節で述べたように、1959 年に法務省から酩酊犯罪の取締りと酒癖矯正の保安処分を刑法から切り離して、個別に立法化することを容認する発言がなされた。そして、1960 年に衆参婦人議員懇談会は法案作成を参議院法制局に依頼した(付表5-1 ②)。
法律の草案は、付表5-1 ①②③~付表5-2 ④の順に作成がなされ、1960 年4月26 日に法律案は完成した。ここでアジェンダは決定アジェンダとなった。しかしながら、5 月の安保条約改定をめぐり第34 回通常国会は紛糾し、そのあおりを受けて、法律案は提出ができない状況となった。
4. 4. 3 再度の提案準備から政策案決定へ
1961 年初頭、衆参婦人議員懇談会は法律案の提案準備を開始し、草案の名称は『酔つぱらいによる危害等の防止に関する法律案』(付表5-2 ⑤)に修正された。警察の家庭内立ち入りについては当初の要件から後退し、酩酊者からの家族の保護や酩酊者の隔離については、警職法の範囲で施行するとされた。さらに、公共の場所の範囲が限定的となり、酩酊者によって被害を被る側の防衛策より、泥酔者の保護収容の意味が強い法案に向かった。法律案は次第に、国民に対する倫理規定的な色合いの濃い内容となった。
提出をひとたび決定した党内手続きの段階で、「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」と法律名の変更がなされた。そしてさらに、日本社会党の議員が警察官の権限が強化されると強硬に反対し、法案の提出は難航した。女性議員たちは一部の法案修正と附帯決議を付与することで、「酒に酔つて公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」(付表5-3 ⑥)を確定し、1961 年4 月12 日にようやく国会提案に漕ぎつけた。
4. 5 政策の流れ
上述したように、法務省が刑法改正準備会を組織して刑法改正の準備を始めたのは1956 年10 月からである。アルコール依存症者への保安処分の適用は、矯風会からも大きな期待が寄せられていた。しかし、法務省は保安処分を刑法に盛り込むことに慎重であり、かつ、独立した泥酔者規制法を創設することにも否定的であった。1957 年4 月には、矯風会の働きかけで、悪質泥酔者の犯罪に対し保安処分を適用する法律の立法化についての複数の請願書が国会に提出され、参議院を通過したが、1958 年4 月25 日に衆議院が解散し、審議未了となった。
1958 年6 月に足立区の事件が発生し、矯風会は酒乱、アル中、不良青少年の激増を鑑みると、「刑法の改正まで待ち得ない」と訴えた(桑野 1958d:16)。過度の飲酒者に対して女性は被害者的立場、幇助的立場に置かれやすい(高橋1958:131-132)。すなわち、足立区の事件は酩酊者に対する女性たちの蓄積された処罰感情が、行動になって現れたトリガーであったのではないだろうか。
酩酊防止法の成立に寄与する矯風会の活動は、大きく3 つの政策提案につながっている。1 つは酩酊者の保護施設およびアルコール慢性中毒者の治療、収容施設の建設、2 つ目は未成年者飲酒の禁止、3 つ目は警察官の住居内立ち入りを可能にすることであった。1 と2 は付帯決議として実現したが、3 は限定的な結果であった。警察官の住居内立ち入りは、戦前・戦中の警職法に対する記憶が社会に鮮明な時期であり、警察権限の拡大に警戒が強く賛同を得ることは難しかった。警察庁も慎重な態度で話し合いに臨んでいたが、酩酊防止法に現状の警職法を超えた処罰を入れる好機として捉えていたこともうかがえる。なお、政党からの強い抵抗により、1 回目の提出案(付表5-2 ④)から警職法を超えない範囲の草案(付表5-2 ⑤)となった。酩酊防止法成立に向けた矯風会のアドボカシー活動が結実していく様相は、本章3. 2 節にみることができる。
1960 年4 月26 日に衆参婦人議員懇談会内で法律案が完成し、政策の流れは問題の流れと政治の流れに合流した。なお、刑法改正作業については1960 年4 月30 日、改正刑法準備草案が公開されたが、すでに開始している酩酊防止法案作成の作業を先行させることに支障はなかった。しかし、国会への提案は日米安保の混乱の影響を受け、提出困難となった。ここで一端、政策の流れは分離したと捉えることができる。そして、1961 年初頭から法律案の検討が再開され、1961 年3 月22 日に婦人議員懇談会内で法律案が完成して、再び3 つの流れは合流した。
4. 6 政策の窓の開放と法制化の実現
紅露を提案者として国会に提案された酩酊防止法の法律案は、参議院地方行政委員会に付託された。1961 年4 月12 日の趣旨説明から開始された審議を経て法案は修正され、付帯決議がつき、4 月28 日の参議院本会議で可決された。衆議院においても附帯決議がつき、5 月19 日に可決成立した。
衆参両院で審議されたことはほぼ同様で、1 つは警察官の家庭内立ち入りについてである。女性議員たちにとっては酩酊者から家庭の女性や子どもを守ることが立案の意図であった。現行の警察官職務執行法を超えない範囲が定められたが、解釈の仕方によっては迷惑行為がなされる前に警察が保護できる余地の残る条文である点を日本社会党議員は指摘した。また、現行法規で間に合うことに、屋上屋を重ねて条文を作ることについても議論となった。結局、参議院では法律案に反対した社会党議員は退席し、事前の根回しの通り、条文の修正と附帯決議の付与によって可決成立した。さらに、衆議院でも条文修正と付帯決議を付けての可決となった。成立した法律は、警察官の住居内立ち入りの要件をゆるめようとした構想が大きく後退し、わずかに第6 条にその痕跡が残る結果となった(長谷川 1961b:2)。
4. 7 酩酊防止法の政策の窓モデル
以上のように酩酊防止法に関する問題の流れ、政策の流れ、政治の流れの各々を検討した結果をMSA に当てはめて、図5-2 を作成した。図に描かれた点線は政策コミュニティを表す。議員立法の過程に入り、衆参婦人議員懇談会は参議院法制局に法案作成を依頼し、定期的に会合を開催して行政の関係者やマスメディア等へのヒアリングも積極的に実施した。参議院法制局の長谷川は併走し、全体を調整しながら女性議員たちの趣旨を法律として落とし込んでいった。(以下、本文つづく。脚注は割愛しました。PDFでご覧ください)








